《魔法使い》の正念場/樹里編
080_0000 千匹皮
グリム童話の『千匹皮』って、日本じゃあんまり有名じゃないだろうね。
やんごとない身分に生まれた女の子が、ある事情で
あらすじだけ見れば、シンデレラ型のストーリーそのまま。他にも似た話がいっぱいある、よくある
ただ『千匹皮』が違うのは、お姫様じゃなくなったのは、
自分から捨ててるんだよ。父親と結婚させられないために。身分とお城での暮らしは当然、
グリム童話の一般的なバージョンだと、結婚するのは他国の王子様だから、
でも、自分で運命を切り開こうとした、強いヒロインなのは間違いない。
シンデレラは祈っていたら、魔法使いのお婆さんが舞踏会に送り出してくれた。
白雪姫は死んで運ばれていたら、毒リンゴの欠片を吐き出して蘇った。
いばら姫は一〇〇年間眠っていたら、王子様にキスされて目覚めた。
偶然はきっかけで、結局その後に自分たちの力で掴み取ったのかもしれないけれど、待ってるだけで幸せになった他のヒロインとは違う。
千匹皮の姫には、きっとお姫様でも美人でなかったとしても、自力で幸せを掴み取ったと思える強さがある。
だけど私は……同じ名前を持ってても、そんなに強くない。
私は誰?
私は何?
もちろん答えは持っている。
でも自分でも完全には信じきれないあやふやなものだから、芯のある強さなんて持てない。
なのに一丁前に、幸せになる望みだけは持っている。
偶然頼りに待ってるだけのお姫様じゃ、駄目だなんてわかってる。
でも、踏み出せないよ……
怖い。
拒絶されるのが。
あの人は、いつだって私を肯定してくれた。
暴走した時も、その後も。なんでもない顔で接してくれた。
それを裏切ったのは、私。
知らなかったとはいえ、あの人を変えてしまった。
やっぱり怖くても、踏み出さなきゃ、いけないよね……
ずっと言われてるじゃない。
『お前はなにがしたいんだ』って。
どんな危機でもなんでもない顔で乗り越えるほど強くて。
いつ折れてしまうか不安に思うほど弱い。
そんなあの人が、『魔法使い』になってくれる言葉を、私はまだなにも示していない。
……言ってもいいんだろうか。
あぁ……やっぱり私は駄目だなぁ……
こんな風に悩んでしまって、踏み出せない。
△▼△▼△▼△▼
「むぅ……」
ミラー加工された冷蔵庫に映る顔を眺めて少女は唸る。
目尻はどちらかというと垂れ気味。瞳は黒目がちだが、
鼻は低めで小さい。潰れた団子っ鼻ではない。でも鼻梁が通ってるとも言いがたい。
唇は薄め。リップを塗らずとも赤みが薄いナチュラルピンクは、数少ないチャームポイントと捉えている。
歯並びに異常はないのだが、犬歯が大きいのが気になる。八重歯をチャームポイントと捉える人もいるだろうが、犬っぽさが強調されてあまり好きではない。
「むぅ……」
今は邪魔になるので、黒髪のミディアムボブをまとめているので、前髪を引っ張ってみる。気を遣ってケアしてるが、痛みがちでキューティクルがない。
「むぅ……」
決して不細工ではない。まだあどけなさが残る顔は、どちらかと言うと整っているだろう。
ただし『どちらかと言うと』を強調する。『可愛い』と評されても絶賛されるほどではない、日本全国どこにでもいそうな顔だ。
地味。普通。華がない。
それが少女が評する、自身の顔だった。
(《魔法》を使えば、顔なんてどうにでもなるけど……)
彼女は《
やろうと思えばナノテク医療による美容整形手術を行い、絶世の美人になることも可能だ。
(でもそれって、なんか違う……)
しかし実行したら、自分ではないと思うだろう。
ただでさえ彼女という人物への自己認識は、常人以上に希薄なのだから。
なにせ少女はオリジナル 《ヘミテオス》、『管理者No.003』のひとり。未来というより平行世界から『麻美』なる人物のデータが送られて、更に事故で分割された状態この世界で構築された『
(髪飾りでワンポイント置いてみる……?)
彼女の脳内に圧縮保管されている《魔法》の
つまり『雷使い』なので、アクセサリーを身につけていたら自爆しそう。
(髪、伸ばしてみる……?)
彼女の装備は二メートルもある長杖で、それを
(染めて色変えてみる……?)
彼女の五感は人間離れしている。だから髪の痛み以前に、鋭敏な嗅覚がヘアカラーの匂いに耐えられるか自信がない。シャンプーでさえも匂いが少ないものを自作しているくらいなのに。
(やりたくないけど……できればやりたくないけど……! やっぱり考えるべき?)
