010_0801 《魔法使い》たちの学生生活Ⅱ~昼休憩~


 午後一二時四五分。昼休憩時間の、修交館学院の一号館――学院全体の管理部署が入っている棟の理事長室にて。


「…………」


 クリームホワイトのサマーセーターに、すね丈のレディスジーンズというコーディネイトをしたコゼット・ドゥ=シャロンジェが、装飾杖を構えて集中する。


 すると《マナ》と《魔法使いの杖》を通じて、あらゆる情報が頭の中へと流入してくる。材質・ナノメートル単位の寸法・温度・気圧・重力・中空の原子量・空間電位・粒子線量など。普通の科学技術ならば、高精度のセンサーでないと知ることのできない情報を、《魔法使いソーサラー》はいとも簡単に手に入れられる。


 その感覚を常人に説明するのは難しい。言葉にすれば『視界の隅にパソコンのディスプレイが見えるだけなのに、表示されている情報はなぜか正確に頭に入ってきて、指先ひとつ動かしたつもりで操作もできる』とでも言おうか。


「《魔法回路EC-Circuit》展開」


 言葉と共に、青白い光を放つ幾何学模様が描かれる。ワイヤーグリッドの四角い平面アンテナにも見えるそれは、テーブルに置かれた物体に向けられていた。

 それは《魔法》を行使する際に展開される『魔法陣』ともいえる。


 別に口にしなくても問題はないが、彼女が宣言したのは、これから行うのが少し難しい作業だから、気合を入れた。


「《グリムの妖精物語/Irische Elfenmarchen》――」


 そして名前をつぶやく。

 普通こういう使い方をしないので、物体にだけ効果を与えるようにアレンジし、周囲に膜状の幾何学模様を浮かべて電磁気学的に遮断する。


 現代の《魔法》は、呪文を誰かに教わるものではない。かと言って、イメージを具現化させる曖昧あいまいな代物でもない。あえて言うならその双方が必要になる。


 《魔法使いソーサラー》の脳はコンピュータ。そしてそこには、あるソフトウェアがインストールされていると考えればいい。

 それは知識と経験から、自動的にプログラムを作成する。

 事象を起こす原理の物理学的な知識。

 実際に見聞きしたり体験した人生経験。

 それにより、《魔法》の発動に必要な術式プログラムが、頭の中に自動作成され、脳内のフォルダに圧縮保存される。


 銃火器を扱い、その仕組みに精通した者が、熱力学の法則を理解すれば、マイナス二一〇度で固体化した空気の弾丸を発射することができる。

 飛行体験をし、重力の働きについて理解した上で、『人間は飛べない』という常識にとらわれなければ、重力制御で空飛が可能となる。


 その仕組みシステムは、ゲームのキャラクターがレベルアップすることで、誰に教えられるわけでもなく、新しいスキルを覚えるのにも似ている。


 術式プログラムに《魔法使いの杖》を通じて得た情報から、目的の効果を発揮させるために適切なパラメーターを入力し、《マナ》へと動作データとエネルギーを与え、空間に回路を一時的・仮想的に作成する。

 そうすることで落雷の発生、石の槍を作成といった、超常現象をに起こす。

 図面データをパソコンに入力して、自動工作機械で実際に物を作る場面を想像してもらえれば、理解しやすいだろうか。

 ただしパソコンは人の頭の中に埋め込まれ、工作機械は必要に応じて出現するという非常識さだが。


 それが《魔法》と通称される科学技術――正式名称・Environmental Control(環境操作)。


「実行」


 コゼットが脳内でエンターキーを押して、閉じ込めた物体に向けてエネルギーを放射する。


 過去にはこの原理を利用した兵器の開発が研究されたが、当時では技術的な問題で机上の空論に終わった。しかしこの原理は、金属や密閉された物――たとえば卵に使うと非常に危険だ。そして《魔法》では、人を殺せるだけの高出力にすることも不可能ではない。


