010_0901 《魔法使い》たちの学生生活Ⅱ~授業中~


 高等部一年B組の五限の授業は数学Ⅰだったが、担当教諭が急に休んだために、プリントが用意されて自習になった。


 数学は樹里の得意科目――というより、《魔法使いソーサラー》は理数系が得意でないとならない。

 《魔法》は知識と経験から作られるもの。現象を理解するために物理法則を数式に表すと、微積分など当たり前に出てくるのだから、高校一年で学ぶ内容など既に自習している。

 樹里は早々にプリントを終わらせて提出し、教室を出た。


 そして彼女がやって来たのは一〇号館――図書館。借りていた三冊の本を返し、新たな本を探しに来た。

 ちなみに彼女が借りていた本のタイトルは、『熱力学概論がいろん』『図解・分子工学』とある。女子高生が読む本ではないだろうが、物理法則を操る《魔法使いソーサラー》にとって、こうした高等教育の教科書が『魔導書』となる。樹里は能力をみがくために、このような読書を行っている。


 ただし、一度に借りれる限度三冊のうち、残り一冊が恋愛小説なところは、女子高生らしいとも言える。


「……ふぇ?」


 図書館に併設へいせつされている、構内営業しているカフェテラスの空気がいつもと違った。


 原因と思われるのは、大学生の利用客だった。

 雑誌を片手にティーカップをかたむけるその姿は、ここが学校のカフェテラスだとは思えない。ドレスで着飾っていればどこかの庭園で行われるティータイムの雰囲気だった。微風そよかぜが吹けば背中にかかる金髪ゴールドブロンドがなびき、清純な香りがただよってきそう。

 そしてその場にいる客――やはり多くは大学生が、あこがれるように畏怖いふするように、彼女を遠巻きにチラチラ見ている。


(こーゆー姿を見れば、部長ってやっぱり王女サマなんだけど……)


 同性から見ても、コゼットの美しさには感嘆するものがある。しかし彼女の二面性を知る樹里には複雑な光景だった。だまされてる。みんな騙されてる。


「部長」

「あら? 木次きすきさん。奇遇ですね」


 顔を上げたコゼットは、穏やかで気さくな態度で応じる。人前なので樹里に対しても、プリンセス・モードを発動している。


「まだ授業中ではありませんか?」

「や、そうですけど、自習なのでプリント終わらせて、図書館に本を返しに来たんです」

「ではいかがでしょう? 木次さんのご都合がよろしければ、お茶をご一緒して頂けませんか?」

「あ、や、新しい本も探したいので、お気持ちは嬉しいですけど、遠慮させてもらいます……」

「左様でしたか。残念ですが、仕方ありません」


 ウフフオホホと背後に花を背負っていそうなコゼットに、樹里は軽く口元を引きつらせる。


(うっわぁ……プリンセス・モードの部長とは話しにくい……)


 とりあえず、あんまり一緒にいたくない。知り合いの、赤の他人のような態度が、なんだか居たたまれないので、早々に聞きたいことを訊く。


「それで、部長はここでなにを?」

「わたくしは午後から講義がありませんので、ここで読書していたのですよ」

「や。そういう時間は部長、いつも部室にいるじゃないですか?」


 冷蔵庫も電子レンジも小さなキッチンもあり、飲み食いできる。娯楽品も大量にあり、暇つぶしには困らない。パソコンも設置されて課題もできる。ついでに話し相手も一応いる。オートバイと会話することに疑問をいだかなければ問題はない。

 マンションよりも近場に、秘密基地のような空間があるのだ。講義の合間や空いた時間は部室にいて、読書をしたり趣味のチェスにきょうじているのが、コゼットのつねなのだが。


「少々お願いごとをしたい人と会う約束をしてますから、ここで待ち合わせをしています」


 彼女がそういう言い方をするということは、樹里が知る関係者ではないだろう。

 それにコゼットが読んでいたのは、英語で書かれたの経済雑誌で、理工学科の彼女にはあまり用事がなさそうな気がする。


「……? そうですか」


 樹里は小首をかしげたが、それ以上は突っ込んだことを訊かないことにした。あまり詮索せんさくしないのが、この学校にいるワケあり《魔法使いソーサラー》たちの暗黙の了解だから。


「それでは部長。失礼します」

「はい。また放課後に部室でお会いしましょう」


 王女の微笑を受けて一礼し、樹里はその場を離れて、図書館に入って行った。


(あぅ~……心理学の本にでも、『気まずくなった男の人との顔の合わせ方』とか載ってないかなぁ……)


