080_0710 モヤモヤお~たむず2Ⅲ~愛玩犬~
保険として、整備を嫌がる《バーゲスト》を捕縛する太い鎖を、ハーネス代わりに緩く巻きつけているが、潰したダンボールをマットにする大型犬は大人しくしている。南十星がちょっかいかけるが、尻尾で返事する以外は動く様子がない。
やはり保険で、十路はアームガードと刃物を準備していたが、出番はなさそうだった。警戒は文章を作りながら、時折ノートパソコンから顔を上げる程度で充分だった。
不意にイヌと目が合った。組んだ前肢に顎を乗せていたはずだが、いつの間にか顔を上げて見られていた。
「あ゛ぁん?」
「!?」
大抵の野生動物は目を逸らせば、隙と見なして攻撃してくる。なので十路はメンチ切ると、大型犬は一瞬全身の毛を膨ませて、琥珀色の瞳を逸らした。
(根性ないイヌだな……)
根性の問題か否かはさておき、それとなく観察していると、イヌはじっとしていない。寝そべったままなので『じっとしている』とも言えるが、やたらゴソゴソ動く。正座に慣れない人間がポジション調整しているような感じで。
そうこうしているうちに、プレハブの薄い壁越しに足音が聞こえ、扉が開いた。
「はいはーい。どデカいワンコを捕まえたって?」
十路が直接保健所や警察に連絡してもよかったが、学校敷地内のことだからと、顧問にして最高責任者であるつばめにメールを送って指示を仰いだ。
休日なので彼女は学院におらず、通話した際にはプライベートで出かけていた。だから服装は、普段のビジネス用とも自室でだらけたものとも違う。
イヌは暴れる様子もなく、慌てて対応する必要もなさそうだったので、帰りしな学院に寄って直に確認してから対応することになり、十路たちは部室で待っていた。
ちなみに静岡での宿泊でオモチャにされた件は忘れていない。迷いイヌの処置を優先させ、制裁は先送りしただけだ。
「コイツです」
「え?」
大型犬を見たつばめは動きを止めた。目が点になっている。いつも人を食ったような彼女には珍しい態度だ。
サイズに驚いたのかと思いきや、どうも様子が違う。
「…………」
つばめ、なぜか呆れたような半眼になる。
「…………!」
イヌ、なぜかワタワタと落ち着きなくなる。
種族を超えた無言の会話が成立しているような時間の後、つばめはニマァ~と口角を吊り上げた。正に悪魔の笑みだ。
「うん! この子ね、わたしが預かってた知り合いのペットなんだよ!」
そして振り向いた顔には満面の笑み。足元でイヌがアウアウしているギャップがひどく目につく。
「預かってたってなら、なんでここに迷い込んだんですか?」
「閉じ込めておけば出かけても大丈夫だと思ってた!」
「このイヌの名前は?」
「ナカガワマックスJPイセシマ・キングジョージ五世。略してナマイキ!」
嘘だ。知り合いのペットというのも、預かったというのも。
名前が一番ウソくさく思えるが、ドッグショーでは意外とある。仮にその名前が本当だとしたら『日本のナカガワに住むブリーダー・マックスさんトコで生まれたイセシマさん
つばめの態度は、この大型犬を今ここで初めて知ったことを物語っている。
なのになぜ既知のように言い繕うのか。理由は考えても思いつかないが、トラブルと策略の匂いがプンプンする。
チラリと南十星を見やると、眉を寄せている。なにも言わないが、彼女も嘘の匂いを感じていると見る。
「でねー。トージくん。このコちょっとの間、預かってくんない?」
「は? なんで俺が?」
「いやー、わたし今晩いないから。半分仕事の飲み会あるんだよ。また脱走したら困るし」
「理事長がいなくても……まぁ、ぶっちゃけ木次がいるでしょう?」
押し付けるような考えはさすがに失礼だとは思うが、他に言い
既に手間のかかる二九歳独身女を飼育しているのだから、もう一頭増えてもあんまり変わらないのではないか。
「なにか失礼なこと考えてない?」
「いいえ?」
「ジュリちゃんも今日いないんだよ。実家に帰ってて。それにここまでの大型犬、ペットホテルだってなかなか預かってくれないもん」
「だからって俺に押し付けられても迷惑なんですけど。飯だってわざわざ買ってこなきゃいけませんし」
「このコ、A5ランクの神戸牛しか食べないから」
「なら食費を寄越してください。寄越されてもイヌの分だけで、理事長の分は知らないですけど」
「ドックフード、食べるのかなぁ? 食べたい? うん?」
