060_1000 宝島の、本当の財宝
《バーゲスト》を降りた
粘液で濡れている瓦礫が、ひと際乱れている場所の中央に、体が半分まだ形を失ったままの少女が倒れていた。
「悪いな。《魔法使い》同士の戦闘は、子供相手でも不思議ないから、手加減なんてしてやれない」
反省など全く込められていない
幼い黒瞳に青年を映すと、みるみる顔が歪む。
「まだ続けるか?」
「…………!」
左腕を突きつけて尋ねると、アサミは必死に首を振る。芋虫のようにノソノソと、けれども必死に体の向きを変え、少しでも遠ざかろうとする。
命がある意味では手心を加えたが、強者がどちらであるかを叩き込み、死の恐怖を味あわせ、容赦なく心をへし折った。エネルギー補給を支援して、戦い続ける意思を奪い去った。
「俺とイクセスの役割はここまでだ」
幼子の態度に思うところがないわけではないが、声に出すことなく、十路は左腕を軽く上げて刃をどける。同時に脳内でキャンセルし、『ヘミテオス管理システム』を終了させる。
出来損ないの鎧と剣は分解され、金属粒子は風に流れる。左腕が生体細胞に置換されるのに伴って、排出されて地面に転がった《
「後は
雷獣は、どこにもない。
代わりにいつの間にか、少女の姿が大型オートバイの側にある。
この戦いは、『管理者No.003』同士による、十路には理解できない理由によるもの。援護だけで、ケリは彼女でなければつかないとも思う。
「その……先輩。ごめんなさい……」
そのことには触れず、なぜか彼女は、まずは謝ってきた。
「大変なことになってたのに……私……逃げ出して……」
「は?」
なにを言ってるのか、理解できない。なぜ彼女がいなかったことになっているのか。
意図を求めて《バーゲスト》に視線をやってみたが、イクセスからの反応はない。またシステムダウンしたわけではなく、沈黙して見守っている。
あの雷獣は、間違いなく樹里だった。
でなければ、彼女はなぜ今、ラフな私服から学生服を着替えている? いつものミニ丈プリーツスカートと、見るのが五月以来のジャケットは、
そして無理矢理作ろうとして失敗している、愛想笑いを浮かべた顔ごと、視線を足元に向けている理由は? 目を合わさないのは今に始まったことではないが、その態度のままなぜ弁明しようとしている?
「ぶ、無事で……よかった、です……ほんと、ごめんなさい……」
これまでとは比較にならないほど、樹里は怯えているから。
体の一部を変化させる以上の、完全な『化け物』となったのだから。あの雷獣が彼女であったことを、十路がどのように考えているかを。
もちろん彼女自身、本気で誤魔化せるなどと思ってはいないだろう。態度がそう物語っている。
だが十路との関係にヒビの入っている今、完全に壊れてしまうこと避けたいがため、白々しく誤魔化そうとしている。
(なんで……)
関係にヒビを入れたのは十路のせいだ。なのになぜ、彼女がそのように引いて、まだ途切れさせまいとするのか。
彼と彼女は一蓮托生とはいえ。
十路にとっては心臓を移植され、《ヘミテオス》となってしまったため、命を握られているような気になる。
代わりに彼女はいざという時、命を奪うことを依頼され、先ほど具体的手段まで得てしまった。
(ほんと、
痛々しく、やるせない。『構って』と鳴けば困らせてしまうと知っているから、寂しくても静かに人々を見送る、捨て犬の態度が。
そして腹立たしい。ハッキリ自己主張しない彼女と、そのような態度を取らせてしまっている彼自身が。
彼女の言葉を否定はできない。雷獣は樹里だったと、一番恐れているだろうことを十路が認めてしまっては、きっと関係を悪化する。
かといって肯定してしまうのもおかしい。姿を変えた彼女は、確かに共に戦っていた。
(だから理事長は、強引にでも俺を修交館に転入させたのか)
「あ……」
だから言葉を返すことなく、すれ違う際、彼女のミディアムボブに手を乗せた。少し前までよくやっていた気がする、撫でているのか
それ以上はない。驚きで固まってしまった彼女に構わず、《バーゲスト》に体重を軽く預けて、十路は動かないことをアピールする。
樹里は行動に迷った様子でチラチラ視線を寄越していたが、やがて意を決して、少女の下へと足を進めて膝を突く。
「ねぇ……アサミちゃん? どうして――戦ったの?」
