080_0310 ぶらり途中乗車の旅Ⅲ~温泉宿~


 予定外の旅程が追加されたが、墓参りが想定よりもずっと短い時間で終わったため、特に困ることはない。

 しかも静岡市内まで戻り、着いた早々だが土産の用意などをしていたので、ほぼ観光だった。


 頃合を見て、またオートバイで東に進み、熱海市に入った。

 教えた住所でイクセスのナビゲートに従うと、頭に『高級』と付くほどではないが学生の身分で宿泊は難しい、ちょっといい宿に到着した。してしまった。


 その時点で嫌な予感はしたが、予約がされている以上余所へというわけにもいかない。入って受付で名前を出し、案内された客室に嫌な予感は一層深まった。

 それは樹里も同じだったらしく、十路とおじにだけ聞こえるようささやく。


「堤先輩……もしかして、旅館の予約したの、つばめ先生ですか……?」

「あぁ……失敗した」


 仕方ないことではある。未成年者のみでの宿泊施設の利用は、保護者の同意がないと断られることが多い。トラブルが起こった際、ホテル側も責任を負いたくないから。

 公的な支援部の活動となると、必要経費は帳簿上の問題も出てくるだろう。

 だから、手配はつばめがすると言い出したことに、十路は油断してしまった。せめて確認するべきだったと全力で後悔している。


「ここって部屋数少なくて、全室露天風呂付きの旅館みたいですよ……?」

「ファミリー向けじゃないな……カップルか夫婦向けだな……」


 一部屋しか予約されていなかった。高校生の男女を同じ部屋に宿泊させるのは、一般論として駄目だろう。学校の最高責任者がやるとなれば、職業倫理が問われるに違いあるまい。


「ご予約されたお客様から、このようなものをお預かりしております」


 しかも、なにかの手違いでないことが確定となった。部屋に案内してくれた仲居さんが、封筒を差し出してきた。

 

 受け取って開くと、メッセージカードが入っていた。


――Fight!! byつばめ


 文字情報だけでは意味不明でも、同封されていた避妊具で、意図は伝わる。


「冷蔵庫の中身も準備をおおせせつかりました」


 果たして仲居さんは、十路たちをどういう関係だと思っているのか。栄養ドリンクのたぐいを準備するサービス精神は、従業員として誇らしいものなのだろうか。旅行でテンション上がって夜も盛り上がっちゃう客も珍しくはないだろうが、客室の清掃を考えればむしろ自重をお願いしたいところではなかろうか。


「神戸帰ったら泣カス……」


 仲居さんの生温かい視線の手前、十路はメッセージカードを握り潰さず丁寧に封筒に戻し、オモチャにされている恨み言は口の中で噛み殺した。

 横から覗き込んだ樹里はなにも言わないが、チベットスナギツネのような乾いた虚無を顔に貼りつけている。



 △▼△▼△▼△▼



 ともあれ、他に選択肢はない。新たにもう一部屋取るなど、さすがに学生の財布にはキツいし、別の旅館やホテルは今から取れるか難しい。秋の観光シーズンの、温泉地として有名な熱海なのだから。


 となればと、樹里は下着の替えと備え付けの浴衣を持って断った。


「お風呂、先にいただきますよ?」

「どーぞ」


 十路は空間制御コンテナアイテムボックスから自前のノートパソコンを出し、顔も向けずになにかを始めていたので、まぁいいかと引き戸を閉めた。

 なにせ露天風呂は客室のすぐ外。広縁ひろえん――テーブルセットが置かれているスペース――との仕切りを開けば丸見えなので、現在位置を報告しておかないと事故が起こりえる。

 ずっと厚着でいたため、秋とはいえ汗をかいた。脱衣所で手早く服を脱ぐと、露天風呂への扉を開く。


「うわぁ……」

 

 周囲は紅葉が始まった木々に囲まれ、遠くには熱海の町と太平洋が見える。当然対策もなされた立地と作りになっており、相当な根性と装備がない限り、向こう側から裸を見られる心配はない。


「ふへぇ……」


 かけ湯をして、いい湯加減に華奢な肩まで浸かると、自然と声が出てしまう。無理な力を入れずにオートバイに乗っているはずだが、やはり強張っていたのだろう。生体コンピュータが認識するパラメータに異常ないが、測定できない疲労物質が湯に溶け出してるような錯覚を覚える。


