080_0400 ぶらり途中乗車の旅Ⅳ~内緒事~


(…………?)


 ふすまの向こう聞こえたかすかな音で、樹里は目覚めた。

 脳内時計が示す時間は完全深夜の丑三つ時。二間続きの客室の、普通の家なら居間にあたる、十路が寝ているはずの部屋から聞こえてきた。トイレにでも目覚めたにしては、衣擦れはずっと続いている。それどこか、ベルトの金属音や、空間制御コンテナアイテムボックスを動かしたと思える樹脂の音も。

 十路が出かける用意をしているとしか思えない。


 樹里が寝ている寝室とを仕切るふすまが、ほんのわずかだけ動いた。脳内センサーで十路が、樹里の様子を窺っているのが視える。布団の中で動くことなく寝息を立ててタヌキ寝入りをした。


 やがて襖が閉められ、靴を履く音と、扉の開閉音がした。どちらも樹里でなければ気付かない大きさだった。

 十路ならば異常がないか様子を窺うだろうとを置いたが、防音の効いた客室から異変を察知できない。いくら樹里の聴覚でも、廊下に敷かれた絨毯じゅうたんの足音までは感知できないが、彼は外に出たと判断するべきだろう。


(先輩、こんな時間にどこへ……?)


 夜中に腹が減ってコンビニにでも、なんて可能性もなくはないが、やはり考えにくい。


 布団から出た樹里は、どうしたものかとしばし悩み、露天風呂から外に出た。

 そして気付く。《バーゲスト》のGPS発信が移動しつつある。

 十路が乗っている以外に考えられない。


 イクセスに無線を飛ばそうとして外に出たが、樹里は思い直す。

 十路の行動は、樹里を起こさないよう気を遣ってるだけではない。完全な秘密行動だ。

 ならば無線を飛ばすと意味がないかもしれない。十路が無線機をつけていれば部活で使う周波数を受信してしまうし、無線で声をかければイクセスが声を上げてしまうかもしれない。


(……よし)


 しばし考えた樹里は、生身のまま《魔法》を使って、露天風呂から旅館の外へと飛び出した。下手に《魔法》を使うとイクセスに察知されてしまうが、手段はある。



 △▼△▼△▼△▼



 《バーゲスト》に乗った十路は、熱海を出て山を越え、伊豆半島の付け根を横断した。オートバイならちょっとした散歩気分で出かけられる距離だ。


【沼津はトージにとって危険地帯なのでは?】

「危険とまでは言っとらんわ。聖地化は俺には理解できないってだけだ」


 一人と一台は、沼津市を流れる狩野川沿いを走り、海岸で停まった。漁港の関係だろう、港周辺には明かりがちらほら見えるが、明け方と呼ぶにもまだ早い深夜、闇に包まれている。


【護国神社の参拝だけでは、気が済みませんか】

「あそこは公式には殉職自衛官まつってないし、なんかな……これも気休めだってのはわかってるけど」

【今回はここで済ませるのですか? 七月には正体を隠して一般見学にまぎれて、防衛省の殉職者慰霊碑に参拝したでしょう?】

相模さがみ湾でもいいっちゃいいんだが、まぁ、富士山近いし、駿河湾こっちのほうがらしいかと。東京まで行くのは論外だし、アフリカならもっと論外。日本からだとこれが精一杯」


 説明しながら十路は、空間制御コンテナアイテムボックスから花束と酒瓶を出した。



 △▼△▼△▼△▼



 人外の感覚をフル活用し、離れた物陰からその様子を覗き見している樹里は、ようやく理解した。


(やっぱり……衣川きぬがわさんのお墓って、ないんだ)


 イクセスは夏休みの墓参りにも付き合っている。言葉足らずで十路と通じているので、樹里には理解に時間が必要だった。

 護国神社の参拝で疑念を抱いていたが、当たっていた。

 死んだ《ヘミテオス》は全身の細胞が一斉に死滅し、塵になってしまう。泡沫うたかただったように、この世に生きたあかしを一切残さない。


 十路は海に花束を放り、酒瓶を逆さにして中身を海にぶちまけた。

 花は波に揺られて浮かんではいるが、徐々に沈んでいる。十路の両親に供えたような仏花なら当分沈まないので明らかに違う。

 紙で作られた花束か。彼がどういうつもりで選んだのかは知らないが、《ヘミテオス》に供えるには相応しいかもしれない。


 墓参りなど、所詮は生者の自己満足に過ぎない。存在するのかわからない死者の魂をいたむというお題目で、親しき人々の死に乱れた心を整理するためのもの。

 けれどもそれが大事。彼が堤十路であり続けるために必要な儀式なのだろう。


(私が踏み込んじゃいけない部分、だね……)


 きっと彼のなかでは、新雪が積もる平原のような場所ものなのだろう。他人が踏み込まれるのをきっと嫌う。でないと樹里に隠れて夜中に行動していない。


 それに見ていられない。

 なんだか十路がどころをなくした、迷子の子犬みたいに見えてしまった。


 バレないうちに旅館に帰って寝て、なにも知らない態度で十路に朝挨拶する。それが樹里にできる精一杯だと悟った。



 △▼△▼△▼△▼



【ジュリ。今いいですか?】

『大丈夫だよ?』


 ちなみに翌朝、朝食で樹里が生卵をかき混ぜていると、無線が飛んできた。


【ネット上でちょっと面白いことになってるのですが。昨夜ターボばばあが現れたと。それも私たちがいる熱海周辺の山道で】

『夜中にお婆さんが車を走って追いかけるとかって話?』

【それです】

『確かあれ、神戸というか六甲山周辺の怪談じゃなかったっけ?』

【類似の話はどこでもありますけど、だから気になったんです。追いかけられたとかではなく、たまたま撮影中のカメラに映りこんだだけみたいですが。四足で走る浴衣らしきものを着た人影が写るピンボケ動画もSNSに掲載されています】


 無線越しなのが幸いだった。自然と目が泳いでしまう。顔色を見られていたらバレている可能性大。

 現にテーブルを挟む十路が、無線で内緒話していると知らないはずなのに、番茶をすすりながら怪訝な視線を向けてくる。


【なにかご存知ですか?】

『ヤ? 知らないヨ? 昨夜ゆうべはグッスリだったし。どーして私に訊くのカナ?』

【強いて言うなら女の勘? ピンボケ動画に何度も補正を重ねたら、なーんかジュリに見えなくもないような気がしましてね……? 思い込みだとはわかってるんですけど……】

『…………』


 AIの勘、馬鹿にできない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る