010_1210 それが彼らの宿命Ⅱ~昨夜~

 昨夜のメリケンパークにて。


 樹里と十路が鍛えられた男たちに相対し、苦しげな息をする子供を背負うと、無音のゴングが鳴らされた。

 しかし次の瞬間には、半分が片付いた。


「一丁上がり」


 十路は飛び込みざまに、あごへのアッパーカットを放ち、自身よりも大柄な相手を浮かせてノックアウトを奪った。その後、骨を殴って痛かったのか、顔をしかめて手を振っていた。


「あとふたりです」


 樹里は前に出て長杖を突き出しただけ。得物の長さを最大限に使った片手突きで吹き飛ばした。


 強そうな外見要素がないティーンエイジャーたちに、半数が一瞬で、一撃で行動不能にされたことに、残るふたりは無言ながら驚愕していた。

 無意識ではあるが、あなどってかかってた彼らは、それぞれが改めて構え直す。拳を軽く握り、顔の前方に置く同じ構えは堂が入っていて、ただのケンカ慣れとは違う。ボクシングとも足運びに違和感を覚える。


 半分不意打ちだったから、簡単に一撃を入れることができたが、今度はそうはいかないだろうと、樹里は気を引き締めたが。


「はぁ……」


 十路は特に身構えなかった。握った拳も開き、少し困った顔で首筋をなでていた。


「あのー、先輩? もーちょっとやる気出してもらえると……」

「正面切っての殴り合いなんぞ、前の学校で死にそうになるほどやったから、やりたくない……」

「や、あの、状況見てください……」

「俺が得意なのは、奇襲と闇討ちと罠にはめることだからなぁ……さっきみたいに片付けるのは無理だろうし」

「うわ……卑怯ですね」


 そんなズレた会話をしていれば、油断と受け取る。事実ふたりの男たちも、踏み込んで十路と樹里に手を伸ばす。


 しかし十路は、ワン・ツー・パンチを片手で払い退け、カウンターで肘を相手の胴に。硬くとがった肘打ちは分厚い筋肉越しに叩き込んでも、相手は体を曲げて息を詰まらせる。

 顔の位置が下がったところに、掌底打ちを鼻っ柱へめり込ませ、ひざを突かせた。

 十路は考えて動いている風ではなく、明らかに素人の鋭さではなかった。


「はいっ、はいっ、はいっ、はいっ」


 樹里も即座に反応し、長杖を振り回して牽制けんせいし、接近を許させなかった。

 細腕で軽々と振り回しているが、金属製の長杖は重く固く、人を殴れば骨を砕く。そんなものを足に突き立てられてはたまらないと、連続して繰り出される下段突きを、男は慌てて下がりながら避けた。

 しかし一閃した薙ぎで足を払い、尻餅をついたところに。


「せいっ!」


 長杖を腹へ振り落とし、悶絶させた。


 《魔法使い》などと呼ばれていても、ゲームキャラのように能力値が知恵と魔力にかたよる貧弱ばかりではない。十路と樹里のように、《魔法》なしで大の男を沈める武闘派もいる。


「さて、と……」


 無力化したわけではないが、ひとまず片付けたと樹里が振り返ると、当然かばった子供がいる。まだ苦しげに肩を動かしているが、十路と樹里の戦いぶりを呆然として見ていた。


(《魔法使いの杖アビスツール》出したなら、今さらだよね……)


 妙な理屈で自分を納得させて、樹里は長杖を子供に向けた。


 大の男を叩き伏せた武器を鼻先に突きつけられたのだから、子供は日本人とは違う顔を恐怖で歪めた。


「動かないで。大丈夫だから」


 子供に微笑みかけ、樹里は《魔法》を実行する。のどに絡んだたんを細かく分解し、神経伝達物質を操作して副交感神経系の働きを阻害させ、気管支付近の筋肉を弛緩しかんさせる。つまり発作をしずめた。


 急に呼吸が楽になったことに、子供は驚きの顔で喉を押さえた。


「まだ苦しい? どこかおかしいところはない?」

「え……はい、大丈夫です……」


 しっかりした返事に、樹里は満足げに軽くうなずく。


「それはいいんだが、次がお出ましみたいだぞ」

「そうですね……」


 背後で守るように立つ十路に、言われるまでもない。《魔法使いの杖アビスツール》と接続していることで、振り向かなくても《マナ》を通じた空間情報収集で感知している。更なる男たちの接近を、樹里もずっと前から気づいていた。


 立ち上がりながら振り返ると、やはりスーツを着た体格のいい男五人と、彼らに守られるようにしている外国人男性がいた。

 五人の男たちは、十路と樹里が地面に転がした四人と同じ立場だろう。なぜかひとりだけ、色の濃いスポーツサングラスをかけ、黒く長いケースを肩に背負う別格感を出しているが。