 くつろぐ子犬ワンコと化して、ぼんやり夕暮れの風景を眺めていて、ふと我に還る。


『って!? 今更だけど、堤先輩と一緒に寝泊り!?』

【本当に今更ですね……】


 話し相手を求めて駐車場のイクセスに無線電波を飛ばしたら、こちらの細かい状況を把握しているはずないのに、即座に返事があった。


【いっそパンツ脱いで股開けばいいのでは? 人間なんて一発ヤれば大抵の悩みは解決するんでしょう?】

『イクセス……一度人間になってから、性格変わってない……? 偏見がヒドすぎる……』

【別に変化はしていません。単に披露する機会がなかっただけです。恋愛感情なんて私には理解できないですから、最近のジュリに付き合うの、正直面倒くさいです】

『ごめん。私が悪いのは認めるから、その面倒くさがり方はやめて』


 樹里はあまり実感がなかったが、そういえばこの《使い魔ファミリア》、マスターに対してもキツかった。

 ともあれ、いま話し相手になってくれるのは、イクセスしかいない。


【トージとジュリを一緒の部屋に放り込んだところで、なにか起こる気しないんですけどねぇ……? どうせ居間と寝間で分かれて寝るでしょうし、ダブルベッドならトージは使わないでしょうし】

『や、まぁ、そうなるだろうけど……イクセスって、変な意味で先輩を信用してるよね……』

【半年も乗せていれば理解しますよ。というか、仮に襲われても、ジュリにとっては望むところでは?】

『そんな簡単な話じゃないよ!?』

【人間って面倒くさいですね――あ】

『どうしたの?』

【いえ、駐車場にトージが来ました】


 常時脳内センサーが稼動している《ヘミテオス》といえど、さすがに風呂場から防音の効いた壁と距離をへだてて、十路が部屋を出たなどわからない。


【トージ? どうしたんですか?】

『いや。特に用事はないけど、なんとなく。木次は風呂入ってるし』


 なぜイクセスは、十路との会話まで無線に載せているのだろう。

 盗み聞きに居心地悪さを覚えるものの、樹里は口元まで湯に浸かったままみみを澄ませた。


【それで?】

『今日一日、思ってた以上に、木次と普通に会話してたなぁ、と』


 イクセスから映像まで送られていないが、彼が気まずそうに首筋をなでている姿が目に浮かぶ。


【それがなにか?】

『『なにか?』と言われれば、俺もどう返していいのか困るが……』


 樹里の目には平然に見えたが、彼もそれなりに動揺していらしい。胸の内の吐き出し口を求めて、樹里が不在の間に駐車場に行くぐらいに。


【別に困ることじゃないでしょう? これ以上ジュリと仲たがいを続けたいんですか?】

『そうじゃないけどなぁ……ケンカとは違うし、ケジメもないから、これはこれで居心地悪い』

【トージの精神的な問題じゃないですか。私にとってはいいことなので問題ありません。黙りこくって空気の悪いふたりの尻に敷かれる気分、わかります?】

『わかる人間はなかなかの特殊性癖持ちだぞ』


 『直接乗馬式ポニープレイなんぞ経験ねーよ三人でとか尚更』とブスッとした顔をしているのが想像できる。


【あのですねぇ……トージは大体空気読めないフリしてるというか、空気読んだ末にブチ壊しますけど、そこまでニブくはないでしょう?】


 言外に『論点ズラすな』とイクセスが軌道修正するのに、やはり顔をしかめているのも想像できてしまう。


【たとえば、部員があなたに好意を持ってることくらい、気付いてるでしょう?】

『元々ブラコン気味のなとせは除外して、どこまでかは知らんが、そこはかとなくは』


 イクセス相手だからだろうか。十路がアッサリ認めてしまうのが、樹里にはすごく意外だった。


【ジュリの好意には?】


(なんで言っちゃうかなー!?)