言葉が不自然に途切れた。きっと自分は参戦していないことにしたのを思い出して、『私と』という言葉を飲み込んだ。
それでも充分に伝わり、十路を相手するよりは幾分マシと、アサミはわずかばかり振り返る。
「なんで……たたかっちゃダメなの?」
「え?」
ただし純粋であろう少女の疑問は、やはり意味が通らぬものだが。
「『つぐみ』のおねえちゃんは違うけど……でも他のおねえちゃんたちは、アサミのこと食べちゃうって、パパが……だから」
「食べるって……?」
子供に言い聞かせるための比喩表現だろうかと、
『お姉ちゃん』はきっと、何人もいる他の『管理者No.003』のことではなかろうか。《つぐみの
だが、『食べる』とはどういうことか。皆目検討がつかない。
「……とにかく、ちゃんと体を元に戻して。でないとここから移動できないから」
樹里も意味を考えた末に諦めた様子で、表情を緩めて少女に語りかけながら、ジャケットを脱ぐ。体を元に戻せば、裸になってしまうであろうから、羽織らせるつもりだろう。
差し伸べられた手に、アサミは不安そうな目を、不思議そうに向ける。樹里はわずかばかり苦笑をブレンドさせて、安心させようと笑みを深める。
「別に食べやしないから……『つぐみ』のお姉ちゃんのこと、『パパ』のこととか、色々教えて?」
だが、それがとどめになった。樹里にその気はなかったに違いないが、結果的に。
「…………もう、いい」
手に向けていた視線が見る間に下がり、ただでさえ下がっていた少女の眉尻までも急降下する。
「きっと……パパは、許してくれない……」
「え……と?」
強い困惑を浮かべる樹里に構わず、少女はひとりごこちる。
「アサミは『やくたたず』だから……『アサミ』になれないって……」
熱しやすく冷めやすい、子供らしい集中力のなさかとも思えたが、違うと十路は判断する。
少女は完全に折れてしまっている。
不自然な状況で現れた存在を怪しみ危ぶみ、結局なにも聞かなかったから、この少女のことは、ほとんどなにも知らないまま。
だからこの少女が、精神的に追い詰められたところにあったなど、思いもよらなかった。
「でも、『けがわ』のおねえちゃんは……違うんだ……」
なぜか少女はゆっくりと、十路を見てくる。目が合うと、今の状態でも可能な限りの早さで、首をすくめるように逸らしたが。
その態度に、少女が実際の交戦結果以上の、決定的な優劣差を見出したような、訳のわからなさを覚えた。
アサミが手を弱々しく伸ばした。
樹里は特に疑問も警戒も覚えた様子もないため、避けなかった。新たな動きに十路は反射的に警戒心が首をもたげたものの、具体的な妨害をすることはなかった。
だから少女たちの手を重ねられる。
「送信」
途端、《魔法》の光が生まれる。樹里の右手表面に、アサミに全身が、神経か血管のように《
「アサミを……お願い……」
現象はすぐに終わり、発光は止む。
一見すれば、一瞬前と変わらない光景が続いているかと思えるが、異なっていた。樹里に変化はないが、手を重ねているのは、少女の『像』となっている。生気がなくなり、カサカサに乾燥した、精巧でも人ではないとわかるモノ。
その姿を十路たちに確かめさせたかのように、間を置いて一気に崩れ落ちた。小さな粉塵と化して風に消え、存在した証拠を残さない。
異形化した樹里が事を終え、体の余分を
「なにが起こった!?」
想定していなかった超常の攻撃が行われたのか。慌てて近づきながら呼びかけても、樹里は反応しない。
「おい! 木次!」
「……私は、なにを、忘れてるの?」
しばらく経っても、茫洋とした目は己の内だけを見て、十路を完全に無視している。子供が目の前で消えたことすら、忘れてしまったかのような態度で、彼女の普段を考えればかなり異常だ。
「教えて――」
ゆっくりと、じれったいほどの時間をかけて、立ち上がりながら振り返り、樹里は問う。
「――
近づいてきていた、
事態が収束したと判断し、事態把握のために《ヘーゼルナッツ》を下船したのだろう。支援部部員たちと共に、彼女はいた。
アサミは『ママ』と呼んで懐いていた。しかし同一遺伝子を持つ樹里は、つばめが母親であることを、推測の中でも否定していた。
なのに。
気づいているのかいないのか。部員たちの、驚きの視線を背に受けながら、顧問は目を伏せる。
「……それは、思い出したんだね」