ありつけないなら神戸牛の話は完全になかったことにして、つばめはイヌの顔を覗き込む。
なにやら葛藤しているっぽいので、十路はアドバイスしてみた。
「市販のドライタイプは全般的に匂いがキツい。当たり前だけどイヌの口臭。なのに味は激薄。生タイプは用途別に色々あって違いも大きい。半生タイプは匂い倍増キツさも倍増。体が飲み込むのを拒絶する」
「ドッグフード、味見どころか食べ比べたんだね」
「食糧難の想定で試してみるのは基本でしょう?」
少量ならばペットフードを摂取しても人体に影響ありませんが、やはりペットと人間では必須栄養素や味覚が異なります。また、この青年は特殊な訓練を受けています。一般の方は決して真似しないでください。
イヌ相手に人間視点のドッグフードレビューを伝えたところでどうなのだという話だが、なんかドン引きされているような気がしなくもない。イヌに。
「あと、わざわざイヌ用トイレとか用意するのも、正直バカくさいんですけど」
「いらない。このコ、人間用のを使うから」
「……は?」
そんなイヌが存在する可能性は否定できないが、まぁ普通に考えて、ありえない。
「……いつまで預かれと?」
「わかんない」
「一晩だけじゃなくて明日以降も?」
「うん」
大型犬のワタワタが激しくなっているが、誰も構わない。つばめは単に無視しているだけだろうが、十路は真意を掴むために、あらゆる可能性を脳内で精査していてそれどころではない。
「もし俺が断ったら?」
「いや別に? なにか起こるってわけでもないけど?」
視界の隅でもう一度南十星を確かめる。やはり気難しい顔をしているが、特にアクションはない。
十路が危険に
「わかりました。預かりましょう」
つばめの真意は、彼女の口車に乗らなければ知ることができない。
乗ったところで大きなデメリットはなさそう。
危惧して一時保護したとおり、放置してなにか問題になった時のデメリットは大きい。支援部の評判に関わる。
あのマンション、ペットOK? まぁ責任者が言うのだから問題ないのだろう。
心の天秤に様々なものを乗せ換えて測定し、十路は結論を下した。
つばめがまたニマァ~と悪魔の笑みを向け、イヌは首をプルプル振ってるが、気にせず十路は呼びかける。
「キングジョージ五世」
「……………………」
「キングジョージ五世」
「…………わん!?」
イヌの反応は、やはりどう考えても偽名だ。
無反応で終わらず、なぜ思い出したように遅れて返事するのか、不思議なところではあるが。
「キングジョージ五世」
「わん」
「キングジョージ五世」
「わふ?」
続けざまに名前を呼ぶと、『返事してるのになに?』とでも言いたげに小首を傾げる。
「ホントにその名前ってことでいいワケ?」
「…………………………………………」
南十星が口添えすると、『キングジョージ五世』は葛藤で固まった。
△▼△▼△▼△▼
学院からマンションに戻る道中、イヌは大人しく並んで坂道を下る。保険というより、なにも知らない他人が見た時の手前、やはり鎖は巻きつけたままだが、ほとんど用を成していない。
そんなに十路に預けられるのが不本意なのか。
「うーん……」
結局名前不明の大型犬を挟んで並ぶ南十星が、その背中を眺めて眉を寄せる。
「りじちょーのアレ、なんだったのさ? このイヌ、兄貴に預けたらなんかあんの?」
「全く想像できん。だから嘘とわかってても、乗ってみたんだが」
「想像できるのは、実はりじちょーが敵として寝返って、兄貴を闇討ちするためにこのイヌ送り込んできたとか」
「返り討ちにするだけだな」
殺意に反応して、またイヌの背中がビクゥッと震えた。
十路は当然、きっと南十星も、本気でそんな可能性は考えていないが。仮につばめが敵対したとしても、その程度で
「あとさ、このイヌ……なーんかどっかで見たような気がしなくもないんだよね」
「こんなデカけりゃ、一度見たら忘れっこないだろ?」
「いや、見たことはないけど、なんか初めてじゃないような……? あたしも自分で言っててよくわからん」
「なら俺はもっとわからん」
南十星の直感は、無視できないが信頼もしきれない、なかなか厄介な代物だ。頭の隅に置くだけに留め、十路はマンションのエントランスに入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます