080_1850 神々の詩Ⅵ ~初接吻~


 極光が去っても、山の一部が融解して赤い光を放っている。燃えるもの立木は根こそぎ吹き飛ばされているため、山火事に発展しそうにないのは幸いか。


 脳内センサーがキャッチするのは、その熱量のみ。強烈な電磁波も感知せず、動体反応もない。

 だまし討ちの可能性を考えないでもなかったが、敵性存在の証拠が全くないと認識した途端、十路は崩れるように倒れた。精神はもちろん、肉体的にも限界だった。

 脳内コンピュータもLilith形式プログラムベーレンホーターを終了させて、左手は飲み込んだ《魔法使いの杖アビスツール》の部品を吐き出す。


「先輩!」


 雷獣は塵となって崩れ、白煙の中から樹里が飛び出してきた。いつ回収したのか、背面に固定していたはずの赤い空間制御コンテナアイテムボックスを手にしている。


「おい……服……」

「そんなの後です!」


 姿勢を無理矢理うつ伏せから仰向けにさせられると、どうしても樹里の裸体が視界に入る。

 年頃の娘さんとして、体裁に気を遣わないのはどうなのか。


「かなり手荒な手術になります」

「腰のポーチに自己注射薬入ってる……」

局所麻酔アドレナリンでどうにかできるレベルじゃないです」


 それほど予断を許さない重傷なのだろうか。麻酔を使わずとも痛覚が麻痺して、その自覚や危機感はまるでない。自己診断プログラムは恐ろしくて起動を考えもしない。

 十路は大人しく力を抜き、ボロボロの服が剥ぎ取れるのに身を任す。できる限り樹里を視界に入れないよう、空を覆う粉塵を眺める。


 痛みは感じずとも、感覚は完全には麻痺しておらず、体が物理的にいじられている感覚はある。その不快感を誤魔化すためにも、独りつ。


「傷の再生は、初回ボーナスか……」


 《緑の上衣を着た兵士ベーレンホイター》が初めて起動した時には、十路も《ヘミテオス》の不死性を体験したが、以降はない。

 それが管理者オリジナルとの性能差なのか。

 十路が『化け物ヘミテオス』を、まだ完全には受け入れていないあかしなのか。


「自己再生が欲しいんですか……?」


 それとも、この因子を分け与えた、主たる彼女が機能を制限しているからか。


「私がいじれるわけじゃないですけど……そんなのあったら先輩、もっと無理するだけでしょう……?」


 既に声が不機嫌だから、更に不機嫌にさせる予感しかしかない。

 だが十路は、確かめるために訊かなければならない。


「なんで、来たんだ……」

「…………」


 樹里からの返事は、重々しいため息だけ。

 悪い意味での琴線に触れた。しかも言葉を重ねれば、触れるどころかかき鳴らすに違いない。


「なぁ……なんでこう、俺に構うんだよ……」

「…………」

「俺に付きまとっても、いいことないだろう……?」

「…………」


 破片の除去や血管や筋繊維の接続など、重大な治療は終わったのか。樹里は《魔法》を行使し続けながらも、空間制御ボックスアイテムボックスから衣類用ガーメントバッグを出し、学生服のジャケットを羽織り始めた。顔を背けていても一部は視界に入る。

