060_0300 異変は既にⅠ ~本性~
翌朝。
寝るスペースしか保障していない狭いユニット内で、少し苦労しながら身支度を整えて、
「おふぁよ~ございま~す……」
「おはようございます」
ちょうどナージャ・クニッペルが通りかかるところだった。長い
「ナージャ先輩。朝ごはんの支度、どうしましょう?」
樹里は普段から家事を行い、キャンプ程度であれば問題ない経験も持っている。やろうと思えば食事の支度など、指示なくひとりでできる。
だが一緒に料理する時は、なんとなく元料理研究部員のナージャが音頭を取ることが多く、今回の淡路島上陸でも同じであるため、確認を取った。
「火を
ナージャは欠伸混じりに指示してくれた。襟首が伸びたTシャツにドテラという恰好で、ジャージズボンの隙間に手を突っ込んで尻をボリボリかきながら。女同士ならなんとも思わないが、男が見たら百年の恋も冷めそうな風情だった。いやこの艦に宿泊している唯一の男は、現実の女性に夢想しているか怪しいので、なんとも思いそうにないが。
「ほら、部長さん……あなたも支度に時間かかる人なんですから……とっとと起きてください」
「ふが?」
ナージャはシャッターカーテンを遠慮なく開いて、コゼット・ドゥ=シャロンジェの頬をペチペチ叩き、ついで鼻をつまむ。王女様を王女扱いしないのは、支援部員に共通して言えることだが、それにしてもあんまりだ。
「……ぶふっ!?」
鼻呼吸が止められた息苦しさで、コゼットは目覚めた。
「なんですよのよぉ……」
ゆっくりと寝ぼけ感満載で身を起こし、ボサボサ頭のままユニットから這い出ようとしてきた。
子供ほどもある大きなイルカのぬいぐるみを、膝で押しつぶしながら。
そんなものをこの無人島に持ってきていたのか。着替えなどは
抱き枕にされているのか、綿が潰れてかなりヘタっている上に、ニードロップで頭部がペシャンコにされた、ピンクのイルカ・ルドルフくんの轢死体が哀れだった。
「部長……とりあえず服着てください」
付き合いが深くなればなった分、王女様像をブチ壊してくれる、物理的にも丸出しな残念王女に、樹里は最低限の体裁を頼むことしかできなかった。
だが遅かった。彼女が
慌てて樹里は、コゼットを隠す位置に立つ。
頬に熱が宿る。昨夜、彼に裸を見られたことを、嫌でも思い出す。
だがコゼットが裸なのを彼が見たら、また昨夜の暴虐が再開される危機感のほうが勝った。
「はよ……」
樹里の羞恥にも、コゼットの醜態にも気づいた様子はなく、十路はTシャツ・ボクサーパンツという恰好で廊下に出てくる。
気にする
「ん~……」
続いて
どう見ても彼女の服ではないブカブカな男物シャツに身を包んだ、なんかその下なんも着てなさそーな風情で。いつも彼女が着ている
あまりにも行動が自然で、樹里は咄嗟にリアクションが出なかった。他ふたりも同じなのか。
真っ先にフリーズから復帰したのは、眠気を吹き飛ばしたコゼットだった。
「ちょっと待てぇ!? なんで堤さんの部屋からフォーさんも出てくるんですわよ!?」
「鍵かけて寝たはずなのに、いつの間にかベッドに潜り込んでました……俺も知らないんで、詳しくは当人に訊いてください……」
怠惰というより朝から疲れた風情で、十路はいつも以上にボサボサの短髪頭をかきながら、トイレの扉を開いた。
だから自然と三人の視線は、野依崎に向く。
「フ」
子供らしくない意味深かつ腹黒な笑みを残し、シャツの裾を
樹里は昨夜、
だがなぜか、邪悪な笑顔に『これくらいできないのでありますか?』といった、女の挑発が込められていると正確に読み解くことができた。
「…………まさか、ヤった?」
「いやぁ……それこそまさかでしょう」
犯罪を懸念するコゼットとナージャが、ふたりして樹里に視線を向けてくる。
「や~……それはないかと」
野生動物並の嗅覚は、それらしい匂いを捉えなかったため、樹里は半笑いで手を振る。
「わたくしたち、女として小学生に負けてる……?」
「あれは逆に小学生でないとできないというか……」
「いい歳してやって、拒否られたら、ねぇ……?」
「プライドへし折られて、本気で立ち直れなくなりますよ……」
女の話し合いをし始めたふたりに付き合うと長くなる予感を覚えたので、樹里は