「すごく、不思議な感じです……思い出したんじゃなくて、逆に記憶が刷り込まれたんじゃないかって疑うくらい……」
「思い出したんだよ」
瞼を見開いた時、つばめの瞳には、悲しい覚悟が浮かんでいた。
もう誤魔化しはしない。これまで語らなかった真実を明かさねばならないと。
「キミたちは――ジュリちゃんも、自分でアサミって名乗ったあのコも、『管理者No.003』はみんな、元々ひとりの人間だった。バラバラだった欠片のふたつが統合されたんだから、『思い出した』んだよ」
「ひとり……? まさか、それが
「そこは思い出してないんだね……統合したのがあんな子供じゃ、仕方ないか」
『バラバラになった欠片』という言葉の真意が理解できない。
だが、肉体的に共通項があるとはいえ、複数の人間を一様に『管理者No.003』と《塔》が定義している理由が判明した。
同一人物なのに別人という、矛盾した存在たちを定義するのに、そうするより他なかった。
「じゃあ……私は……? 『木次樹里』は、なんなんですか……?」
「どこにも存在しなかった、出生記録も親もない、ある日突然沸いて出た……人のような別のモノ。《ヘミテオス》だとしても、ちゃんとした《ヘミテオス》とは違う、不完全極まりない存在だよ」
思えば《ヘミテオス》を形作る万能細胞が、それを教えてくれていた。
子供の頃の記憶がないのも当然だろう。それまで存在しておらず、ある程度の年齢で突然発生すれば。
無情な答えに樹里が崩れ落ちる。ストンと腰が抜けた風情で、地面に割座で座り込む。
ごく普通に両親と、幼い頃からの成長と記憶を持つ十路には、彼女の絶望は理解できない。SF作品で誰かの予備として用意されたクローン人間が、己の存在理由に悩むのと似ているのだろうか。
唯一無二だと思っていた自分の存在意義が、知らぬ別人のものであると完全否定された気分など、他人には計り知れない。
とにかく本当に崩れてしまう危機感を覚え、十路は反射的に、樹里に手を伸ばそうとした。
「!」
だが右手の軌道を強引に曲げ、体の向きを変えながら、腰の後ろから
結果的には、十路の戦闘準備は無駄になった。
一気に距離を詰め、不意打ちしようとしてきた人影は、横方向から飛来してきた別の人物と激突し、金属の余韻を響かせて、それぞれ異なる場所に降り立つ。
「《
『
「久しぶりね。
『衣川羽須美』が挑発的に受け流す。
《塔》の中で情報を見たとき同様、十路はそう認識した。ふたりの人物が同一存在と知って見ても、同じ顔と同じ声で敵意をぶつけ合うのを目の当たりにすれば、やはり驚く。
「なーるほど……あなたたちが
巨大な対戦車ライフルのスパイク銃剣を向け、女性らしさを失っていない街乗りライダースタイルの悠亜が、笑みと戦意を浮かべる。
「これ以上は好きにさせないわよ?」
対し
「私たちは同じ存在。なのになぜ、ひとつになろうとしないの?」
「私たちは違う存在。なのになぜ、ひとつにならなきゃいけないの?」
「元はひとりの人間なのに……どうしてここまで違うんでしょうね」
「過去は過去。今は今。いつまでも昔にこだわる女なんて、男から嫌われるわよ?」
彼女たちは見た目同じだとしても、根本の部分が違う。同じ場所に立てば、どちらかが倒れるまでの闘争という結果しかないと知れる。
だが彼女たちが本格的な衝突を行うのは、離れた場所で起きた連続小爆発が制止した。
爆風に乗るように、十文字槍を持った黒い人影が超跳躍し、十路たちにも見える場所に降り立つ。
『アンタ絶対、料理人でも科学者でもねぇよ……!』
相変わらずフルフェイスヘルメットと黒いライダースーツで肌を隠し、声も機械を通しているが、何度も会い、しかもその《
なにかと支援部に関わってくる、防衛省関係者と目される、
しかし彼は、支援部の面々に顔を向けない。きっと視線までも向けていない。それどころではないと、別の方角を警戒して槍を構える。
「ヘッ。どこの若造か知らねェが、テメェがオレをツブそうなンざ、三二四年早ェエ!」
変に具体的な軽口と共に、市ヶ谷が交戦していただろう相手も、悠然とした足取りで見える場所に登場した。
レザーパンツに、薄曇りの中でも大量の
誰もが市ヶ谷のぼやきに同意する。見た目は絶対に料理人でも科学者でもない。ツーブロックの茶髪をバンダナで隠して、長身を隠す金属板をキーボードのケースと見なすことができれば、まだロックミュージシャンとでも見ることはできる。だが金属の塊を
