080_1900 千匹皮の姫は踏み出した


「むぅ……」


 小さな鏡に映る顔を眺めて、木次きすき樹里じゅりうなる。


 目尻はどちらかというと垂れ気味。瞳は黒目がちだが、よどんでるわけではないが輝いてるわけでもない。

 鼻は低めで小さい。潰れた団子っ鼻ではない。でも鼻梁が通ってるとも言いがたい。

 唇は薄め。リップを塗らずとも赤みが薄いナチュラルピンクは、数少ないチャームポイントと捉えている。

 歯並びに異常はないのだが、犬歯が大きいのが気になる。八重歯をチャームポイントと捉える人もいるだろうが、犬っぽさが強調されてあまり好きではない。


 決して不細工ではない。まだあどけなさが残る顔は、どちらかと言えば整っているだろう。

 ただし『どちらかと言えば』を強調する。『可愛い』と評されても絶賛されるほどではない、日本全国どこにでもいそうな顔だ。


 地味。普通。華がない。

 それが樹里が評する、自身の顔だ。


「…………」


 ふと、唇に触わってしまう。


 彼とキスしてしまった。

 触れること自体は初めてではないが、あれは治療に必要だった行為で違う。

 今度こそ、本当に。


「…………よし」


 何度鏡を見ても、やはり自分に自信は持つことはできない。


 けれども、もう引き返せない。

 彼女自身がそう望んだ。


 だから樹里は、ミディアムボブの前髪とリボンタイを確かめて、学生鞄と赤い追加収納パニアケースを手に自室を出る。


「あれ? もうガッコ行くの? いくらなんでも早くない?」


 キッチンでゴソゴソしていた時にはなにも反応なかったが、いつの間にか起きたらしい。パジャマ姿のなが久手くてつばめがショートヘアをピンピン立たせたまま、自室から出てきたところだった。


 確かに早い。時刻はまだ六時前、窓から見える空がようやく白み始めたところだ。遠距離通学をしているか、部活の朝練習でもあればありえるかもしれないが、普通は学生が家を出る時刻ではない。


「ちょっと下に押しかけようかと」

「……その様子だと、そのまま登校するつもりだよね?」

「はい」

「わたしの朝ごはんは!?」

「ラップして冷蔵庫に入ってますから、温めて食べてください」


 真っ先に気にするのはそれなのか。少女は思わず半眼になるが、それ以上言葉もんくを言うのは飲み込む。朝食のおかずは弁当の残り物オンリー。普段よりもグレードが下がっている自覚があるので。


「パンは冷凍庫、ご飯は炊飯器。コーヒーとかポタージュが飲みたければキャビネット二番目のインスタント。味噌汁なら三番目。洗い物はちゃんと浸けておいてください。あと今日着て行くブラウスはリビングにかけてあります」