ドロップゲートが開いている。無用心だから夜間は閉じているはずなのだが。
「おはよ。イクセス。なんで出口が開いてるの?」
そこに置かれた炭の箱と
【ナトセがトレーニングに出かけました】
イクセスがディスプレイに、記憶を映し出す。一時間も前に、イクセスに軽く挨拶して、壁のスイッチでドロップゲートを開ける、アタッシェケースを背負うトレーニングウェアの少女が出て行っていた。
昨夜の気まずい思いもあるので、顔を合わせるのをわずかばかり後回しにできてホッとする。けれどもすぐに顔を合わせなければならないため、一転して憂鬱な気分を抱えながら、樹里は外に出る。
昨夜も使った石で組んだ簡単な
知識だけでなく、技術も多少はある。
(あー……こういう時間、久しぶりだなぁ……戦艦の修理とか査察とか、そんなのじゃなければなぁ……)
平和ボケしてることを実感しながら、鍋とヤカンに水を入れて、火にかける。
のん気なのは、普段の生活でも同じではある。しかし台所に立てば、湯を沸かす間に調理の準備をしたり、並行して弁当の用意をしたり、帰ってすぐ料理できるよう夕食の準備したり、機械に入れてスタートボタン押すだけだが洗濯したりと、なかなかに忙しい。
(今朝の献立なににしようかな~……ナージャ先輩どうするつもりなんだろうなぁ~……朝から
沸いたヤカンの白湯を飲みながら、そんなことをボンヤリ頭で考えていたら、やがて身なりを整えて出てきた。
「あーぁ……今日も一日コキ使われますわねぇ……」
本日のコゼットは野暮ったい作業着姿ではない。ミニ丈のワンピースをベルトで腰で締めて、タイトなデニムパンツに包んだ長い足を動かして、スロープを下りる。
波打つ金髪は、そよ風に優雅に
装飾杖の石突を突き、悠然と歩むその姿は、万の軍と恐れずに相対する大魔導師のような風格を備える。
「ふぁ~。気持ちいいですねぇ~」
ナージャは黒のウェットスーツを着て、肌を隠しながらもボディラインは
三つ編みでついた癖は、今や全く
妖精めいた風貌が、戦装束を身にまとう。全身暗色のせいで、肌と髪の白がより際立つ。分厚いコンバットブーツでスロープから地面に降り立つ彼女は、妖しいと呼べる女戦士の姿だった。
「…………………………………………」
火の側にやって来る彼女たちを、樹里は一切の感情が消えた顔で迎える。
「木次さん……昨日の風呂に続いて、その目は……?」
「今度はなんなんですか……?」
「や……なんでもないです」
わずかばかり『この女の敵どもがっ、ケッ』などと吐き捨てたくなっただけの話だ。実際そんなセリフを吐くほど、樹里はやさぐれていないが、感情としては間違っていない。
先ほどの、女の生々しさを感じさせ、男を幻滅させる残念さはどこへやら。身なりを整えると後光が差して見える彼女たちに、温和な樹里とて心に飼っている黒い猛獣が首をもたげる。
「ナトセさーん。今どこですー? 戻りしな、どこかで自生してる野菜を拾ってきてくれませんかー?」
それはさておき。無線連絡したナージャの音頭で、朝食を作り始める。
「ところでナージャ先輩は、なんでそんな格好なんですか? なんだか誰かの暗殺でもやるみたいな……よっ、と」
樹里はフライ返しを使わず、パンケーキを宙でひっくり返す。小麦粉と乾燥全卵粉と全粉乳に水を加えただけで、甘味は少なくやや固めに焼いて、菓子ではなくパン代わりにできるものにしている。
「
ナージャは
「あんま環境破壊すんじゃねーですわよ……あー、やっぱ安物の味」
《魔法》で新たに石窯を作ったコゼットは、それでひと仕事終えて、ティーバッグの紅茶を飲みつつ、
「野菜
そうこうしていると、トレーニングから南十星も戻ってきた。
フライパン片手に紅茶を飲む樹里が、マグカップごと振り返ると、《
「肉も
「ぷふっ――!?」
思わず紅茶を鼻から噴きかけた。そんな醜態を
南十星は牛を引きずっていた。無人島化する際に畜産農家が連れて行けず、野に放たれ野性化したのだろうか。イキのいい立派な体格の黒毛和牛が、女子中学生に後ろ足の一本を掴まれて、なすすべなく調理の場に連れて来られた。
「一頭まるまる持ち込むんじゃねーですわよ。食い切れんわ」
「持って帰るにしても、艦の中に枝肉ぶらさげたら、フォーさんに怒られそうですし。冷蔵庫パンパンになりますし」
