080_0720 モヤモヤお~たむず2Ⅳ~同趣者~


「…………」

「…………」


 部室では聞き分けいいとしか思わず、しつけが行き届いたペットならそういうものかと疑問を抱かなかった。だがマンションに戻ってしばらくして十路とおじは、違和感というよりも異常さを抱き始めた。

 今度は別に殺意を込めていないが、視線を合わせようとすると、察知してお座りしているイヌは逸らす。向かい合って胡坐をかく十路が追いかけて顔を覗き込む小さな鬼ごっこが繰り広げられている。幻だとわかっているが、なんかイヌの額に汗が光っているような気がしてならない。


「まず、だ。お前、この部屋に上がるのに、フツーに玄関マットで足拭いてたよな?」


 裸足で外を歩いて、屋内に上がる際に足を拭く。普通のことだろう。ちゃんと親が注意している幼児以上の人間なら。

 でもイヌが、なにも言わずとも自分から足を拭くのは、果たして普通なのだろうか。それもただマットに乗っただけでなく、人間が泥落としを使うように。しつけでどうこうなるものなのだろうか。


「次。なんで俺に指示してメシ用意させられる?」


 夕食の用意で冷蔵庫を開いたら、イヌも近寄ってきて冷凍室をテシテシ叩く。なにかと思って開けば、冷凍保存している食パンを示した。意思疎通の試行錯誤の末、それを夕食として要求していた。

 イヌにタマネギやチョコレートがNGなのは聞いたことあるが、果たして人間用の食パンを与えていいものか。塩分過多にならないのだろうか。他にドッグフード代わりを思いつかず、迷った末に味なしトーストを与えたが、考えてみればおかしい。


 なぜ食パンのがわかったのか。長期保存のため一枚一枚ラップに包んでフリーザーバッグにまとめて冷凍室に入った食パンを、嗅覚で探し当てられるものだろうか。


 あと、皿に乗せて床に置いたら凄く嫌がられた。イヌでもそんな顔するんだと初めて知るほどに。

 なので冷凍保存してた白米をレトルトカレーで流し込みながら、トーストを手にしてパン食い競争みたいに食いつかせた。そして水は哺乳瓶のようにペットボトルからラッパ飲み。やはり食器に顔を突っこむのは嫌らしい。


「最後に。お前、人間の言葉、完璧に理解してないか?」

「わふ?」


 『なんのこと?』と首を傾げるのが、既に理解している証ではなかろうか。なにも知らなければカワイイ仕草に過ぎないかもしれないが、十路には少し不気味に感じてしまう。やはり幻覚の汗を光らせた、必死な誤魔化しにも見える。


 食事は別として、イヌに対してなにかする必要が全くない。

 部屋の隅を自分の居場所に定めて寝そべり、壁にもたれて寝転がり、十路がやることを眺めているだけ。邪魔にならないし、吼えもしないので静かなものだ。文句を言いたくなることにもならない。


 気心の知れている者といる感覚に近い。

 ナージャが来る用事は受験勉強なので、夜食食べる時以外は必要最低限の会話しかなく、お互い構わず自分の勉強を進める。南十星が居座ってる時もそんなものだ。十路が受験勉強している横で、ストレッチしながら映画鑑賞してるので、茶でも飲むタイミングでなければお互い気にかけない。

 同様の時間が、初めてのイヌ相手に。ありえるものだろうか。


(イヌって、こんなもんか? そこらウロウロしたり、興奮して吼えまくったり、ションベン撒き散らしたりするものなんじゃ?)