 まだ肝心な部分を隠したとは言いがたいが、ないよりは遙かにマシになっただろうと、十路は寝たまま視界に入れる。


「先輩が好きだからに決まってるでしょう……?」


 樹里は泣きながら怒っていた。



 △▼△▼△▼△▼



 公式に確認されている限り、あらゆる検査を受け付けず材質は不明。だから十路が放った数千万度の熱にも全くの無傷。

 調査も破壊も不可能で、内部も確認されていない。

 そんな《セフィロト》の一部に、前触れなくポッカリと穴が空いた。


「あ゛ー……死ぬかと思ッたぜ」

「《塔》に飛び込まなきゃ死んでたわね……なのにリヒトくんはなにやってんだか」

「そこは、礼儀だろォ?」

「あのねぇ……? 消し飛ばされるような《魔法モノ》受け止めるのは、男のロマンとか越えてるから」


 そこから男女が出てきた。彼らが行ったことを振り返ればその程度ですまないはずだが、どちらも若干疲れた風情だ。


 ふたりは夜の淡路島を見下ろす。

 熱放射砲の衝撃で、すっかり見通しがよくなった。暗視すれば瓦礫もなにもかも吹っ飛ばされている。

 地面に倒れる人影と、その側に座る人影も、《ヘミテオス》の目ならば辛うじて確かめられる。


「のん気なモンだなァ……オレたちがまだ生きてるッて考えねェのかよ」

「殺す気がなかったってことでしょ。私たちに逃げ道を用意してくれてたんだし。しかも最後の熱放射砲アレ、外して発射したでしょ」

「あ~……かもな」

「でなきゃ、山まるごと消し飛んでるわよ」


 少し移動して《塔》の反対側を覗き見れば、ほの明るく湯気が上がっている。山が半欠けになった部分の有様だ。


「で? 《騎士ナイト》くんはどうだった?」

「ユーアこそ、ジュリをどうすンだ?」

「半人前も半人前。ふたり合わせるどころか、《使い魔ファミリア》も合計してようやく一人前」

「あァ、てンで話になンねェ」

「でも、見込みはあるコたちでしょ?」


 夫婦らしくはない夫婦の会話に三番目の声が投げかけられた。

 リヒトも悠亜も振り替えると、戦闘中どこに行っていたのか。レディススーツ姿の長久手つばめが、彼らの背後に立っていた。


「世界を相手に戦える……その最低レベルには」


 悪魔を想像させる邪悪な笑みを浮かべて。


「そろそろ?」

「じゃないかな。あとトージくん、ジュリちゃんのストッパーパートナーとしてまだ不足?」

「へッ。ぜッてェ認めてやンねェ」


 だが共に『悪魔』を冠するリヒトと悠亜は、欠片も気にしない。


「……ところでさ? 少しくらい隠そうとか思わないわけ?」


 つばめでも『もっと気にしろ』と忠告するくらいに。悠亜もリヒトも本領発揮して変身したため、服など吹っ飛んでいる。リヒトに至っては肉体が再構成されたため、ピアスもタトゥもない。


「この辺りの有機物は全部吹ッ飛ンだから、《魔法EC》で服も作れやしねェ」

「というか、つばめがなんとかしてよ。これで本土に帰ったら警察に捕まるじゃない」


 ふたりとも腰に手を当てたり腕を組んだりで仁王立ち。羞恥心を覚えるのが間違いかと誤解するほど堂々としている。



 △▼△▼△▼△▼



 大粒の涙が降り、胸の辺りを濡らす。


「もういいです……!」


 不機嫌どころか、また怒らせてしまった。

 いや、それはまだいい。


 だが、泣かれると全く違う。

 女の子の涙は、やはり卑怯だ。男をひるませ、有無を言わせない強制力がある。


「先輩の気持ちなんか考えてたら、なんっにもできません! ならもう私の好きにします!」

「いきなりなんだ、おい……」

「先輩なんて、いっつも好き勝手してるじゃないですか!」


 話が支離滅裂だ。彼女の中では繋がっているのかもしれないが、十路には理解できない。


「いっつもひとりでキツい戦いして!」


 他の部員たちも戦力として数えられるが、本当の意味で戦える『兵士』は、十路しかいない。でなければ、《ヘミテオス》を殺すつもりで戦って、トラウマじみた反応低下を見せはしないだろう。

 戦力として見た時、彼女たちの有用性は『信用』できるが、『信頼』まではいかない。できるとすれば、人間臭いとはいえ機械で、忌避感など無縁の《使い魔ファミリア》だけ。


「いっつもボロボロになって死にそうになって! 私がどんな気持ちでケガ治してるか、少しは考えてるんですか!?」


 被害を最小限にするのは考えていても、実際必死な時には考慮から外さざるをえない。ただでさえ支援部の戦闘ぶかつには縛りがある。それに本格的に戦った敵たちは、被害を気にしながら勝利できるほど弱くはなかった。


「いつまでも衣川きぬがわさんを追いかけて! そんなに死にたいんですか!?」


 師で上官だった彼女を忘れず、いまだ追いかけているのは否定できない。

 だがそれが死に繋がる理屈が理解できない。


「私が心臓移植したの、やっぱり間違いだったんですか……!?」


 力ない拳が胸に叩きつけられた。同時に頭を殴られたような衝撃がはしる。

 十路が死に踏み出すことは、彼女の決断を否定することに繋がるのか。



 △▼△▼△▼△▼



「死んでる方~……」

「へーい……」

「右に同じく……」

「まだ半死でーす……」


 路面は砕けて、その下の鋼床板にも穴が空いている。幾本も吊り下げハンガーロープが垂れ下がっている。

 崩落していないのが不思議な明石海峡大橋に、少女たち四人が転がっていた。


「上手い塩梅あんばいに治療されてますわねぇ……」


 身を起こすだけでもひと苦労。致命傷にならず後遺症も残らないほど浅く、けれども動きを阻害するほどには深い。息はできるが、そのたびに体の奥で灼熱感がうずく。

 そんな風情でねじ曲がった装飾杖を支えにし、路面に胡坐あぐらをかいたコゼットは、ボサボサの金髪頭をかく。


「《魔法使いの杖アビスツール》も入念に破壊されたであります……」


 寝転がる野依崎がビクッと痙攣けいれんする。強化服はいまだ薄く煙と火花を上げているため、人工筋肉が誤作動を起こしているのだろうが、そう思って見ても前触れなくビクンビクンするさまはなかなかコワい。


