010_1301 それが彼らの宿命Ⅲ~そして事態は廻り出す~


 不意に着信音が三つ、重なって部室の中に響いた。


「「!?」」


 一瞬で空気は一変し、《魔法使いソーサラー》たちが一斉に立ち上がり、各自が携帯電話を取り出す。

 寝ていた獣たちが敵を察知したような、そんな急変だった。


「んあ?」

「何事ですか?」


 同じ行動を部員たちが取ったことに、和真とナージャも驚きの目を向けるが。


「こういう一斉送信のメールは、部活の緊急招集なんですけど……」

「……今回は違うようですね」

「部活関係には違いないけどな」


 メールを確認したコゼット・樹里・十路とおじの三人は、拍子抜けしたよう力を抜いた。


【ツバメからの連絡ですか?】

「あぁ。『客が会いたがってるから、今から理事長室に来て』だと」

「なーんかヤな予感がしますわね……」

「とはいえ、無視するわけにもいかないでしょうし……」


 仕方なく十路は無手のまま、コゼットと樹里は空間制御コンテナアイテムボックスを手にし、外に出る――その前に。


「行ってらっしゃーい」

「留守番は任せとけ~」

「……部室閉めるから部外者は帰レ」


 居座ろうとするナージャと和真を、十路はジト目で追い出した。



 △▼△▼△▼△▼



「失礼します」


 理事長室の扉をノックし、樹里を先頭にして三人が入ると。


 応接セットで話し合っていたらしい、つばめと向かっていた『客』が、振り向いて立ち上がった。


「「……え?」」


 彼らがなんとなしに予想していた『客』とは、随分異なってために、しくも間の抜けた声が三つ重なった。


「えと……もしかして、昨夜ゆうべの子……?」

「はい! レオナルド・ラクルスといいます!」


 ハキハキとした元気のいい日本語は、まだ声変わりを迎えていない高い音。そして面体を隠すように着込んでいた昨夜の格好とは違い、こざっぱりとした姿をしている。確かにあまり体が強そうにない印象がある。加えて柔らかそうな茶色の髪と、柔和そうな顔立ち、線の細さは育ちの良さを感じさせる。

 白色人種コーカソイド黄色人種モンゴロイドに比べて発育がいいとされるが、十一歳という年齢に相応しく、どう見ても子供だった。


 『客』と聞かされて、普通は子供を予想しない。ちなみに部屋にはもうひとり、スーツ姿の男がいるが、そちらは壁際に控えるように立っていたので、どう見ても付き添いにしか見えない。


「カレ、昨日のことでどうしてもキミ達――というか、ジュリちゃんに礼が言いたいからって、ウチの学校に来たんだってさ」


 どうやらこの状況を面白がっているっぽい。つばめはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。


 そんな事は気づかず、少年は樹里に対し、ハキハキとした日本語で礼儀正しく礼を言う。


「昨日は苦しんでいるところに助けて頂いて、ありがとうございました!」

「や、そんなの気にしなくてもいいのに……」

「あれが《魔法》なんですね……初めて見ましたけど、すごかったです!」

「あ、や、うん……」

「それで、えぇっと、その……あの……お姉さんのお名前は……?」

「あ、そっか、名乗ってないもんね……きす――じゃなくて。ジュリ・キスキ」

「ジュリお姉さんですね――あ、ボクのことは、気軽にレオって呼んでください」

「うん……わかった……」


 無邪気な笑み少年が頬を紅潮させて向けるのは、キラキラした瞳だった。《魔法使いソーサラー》への羨望せんぼうと、感謝の意だけ――とは思えない。


 大人と、大人に片足を突っ込んだ年齢ならば、思い出すと甘酸っぱくもあり、もだえたくもなる感情。他人事なら微笑ましさを感じる小さな恋心。

 そんな感情がうかがえる瞳を向けられても、樹里は困って口元を軽く引きつらせる。


 少年の視線から逃れるように、ゆっくり振り返って目で助けを求めると、コゼットは十路に小声で話しかける。


「……なんて言うんでしたっけ? 看護してたりされてたら、恋愛感情が芽生えるっつーアレは」

「ナイチンゲール症候群?」

「あー、それですわ。それで医者や看護士が患者とデキるの、珍しくないらしいですけど……」

「あの子のあの態度もそれですか?」

「苦しんでのた打ち回ってるところに現れて、発作を一発で収めた。一般人パンピーが考える《魔法使いソーサラー》の神秘性も加わって、そういう感情を持たれても、不思議ねーんじゃありません?」