 だからか、コゼットは気難しい顔で慎重に操作して。

 チーンという間の抜けた音も発して、終了をしらせた。


「お~。やればできるじゃない」


 丼のフタをつばめが開けると、カツ丼がホカホカ湯気を上げる。


「レンジ代わりに《魔法》使わせんな!」

「コゼットちゃんが来るの遅いから、待ってたら冷めちゃったんだよ」

「わたくしのせいでも普通に電子レンジ使やいいでしょうが!」


 頼まれたことを実行してる辺り、コゼットは人がいい思うべきか。やってから文句を言う辺り、執念深いと評するべきか。


「……それで、また突然呼び出して、昼メシ一緒にしようってなんですの?」


 文句をタラタラ言ってもいいのだが、それではなにも始まらない。店屋物の天丼を引き寄せ、割り箸を割りながら、コゼットは話を進める。


「マジメな相談。コゼットちゃんに《付与術師エンチャンター》のお仕事をお願いするかもしれないの」

「あぁ……そっちですの」


 正式なものではないが、得意分野を持つ《魔法使いソーサラー》は、ファンタジックな通称で呼ばれることがある。

 ゲームと違って単純に『攻撃型』『支援型』などという分類は存在せず、また四大元素などの属性はないので、よほど特徴的でない限り、呼ばれることはない。

 コゼットはある技術を習得していることで、『よほど特徴的』に入り、《付与術師エンチャンター》と呼ばれている。


「コゼットちゃんに、新しい備品を作ってもらうかもしれない」

「備品って、まさか《杖》ですの?」

「うん」


 ファンタジーでは、魔法の武具や呪文の効果を持つアイテムといった神秘の品を作る、特殊な生産能力を持つ者のことを指す。

 同様に現実に存在する《付与術師エンチャンター》とは、《魔法使いの杖》を設計・製作・整備できる技術者を呼ぶ。


 部分的には普通の人間でも、同じ作業は不可能ではない。しかし原子レベルの超精密作業や、既存では製法が確立していない加工をほどこすことがあるので、全体では《魔法使いソーサラー》しか不可能な作業が必要となる。

 それが行えるコゼットは、部員の《魔法使いの杖》や空間制御コンテナアイテムボックスなど、特別な備品の製造・管理責任者でもある。


「堤さんに続いて、また新入部員が来ますの?」

「それ自体まだハッキリしてないの。だからそうなった時、すぐに動けるように、準備だけしておいて欲しいんだ」

「でしたら先に部品を用意してくださいな。マザーボードもバッテリーも、入手に時間かかるでしょう?」

「うわぁ……そうだった。審査があるからなぁ」

「あと、保守部品も含めての話ですけど、高透過ファイバーとカーボンナノチューブ、それと超高純度イレブンナインの鉄材も確保したいですわ」


 ふたりが『魔法使いの杖』の話をしている割には、相応しくない単語が飛び交ってるように思えるが、これで正しい。


「《アビスツール》の部品って、高いのになぁ……」


 つばめがこぼす名前が《魔法使いの杖》の正式略称だからだ。


 Absolute-operation Brain-machine Interface System tools――絶対操作を行うための脳と機械のインターフェースシステムツール。略してABIS-tool。

 樹里とコゼットが使っている物は、一応は杖の形状をしているが、そもそも杖である必要はない。ある程度の大きさ、携行性、その他諸々もろもろの事情をかんがみて、そのような形に作られているだけ。

 その名が示す通り、インターフェースシステム――電子機器だ。


 フィクションの『魔法使い』は、道具を必要としない者も少なくない。しかし《魔法使いソーサラー》は《魔法使いの杖アビスツール》なしには、その能力を行使できない。


 例えるなら《魔法使いソーサラー》は、パソコンの本体しか持っていないオペレーターだ。扱うためには、状況を確認するためのディスプレイ、操作するためのキーボードやマウスといった入力機器、そしてプリンターやスピーカーといった外部出力機器が必要となる。