 そんなことを考えつつ。まだ気に病んでる様子だった。



 △▼△▼△▼△▼



 後輩の背中を見送り、コゼットは紅茶のカップを傾けて、もう一度経済雑誌に目をやる。


 関連する情報をネットで探し、その中でこの雑誌があったので、学校の図書館でバックナンバーを借りてきた。

 目的は会社代表たちのインタビュー記事で、タイトルは英文で『学生が選ぶ魅力的な企業のトップに訊く』とある。


(ヴィゴ・ラクルス……やはりわたくしの記憶違いではありませんでしたわね)


 紙面には三〇歳は過ぎているであろう、壮年の男性が写っている。コゼットは顔に出ない程度に顔をしかめる。


(経営関係の話で理事長に会おうとしてても、不思議ないっちゃーないんですけどねぇ……?)


 つばめと一緒に食事を取っている時に、かかってきた電話の内容を、彼女は気にしていた。


(どーも気になりますわねぇ……? どっかのバカと同類?)


 そんな事を考えていたら。


「Hi, Princess」


 また女性の声で呼びかけられ、コゼットは再び顔を上げた。今度は呼び出した相手――ラテン系と思われる同じ年頃の女性だ。『プリンセス』と呼びかけたが、和真の『お姫様』と同義のニックネームとしてだろう。彼女が浮かべているのは、敬意とは別物の親しげな笑顔だった。


「Sorry――」

「Ah……日本語お願いシます」


 英語で『呼び立てて申しわけない』と話そうとしたコゼットを、彼女はイントネーションが不慣れな日本語でさえぎる。


「ワタシももうチョと、アナタみたいに日本語ジョーズにならないト。だから」

「そうですか? では日本語でお話ししますね」


 彼女はアメリカから海を渡った留学生だ。これだけ話せるなら『日本語が上手い』と言ってもいいだろうが、コゼットには到底及ばない。


 修交館学院は留学生が多いが、それでも言葉の壁に、学生も教授陣も困ることがよくある。

 そんな場所で多国籍語を操るコゼットは、通訳に適役であり、実際によく頼まれる。そしてパーフェクト・プリンセスの仮面をかぶる彼女は、嫌な顔ひとつせずに引き受ける。


 なのでコゼットは、ただ目立つだけでなく、大学内で顔が利く。こうして頼みごとをしても、話を聞いてもらえる程度には。


「経済学部の貴女でしたら、この会社をご存知ではありませんか?」


 コゼットは読んでいた雑誌の記事を差し出す。


「もちろん知ってるヨ」


 英語で書かれているのだから問題はなく、開かれたページの記事を見て相手はうなずく。


「ランキングに毎年に入ってル有名な会社ネ」

「経済学部でしたら、世界四大会計事務所ビッグ・フォーのことは学びます?」

「Of course. (もちろん)」


 もしかしたらと思い彼女に声をかけたのだが、想像が当たっていたとコゼットは微笑を浮かべる。


「それがドしましタ?」

「経済学部で使える資料の中で十分ですから、あんまりニュースに出てこない情報、詳しく調べていただけないかと思いまして」

「Why? 聞いてもダイジョブ?」

知的専門家集団プロフェッショナル・サービスファームというのは、《魔法使いソーサラー》にとって少々厄介でしてね……」


 苦笑を浮かべたコゼットは、調べてもらう要点を書いたメモ用紙を渡す。


「Look before you leap. 『転ばぬ先の杖』ですわ」



 △▼△▼△▼△▼



 入る。投げた瞬間に、十路とおじは確信した。

 放物線を描いたボールは、ボードで跳ね返ることもリングに触れることもなく、ネットに触れる音だけを発して落ちた。

 直後に試合終了を知らせるホイッスルが響く。


 高等部三年B組の六限の授業は体育で、男子は体育館でバスケットボールを行っている。部活でやっている生徒に比べれば試合運びは未熟だろうが、高校生ともなれば小中学生とは違う。得点とボールを奪い奪われ、逆転逆転また逆転で、なかなか白熱したゲーム展開となった。


