065_1030 【短編】日常のちょっとだけ非日常Ⅳ ~PM12:20~


 次に目を覚めさせたのは、なにか温かなものの匂いだった。

 十路とおじが首を動かして時計を見ると、一二時を過ぎていた。普段ならば昼休憩の時間だ。

 キッチンに誰かいるらしい。音質の高い鼻歌が聞こえてくる。


「ナージャ、か……?」

「あれ? 十路くん。目が覚めました?」


 ガラガラの小声なのに、彼女は反応した。鼻歌が止まり、学生服の上からエプロンをつけた女子学生が、首だけ部屋に入れてきた。

 ナージャ・クニッペル。十路のクラスメイトであり、部活仲間でもある。


「丁度よかったです。もうちょっとでご飯できますよ」


 しかしすぐさま台所に引っ込む。代わりに今までしなかった、冷蔵庫の開け閉めや、包丁がまな板を叩く音、食器の音が届いてくる。


 どうやら料理を作ってくれているらしい。

 完成を待つ間、どうしたものかと鈍い頭で考えたが、ふと自分の恰好に思い至った。

 普段から寝巻きなどに着替えはしない。今日もTシャツ・ボクサーパンツと言う下着姿で寝ている。寝起きそのままにベッドに連れ戻されたため、今もそのままだ。

 人前に出るには、いささかはしたない恰好だろう。

 気にする性格ではないから、南十星はまぁいい。コゼットもベッドの上でサマーブランケットをかけていたので、多分気づいていない。

 果たして樹里は、十路の姿をどう思ったのか。

 このままナージャの前に出たら、どう反応するか。


 そこまで考えて、十路はベッド下の収納から、ジャージの下だけ取り出して、不自由な体ではくことにした。

 なぜダルい時まで気を遣わなければならないのかと自問するが、ナージャは意外とウブなので、男の下着姿程度でも取り乱しそうな予感がする。杞憂で済めばそれでいいが、そうならなかった場合が怖いので、仕方ない。十路のトラブル回避本能は、病気の時でも働いている。


「お待たせしましたー」


 服装を整えた頃、トレイに色々乗せたナージャが、部屋に入ってきた。


「ベッドから起き上がって大丈夫なんですか?」

「大丈夫とは言いがたいけど、寝たまま飯食えるか……」

「わたしが食べさせてあげますよ? 『あーん』って」

「自分で食える……」


 『病気の時でもカワイくないですねー』などと口の中でこぼしながらも、十路の意思を尊重してくれた。

 ナージャがテーブルに置いたのは、うっすら湯気を上げる丼だった。


「おかゆですけど」

「中華なところが、元料理研究部員だよな……」


 満たされているのは、梅干だけ乗ったどろどろした味気なさそうな病人食ではない。色のついたスープで炊かれ具まで乗っている、見た目なかなか豪華な中華粥だった。


「噛まずに丸呑みにしがちで消化吸収に悪く、過ぎるくらいに低カロリーなので、お粥はむしろ病人食に向かないというのが最近の通説です。栄養の面から考えても、炭水化物オンリーで体にいいとは言えません。なので中国の朝でよく食べられているタイプにしてみました」


 更にナージャはどこからか、透明な液体が入った瓶を出して、親指を立てる。


「あとは食後にウォッカを飲めば完璧です!」

「ロシア人の悪しき習慣はヤメロ……」


 『ロシア人はどんな病気もウォッカ飲めば治ると考えている』というのは、偏見であることは十路自身も理解している。しかし実際に出された今、飲んだら吐く予感しかしないため、とにかく拒否しておく。女子高生が酒を持ってる経緯については、この際問わない。