「お前たちが……か」


 ケースを持つ男がつぶやいた。

 自分たちの正体を知っている様子に、より一層、警戒を強めて、十路は男たちを見まわして。


「……? アンタ……あの時の?」


 守られるようにして立つ男の顔を見て、十路が不思議そうに眉根を寄せる。

 三〇歳半ばと見える年頃で、金髪碧眼へきがん白皙はくせきの彫りの深い顔立ち。


 その時の樹里は知らなかったが、昼間に十路とイクセスが学校の駐車場で会った、自分の車について話していた男だった。

 しかし十路はその時、ヘルメットを被っていたため、男は自慢げに車の話をしようとした学生だとは知るはずもない。

 それどころか注意も払っていなかった。彼は驚いたように、子供を見ていた。


 その間に十路と樹里は、小声で短く意志を交換する。


「木次、どうする?」

「……逃げましょう」

「あの子は?」

「……連れて行きましょう。あの子が目当てみたいですから」

「仕方ないか……イクセスに無線飛ばせ」


 十路としてはこれ以上のトラブルはご免だろうが、巻きこまれたからには文句を言っていられない。

 それに駐車場にあるのは、普通のオートバイではない。呼べば無人で来るのだから、またがればすぐに逃げ出せる。


 背後の子供を連れて、タイミングを計る。

 そしてまさにふたりが行動しようとした時。


「いま……息子になにをした?」


 男の言葉に、思わずたたら踏む。


「はい?」

「息子?」


 樹里と十路は顔を見合わせ、同時に子供へ振り返った。


「えぇと……この人って……」


 樹里に問われた子供は、おずおずとうなずく。


「はい……父さんです」


 勘違いがあったことを理解し、十路と樹里は気まずく沈黙した。



 △▼△▼△▼△▼



「――それがLLP社代表、ヴィゴ・ラクルス氏だったっつーわけですわね?」


 コゼットがまとめるように、十路と樹里に確認する。


「えぇ」

「外出してる間に、病弱な息子さんが勝手にホテルの外に出てってしまったので、周囲の人たちと一緒に探していて……それでまぁ、お互い誘拐犯だと思って、いざこざ起こしてしまいまして……」

「木次の《魔法》を見られたので、誤魔化すわけにもいかないですし、部のことは明かすことになりまして」

「で、まぁ……そのまま名乗りもせずに逃げて帰りましたけど」

「勘違いとはいえ、相手をボコったからな。手を出してきたのは向こうが先だったから、問題にならなかったけど」

「なんだか私たちと話をしたかったっぽいですけど、気まずかったんで……」


 コゼットはポケットからスマートフォンを取り出した。


「その子供っつーのが、息子のレオナルド・ラクルス、十一歳……病弱らしいですし、それで『世話になった』というのも理解できましたわ」

「詳しいですね?」

「ちょっと気になることがありましてね」


 彼女が指でスワイプしつつ見ているのは、先日経済学部の知り合いに調べてくれと頼み、メールで送ってもらった内容だった。

 学生の調査結果だから大した内容ではないが、それでもコゼットが知りたかったことは、おおよそ知ることができた。


「部長。聞いたことない名前ですけど、どんな会社なんですか?」

「アメリカの総合コンサルティング会社ですわ。略称はLLP。ビッグ・フォーと呼ばれる世界四大会計事務所のひとつ」

「コンサルティング、ですか?」


 学生が関わることはなく、テレビCMをバンバン流す業種でもない。子犬のように小首を傾げる樹里に向けて、コゼットが人差し指を立てる。


「《魔法》が世界に現れて、一番影響のあった業種とはなんでしょう?」

「……色々じゃないですか? 製造業関係はどこも多かれ少なかれ、影響を受けるんじゃないかと」

「正解は第三次産業、サービス業ですわ。研究都市である神戸を見てわかるように、学術研究や専門技術サービスへの影響が顕著けんちょですわね。研究開発部門を持つ製造業も多いですから、木次さんの答えも間違いじゃねーですけど」


 《魔法使いソーサラー》が数多く存在していれば、あるいはもっとその分野の研究が進んでいれば、《魔法》が関わる新たな物品が世に出回り、製造業が変わるかもしれない。


「サービス業の中でも、コンサルティング会社の需要は、《魔法》に対する企業への影響を考える経営者たちによって、近年特に需要が伸びてますの」


 コンサルティング業務は、企業・公共機関の現状業務を観察し、問題点とその原因を分析し、対策案を示して企業の発展を助けること。

 その中で総合系コンサルティングは、ITシステム導入などを行うと共に、経営・人事戦略の見直し、法務分野の強化、企業合併買収M&A、特定業種別に多岐にわたる発展補助を、報酬と引き換えに行う。


 出現から三〇年経ているとはいえ、今のところ、社会のごく一部しか《魔法》の影響は広がっていない。しかしここ数年以内には大きな変化があるのは間違いない。

 そのチャンスを逃すまいとする経営者へ企業戦略を授けているのだと、コゼットは説明する。


「これは個人的な感想ですけど、どうもウサン臭く感じるので、わたくしは関わりたくねーですわ」

胡散うさんくさい?」

「世界規模になれば、当然国をまたいで事業展開してますわ。しかも民間会社だけでなく、公共機関のコンサルティングも珍しくないですし、アドバイザーとしてお偉いさんと交流があるのも、よくあることですわ」