 だから《魔法使いの杖アビスツール》という補助機器が開発された。

 《魔法使いソーサラー》の脳と接続し、ひいては《マナ》と接続する。マウスやキーボードのように手を使わず、音声命令も必要とせず、考えるだけで操作する。


 ちなみに《魔法》を実行するために、《魔法使いの杖アビスツール》には発電所のような大容量電池が内蔵されている。

 ゲームとは違い、マジックポイントやスキルポイントといった、曖昧あいまいなものを数値化した概念は存在しない。この世界の《魔法》の源は、電力なのだ。


 もちろん普通の技術ではない。SF小説やアニメで出てきても、実現するための基礎研究が追いついてはいない。

 なのに、存在する。オーバーテクノロジーと呼ぶべき代物しろものだ。


 そんな事実はふたりの間で確認するまでもないので、コゼットは文句をつける。


「《杖》の部品はぼったくりレベルに高価ですけど、必要経費でしょう?」

「《魔法》に関係するものって、こういうところは現実的だよね……」

「物理法則と市場経済が支配する世の中、当然のことですわよ」

「『魔法使い』なんて呼ばれてるんだからさ、もっと夢があってもいいと思わない? 夢はプライスレスだよ?」

「ハッ――」


 つばめの言葉にコゼットは顔を歪めて、忌々いまいましげに鼻で笑う。


「《魔法使いソーサラー》なんぞ、この世で一番夢のない人種だっつーの」

「本人が言うと、説得力あるね……」


 そんな顔をする彼女をなごませようとしたのか、それともなにも考えてないだけか。つばめの箸が天丼に伸びる。


「コルァ! 人のエビんじゃねぇ!」

「いーじゃん! 二匹あるんだし!」

「せめて交換ですわよ! そちらのカツ寄越しなさい!」

「はっはー! 取れるもんなら取ってみな!」

「……《魔法》で取り上げて差し上げましょうか?」

「コゼットちゃんってば大人げないね!?」

「理事長の精神年齢に合わせて差し上げてますのよ!」

「わたしそこまで幼稚!?」

「ったり前ですわよ!」


 ふたりとも大概たいがいに大人げなかった。

 そんな言い合いを咎めるように、オーク材のデスクに乗った内線電話が鳴った。


「ふぁいふぁいふぁい、もひもひー」

「あ……!」


 舌戦を停止させて、つばめがデスクに飛びつく。口からエビの尻尾をはみ出しながら。だからコゼットも遠慮なくカツ丼に箸を伸ばす。


「ろしたの? ……あれ? お客さんが来る予定なんて、あったっけ?」


 相手は学校職員だろう。トップがこの態度でいいのか疑問に思うが、コゼットは関与しない。取り返されないうちにカツを胃に入れるのに忙しいので。


「……ヴィゴ・ラクルス?」


 つばめがオウム返しに呟いた名前に、コゼットの手と口がピタリと止まった。しかしすぐにまた動作を再開させる。


「うーん……アポなしは困ったなぁ。これから外出するし。うん、うん。お断り――あぁ、『夜なら時間あるけど?』って、お伺い立ててくれる?」


 『おねがーい』と、軽い言葉で仕事の話を終えて、つばめが受話器を戻し。

 振り返り、悲鳴を上げる。


「あー! カツが減ってる!?」

「全部食べて差し上げても……んぐっ。よろしかったのですわよ……?」


 ずぞーっと味噌汁を流し込み、コゼットは箸を置く。料理も食べ方も、優雅さの欠片もない王女サマの昼食だった。


「それでは、これで失礼しますわ」


 《魔法使いの杖アビスツール》をアタッシェケースに入れて、彼女は立ち上がる。


「新しい《杖》の件は、わたくしの都合以前に、そちらの準備次第ですので。それと設計にはいろいろ情報が必要ですから、させるならデータくださいな」

「うぃ、了解ろうかーい


 口をモゴモゴさせているつばめを置いて、必要なことだけ伝えて理事長室から出ようとして。


「……そういえば、堤さんの装備って、どうなってますの?」


 ふと思い出して足を止めた。


空間制御コンテナアイテムボックスを理事長に預けてるっつってましたけど?」


 それも《魔法》の装備だから、コゼットが管理しないとならないのか。そういう意味で彼女はつばめに訊いた。


「あぁ、あれはいいよ。わたしがやっとくから」


 それだけの回答では『管理しておく』という意味なのか、あるいは『廃棄する』という意味なのか、判断がつかない。


「……ま、それならいいですけど」


 自分が関与するところではないかと思い、コゼットは今度こそ、理事長室を出た。


 地の性格をあらわにするのは、そこまで。重厚そうな扉を閉めた瞬間に、プリンセス・モードのスイッチがONになる。


(あ゛ー……まためんどっちぃ仕事させられそうですわね。《杖》は《魔法使いソーサラー》個人に合わせた完全専用ワンオフ品だっつーのに、誰が使うか不明な状態で作れって、メタクソ大変だっつーの。理事長も気軽に言うんじゃねーですわよ……)


 心の中ではそんな事を考えていたが、顔には一ミリグラムも出さない。


「あ。コゼット……様?」

「ふふっ、吉川さん。何度も申し上げているではありませんか。ここでのわたくしは、王女ではなく大学生。呼び捨てにしてくださって構いませんよ」

「そう言われても、なんとなく、ね?」

「それより、吉川さんも一号棟にご用がおありでしたか?」

「あ、うん。学生課に用事があって――」


 たまたま会った同じ学科の学生に、王女らしい優美で淑やかな微笑を向ける。

 見事なまでのネコかぶりだった。



 △▼△▼△▼△▼



 同じ頃、十路は学生服のまま校外に出ていた。

 ちなみに大学部になれば自由だが、高等部までは昼休憩に学校外に出るのも、オートバイを使うのも、基本的に校則違反なのだが。


「ありがとうございましたー!」


 店員の声に送られて、大きな買い物を抱え、体を使ってガラス扉を開く。

 そして三輪バイクに並んで駐車している大型バイクに、十路はそれを乗せた。


【……どうして私までピザの出前に借り出されるんですか】


 不機嫌にバイクイクセスがぼやく。

 デリバリー主体の店は、表通りの地価の高い場所にはあまりなく、この店も住宅地の中にある。街中でオートバイがしゃべっていても、気にする必要があるほど周囲に人の耳はない。