 それは超絶的な偏見としても、しつけ済みでも、こんなに手間かからないものかと疑問に思う。飼っているご家庭次第だが、日本の住宅事情と体格を考えれば、室内犬とは思えないのだし。


 部室でつばめの到着を待つ間も似たような時間だったが、十路が暴れたら殺害するつもりで気を張っていたので、野性の勘で察して大人しくしていたと考えれば、まぁ理解できる

 だが怠惰な野良犬に戻っているのに、この部屋でも同じようにイヌが過ごしているなら、その理屈は使えない。


 そんなことを考えていたら、チャイムが鳴った。


『開けてくださーい』


 誰かと思えば、ドアモニターの画面には、鍋と保存容器を重ねたナージャが映っている。見切れているが、その後ろにはコゼットも。

 コゼットは珍しいが、ナージャが夜食を持って押しかけてくるのは割とよくあるので、十路はあまり気にせず彼女たちを迎え入れた。


「おー。ナトセさんが言ってたとおり、おっきなワンコ様ですねー。エサ食べさせました?」

「軽くパンだけ」

「やっぱり。そんなことじゃないかと思って、用意してきましたよ」


 ナージャは早速台所を占拠する。そっちはいい。


「で。部長は?」


 コゼットが十路の部屋に来ることなど滅多にないから、やはり見てしまう。

 すると彼女は気まずそうに、肩にかかる金髪を一房、指に巻き始める。


「いえ、その、特に用事があるわけじゃねーですけど……」

「モフりに来たんですか」


 プリンセス・モード時はまだしも、丁寧ヤンキーたる地を考えれば意外だが、コゼットは可愛いもの好きらしい。十路は見たことないが、自室はヌイグルミに溢れたファンシーな部屋だと聞く。動物も好きそうだ。


「想像以上にデカいですわね……」


 コゼットは大型犬を前にして怯んだが、それでもおっかなびっくり手を出す。正面からではなく斜めから近づき、まずは手の匂いを嗅がせて側面から撫でる、イヌのストレスを理解している接し方だった。


「そういや、部長もナージャと同じく、新必殺技を編み出してるんですか?」

「ハ?」

「いやなんか、前の部活でわずらったパラメータ低下、克服しようとしてるとか聞きましたから」


 口調こそ何気ないが、肩書き上と実務の隊長役同士で、部の現状を共有しておきたかった。

 真面目さはちゃんとコゼットにも伝わり、彼女は言葉を選びながら応じる。嫌がる様子がないから、大胆にお座りするイヌの背後からベッタリ抱きつき、頬をムニムニしながら。後頭部しか見えていないので当然、イヌが迷惑そうな顔してるのに気付いていない。


「クニッペルさんに付き合ってはいましたけど、わたくしには不要ですわよ。この間の部活でいくつか切り札切りましたけど、皆さんの知らねー隠し玉はまだ持ってますもの」


 サラッと油断ならない黒い顔を見せられた。支援部員同士が戦う可能性は否定できないというのに。十路的には隠してることを明言する時点でどうかと思ってしまうが。


「んで……色々やっちゃぁいるんですけど、ぶっちゃけ、どうしたもんかって感じなんですけど……軍人ほんしょくの方が心的P外傷後TストレスS障害Dとかになった場合、どうしてますの?」

