010_0700 《魔法使い》たちの学生生活Ⅰ~SHR前~


 朝のSHR前、高等部三年生B組の教室ホームルームでは、生徒たちは自分の席につかず、好き勝手な場所で雑談していた。

 そんな中、つつみ十路とおじは自分の席につき、腕を組んで考えていた。


「…………ん」


 決意を固め、おもむろに携帯電話ガラケーを取り出し、メールを打ち始める。


――宛先:なとせ

――件名:アドバイスくれ

――本文:後輩の女の子のマッパ見た。どうすればいい?


 頭の悪い内容だった。しかしこれが一晩悩んだ末の結果だった。

 十路自身、情けないのだろう。『愚妹アイツにこんなメールを送るハメになるとは……』と顔をしかめつつ送信すると、返信はすぐに来た。


――いろいろツッコミたいけど……とりあえず妹になにきいてんの?


 彼女はメールでもハイテンションなのだが、今回は普通なところを見ると、文面どおりに呆れているらしい。

 しかめっ面のまま、十路は返信メールを打つ。


――こんなこと相談できる相手、なとせくらいしかいない


 今度もすぐさま返信が来る。


――そーゆーバカ話できる友達とか、まだいないわけ?


 十路は机の横に鞄のかかっていない、高遠たかとお和真かずまの席を思わず見てから返信する。

 ちなみに親しいとはいえ、ナージャ・クニッペルは考慮外だ。女性の話なので反応が怖い。


――いることはいるけど、アレはダメだ。


 こんな返信をしたせいなのか。


「ぶぇっくしょぉぉんっっ!!」

「うひゃぁ!? 汚いですね!?」


 廊下から聞き覚えのある声が届く。メールが噂話の範疇はんちゅうに入るのか疑問なので、ただの偶然だろうが、ジャストタイミングなくしゃみだった。


「おはよーございまーす!」

「うー……カゼひいたか?」


 朝からテンションの高いナージャと、鼻をこする和真が、教室に入ってきたのとほぼ同時。南十星からの返信が来る。


――どして?


「…………」

「ん?」


 あまり意味はないのだろうが、十路が和真の顔をじっと見て、その返事を考える。


「…………………………………………」

「…………………………………………」


 見詰め合う二人。絡み合う視線。


「え? なんです? 男同士でこの雰囲気?」


 ナージャの『雰囲気』という言葉に感化されたのか。

 和真がシャナリとしなを作り、口元を軽く握った拳で隠し、日頃絶対に出さないような声を出す。


「そんな目で見ちゃダメだよ、とーじ……ボクにはナージャが――」

「気色悪いです」

「ぐぇほっ――!?」


 最後までセリフを言わせることなく、ナージャの地獄突きが突き刺さる。十路が聞いたことがない冷たい声だったので、和真を本気で気持ち悪がったらしい。


「げほ……! ごほ……! いつもと違って殺意を感じた……!」

「あらら~? いつも殺意をこめてるんですけどねっ☆」

「明るく言えばいいってもんじゃないだろ……!」


 日課のようなド突き漫才を繰り広げるふたりは放置して、十路はメールを送る。


――バカでドMで節操ないから?


 せめてもの疑問形だったが、相手には和真に対する心遣いは、理解どころか認識すらされていない。


――その人と友達でいるの、考えたほーがいくない?


 携帯電話から顔を上げて、床に転がる和真に、十路は平坦な声をかける。


「和真。お前との付き合い方、少し考えた方がいいのかもしれない」

「イキナリなんだ……!?」

「お前を知らない人間から見ても、どうかと思われるみたいなんだ」


 感情のこもっていない声なので、全く冗談に聞こえない。


 ちなみにSHR前の南十星とのメールのやり取りは、目的の話題から脱線したまま、時間切れとなって終了した。



 △▼△▼△▼△▼



 十路のいる真上の四階、一年生B組の教室ホームルームでは。


「はぁ……」


 木次きすき樹里じゅりが、机の天板に重いため息を吐いていた。


「樹里ー。暗い顔してどーした?」


 クラスメイトが近づいて来る。昨日、樹里と一緒に話していて、十路のことで騒いでいた、カチューシャで髪を押さえた元気のよさそうな女子生徒だった。

 名前は井澤いさわゆい、出身は宮城。医療機器開発メーカー勤務の父の異動にともない、神戸にやってきて、中学生から修交館学院に通っている。水泳部所属。趣味は水泳とジョギング。