【店にデリバリーさせればいいじゃないですか?】

「持ち帰りは半額だ」

【そもそも学校でピザ食べようとすること自体、どうかと思いますけど?】

「ナージャと和真に言ってくれ」


 事の起こりは単純だった。

 『昼になにを食べるか』という話で、和真が『ピザ取ろうぜピザ』などと言い出し、ナージャが『たまのゼイタクいいですねー!』などと追従したために、多数決で金を出し合って買いに出ることになり、ジャンケンに負けた十路がその役目をになった。

 単純だが、普通は実行しない。


「ナージャが負けても、お前に乗ろうとしただろうし……和真だったら知らんけど」


 ぼやきながらも十路は、なぜか部室の備品にあった保温バッグにピザを入れ、後部にロープで無理矢理固定する。さすがLサイズ四~五人前、箱が大きいので不安定だが仕方ない。


【どうあっても、私は借り出されたわけですね……】

「いつもは勝手に走ろうとするのに、なにボヤいてんだ?」


 十路はヘルメットを被る。中には無線機が仕込まれているので、走行中でも問題なくイクセスと会話ができる。


【昼寝中のところを起こされたのですから、不機嫌にもなります】

「お前……AIなのに寝るのか」

【寝ますよ。常識です】

「常識なのか……」


 十路はオートバイを道路まで引っ張り出し、エンジン音を発して発進させる。

 《バーゲスト》は電動オートバイなので、本来そんな音はしない。まだまだガソリンエンジンが一般的な日本の交通事情では、できる限り注意を惹かないよう、こうして偽装している。マフラーが不要なのに搭載されてるのは、そんな理由ある。


「俺が知ってる《使い魔》って、もっと機械くさかったけど……」

【《使い魔ファミリア》に使われる技術も、日々進歩してますよ】


 《使い魔ファミリア》とは、《魔法使いソーサラー》の行動をサポートするために作られた、人工知能を搭載したロボット全般のことを指す。

 物語に出てくる、黒猫や白フクロウといった『使い魔』の役割は、伝令・配達・警護・偵察などの役割をこなす。現代社会の《使い魔》の役割も、基本的にはそれと変わらない。

 《バーゲスト》と名付けられた《使い魔ファミリア》は加えて、運送という機能を持つオートバイ形状だが、それに限ったものではない。運用上の利便性を考えて、二輪車形状で作成されることが多いのは事実だが。


 完全自律、あるいは無線操縦式の無人車両の開発は、昔から進められていた。

 多くは軍事用で、地雷原啓開作業や、危険地帯の情報収集のために。民生用なら限定ルートの人員・物資運送を目的とする。予想外の事態が起こりえる公道を走るにはまだまだ実験が必要だ。


 それらの機体は地面の状態に影響されにくい多脚や履帯クローラーで、整地での運用も安定した多輪車が普通だ。不安定な二輪車で作ることはない。

 オートバイのラジコンがあることから見ても、開発不可能というレベルではないが、現実的ではない。ジャイロ効果で高速走行時が安定する自動二輪車に、地雷撤去や情報収集のような作業は不向き。大量の人員や物資を運べるわけでもない。

 想定の段階から使いどころがないため、実用性のあるものとして開発されるはずがない。


 しかし《魔法使いソーサラー》の相棒役として、別の有用性を見出したから、こうして存在する。


【トージ。鼻息荒そうな車が止まってますよ】


 五分もかからず坂道を登り学院まで戻ると、来客用駐車場にひときわ目立つ自動車が止まっていた。二台の黒い外車に挟まれるように駐車されている、メタリックグレーで彩られたスポーツカーだった。


「四輪には詳しくないんだけど?」


 学校構内なので十路は降りて、《バーゲスト》を押しながら訊く。


【ブガッティ・ヴェイロン。日本での販売価格は一億七九〇〇万円。非公式ながら一時は市販車最速記録を持ち、世界で二番目に燃費が悪い車です】

「ふーん」


 超高級スポーツカーの説明をされても、十路は気のなさそうに鼻を鳴らしただけ。日本の若者の車離れは深刻らしい。


「イクセスが興味を持つようなものなのか?」

【人間に例えるなら、足が速いだけが取り得の、やかましくて大食らいのデブだと思っただけです】


 オートバイによるスポーツカーの評価は、最悪だった。二輪車基準なら幅も重さも倍以上違うのだから、ほぼ全て『デブ』になってしまうのだが。


【二輪と比較した四輪のアドバンテージは、安定性と積載量。なのにわざわざ利点を削るコンセプトが理解不能です。踏破性、省スペース、旋回性能、そういったバイクのアドバンテージはないのですから、長所を伸ばさずにどうするんですか。それなら実用的なファミリーカーや軽トラのほうがマシです】