「そんなの専門家に相談一択です」

「根性でどーこーじゃねーんですわね」

「精神論が残ってないとは言えませんけど、さすがにこのご時勢でやったら炎上待ったなしですよ」

「やっぱ、そーゆートコに世話になるっきゃありませんか……」

「いやぁ……? 俺たちの場合、そこらのメンタルクリニックとかはどうかと。『ぶっ殺そうとしたら手ぇ遅れます』とか相談するんです?」

「いくらカウンセラーがプライバシー遵守するっつっても、通報コースですわね……」

「自衛隊とか在日米軍なら、軍事心理学かじったカウンセラーいるでしょうし、理事長経由で協力を仰ぐ手段もなくはないでしょうけど」

「本格的なストレス障害とまでは言えねーですから、協力してもらえるか怪しいですし……敵になる可能性も考えたら、あんま頼りたくはねーですわね……」

「なら、木次に相談するくらいしか思いつかないですね」

「いくら《治癒術士ヒーラー》つっても、さすがにメンタル系は専門外でしょう?」

「それでも完全素人よりはマシでしょうし、他の手段を知ってるかもしれません。今日は実家帰ってるらしいんで、相談できないと思いますけど」


 精神の安定を求めているのか、コゼットは肉球をぷにぷにし始めた。イヌ、ものすごく迷惑な顔しているが、それでも大人しくしている。


「ちなみに堤さんはどうでしたの? 昨日帰ってきた直後、土産の受け取りしながらじゃ、あんま聞けなかったですけど」

「とりあえず自衛隊の精鋭部隊とってみた感じ、深刻なレベルじゃなかったです。実戦と比べりゃどうしても手抜き入りますから、安心もできませんけど」

衣川きぬがわさんのお墓参りして、精神的に区切りつけたから?」

「そういうことにしておいてください」


 羽須美のことは正直あまり触れてほしくない。なので十路は、存在を忘れてすっかり冷めた加糖ブラックコーヒーをすすり、話をぶった切った。


「ちなみに、わたしの進捗は全然です」


 ちょうどナージャがワンコ飯の用意をして来たから、誤魔化しは不要だったかもしれない。


「自作のペットフードって、ありあわせで作れるものなのか?」

「そんな難しくはないですよ。食べられない食材があるだけで、離乳食作るみたいなものですし。あとやっぱり元は肉食動物なので、たんぱく質多めなのが違いますかね? これだけ大きいワンちゃんなら、カロリーや塩分は人間相手に気を遣うくらいで大丈夫でしょうし」


 加熱していたようだが、湯気は立っていない。人間も普通に食べられそうな、いい匂いを放つ鍋がイヌの前に置かれた。

 中身はリゾット……と呼んでいいものか。カボチャであろう黄色いペーストと共に炊き上げられ、米よりも具材のほうが多い。あまり知られていない海外の煮込み料理とでも言われたほうが納得できる。


「味見してみます?」


 スプーンが差し出されたので、十路は受け取って口に運ぶ。人肌程度のぬるさは、調味料が使われておらず薄味だが、素材本来の甘味や旨味はちゃんと感じられる。


「ん。フツーに食えるし美味い。市販のドッグフードとは大違い」

「ドッグフード、食べたことあるんですの……?」


 コゼットに引かれたが気にしない。彼女が知るはずないが、本日二度目のツッコミでもあるし。


 十路が一口分すくって差し出すと、イヌは鼻を近づけて口に入れた。お気に召したようで、スプーンを持つ手を鼻先で鍋へ導こうとする。


「食べないですね」

「いや、食おうとはしてる。コイツなぜかイヌ食いを嫌がるんだ」

「どれだけ過保護な飼い主さんに飼われていたんだか」


 しゃがんだナージャは目を合わせ、大型犬の頭に右手を乗せる――だけに留まらずグワシとわし掴みに。


「HAHAHA。あんまりワガママ言って面倒かけるなら――」


 いつも通りのゆるい笑顔なのに、殺意の波動全開で手刀を見せながらだと不気味だ。和真かずまの愛を全力拒絶する際でも、こんな危険なオーラを放出しない。


「『っ』しちゃいますよ?」

「――!?」


 全身の毛を逆立て、ひと回り大きく膨らんだイヌは、クローから逃れて猛然と鍋に顔を突っ込んだ。《魔法》込みの手刀で斬首めっするユキヒョウの殺意を正確に読み取った。

 ちょっと目尻に涙を浮かべているが、食いっぷりを見守るナージャは無視して満足げに頷く。


「シベリアの大地でわたしは学びました。動物相手にナメられたら終わりと」

「別にロシアにいるのは、ヒグマとアムールトラとツンドラオオカミだけじゃないだろ……」

「えぇ。寄生虫エキノコックス持ちのキツネも、トラックみたいなヘラジカもいます。あと沿岸だとシロクマとセイウチも。最近は回虫持ちのアライグマも増えてます」

「いやだから、危険生物ばかりのモンスターワールドにするなよ」


 そういえばナージャは、十路に次ぐサバイバル経験者だった。元々ロシアの田舎出身の上、軍事訓練も受けている。

 だからといって同じように殺意の波動でイヌを御するのは、果たしてどうなのか。自分の凶暴性を棚に上げ、十路は『コイツ、ヤベェ』的な目を向けてしまう。

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