「ふーん」

「貴方、そういう方面ニブい方?」

「否定はしません」

「それどころか興味ナシっつー感じですわね……」

「ないですね」

「自覚があるだけマシかしら……?」


 ふたりだけ聞こえる音量で会話していて、樹里を助ける気はなさそうだった。別に悪意によるものではなく『ここで割って入るのは違うだろう』と思っている風情で。


 頼りにならない先輩たちから、樹里はゆっくりと首の位置を元に戻す。擬音語で表すならば『ギギギ』と。

 当然またも真っ直ぐ向けられる少年の視線を受け止めることになる。


(あぅ~……どう反応すればいいんだろ……? 無闇に怖がられるよりはいいけど、こういう反応も困るぅ……)


 年上として、少年の想いを無碍むげにはできない。かと言って小学生相手に、真面目に反応するのもどうかと思う。


「あ、あのっ! ジュリお姉さん!」

「ふぇ!?」


 そんな彼女の悩みにはレオ少年は気付かない。十一歳の人生経験で求めるのも酷か。


「ぜひともお礼をしたいのでひゅ!」


 噛んだのは、日本語がいこくごでもやはり慣れていないのか。それとも単に緊張しているのか。


「……ちょっと遊びに出るつもりで、薬も持たずにホテルの外に出て、発作が起こって……ひとりで動けなくなって、どうしようかと思いました」

「や、別に大した事してないけど……」

「ボクにとっては大した事ですよ! 薬を使っても、あんなにすぐに楽にはなりませんから!」


 その時の興奮を思い出したのか、レオの感情は高まって行く。


「実はボクだけでなく、父さんも会いたいって――」

「あーそうそう。彼のお父さんのミスター・ヴィゴ・ラクルス。その人からもお誘いが来てるんだよ。郵便で招待状も届いたし」


 つばめが補足しつつ、高級感ただよう封筒を差し出してくる。

 樹里が受け取って広げると、彼女の肩越しに、十路とコゼットが覗きこむ。


「内容はメールと同じか……」

「変える必要もないでしょうけど……」


 どうやら『そこまで《魔法使いソーサラー》と関わりたいのか……?』とゲンナリしている様子だった。


 郵送した招待状に加えて、用心なのかメールも使っている。そして本人だけで考えて行動しているとは思えないから、レオを学校に寄越していること。

 ヴィゴ・ラクルスは、よほど《魔法使いソーサラー》と繋がりを持ちたいのか。


「私はそういう部活動に参加してるし……だからお礼だなんて……」


 その話をしたばかりなのだから、樹里は断ろうとするのだが。


「ダメ、でしょうか……?」

「う゛」


 相手は樹里よりも背の低い子供だから、身長差の関係上、上目遣いをもろに受け止めてしまう事になる。

 部員たちが警戒する、自分たちを利用しようとする悪意など微塵も感じず、ライトグリーンの瞳は宝石のように澄んでいる。それが曇っているように見えるとしたら、ただ誘いが断られるのが不安だからに違いない。先ほどまでの意気込みはどこへやら、消え入りそうな声が、誘いを断ることへの罪悪感を生み出す。


(あぅ~、断れそうにないぃ……)


 対応に困った樹里はもう一度、さび付いた鉄の動きで、先輩ふたりに振り返る。


「……木次さんがお決めなさい」


 コゼットは決定権をゆだねるが、樹里の性格を知っているためか、今後の展開に諦めている様子だった。


 十路はというと、樹里を見ていなかった。

 彼の視線は、レオ少年の付き添いであろう、壁際に立つスポーツサングラスをかけた男に向いている。黒いケースを持っているため、あの晩にも居合わせた人物だとわかる。


 あの時は注意して見ていなかったので、樹里は改めてその容姿を、見すぎない程度に脳裏に焼きつける。

 身長は一八〇センチを少し超えるほど。髪は黒く、肌はよく焼けており、肩幅は広いがさほど筋肉質な印象もなく、街中にいても存在感を放つ人物という風はない。ただ日本人離れした彫りの深い顔立ちになので、その点が気になると言えば気になる。

 色の濃いサングラスで目が隠されているせいで、その表情はよくわからない。ただなんとなく、眉間に浅いシワができていることから、この状況にイラついている雰囲気がある。


 動物に例えるならばワニ。ヘビやトカゲのように、鱗がぬめるような嫌らしさはない。普段はただ静かにたたずみ、水辺に近づく獲物に食らいつく時は、獰猛な本性を表す。樹里はそんな印象をその人物に覚えた。


 ちなみ肩にかけているケースはというと、身長より短く、かなり細長い。スキー板を入れるソフトケースかと樹里は想像する。


 彼は理事長室の壁に、そっと寄りかかっている。

 付き添いにしては妙な距離だ。己の半分にも満たないであろうと子供に、完全に場を任せてフォローを放棄するつもりなのが窺える


 十路はそれを、もの珍しそうに見ているわけでも、とがめる意味で見ているわけでもない。

 敵意を含めた観察と警戒で、軽く睨んでいるようにしか見えない。


「?」


 視線に気づいたのか、男に振り向いた。

 その時には既に十路は無表情に戻り、あらぬ方向に顔を向けている。


「先輩……?」

「ん? 木次のことだから、行く気なんだろ?」


 樹里は一連の行動を見た上で行動理由を問うたつもりだったが、十路は

違う返事をしてきた。



 △▼△▼△▼△▼



「当日お待ちしてますから!」

「あは……あはは……」


 レオ少年たちを見送る道すがら、食事会の招待を部員たち――というよりは樹里――が受けてもらったことでレオ少年は喜色満面だが、樹里は乾いた笑いを浮かべている。きっと断ることができない、己の不甲斐なさを痛感している。


「こうなると思ってましたけどね……」

「木次ですしね」


 その後ろでコゼットと十路がささやき合う。


 樹里は基本的に温厚で気が良く、押しが弱い。そんな少女が、子供に純真な瞳でお願いされて、冷淡に突っぱねられるはずない。


 攻撃的な態度を取られれば、子犬でも吼えて噛みつき応戦する。しかし喉をくすぐる子供に、そんな態度を取れはしないだろう。


「《魔法使い》ってどんな事でもできるんですか?」

「や、『どんな事でも』は無理だけど……」


 レオは興味津々な様子で、次々と樹里に質問を浴びせ、少しでも彼女のことを知ろうとする。


 そんな子供の姿に、自然十路の目が細まる。睨んでいるわけではなく憧憬で。普段しないだろう表情に、隣のコゼットが眉を動かす。


「変な顔してどうしましたのよ?」

「部長はいつまで子供でいられました?」

「どういう意味で言ってます?」

「いつまで《魔法使い》に憧れることができましたか?」

「……物心ついた時には、自分の生まれを呪いましたわ」

「俺はもう少し遅かったですけど、似たようなもんですよ」


 《魔法使いソーサラー》がどう見られる人種か、現実の厳しさをまだ知らずに、ひそかに誇れた時があった。

 意気込んで樹里に話すレオの姿に思い出し、十路は寂しげに、眩しげに。コゼットは忌々しげに、しかし笑う。


「無邪気ですわね」

「えぇ……」


 なんとも言えない感情が芽生える。《魔法使いソーサラー》という忌むべき存在が、普通の学生をやっていられるこの学校にいても、こういった『普通の子供』の反応を見せられると。