 彼女のジョークにもハイテンションにも、ついていけない。それは割合いつものことだが、今日は苛立つ元気もない。


「と……」


 十路はテーブルに近づこうとしたが、ヨタヨタとして、歩くこともままならない。


「大丈夫ですか?」


 それをナージャが素早く支えた。

 彼女の身長は十路と大差ない。支援部に入部する前は、ロシアの諜報機関所属の非合法諜報員だったため、体はかなり鍛えられている。

 それでもまだ『少女』で通用する彼女に、軽々と支えられてしまって、十路の現状を少し落ち込んでしまう。


「味が全然わからん……」

「まぁ、風邪なら仕方ないですよ」


 おまけに座ってレンゲを手に取り口にして、悄然としてしまう。

 彼女の料理を食べるのは、初めてではないので、腕には信頼を置いている。

 きっと健康な時に食べたら美味いのだろうが、今は『なんか食ってる』という事実しかない。『まるで土を食べてるような』という比喩表現も適用外だ。土にはちゃんと土の味がある。サバイバル時にミネラル補給した経験から適用を見送った。


「それで。少しは体調よくなりました?」


 ナージャは既に学校で食べたのだろう。顔を挟むように両方で頬杖を突く、SNSに投稿する自撮り写真で女性がよくやるポーズで、十路の昼食を見守る。


「相変わらず……」


 熱の感覚もおかしいので、粥が熱いのかぬるいのかよくわからない。ついでに食欲はあまりないが、食べないと体に悪いのも理解している。一応息を吹きかけて冷まして、レンゲでスープを流し込みながら十路は答える。

 状況から考えて、冷たい粥ということはないはずだが、なんだか寒気が走り始めた。 


「げほ……すまん」


 なんとか半分ほどは胃に流し込んだが、手が止まってしまった。残すのは料理人に失礼だとわかっているが、これ以上は体が受け付けそうにない。


「仕方ないですよ」


 だがナージャは気にする様子もなく、置かれたままの救急箱をあさっていた。

 やはり樹里の持ち物だろう。薬剤も豊富で、止血帯や使い捨てのメス、注射器といった、ご家庭の救急箱に普通入っていない物まで入っている。


「とりあえず、冷却シートは替えなきゃダメでしょうね……薬は部長さんが飲ませたって言ってましたし、また飲むのは問題でしょうから……」


 どうやら十路の知らぬところで、部員間で連絡がやり取りされているらしい。

 彼女たちに迷惑をかけるのは、十路の本位ではない。


「飯はありがたいけど、ただの風邪なんだから……別に放っておいてくれても……げほっ」

「はいはい。病人は大人しくしててくださいねー。ちょっと失礼」


 だから看病は断ったのだが、相手にされない。ぬるくなった冷却シートが引っぺがされ、額に手を当てられた。授業をサボってまでではなく、空き時間をやりくりしてだろうから、それ以上は十路も言いにくい。


「まだ熱が高いですねー……となると、コレの出番ですか?」


 だからといって、救急箱から『コレ』を取り出していい理由にならない。


「今日はマジ辛いんだから、そういうボケはヤメロ……!」

「いえ、ボケたつもりはありませんけど……」


 医薬品は効能や患部や状況から、おのずと最適な形で提供される。携行性を考えると薬効を固めた錠剤に。患部に直接触れることができるならば塗り薬や湿布に。薬効を小腸に届けたいなら胃では溶けないカプセルに。


 そしてナージャが見せた、砲弾型に成形された錠剤もまた、そのような経緯で作成されたものだ。名前から『座って飲む』という誤解がなきにしもあらずだが当然間違った服用法であり、直腸からの薬効摂取を目的とした薬剤である。


「なお悪いわ……! げほっ! 『出番だ』っつったら、俺のケツに座薬ブチこむ気か……!?」


 熱冷ましとしては一般的なのは、子供の頃までだろう。大人の自意識が芽生えているお年頃で、しかも看護師でもない同年齢の異性に挿入してもらうのは、相当な勇気が必要となる。


「…………やりましょう! えぇ! これも十路くんのためです!」


 だが、看護師でもないのに同年齢の異性に挿入する相当な勇気を出した女子高生がここに。いつもなら冗談で言い出しそうだが、逡巡の後に本気で。ヤケクソになったと考えるべきだろうか。


「待て……! なにやる気出してる……!」


 十路は力の入らない体でなんとか後ずさる。


「はーい。大人しくしててくださいねー!」


 しかしナージャはすぐに追いつく。白い座薬イチモツを手にして。


「あ゛ーーーーっ!?」


 その後のことは、よく覚えていない。

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