あれは大脳生理学者にして電子制御工学者。《
リヒト・ゲイブルズ。
一般には顔写真など公表されていない。機密に触れる立場にあった十路も、調べる必要も興味もなかったので、人相は知らなかった。
だがこの状況で、他に考えられない。誰も名を呼んでいなくとも、わかる。
「
つばめのひとりごとに、十路に理解が浸透する。思わず市ヶ谷を見て、
あれが、『敵』なのか。
総合生活支援部の敵は多く、不確定だ。《
部員が『ワケあり』である理由から、それぞれに因縁のある相手に近い。長久手つばめの、ひいては彼女が創設した支援部も無関係ではいられない、明確な指向性ある悪意を持つ『敵』。
「今は決着つけるどころじゃないみたいだから、
微笑を浮かべる妻の気性を例えるなら、馬。草食動物で歴史上人間との付き合いも長いが、大人しいなどと思ってはいけない。明治期にヨーロッパから来日した馬の専門家でも、品種改良も去勢も行われていない日本の軍馬を、猛獣と呼んで恐れた。多種の危険生物が生きるオーストラリアで、動物が原因の死亡事故は、有毒生物を差し置いて馬がトップだ。
「
狂相を浮かべる夫の気性を例えるなら、牛。のどかにホルスタインが鳴いている図を思い浮かべても、同時に闘牛などで凶暴度合いもよく知られている。野生種ともなれば、体格や角の大きさも相まっても、更に危険な動物となる。サバンナにおいて、バッファローの天敵はライオンだが、ライオンの天敵もまたバッファローであるように。
敵ではないとしても、まだ味方と見なすことはできない、樹里の姉夫婦が勝手に事態を進めてしまう。十路と樹里も当事者のはずだが、完全な置いてけぼりにされている。
それは他の部員たちも同じだ。だが周囲を窺う
武装していないつばめと、抗戦どころではない樹里、《
『行くぞ』
「そうするしかないわね……」
決定的な不利に、市ヶ谷の促しに応じ、
ふたりの黒いライダーが、完全に見えなくなり、脳内センサーの領域外まで出るのを待ってから、ようやく空気が弛緩した。
「D層の点検用通路、しかもプラズマ・ウェイクフィールドが稼動している脇を、冷や冷やしながら通ってアメリカから帰ってきたら、もう事は終わってるし……つばめ。これ間に合ったっていうの?」
「決定的なことになってないから、間に合ったんじゃないの?」
対戦車ライフルの銃床を落として瓦礫を粉砕して、悠亜とつばめは知っている者同士の気安い口を利く。彼女たちは完全に戦闘態勢を解除しているが、他はすぐには切り替えられない。
コゼットは全く状況を理解していない。『誰?』な怪訝顔で、行動を迷わせている。
直接面識がある野依崎は、現れた二人をそれぞれ一瞥しただけで、いつもの眠そうな無表情を浮かべている。
ナージャは多分、入部前に調査して知っている。だから疑問を覚えている風はなく、薄く警戒しながら推移を見守っている。
そして南十星は、家族だから理解できる、嫌悪に近い空白を浮かべて、トンファーを握りしめて悠亜を睨んでいる。
同じ顔をしていても別人と、直截的な行動は我慢している様子なので、今すぐなにかしなければならない事態ではない。
十路がなにかしなければならないのは、こちらだろう。
「ンで? ユーア? ツバメ? どォいうことだァ?」
金属塊に槍を収納し、
「オレが聞いてた話と、いろいろ
「想像できたから、ずっとリヒトくんには隠してたのよ……」
悠亜もゲッソリ顔で、十路に視線を向けてくる。
「つばめが作った、樹里ちゃんがいる
彼自身の今後に関わりそうな話をしていたが、どうでもいいとばかりに視線を落とす。
まだへたり込んだままの樹里は、そのふたりに視線を向けていた。どうしていいかわからない、けれども泣きつきたくてもできない、子供の姿を思い浮かべた。
悠亜が最早、樹里の姉ではないと知れている。
ならば共にいる初源の《魔法使い》の正体は? 言葉としてはなんだか矛盾しているが、ただの天才科学者などではないだろう。
(トラブルは……むしろこれから本番ってことか)
十路は知らず知らずのうちに首筋に手をやり、野良犬のため息をついた。
宝島に隠されていた財宝とは、金銀ではなく真実だった。
青年にとっては、扱いに困る――
少女にとっては、とても残酷な――
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