「ナイスシュート!」


 終了間際に逆転勝利をもぎ取った十路に、同じチームとなったクラスメイトたちが声をかける。十路は片手を挙げて応えてコートを出た。


「ふぅ……」


 座り込むと思わずため息をこぼした。別に疲れたわけではない。バスケのワンゲームなど、彼が『前の学校』で行っていたことに比べたら、大した運動ではない。

 これから来る放課後の時間、樹里と顔を合わせる時のことに、彼はいまだ頭を悩ませていた。『どうしたもんだか』とボンヤリ考える程度だが。


「十路……わかるぞ……理解できるぞ……お前の悩みは俺の悩みだ……」

「は?」


 いつの間にか隣にいた和真かずまの顔をのぞき込むと、彼は茫洋ぼうようとした目で遠くを見ていた。


「どうして女子の体操服は、ブルマじゃないんだろうな……?」


 その先は体育館を半分に分けるネットの向こう側、女子がバレーボールの試合しているコートだった。

 ちなみに修交館学院の指定体操服は、男女共にランニングシャツとハーフパンツである。


「…………」

「黙るなよ! ダメな子見る目向けるなよ!」

「和真と親しくするの、真面目に考え直した方がいいのかもしれない……」

「十路が言うと冗談に聞こえねぇんだよ!」


 今朝のメールのやりとりを思い出し、十路は冗談ではなく、割と本気で考えた。


「頼むから和真と一緒にするな……そんな下らない事で誰が悩むか――」


 これ以上話し続けていたら、頭痛がしてくる。そう思って十路は、切り捨てようとしたが、意外にも周囲の男子クラスメイトから、和真を支援する声が上がる。


「下らない事とはなんだ!」

「堤! お前わかってない!」

「オレはいつも悩んでいるぞ!」

「あれはもう絶滅危惧種だぞ! 保護するべきではないのか!?」


 なんだか個人的嗜好しこうき出しだったが。


(え? 俺が変なのか?)


 十路が通っていた『前の学校』は《魔法使いソーサラー》の専門育成機関。完全寮制で生活はもちろん、カリキュラムも普通の学校とは違う。なので普通の学生らしい常識や流行にうといところがある。

 だから少し不安に思う。彼らの反応こそがスタンダードなのではないかと。

 もちろん、そんな事はない。


「十路、《魔法》でなんとかしてくれ」

「あのな、和真? どうやって体操服をブルマにしろと?」

「だから《魔法》で」

「その方法を具体的に言え」


 依頼や指示に関して、『なんとかして』という具体性に欠けた曖昧あいまいな言葉ほど困るものはない。


「学校をおどして指定服を変えるのか。署名活動でもするのか。地道にブルマの良さを説くのか。あるいは強制的に着替えさせるのか。あるいは他のやり方なのか。それによって取る方法が全然違う」

「……逆に訊くけど、《魔法》ってどこまでできるんだ?」

曖昧あいまいな質問に曖昧な答えを返すと、なんでもできる……けど」

「けど?」

「《マナ》がなんでもできても、実際には《魔法使い》個人個人でできることは限られてるから、なんとも言えない」


 元々『マナ』という言葉は、太平洋の島々で、神秘的な力の源を示す。それが西洋諸国に紹介され、現在ではファンタジックな世界では当然のように存在しながらも、定義が曖昧あいまいな未知の粒子や力とされている。


 現代社会では、その正体はハッキリしている。

 古典物理の『重力』『電磁気力』、素粒子力学における『強い力』『弱い力』などなど、物理法則にのっとった力学制御を行う極小機器群のこと。《塔》から発生し、三〇年の間に地球上に満ちているオーバーテクノロジーだ。

 《魔法》はこれがなければ発動しない。《魔法使いソーサラー》が《魔法使いの杖アビスツール》を通じ、どう機能させるかという制御情報とエネルギーを与えてやることで、通信機にもセンサーにも医療機器にも製氷機にも重機にも粒子加速器としても働く。

 不定形の万能の道具。Multirole Atteibute Nano-technology Artifacts――多機能特性のナノテク人工物。略して《マナMANA》。