「ゴホッ! ゴホッ!」


 急にレオが咳き込んだことで、樹里への質問が止まった。


「大丈夫?」

「はい……ちょっと興奮しすぎました」


 発作と呼ぶほどの症状ではないらしい。それでも立ったまま、少年の背中をゆっくりさする。


「レオくんは、その病気……っていうか体質、治したいって思う?」

「治るものなら、治ってほしいですけど、そこまでは……」


 バツが悪そうな曖昧あいまいなレオの返事に、十路は意外に思う。

 普通、人を癒すことができる存在が目の前にいれば、『治してほしい』と望みを口にするだろう。それに彼は、発作を鎮めるだけだが、その恩恵を実際に体験している。


「どうして?」

「この歳でこういうこと言うと、笑われるかもしれませんけど……」


 レオは言いにくそうに、照れくさそうに樹里に明かす。


「父さんは仕事が忙しいから、話すことも滅多にないんです。だけど今回、父さんと一緒に日本に来ることができましたから」

「えと……? その口ぶりからすると、普段はアメリカに住んでるってことだよね?」

「はい、そうです」

「え……? じゃぁ、どうして今回、日本に来たの?」

「僕もよく知らないんです。父さんは『仕事のついで』と話してましたが」


 かげりのない口調を聞く限り、彼は本当になにも知らず父親ヴィゴと共に神戸に来たのだろう。

 だが《魔法使いソーサラー》から見ると、裏を感じずにはいられない。


「僕が発作が起こすと大変だからっていうのもありますし、旅行なんてほとんどした事もありません。それに父さんは仕事でいつも忙しいですから、余計に……」

「んーと……レオくんがいま見たいに病弱じゃなかったら、もっと構われなくなるって思ってるってことかな?」

「はい、そういうことですね……変でしょうか?」


 レオが話しているのは日本語で、彼の母国語ではない。学んだ言葉遣いが丁寧だから、聞いている者は勘違いするかもしれない。


「僕が病弱だから、他の人に迷惑かけてるのは、わかってるんですけどね……」

「レオくんって、お父さんっ子なんだね」

「はは……」


 自分のことも周囲のことも理解し、しっかりしているように見えても、その照れくさそうに笑う顔が、彼がまだ子供であることを示している。


 そのタイミングで、十路が振り返る。


「アンタも大変だな」

「?」

「日本語わからないか?」

「いや」


 話しかけられるとは思っていなかったに違いない。レオから更に離れて十路たちの後ろにいたケースを背負った男は、面食らった顔を作る。サングラスで半分隠れているが、雰囲気はわかる。


「『子供のおりなんてやりたくない』って、顔に書いてあるぞ」

「気は進まないが……仕方がない」

「仕事だから、か?」

「そんなところだ……」


 感情の感じられない低い声で答え、男はケースを揺らして追い抜かして先を歩く。

 うながすなり急かすなり、普通ならばなにか言うと思うが、レオには声もかけない。


「あ……もう行きますか?」

「あぁ」


 レオの呼びかけに振り向きもせずそれだけ言い、男は一号館を出て行った。


「なんですの、あれ?」

「お父さんの部下の人、だよね?」


 コゼットはその態度に呆れ、樹里はレオに確認する。


「きっとそうだと……僕もよく知らないんですけど」


 そうこうしているうちに、一号館の出入り口に着く。

 来客用駐車場には、十路も見憶えがある、メタリックグレーのスポーツカーが車体を震わせていた。運転席には先に行った男がハンドルを握って、レオが車に乗り込むのを待っている。


「うわ……すごい車で来たんだね」

「父さんの、自慢の車なんです」

「そういえば今日、どこから来たの、っていうか、どこに泊まってるの? 車があるんだから日本こっちに家があるの?」

「熱海に別荘があって、一昨日おとといはそこにいたんですけど、昨日はオリエンタルホテルで泊まったんです」


 一号館の出入り口でレオは振り返り、軽く頭を下げる。


「それじゃ食事会、楽しみにしてますから」


 レオが車に乗り込むと、荒々しいエンジン音をとどろかせて、高級スポーツカーは走り去った。

 完全に姿が見えなくなってから、樹里が小さくため息をついた。


「木次さん、あのコにすっかり懐かれましたわね」

「あはは……こーゆー時って、どーすればいいんでしょーねー……?」

「わたくしになに期待してますの?」

「や~、部長だったらなにかいい方法、知ってないかと思いまして……」

「……木次さんがショタ趣味に覚醒?」

「覚醒しません! ってゆーか、四歳下でもショタになるんですか!?」

「社会人なら関係ねー年齢差でしょうけど、高校生と小学生では、そう評されても仕方ねーでしょう?」


 抜けた会話をするコゼットと樹里を他所よそに、十路はすっきりしないものについて考える。


(用心しておくかぁ……?)


