060_0320 異変は既にⅢ ~海湾~
それは格闘戦と呼べるものではない。
『遅いですよ!』
「くっ……!」
トンファーを腰に
人の手が全く入っていない木々の中では、脳内センサーがあまり役に立たない。赤外線も紫外線も
生身の人間に高速移動が可能だとしても、並の反射神経では木に激突して死ぬ。南十星でも半分目隠しされた状態のため、皮膚が裂ける勢いで枝に叩かれ、幹を蹴るのに失敗してバランスを崩す。
「こなくそ――!」
それでもなんとか、《
『甘い!』
直後、
普通の人間ならば、この時点でショック死している。
『ほらほら、休んでる暇ないですよ!』
腕の太さほどの木をへし折って止まったが、即座に追撃がかかる。コンクリートを粉砕する勢いで、飛び蹴りが突っ込んできた。
それをギリギリで避けても安心はできない。慣性の法則を無視したような急角度で追いすがり、手技足技で追撃してくる。
数手は南十星も手合わせしたが、このまま続けては
追撃はない。ナージャは市街地方向へと逃走を再開した。
「くっそ……!」
毒づきながら、熱力学推進の指向を変えて、南十星は追いかける。
彼女の入部前は基本的に自主練、時折兄に相手してもらう程度だったが、ナージャが支援部員になってからは、組み手や本格的な戦闘訓練に付き合ってもらっている。
その時も、今も、容赦はない。いやクラスメイトの
これでもナージャは手加減している。本領たる《魔法》の
理解できるからこそ、歯がゆい。
移動するふたりは、やがて森を抜け、かつて淡路島の中心部――生穂と呼ばれた廃墟を駆ける。障害物がなくなったため速度は一気に上がり、ふたつの人影は衝突することなく建物の上を駆け、やがて港跡で停止した。
「はーい。ここまでですねー。到着までに一発も入らなかったので、わたしの勝ちでーす」
《魔法》を解除し、ナージャが宣言した。
タッチの差までは追いついた南十星は、《
「やっぱナージャ姉の《魔法》、ヒキョーだって……」
要は妨害アリの競争で、しかも防御の上からでもナージャに一発でもクリーンヒットを入れることができたら、その時点で南十星の勝利というルールであったが、全く歯が立たなかった。
そもそも南十星は
だから強引でもヒットを狙うしかなかったが、それも軽くいなされた。推進力を使って強引な三次元機動をするだけの南十星と比べて、慣性の法則を無視しているとしか思えない動きをするのだから。
「そう言われましても。他にできないですし」
それらは全て、ナージャの能力と《
これだけでも、最初から敵う相手ではない。
南十星は悔しげな顔で、背負った
「あたしに足んないの、なに?」
「うーん……並の《
「並じゃダメなんだって」
そして中から取り出したコンテナを、海に蹴り転がす。
水を感知すると自動でガスが送られ、いくらも経たないうちに二人程度は余裕で乗れるゴムボートが出現する。
「生き急ぎすぎですよ? ただでさえナトセさんの《魔法》は自爆仕様なのに」
「つっても、他に方法はないし」
船外エンジンも取り出し、膨らんだボートにふたりで取り付ける。
「まぁ、気づいたことを言っておくと、ナトセさんは人間としての感覚に重きを置きすぎなんですよね」
「人外加減がまだ足んね?」
「そっちは充分です。というか、普通の《
「結局そこ? 《
「言っても仕方ないのわかって言いますけど、他の、もっと普通の《魔法》も身につけるべきですよ」
「
そして海に出ようとしたところで、南十星が不自然に言葉を切った。子虎の野性をむき出しにして、廃墟を見渡す。
「ナトセさん?」
ナージャの呼びかけは無視し、感覚を研ぎ澄ます。
直感が
いくら南十星が直感にかなりの信頼を置き、実際馬鹿にできない的中率を誇るとはいえ、百発百中ではない。
「…………気のせいか」
異変がなければ、そう思うしかない。所詮は勘で、気のせいかもしれないと、南十星自身も割り切っている。
「どこかの機関から紛れ込んでますかね? 査察の関係者が足を伸ばすにしても、隠れる必要はないでしょうし」
しかしナージャは、感知できない者がいる方向性を考えていた。
警戒はしつつも行動は変わらない。エンジンを始動させて、海に出る。遮蔽物がない場所に身をさらすことになるが、なにか起こった場合は発見も容易くなる。
しかもこれから海に潜るのだから、気にしない。狙撃の予定がない、調査目的だけの人員なら、いつものことだから気にしない。
やや波のある大阪湾に出て、予定ポイントにつくと、
水中装備とはいっても、水中メガネに
大阪湾の透明度はせいぜい五メートルと短い。水中では電磁波の通りが悪いため、脳内センサーの働きは不十分。ふたりは聴覚を意識して、潜水する。
『……魚、いないね?』
『わたしたちが色々やっちゃったので、死滅してる可能性も考えましたけど……死骸も見当たらないですね』
口を開かず超音波通信で声をやり取りして、違和感を共有する。
淡路島周辺は、豊かな漁場だ。水の透明度が低いのは、汚いというより、溶け出した栄養が豊富だからだ。だから本土側の沿岸では、
豊かな海のはずなのに、魚が全く見当たらない。死骸が小魚に食べられ、プランクトンやバクテリアに分解されたと考えても、戦闘を起こした日からあまりにも間がない。
『それだけなら、魚が別の場所に逃げたって考えられるんですけど……』
ナージャが海底を指し示す。
魚だけではない。確認した限り、海底に海草や貝や甲殻類といったものまで確認できない。
更には、地形が一部変わっている。イメージとしては、荒地をブルドーザーで無理矢理突き進んだような道が近い。
『これ、なんの跡だと思います?』
『明らかにフシゼンだよねぇ……? どデカいナマコでも這ったん?』
海底の岩を砕くほどの重量物が、一直線に移動した痕跡に、ふたりは困惑を深めた。
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