 いま声を出すというか音声データ化して出力したら、イクセスのスピーカーから十路にも聞こえてしまう気がしたので、心でだけ絶叫する。

 でも無用な心配だった。


『いやぁ……? なんか最近、変なリアクションされるけど……ありえないだろ? ぶっちゃけ俺、木次に好かれる要素あるか?』

【…………】

けしかけといて黙るなよ』


 樹里の好意は完全否定だった。いや、彼の立場に立って考えれば当然と言えなくもない。


『木次には嫌われる心当たりしかないぞ? 結構ヒドいことしてるし』

【自覚はあるのですね】

『そりゃまぁ。それでも木次が距離を開けないのは、俺に心臓移植した責任感としか考えられない』

【ダメさ加減に母性本能でもくすぐられたんじゃ?】

『俺がくすぐってると思うか?』

【…………】

『だから、黙るなよ。こんな可愛げないヤツって自分でも思うけど』


(うん。母性本能じゃない)


 十路の人間性以前に、バブみを感じさせてオギャらせたいとか、並の精神ではハードル高すぎる。女子高生でオカン化は嫌だし、母親役のおままごとをやりたいわけではない。


(もう少し頼ってほしいとは思うけど……)


 それもバブみに含まれるのだろうか。いや、違うと信じたい。別に依存されたいわけでも、ネコ可愛がりしたいわけでもない。


 ただ、隣に立ちたい。それだけ。


【恋愛対象として値するかはともかくとして、トージは自己評価低いですね】

『俺としては正当な評価だ』

【あなたは部員たちを、命がけで守ってます。玉の輿こしはありえないので白馬の王子とまでは言えませんけど、その下位互換くらいの地位は築いてますよ?】

『俺ひとりの力じゃない。というか、俺ひとりでやろうとしても、連中が首突っ込んでくるじゃないか』

【それでも、ですよ。もっと自信持っていいと思いますけどね】

『無理だ。守った実感なんてない。支援部はいつ壊れても不思議ない。もちろん今のまま、のん気に学生生活できればそれが一番とは思うが、現実問題無理だろ。それで守ったなんて言えるか?』


 あらゆる障害を排除し、未来永劫平穏が約束されるまで、彼が定義する『守る』ではない。

 少し考えればわかるはず。そんな瞬間は永遠に訪れない。人生いつどんなトラブルに巻き込まれるか、誰にもわからないのだから、一生かけても成せるか怪しい。

 なのに求める。なんと中途半端で欲張りな空想的理想主義者ドン・キホーテなのか。


『それに……守りたいって思うものを、もう持ちたくない。また守れないのが、怖い』

【だから、誰かの好意に応えたくないし、誰かを好きになりたくない?】

『あぁ……』


 他の部員たちは当然、きっとなとせにも見せない、人外の相棒たる《使い魔ファミリア》だから見せる、彼の本音。

 想像していたことだが、やはり衣川きぬがわ羽須美はすみの存在は彼にとって大きく、死は大きなトラウマになっている。

 

 なのに。

 望まずとも誰かの願いを叶え、傷つくだけなのに己がむくわれることを考えず戦う、高潔にして傲慢ごうまんな《騎士》にして『魔法使い』。

 ここまでひねくれれば感心すら覚える。


【以前、少し話しましたよね。あなたは対等の存在――自分と同等かそれ以上の『兵士』を欲してると。そしてトージは否定しませんでした】

『そうだったな』


 樹里には初耳の話だ。彼女がイクセスと内緒話をするように、意外と十路も《使い魔ファミリア》だけと話しているのだと、変な感心をしてしまう。


『それがどうかしたか?』

【いえ。ふと思い出しただけです。それよりトージ。ジュリもそんなに長風呂しないでしょうし、夕食前にひとっ風呂浴びてきたらどうですか。汗臭いです】

『バイクが匂いわかんのかよ』


 かなり強引な締め方だったが、それきり十路の声は聞こえなくなった。駐車場から客室に戻ってくるのも、そう時間はかからないだろう。


【ということです。ジュリ】

『どうして盗み聞きさせたの……?』

【トージにはない、女同士だからのオマケです。情報を利用するもしないも、ジュリ次第です】


 確かに主張どおりなのだろう。キツい設定せいかくの《使い魔ファミリア》といえど、十路に比べれば樹里には甘い。

 けれども副音声で『聞きたくなかったら無線切ればよかったのでは?』という冷淡な批難も聞こえた気がした。十路に対しては幾分丸くなって、その分樹里に辛辣になったように思うのは気のせいだろうか。


『これから一緒に晩ご飯なのに、気まずくなるの確定だよぅ……』

【備え付けの冷蔵庫からたっかい酒でも出して忘れたらどうですか?】

『私の体、アルコールはすぐ分解するんだけど……』

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