「あ~ぁ……」


 身を起こして淡路島を確かめたが、溶解した岩石の熱輻射でほの明るいだけで、戦闘継続の証はもうない。

 南十星なとせは壊れたトンファーを捨てて再び大の字になり、夜空にため息を放つ。

 確かめていないのに、兄の勝利と生存を確信している態度だった。


「じゅりちゃんのこと、認めるっきゃないかぁ……」


 十路の強さを信用しているというよりも、樹里が自分たちを完膚なきまで打ち倒してまで駆けつけたのだから、といった風情だ。

 ただし狂気的な家族愛を持つこの少女なら、『そうでなければ許さない』という感情も、いくらか含めているだろう。


「よし。これからはイビり倒そう」

「キレた木次さんに半殺しにされた直後で、よくそんなセリフ吐けますね」

「次は負けない」

「むしろ負けてください。巻き込まれたらたまりません」


 比喩表現ではない嫁VSじゅうとめ戦争を想像したか。汚れた顔で疲れた息を吐き、ナージャは画面が無残に溶けた携帯通信機器に視線を落とす。


「つか、どーしますのよ、あれ……」


 夜の無人島とはいえ、市街地の近くでド派手に戦闘を行ったのだ。コゼットたちは詳しく知らずとも、戦略規模の術式プログラムを遠慮なしに乱発して。

 神戸市どころか瀬戸内海東部沿岸一帯が目覚めて、注目したに違いない。


 橋から見える沿岸部には光が集っている。更に橋の接続部、垂水たるみ区にあるこけ谷公園の光なら、もっ鮮明にとわかる。車のヘッドライトだけでなく、スマフォやデジカメの明かりに違いあるまい。


 これからの面倒を考えて、コゼットは陰鬱なため息を吐き出した。



 △▼△▼△▼△▼



「なら、もういいです……」


 十路がなにも言えないでいると、また勝手に樹里が投げやりに叫ぶ。


「私が先輩を守ります!」

「は……?」


 どうしたらそんな話になるのかという結論を。


「そうでもしないと勝手に死んじゃうじゃないですか!」


 ちゃんと繋がっているらしい。

 確かに今日、樹里が来なければ、十路はきっと死んでいた。


 感情任せに言葉をポンポン飛び出させているかと思いきや、我を失ってはいないと見るしかない。

 否応なく彼女の本気を理解する。


「…………俺は、守られる価値があるんだろうか」

「知りませんよ、そんなの……」


 それなりに覚悟を決めた言葉だったのに、不貞ふてくされた無体しか返ってこない。


「私がなんて言っても、先輩、絶対納得しやしないでしょう……!? 先輩自身が『ない』って思ってる限り……!」


 ぐうの音も出ない、冷静かつ正確な分析だった。

 しかも彼女にはそれが悔しいのか、歯噛みして普段見せない犬歯きばを覗かせているので、反論があってもちょっとコワくて言えない。

 

 視線を天空に向けると、自然と嘆息ついてしまった。

 なにか言わなければならないとは思っても、なにも言葉が思い浮かばない。ならば思いつくままを口にするしかなかった。


「普通の高校生ならこういう時、どうするんだろうな……?」


 なにもかもが違いすぎて、参考になどならない。

 夕暮れの教室でも、自宅でメッセージアプリ越しにしたわけでもなく、戦場となった夜の無人島で。

 精一杯のオシャレをしてるわけでも、普段のままの学生服でもなく、辛うじて勝利した死にていを披露しながら。

 勇気を出して伝えたわけではなく、帰り道なんとなく伝えてわけでもなく、ヤケクソの末に怒鳴られて。

 挙句の果てには。


「『好きだ』なんて言われても、なんて返せばいいのか……」


 なんて締まらない告白シーンだと、自嘲の笑いが洩れてしまう。


 樹里が嫌いなわけがない。むしろ好ましく思ってる。

 だが『好意』となると話が違う

 どう反応していいかも、自分の気持ちも、わからない。


「そんなの、わかってます……衣川さんのこと忘れろなんて、無理だってわかってますし、言えません……」


 なんでそんな、泣きそうな顔で笑う。


 以前この少女とはあいれない予感を十路は覚えた。

 時間が経っても、やはりあいれない。許容しあうことができない。

 これまで彼女に甘ええて好き勝手していた。今度は彼女が好き勝手しようとするなら、十路が折れないとならない。


 女の子の涙は、やはり卑怯だ。


「でも――」


 怒りまかせであっても、面と向かってハッキリと、告白してほしくなかった。

 もう彼女の好意を否定できない。なければなんとでも誤魔化せたのに。無視することなどできず、曲がりなりにも向き合わないとならない。


「これくらいはいいですよね……?」


 とはいえ、これは拒否できたかもしれない。

 

 だが十路は、樹里の顔が近づき、唇が重ねられるのを、拒否しなかった。

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