 とはいえ、今すぐ何かするでもない。彼は首筋をかいて欠伸あくびを漏らし、怠惰たいだな野良犬の風情を見せた。



 △▼△▼△▼△▼



 日は完全に落ち、夜も更けた時間になった時、ヴィゴ・ラクルスは一軒の店に入り、スツールに座っていた。


 彼がその店に来たのはただの偶然だった。

 こういう気分の時は、愛車ヴェイロンで飛ばすに限るのだが、『直接礼を言いたい』という息子が修交館学院に行った際、付き添いに貸してから、カギがまだ帰ってきていない。

 宿泊しているホテル内にバーもあったが、少し遠出をしたくて、歩いて外出した。


 そして表通りを使わずに、一本裏に入った通りで、この店を見つけた。

 たまたまか、客は他にいなかった。

 更に彼は普段、こういう静かな雰囲気の店には入らないが、今日は気の迷いで席に着いた。

 この状況は、全て偶然だった。


 カウンターとテーブルを合わせて二〇席ほどの、さして大きくない店。棚一面に並んだボトルの種類と、メニューの豊富さから分類すると、酒と料理の両方、そして雰囲気を提供するダイニング・バーだ。

 店の名前はアレゴリー。日本語で『比喩ひゆ』や『寓話ぐうわ』を意味する。


「どうぞ」


 カウンターに入り、グラスのビールを置いたのは、まだ若い女性だった。身につけている白いシャツに黒いベストとノータックパンツ、そして蝶ネクタイをつけた、バーテンダーユニフォームだ。


 欧米人から見た日本人は総じて若く見られがちだが、彼女は日本人が見ても童顔と思うだろう。パッと見では学生のアルバイトと思える。


「そちらは?」


 テーブル席にはふたり、スーツが窮屈そうな大柄な男たちが座っている。彼らは日本語を理解している様子はないが、女性バーテンダーの言葉を察したのだろう、注文は不要と首を振る。


 堅苦しさに少し辟易へきえきしたように、ヴィゴは小さなため息をついた。


「Are you on business? (仕事ですか?)」


 女性バーテンダーの唇が動き、流暢りゅうちょうな英語を発した。


「……すまない。日本語で頼む」

「? そうですか?」


 三人の風貌は明らかに欧米人であることに加えて、ヴィゴはふたりに英語で話している。なので彼女も英語で語りかけても不思議はないが、逆に日本語を話すように言われるのは、妙な成り行きだろう。


「聞かれたくない」


 ヴィゴは肩をすくめることで、テーブル席のふたりを示す。


「部下の方では?」

「いや……外部の人間だ。護衛……だ」

「……そうですか」


 女性バーテンダーは、ヴィゴが会社代表だとは知るはずない。だから『護衛が必要なほど偉い人なのね』と軽く思った程度か。

 迷惑をかけず代金を払うなら、相手が路上生活者だろうと大統領だろうと同じ客なのだという態度だった。


「それで、お仕事で日本に? 随分お疲れのようですけど」

「仕事で日本に来ることは度々たびたびだ。だから別宅をこっちに建てている」

「だから日本語がお上手なんですね」

「疲れてるのは……息子のことだな」


 ヴィゴはそう言ってグラスを傾ける。なにかを吐き出してしまいたくなったが、ビールと一緒に喉の奥に流し込んだようだった。

 テーブルの男たちが、日本語を理解しているか不明だが、口に出さないに越したことはない。


「息子さんでお悩みですか……」


 女性バーテンダーは新たなグラスを出して、サーバーからビールを注ぐ。


「子供を持つと悩みは尽きませんよね。しかも結局自分の事ではないから、解決が難しいですし」

「……? 子供が?」

「これでも既婚者ミセスです。子供はいませんけど、ひと回り歳の離れた妹がいまして、実質子供みたいなものですね」


 左手の薬指を飾る指輪を見せつつ、彼女は苦笑する。見た目の若々しさから、意外に思われるのも初めてではないのだろう。


「生活には支障ないですけど、持ちで、こちらとしてはあれこれ心配するんですけど……年頃になったせいか、最近ナマイキになっちゃって、嫌がるんですよね」

「病気か……」

「もしかしてお客様の息子さんも、ですか?」

「体が弱くてな……いつも病気がちで、今回一緒に日本に連れてきたのだが……」

「?」


 『体が弱いのに外国に連れてきた』というのは、普通に考えれば妙な話だろう。しかし女性は軽く首を傾げたが、訊かない。


「……欲をかくべきではなかったかと、思っているところだ」


 後悔の言葉のにも踏み込んでこない。客と店の関係ならば、こんなものか。


「今日はこれで閉店になりそうですし、私も飲んでいいですか?」


 代わりに明るく少女のように笑い、女性バーテンダーは泡の落ち着いたビールのグラスを掲げた。

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