スクールブラウスとエプロン越しに胸に触れ、禁忌にも触れるべきか考える。
バスト七九Cカップ。努力も空しく八〇の大台に乗らないその膨らみは、少女の手でも収まるほどでしかない。服の上からだと更に空間歪曲効果が発揮されて、実測値以上に小さく見られる。
少女ならば顔の整形と同様、脂肪細胞の制御で胸の大きさを変えられる。豊乳・巨乳・超乳・魔乳も意のまま思いのまま。
でも、それをやってしまったら、負けな気がしてならない。なにに敗北するのか、当人もよくわかっていないが。
(……なにもできない)
飾れば飾るだけ魅力が上がる方程式などないが、もの寂しいというか、女の特権を生かせないというか。
「はぁ~……」
不安を
「ね、ジュリちゃん」
話しかけられても、右耳から左耳に素通りするほど悩んでいた。
「ジュリちゃんってば」
肩を揺すられて、ようやく気付くほどに悩んでいた。
振り返ると、ほぼ同じ高さに童顔のタヌキ顔がある。少女が通う学校の最高責任者にして、少女が所属する部活動の顧問にして、少女の同居人たるこの女性。仕事が終わって帰宅するなりスーツをだらしなく緩めて缶ビールを開けて、リビングで料理の完成を待っていたはずなのだが。
「なんですか……? ご飯はまだ作ってる途中――」
「そのご飯が大変なことになってるよ?」
指さされた先では、IHヒーターで加熱中のフライパンが黒煙を上げていた。
「うわぁぁぁぁっ!?」
慌ててフライパンごとシンクに投げ込み、蛇口からそのまま水をかける。
猛烈な湯気が立ち上り、皮目香ばしいどころか黒コゲになった鳥モモ肉が湯の中に漂う。
「もー……なにやってるんだろ……」
ハニーマスタード風味にしようか、照り焼き風味にしようか考えつつ、冷蔵庫を開けようとしていたんだった。こんなに焦げたら流石に無理……宮崎地鶏炭火焼風と称してまだいける?
「最近のジュリちゃん、おかしいよ? 今みたいにボーっとしたり、ため息が多かったり、心ここにあらずって感じ?」
新たな献立の組み立てともったいない精神、反省と己の情けなさを吐き出すと、ビール缶を持ったままの女性が顔を覗き込んでくる。
「やっぱり、アレ?」
「…………」
「自覚も心当たりもあるみたいだね」
横顔だけしか見せずにいたのに、それで通じてしまった。
「よく眠れてる?」
「いいえ……」
なので観念して、問診に応じる。
色々と考えてしまって、寝付くのに時間がかかっている。
考えることを言えば、決まって『誰か』。
「顔が
「いつもじゃないですけど……」
「動悸が激しくなることは?」
「あります……」
《ヘミテオス》ならば肉体のコントロールなど、常に完璧に制御できるはず。
なのに『彼』がいると、反射的な肉体的反応が抑えられない。
顔を見れず、目をあわせられないのは、以前からのこと。
だけど違う。今は後ろめたさなんかじゃない。
「今の気持ちは?」
「一言じゃ言えませんよ……」
「情緒不安定ってこと?」
「そう……なんでしょうね」
自身がどう思われてるのかを考えると、すごく不安になる。
特に胸の大きさ?
「間違いないようだね」
「やっぱり、アレなんでしょうか……」
「女のコなら誰でも悩むこと。わたしの年頃でも、もっと上でも、それに悩む人はいっぱいいるよ」
普段実は同年代以下の精神年齢なんじゃないかと思ってしまうが、女性はやはり年齢も経験も違う、大人の女性なのだと示す笑みを浮かべる。
「《
「はぁ~……」
他人から突きつけられると、事実と変化はより一層少女の心に
「認めるしかないのかぁ……」
「うん、間違いない。不眠・火照り・動悸・情緒不安定。そして女性が
女性は笑顔で親指を立て、端的な言葉で診断を下した。
「更年期障害だねっ♪」
「絶っっっっ対違います!?」
症状だけ並べれば似ているかもしれないが、変化の原因はホルモンバランスの崩れではない。中年への訪れが一〇代半ばの乙女に来るなどありえないというか、『若年性』と頭に付く場合でもやはり嫌すぎる。
「え? 違うの? それじゃ、なんだと思ったの?」
「それは~、その~……ごにょもにょ……」
問われても、少女の口から言えるわけない。わけないとはいえ。
「わたしにはわからないなー。そーだ、トージくんならなにか知ってるかなー」
わざとらしく名指しされる変化の原因に、少女の中で
リビングに戻り、女性が手にしようとした据え置き電話の子機を、目にも留まらぬ速さで奪い取った。大股でも三歩以上離れていたが、少女の左腕が《
手元に引き寄せながら元の手に戻した際、勢い余って子機を紙クズのように握り潰してしまったが、『あ、やっちゃった』程度の後悔しかない。
「つばめ先生……? ご飯できるの、大人しく待っててもらえます……?」
このダメな大人の振る舞いは、今に始まったことではない。
それに、違うのはわかっている。娘扱いされたいわけでもない。むしろそういう扱いをされていないことを、好ましく思っている。
しかし『
『アンタ絶対わかってるだろ』的にイジられたら、温厚な彼女とて心に飼っている黒い猛獣を解き放ちたくなる。
「あい、わかりました……」
ちゃんと伝わったらしい。女性はカクカクとロボットめいた動きで頷いた。
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