 そんな彼女の好奇心は強く、《魔法使いソーサラー》という希少人種のクラスメイトを見逃すはずはない。入学式で知り合って以来、樹里と親しくなっている。


「また誰かにパンツ見せた?」

「なにそれ!?」

「樹里がそんな暗い顔してる時は、大抵それやって自己嫌悪ってる時だから」

「ち――」


 『違う』と言おうとして、樹里は言葉に詰まる。もっとスゴイものを十路に見せて、悩んでいるのだから。


「……真面目になにやったの?」

「それは言うことができません」

「なんで丁寧語なのよ……」


 言ったら馬鹿にされると思い、樹里は口をつぐむ。


 すると自身がツッコめる範囲ではないと理解したか、代わりに結はポツリとこぼした。


「……《魔法使い》も悩むんだ」

「私、そんなお気楽だと思われるの!?」

「いやいやいや。そうじゃなくて。《魔法使い》って、普通の人より頭がいいんでしょ? だったら悩んでもパパッと解決するのかと」

「や、頭いい人だって悩みあるだろうし、そもそも《魔法使い》が頭いいって思うのは誤解だよ?」


 つい先日、コゼットが中学生相手に講義していた内容なので、樹里がその説明をするのは困らない。


「《魔法使い》っていうのは、簡単に言えば病気で、頭の中にコンピュータが入ってるの」

「恐ろしい事を平然と言うね……」

「や、そう説明するのが手っ取り早いから――」

「…………」

「変な絵を想像してない!? こう、寝込んでる私の頭を輪切りにして、パソコンがそのまま入ってるような!?」

「え? 違うの?」

「実際は違うよ!?」


 オルガノン症候群。ギリシャ語で『道具』を示すそれが、《魔法使いソーサラー》と呼ばれる人々が例外なく発症している、先天的な脳の異常発達症状だ。

 それを説明するには、ブロードマンの脳地図というものを説明しないとならない。

 脳機能局在論での大脳新皮質の解剖学・細胞構築学的区分の通称――要するに、大脳のどの部分がどういう機能をつかさどっているか、わかりやすく図で示したものだ。


 それによれば、人間の大脳は一から五二の領域に分けられている。

 しかしオルガノン症候群発症者の大脳は、常人よりもその領域が多い。しかも追加領域は、通常のヒト大脳部分とは半ば独立しており、生物の脳にはありえない異質な特性を持つ。

 入出力機能を持ち、曖昧ではない明確な情報と命令が貯蔵された、機械的性質を持っている。つまり。


「DNAコンピュータ。発達した部分の脳ミソが、そのまま演算装置として動くの」


 樹里は自分の頭を指先で叩く。


 ファンタジー作品で描かれる『魔法使い』とは違い、魔力や禁忌の知識を持っている人間ではない。

 脳の仕組みからして違う新人類だ。


「それってスゴイの?」

「《魔法使い》としては普通の人でも、今あるスーパーコンピュータより高性能だよ?」


 現在のコンピュータは、半導体の量子力学的作用を利用した大規模集積回路LSIを中枢に持つ。真空管を使った世界最初のコンピュータの登場から半世紀以上過ぎた今では、スマートフォンでもケタ違いの性能を持つ事実から見ても、その技術革新は凄まじい。

 しかし半導体の微細加工技術は、限界を向かえつつある。これ以上の小型化・集積化は無理が出てきた。


 そこで業界が注目しているのは遺伝子工学だ。デオキシリボ核酸DNAの特性を使い、タンパク質で回路を組む。同じサイズでコンピュータを作れば、現在のスーパーコンピュータの一〇〇万倍の演算速度と、消費電力一億分の一という超省エネ特性を持つと予想される。


 《魔法使いソーサラー》は、そんな研究中の代物を、生まれながらに持っている。

 樹里はそのような説明を、結にしているのだが。


「よくわからないけど、スゴイ」

「や、あのね、結……『よくわからない』じゃなくて、ここはわかって欲しいんだけど……」

「計算とか速いんでしょ?」

「や、だからね? パソコンが動いてる時に、モニターの電源切ってるところ想像して?」

「うん。した」

「なにかスゴイと思う要素ある?」

「…………ん?」

「LEDがチカチカしてるだけでしょ? それと同じこと。《魔法使いわたしたち》はすごいコンピュータを持ってるけど、いつでもどこでも使えるってわけじゃないの」


 樹里の指は彼女の頭に続いて、足元に置かれた空間制御コンテナアイテムボックスに移動する。


「《杖》を持ってなければ、その演算能力は使えないから、《魔法使い》は普通の人間と変わらないの。それができたら中間試験、もっといい点数取ってるよ」

「なんでそんな不便なの?」

「や、なんでっていうか……元々 《魔法使い》がこうだから、それを補うために《杖》が開発されたんだけど」


 その辺りの工学史は、樹里はあまり詳しくないので、最低限の説明だけで済ませて話を締めくくる。


「とにかく『スーパーコンピュータ並の脳ミソ持ってる』っていうのを誤解して、《魔法使い》は頭がいいと思うのは違うからね?」

「ふーん」


 理解したのか不明な気の抜けた返事をして、結は更に訊く。


「だったら《杖》を持てば、悩みもパパッと解決するわけ?」

「や、解決しない……」


 あまり理解していなかった。

 既存のスーパーコンピュータでも、地球規模の気象環境を予測したり、けいという莫大なけた回数の計算を一秒間に行うことができても、『男の先輩に裸見られた場合、どんな顔して話せばいい?』なんて質問をしても、まともな回答は返ってこないだろう。


 ポリシー『考えてもわからない事は考えない』の結は、改めて促してくる。


「じゃぁ樹里はなに悩んでるのかな? 話してごらんなさい?」

「それは言うことができません」

「ちっ。ダメか」


 一度退いて見せたのは、結なりの策だったらしい。そんな策に引っかかる者はいないと思われるが。


「私、そんなのに引っかかるほど、結にマヌケだと思われてるの……?」

「ちょっとポンコツっぽいよね。トロいわけでもないのに、なんか抜けてるし。あといじられ体質? それとキレるのだけはやめた方がいいよ? キレた時の樹里も抜けてるから、なんかヤバいこと起こしそうだし――って、どうしたの?」

「なんでもない……! なんでもないの……! ちょっとだけそっとして……!」


 思い当たる節がありすぎるので、樹里は机に突っ伏して本気でヘコんだ。

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