 『それを比較するのはどうだろう? あれは趣味の車だろ?』と十路は思う。しかしオートバイの気持ちは理解できないので、口を挟まずにおいたが。


【普通に走れば私もかないませんけど、そんなスペック、レース場以外で使う機会はないでしょうに――】

「……なぁ。負け惜しみに聞こえるんだが?」


 やっぱり我慢できずに口を挟んだ。


【…………】


 図星にAIは言葉を詰まらせたが、それで大人しくなる彼女ではない。


【トージ……やはりあなたとは一度、空気の読み方について『お話』する必要があるようですね?】

「イクセスと拳で語る気はないからな」

【それは男同士がやることで、私が女だからですか?】

「それ以前の問題だ……俺が死ぬ」


 乾燥重量たいじゅう二一〇キロのスレンダーボティと、時速一八〇キロオーバーで走る俊敏しゅんびんさを持つ、金属と樹脂製のお硬い車庫はこ入り娘。そんな乙女オートバイと拳で語ることを、世間では交通事故と呼ぶ。


「Shit! (クソ――!)」


 不意に聞こえてきたののしりの声に、一人と一台が意識を向ける。


 一号棟の入り口から、不機嫌そうな男と、追いかけるようにスーツ姿の男たちが出てきた。


 集団の中心人物は、三〇歳半ばと見える男だった。金髪碧眼白皙で、彫りの深い顔立ち。ただしコゼットの金髪を見慣れている十路が見ると、その色に違和感を覚える。もしかすれば染めているのかもしれない。

 身なりはいい。きっと高級ブランドだろうスーツ――なのだが、あまり似合っているとは言いがたい。本人はネクタイを締めず、ラフに着こなしているつもりかもしれないが、肉が付き始めた腹回りが少々みっともない。

 なによりものっぺりとした顔つきなのに、傲慢そうなオーラを発しているのが、人を寄せつけがたい印象を放っている。


 男は周囲のスーツたちにわめき散らしながら、車に近づいて。


 ふとヘルメットのシールド越しに、十路と目があった。


「いい車だろう?」


 男は声をにこやかに日本語で話しかけてくる。


 十路はくだんのスポーツカーの近くで足を止めて、イクセスと話していた。高校生が車に興味を持って見えていたと捉えたのかもしれない


「ブガッティ・ヴェイロンっていうんだ。エンジンはV8気筒を二基搭載、W16気筒プラス四ターボチャージャー。排気量は八.〇L、出力は一〇〇一馬力。駆動方式は四輪駆動。加速性能は発進から時速一〇〇キロまで二.五秒。最高速度は時速四〇七キロ。市販車としては世界最速――」

「…………」


 イクセス以上の説明を自慢げに話されても、十路には興味ないので困る。ピザを持って帰る途中なので、長々と立ち話に付き合う時間もない。

 だから彼は、考えて答えた。


「いや、俺、車よりバイク派なんで」


 《バーゲスト》のシートを軽く叩いて、話をぶった切った。考えた末の発言でも、全く空気を読んでおらず、かなり容赦なかった。

 別に男の趣味を否定したわけではない。自分の趣味でないと伝えただけ。


 だが、男の機嫌が一層悪くなった。人の嗜好は千差万別。しかし自分の肯定するものを、相手も肯定するのが当然だと思っている人間もいる。


「――フン」


 不機嫌に鼻を鳴らして、ヴェイロンのドアを開ける。残りの取り巻きらしき男たちも続くように、慌てて黒のBMWに乗り込んだ。エンジン音も荒々しく急加速で発進し、三台の車が敷地の外へと出て行った。


 盛大に排気ガスを吹きつけられ、十路も頭から被る。しかしフルフェイスのヘルメットを被っていたこともあり、顔をしかめるだけで済ませた。


【けほっ……! やっぱり鼻息荒いですね……!】


 なのに、なぜか呼吸をしていない機械が咳きこんだ。


【今の行為は宣戦布告と見なします!】

「対抗心燃やすな!」


 勝手に動いて追いかけようとするオートバイを、十路は慌てて押さえ込もうとして、引きずられた。

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