065_1040 【短編】日常のちょっとだけ非日常Ⅴ ~PM15:15~


「――は!?」


 気がつけば十路とおじは、ベッドで普通に寝ていた。


(…………夢?)


 そう。きっと夢だ。男のプライド的に許されざる事態が起こったような気がするが、なにかの間違いだ。体が楽になったように思うのは、休んでいたからだ。

 十路は己にそう言い聞かせて、これ以上考えないことにした。


 時計を見れば、三時を回っている。高い窓から入ってくる陽の光も、ずいぶんと角度が違う。

 時間から考えて授業中だろうから、当然部屋にナージャはいない。


 代わりのように、テーブルになにやら鎮座していた。


(……をい)


 出番を粛々しゅくしゅくと待つそれは、男性用の尿瓶しびんだった。ナージャが用意したのだとすれば、ジョークなのか十路を心配してのことか、今日に限っては判断しかねる。


 寝てばかりで飲食はほとんどしていない上に、水分は呼気と汗で放出されているとはいえ、尿意は覚えている。

 しかし気遣いに応えるほど、プライドを捨てられない。用を足すため、ベッドから降りようと手を突いた時。


「んぎゅ」

「!?」


 柔らかいような固いような物体を押さえつけてしまった。くぐもった悲鳴に驚いたため、幸い『押し潰す』まではいかなかった。

 注意力などどこかに置き、なんの気なしに手を突いたサマーブランケットが、不自然に膨らんでいた。慌ててめくると、赤毛頭の寝ぼけ顔が出てきた。


「なんでありますか……?」

「なにっていうか、フォーこそ、なんでここで寝てる……?」


 やはり総合生活支援部員、初等部五年生、野依崎のいざきしずく・通称フォーが、ベッドにもぐりこんでいた。

 初等部の授業はもう終わっていても不思議ない時間だが、標準服のワンピースセーラーのままで同衾していれば、やはり驚く。


「質問に質問で返すのは、コミュニケーション上どうかと思うであります」


 最近までヒキコモリ生活をしていた、社交性に難のある小学生に言われてしまった。仕方なし十路は、鈍い頭で最初の質問を思い出す。


「いや、トイレ行こうとしたら、フォーが寝ててビビっただけなんだが……」

「自分が持ってきた尿瓶を使えばいいであります」

「お前の仕業かよ……!」


 常識がズレているこの少女ならば、ジョークではなく混じり気なしの本気で用意したに違いない。

 そもそも、どこから持ってきたのか。ドラッグストアで売っているものなのか、注意して見たことがないからわからない。病院ではそういうシステムとわかっているが、使用済みだったらなんだか嫌だ。


「気持ちだけ受け取っとく……」


 尿瓶の使用はやはりプライドの問題で遠慮したい十路は、ベッドから降りる。

 多少は体調も持ち直し、立ち上がっても酷いめまいはなかった。それでも用心のために壁に手を突いて歩く。


 そうしてトイレに入り、便座の蓋を上げたところで動きを止める。


「……フォーさんや」

「どうしたでありますか?」

「なぜ俺と一緒に便所入ってる?」


 背後に野依崎が立っていた。

 彼女は生物学的にはキチンとした女性児童だ。精神的にも性同一障害ではないし、社会的にも戸籍と見た目で性別が違うといったこともない。女の自覚もあまりなさそうだがそれはさておき。

 十路に連れションの趣味はないし、女児に局部や生理的反応処理を見せて喜ぶ特殊性癖もない。いや男児相手でもない。


「介護したほうがいいかと思っただけであります」


 独立独歩を地で行く野依崎だったが、最近懐いてきた。無愛想加減はあまり変化ないが、野良猫のように身を寄せてきたり、カルガモのように追いかけたり。

 微笑ましさのようなものを感じないでもないが、時と場合による。


「気持ちだけでいいから……!」


 『体調悪いのに疲れさせるな』という本音は飲み込んで、十路は野依崎を追い出した。

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