「ってことは、《魔法》でブルマに強制変身ってことも可能?」

「一度分子単位も分解して復元させれば……実際にできる《魔法使い》がいるか知らないけどな」

「じゃあ、十路ができる方法は?」

「俺は全部できない」

「なに!?」

「出来損ないに《魔法》を使う手段は論外。そしてブルマの良さを人に説く熱意を持っていないし、署名活動なんてする気もない」

「なぜ熱意を持たない!?」

「いや、持てることが疑問なんだが……」


 実用品としてのブルマなど現存するのか。アダルト業界で生き残っているだけではないのか。

 それに十路は、ここで話を合わせるような、空気の読める男ではない。


「ちなみに十路の前の学校じゃ、女子の体操服どうだった?」

「迷彩服三型」

「…………は?」

「いえーい!」


 意味不明な回答に和真が聞き返そうとしたのだろうが、ネットの向こう側からの大きな歓声にかき消される。

 十路が見れば、ハイタッチしている白金頭が目に入った。リボンの位置が普段とは違って、今はポニーテールにしている。


 なんとなしに十路は、そのままバレーボールの試合を見物する。


 ナージャの動きは他のクラスメイトとは違う。味方が明後日あさってへ飛ばしたレシーブは、頭から飛び込んでフォローし、床を転がってすぐさまコートへ戻る。相手方のスパイクは長身を利してブロックし、相手コートへと押し戻す。

 そして長い滞空時間の跳躍から、スパイクで叩き落したボールを相手コートへと突き立てる。


「ナージャ、すごいな……」

「な? すごいだろ?」


 彼女の運動神経に感嘆した十路に、和真が『我が意を得たり』と顔を輝かせる。


「乳が」

「和真の思考回路、そっち方面しか働いてないのか?」


 同意はしないが、その事実だけは十路も認める。ただでさえナージャのご立派なものは存在感があるのに、動けばアピールまでしてくる。


 その迫力は男のみならず、同性をも驚嘆させる。


「なんか見てるとムカつく!」

「どうしたらそんな胸になるの? なにが詰まってるの?」

「空気? 糖分? 夢と希望?」

「なにこの腰!? わたしより背デカいくせしてウエスト細っ!?」

め! へこませろ! 肉分けろ!」

「痛い痛い痛い痛い痛いっ!?」


 羨望せんぼうだか憎悪だ怒りだか鬱屈うっくつだか、なんだかわからない感情により、クラスメイトの女子たちがナージャに群がった。

 ちょっとした阿鼻叫喚とも言えるが、女子高生たちがくんずほぐれつとも言える。


「おぉ~……!」

「たゆんたゆん……」

「さすがロシア人クオリティ!」

「女同士っていいよなー……触って文句言われないし……」


 野郎共はあこがれの眼差しを、もみくちゃにされるナージャに向ける。

 ちなみに彼女は普段いじめられてるわけではない。逆に愛されるがゆえにこうなっていると思われる。


「ちょ、十路くん! 助けてくださいよ!」

「なんで俺に言う……」


 ホケーッとして眺めていたら、ナージャと目が合ってしまった。

 こういう場面は放置するのが一番だと思うが、一応は日頃、世話になっていることもあり、仕方なく十路は対応策を考えて腹の底から声を出す。


おがめ! ご利益がある!」

「「へへー……!」」

「ありません!」


 ノリのいいクラスメイトたち、ナージャを解放して拝礼した。冗談とわかっているだろうが、その双丘に一部の彼女は神を見たかもしれない。


「あとウォッカを飲めばデカくなるらしい」

「「マジ!?」」

「ロシア人も初耳ですよ!?」

「あっちの人間はウォッカはなんにでも効くって思ってるんじゃないのか?」

「とりあえずウォッカって発想は、あながち間違いでもないですけど……」


 睡眠薬・風邪薬・うがい薬・消毒薬・殺虫剤・シャンプー・化粧水・アクセサリー洗浄液・車のウォッシャー液にもなる万能の酒だが、さすがに豊胸効果は認められていない。

 そんなウォッカの国出身者は、訂正を求めるよりも、確実性のありそうな方法を提唱する。


「《魔法使いソーサラー》さんにお願いする方が、多分効果があるんじゃないかと……」

「あ、バカ――」


 十路が《魔法使いソーサラー》だというのも、《魔法使いソーサラー》たちの部活動・総合生活支援部の部員だというのも、周知の事実だ。

 なのでナージャの言葉に、今度は女子生徒たちが一斉に十路を見た。


「……俺は無理だぞ? 他の連中はできるかもしれないけど」


 きっと女子生徒たちの頭には、コゼットの容姿が思い浮かんでいる。

 外見も、対外的には中身も、絵本から飛び出たようなパーフェクト・プリンセスは高等部でも有名で、しかも彼女が《魔法使いソーサラー》で、十路と同じ部活に所属していることも周知の事実だ。


「「!」」


 彼女たちは一斉に、同じことを決心したらしい。

 高等部一年生の部員に関しては、王女サマの前ではどうしてもかすむので、完全に忘れられている予感がした。

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