 もちろん全ての会社に当てはまるわけはないが、コンサルティングという業務自体に、懸念される材料がいくつかある。


 一部の会社は情報マフィアとも呼ばれ、企業の弱みを握ってつけ込む。

 別の企業と裏で連携し、故意に情報操作を行うことも考えられる。

 軍や諜報機関、政府出先機関といった組織の委託いたく業務もあるため、情報の国外流出の危険性がある。


 つまり世論をある目的に向けて動かすことのできる業種なのだ。実際にやろうとしたら、かなり困難ではあるが。


「《魔法使いソーサラー》が多方面へ影響力を持つ会社に近づいたら、どんな風に利用されるか、わかったもんじゃねーってんですわよ」


 ローマの将軍・ハンニバルしかり、中国の武将・韓信然り、過労死したサラリーマン然り、有用であるが故に、悲劇的な最期を迎えた人物の話はいくつもある。自分たちも同じように使い捨てにされる可能性があるから、下手に関わりになりたくないと、コゼットは軽く顔をしかめる。


「ついでに申し上げておきますと、ヴィゴ・ラクルスって方。あんま評判よくねーみてーですわね」

「どんな風にです?」

「今は引退した、創業者の娘婿むこなんですけど、トップに就くには経験が浅く、相応しくないって意見があるらしいですわ。義理の息子ですけど、親の七光でなった立場じゃありませんの?」

「社長の業務がうまくできないってことですか?」

「実力主義の業界ですから、真実か不明ですけどね」

「じゃあ、やっかみとか、そんなのですか?」

「そうとも言い切れないようですわ。あんま業務に熱心じゃなくて、部下の判断に一任されている部分が大きい……使い込みとかしてなければ、仕事しやすいと思いますけどね? お飾りのトップを据えて、自分たちの裁量で仕事を進められるんですから」


 樹里相手に語っていたコゼットの『使い込み』という言葉に、ずっと黙っていた十路が顔を上げた。


「部長。コンサルティング会社社長って、もうかるものなんですか?」

「一概に言えねーでしょうけど、一般的にコンサルタントは高収入と言われてますわ。その代表ともなれば、相応の報酬をもらってんじゃ?」

「日本円で億行きます?」

「具体的な数字まではなんとも。ただ、そんくらいの億万長者なら、意外とその辺にいますし、不思議ねーですわね」

「そうですか……」


 十路の頭にあるのは、学校の駐車場でヴィゴ・ラクルスに会い、車の自慢をされそうになった時のこと。


(後ろ暗いことしなくても、二億円近い車を買うのは、できるともできないとも言えるのか……)


 直接の人物判定には結びつかないが、危険である可能性は否定できない。コゼットも同様だった。


「ともかく、そんな人物が神戸にいる理由も不明。昨夜の件は偶然だとしても、食事だけで済むとは思えねーでから、わたしくしはそのお誘い、遠慮させてもらいますわ」

「堤先輩はどうです?」

「俺も部長と同じだ……」


 樹里に問われて小さくため息をつき、チェックしたダンボール箱の中身を整理しつつ十路は答える。


「本来だったら《魔法使い》なんぞ、普通の人間に関わる人種じゃない。下手につながりを持つと、余計な勘ぐりする連中も出てくる」


 だから純粋に『謝罪と礼をしたい』という好意であったとしても避けるべきだと、無表情に十路は主張する。


「木次は行きたいのか?」

「や~……私もどうかと思いますし。ここで私だけ『行きたい』って言うのも、もっとどうかと思いますし」

「でしたら、お断りっつーことで処理しておいてくださいな」

「はーい」


 高校生では日常生活で見ることのない丁寧な文面に、どう返事をいいか考えつつ、樹里はキーボードを叩く。

 それを確認して、コゼットはチェスの駒を再び動かし始め、十路は備品のチェックに戻る。


【二一世紀の《魔法使い》は、そんな心配までしないとならないのですね……】


 《使い魔ファミリア》の言葉に、《魔法使いソーサラー》たちはなにも答えない。


 ファンタジーと違って魔物と戦う必要もなければ、《魔法》を生活のかてに使う必要もない。それどころか下手に使うと面倒なことになる。それが現代の《魔法使い》だ。

 この程度の面倒は序の口だと、彼らは知っている。


 だから無言をつらぬいて、放課後のガレージハウスに流れる時間を、紅茶と甘い菓子の匂いただよう、ゆるゆるとしたものにする。


「踏んで! こうなればもっと踏んで! なにかが覚醒する勢いで!」

「本気でヘンタイ発揮し始めましたね!?」

「俺は元よりソフトにもハードにも対応可能なフレキシブルMだ!」

「この前ドMを否定してたのに……イクセスさん、この人やっぱりくべきですよ」

【…………】


 まだ踏み続けるナージャと、踏まれ続けている和真が、台無しにしているが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る