コゼットもナージャも苦言を呈するが、樹里には論点がズレているとしか思えない。なぜ食うことを前提に考えて、量で反対しているのか。
「え~? 淡路ビーフぅ~。焼き肉牛丼すき焼きモツ鍋ビーフカツぅ~」
なぜ南十星は不満げに、米に合う献立ばかりを挙げるのか。しかも朝から重すぎる。
「や……今朝、パンケーキなんだけど……」
「ちぇー。仕方ないか」
昨夜の追求のことがあるので、少し怯えが入ってしまった声で苦言すると、南十星はアッサリと牛を放した。樹里に対してなにか思うところがある態度ではなかった。
樹里は安堵した。南十星の態度が変わらなかったのは三割、生きた牛を解体せずに済んだことが七割で。牛なのに脱兎の
「んでさぁ、タマネギは簡単に見つかったけどさ。他が野菜かどうか怪しい」
「淡路の名産だったそうですから。野性種じゃなかったと思いますけど、結構生命力強いみたいですね」
「これ、キャベツ……? なんか形が変ですし、野生化して原種に先祖返りしてってません……?」
「ナス、ですか……? こんな色、初めて見ますけど、食べれるんですか……?」
場所や状況が変わろうと、今日も支援部員たちは平常運転だった。
表面上は、と
そうこうしているうちに料理が出来た。
「堤さんとフォーさんは、なにやってますのよ?」
だがコゼットが誰とはなしに言うとおり、ふたりが出てこない。
呼びに行くか無線で呼びかけるか。携帯電話は基地局がないから通じない。こういう時に普段のものが使えないのは不便だと考えていたら、ちょうどふたりがスロープを降りてくるところだった。
なぜか十路が、野依崎を小脇に抱えて。
「フォーのアイス、誰が食べた?」
「しかも高いばっかり……嫌がらせでありますか?」
十路はやや困惑気味に、野依崎は珍しく膨れ面だった。
単刀直入に問われ、樹里たち四人は顔を見合わせる。誰もがキョトン顔を浮かべて、手か首を振る。
「誰も知らねーみたいですけど?」
コゼットが代表して返事したが、疑いは晴れない。
「トリプルショコラ……」
「ややややや!? 勝手に食べてませんよ!?」
抱えられたまま、野依崎に恨めしそうな目を向けられて、樹里は慌てて手を振る。
「クリスピーサンドのストロベリーフロマージュ……」
「横取りしなくても、自分でお菓子、持ち込んでますよ」
ナージャも顔の前で手を振って容疑を否認する。
「クランキークランチの期間限定ココナッツ……」
「さすがにアイス食うには寒いって。フォーちんみたいに、いっつも体温調節できる服、着てるわけじゃないんだし」
南十星も顔の前で手を振って容疑を否認する。
「五個も……」
「一晩で食ったら腹ァ下すわ」
コゼットは冷たい
『まだ満足できないのか?』と言わんばかりに、付き合いがなければ普段の怠惰顔と区別がつかない、ウンザリ顔の十路が口を挟む。
「フォーが執念深く調べてたんですが、誰かが盗んだ証拠なんてないんですよ。艦内カメラも冷凍ケースを直接映してたわけでもなし。指紋もDNAも怪しいのはなし。ゴミが増えてるってこともなし」
「ゴミも残ってねーんじゃ、
「俺もそう言ったんですけどね……コイツ、島に入る直前、手当たり次第にアイス買ったじゃないですか? 買ってないのに勘違いしてるとしか思えないんですよ」
十路とコゼットの会話に、樹里は思い出す。
前日は神戸市の復興で動きっぱなしで、淡路島入りの準備も急ピッチだった。そして目的が《ヘーゼルナッツ》の修理と補給と分かった途端、野依崎は近くの店に飛び込み、アイスを総ざらいしようとした。さすが巨大兵器を個人で管理できる額を稼いでいるトレーダー、庶民とは感覚が違う。
もっとも、真夏ではないとはいえ、さすがに店も買い占めには難色を示した。
「確かに買って入れたのであります……」
地面に降ろされた野依崎が、感情をしぼませ、ションボリと肩を落とす。
大人に話を聞いてもらえない子供、そのままの姿だった。先ほど大人顔負けの腹黒さを見せたのと、同じ少女とは思えないくらいの。
「そう言われてもな……俺たちにわかる証拠がないと……」
十路は困り顔で、ネコミミ帽子の上から赤髪に手を乗せる。
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