「いくらわたしでも、それくらい言われなくても、ひとりでできるってば……」


 日頃は全部少女が家事しているから、女性ひとりの時にどうしているかなど知らない。だから小言も多くなる。


「あとついでに、今日は燃えるゴミの日なので、家出る時に出しておいてください」

「いや、それくらい、いいけどさぁ」


 他人の部屋に訪れるのに、まさかゴミと一緒にというわけにもいかないので、押し付ける。


 そうして玄関でローファーを履いていると、背中に声がかけられる。


「ねぇ? わたしが言うことでもないけど、やっぱり責任感じてる? トージくんを《ヘミテオス》にしちゃったこと」

「それに答えるため訊きたいですけど……つばめ先生。なんで私と堤先輩をセットにするよう仕組んだんですか?」


 問い返すまでもなく、今は答えは知っている。


「ありていに言えば、ジュリちゃんを野放しにするには、色々と足りないと思ったから」


 堤十路は支援部における、木次樹里の首輪として用意された。


 転入以来関わる時間が多かったのは、まだ支援部の人数が少なかった頃、先輩後輩なれど共に高校生で接点があったため。

 共に《使い魔ファミリア乗りライダーであるため、《バーゲスト》のマスターとしてセッティングされて。


「それ、私の問題じゃないですか。私にはプラスになることはあっても、堤先輩にはマイナスばかりを押し付けてますよね」

「できる限りの便宜も保障もしてるけど、否定はしない」


 十路は樹里に関わるために、人生をじ曲げられた。

 関わらず、自衛隊の特殊隊員として生き続ける人生が、彼にとって幸福だったかはわからない。

 だが五月のあの日、十路が神戸にやって来た時、彼の人生は確かに、他人の手によって変えられてしまった。

 彼は一度死に、人間ではなくなった。彼が怒り、ずっとギクシャクしていたのは、当然のことだと樹里は考える。


「それは、やっぱりフェアじゃないです」

「だから、ジュリちゃんが責任持って、あのコにつぐなう?」

「やっぱり責任は感じますけど、償いは……違うと思います」


 心の中を断定できるほど、人生経験も語彙も豊富ではない。

 こんなことを言うのは、彼に対して失礼かとも思ってしまう。


「私が守りたいから、です」


 強くありながらも弱く思えて仕方ない。空想と理想、現実の狭間でもがき苦しんでいる。

 そんな《騎士》を少しでも助けられる『魔法使い』であれたらと、自身で決めた望みに従うことにした。

 それだけのこと。


「……ちょっと待って」


 樹里の返答をどう思ったか、唐突につばめが自室に戻る。


「これ、ジュリちゃんに任せる」


 すぐに戻ってくると、細長いものを樹里に差し出した。


「これって……」


 刃だけでなく柄部分も特徴的なので、すぐわかる。プラスティックの鞘に入った、十路の銃剣バヨネットだった。

 

「前にコゼットちゃんから相談受けてね。トージくん、銃剣が壊れて新しく作るの、渋ってたんだって?」

「えぇ、まぁ……だけど結局、部長に作ってもらったみたいですけど」

「それとは別にわたしの伝手つてで、元の銃剣を再生したのがコレ」


 十路の銃剣バヨネットは、彼の師にして憧れだった、衣川きぬがわ羽須美はすみの《魔法使いの杖アビスツール》を再利用したものだった。

 だから彼は、どうにか残せないか迷っていたが、手間暇を考えて新たな得物を選んだ。元の銃剣バヨネットは廃棄を選んだ。


「どうする?」


 つばめの声はどこか挑発的な色をびていたが、樹里は気にも留めない。


「どうするもなにも、先輩に渡しますよ」


 この銃剣バヨネットは言うなれば、元カノとの思い出の品だ。ゆえに樹里に渡し、試そうというのか。

 男の記憶はフォルダ保存、女は上書き保存、だったろうか。当然個人差があるが、過去の恋愛に対するスタンスが性差で大きく異なる。男性はロマンチストで未練たらしく、女性は現実的で切り替えが早い。だから嫉妬がらみの喧嘩も起こりがち。

 十路は間違いなく未練がましいロマンチスト。だがそれくらい受け入れれなくて、どうしようというのか。


 ただでさえ樹里の存在が、彼の未練を想起させるのだから。同じ遺伝子情報を持つ存在であるため、数年もすれば樹里も衣川羽須美のようになるはず。


「そっか」


 もう首輪や補助がなければ危ういほど弱くはないと、つばめも少しだけでも認めてくれた、と見ていいのだろうか。


 毎朝トレーニングで出かけるため、彼の朝はなかなか早い。こんなところで下らない時間を潰して入れ違うと、しばらく待ちぼうけを食らうことになる。


「行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 普段はつばめが先に出るので、聞いたことがない母親みたいな言葉を背に受け、樹里はマンション五階の自宅から出て、エレベーターに乗る。

 二階に下りて二〇一号室の前で、インターホンのボタンを押し込む。


「せんぱーい。おはようございまーす」


 臆病な千匹皮は、幸せにならんと、ようやく新たな一歩を踏み出した。

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