060_0230 闇に見るはⅣ ~正座~
食料庫の片隅に彼女自身で設置した、小型ながら業務用の冷凍ショーケースを開けて、なににしようかと三秒という長時間悩む。
悩むというか悩むことができる。今回の艦修理に際し、手当たり次第に購入したアイスを補充したので、自室で食べる時よりもバリエーションがある。
やがて一本のアイスバーを選び、包装をゴミ箱に放り込んで舐めながら移動し、扉のロックを解除する。本来飲食物の持ち込み禁止だが、艦長権限で好き勝手している。
そうして《ヘーゼルナッツ》の
正座させられるふたりと、その前に仁王立つひとりの姿に、動きを止めた。
「…………なにやってるでありますか?」
「反省会」
寝巻き代わりになり、けれどもなにかあった時にすぐ動けるよう、ラフな格好で腕を組む
ナージャも同様によく正座する側だから、まぁわからなくもない。しかし普段ならば正座させる側のコゼットが、今日は座らされているのはなんなのか。
「なんか減るわけじゃあるまいに……ハダカ見られた程度で、やりすぎだって。あれ、兄貴じゃなかったら死んでるよ? 戻ってきたらちゃんと謝ること。異論は認めん」
天真爛漫さを消し、真剣な顔で南十星が理由を教えてくれた。ふたりへの小言であって、野依崎に向けての言葉ではないが。
激情を発揮したナージャもコゼットも、振り返れば思うところあるのか、シュンと肩を落とし、異論は発しない。
艦長席に座りながら、野依崎も思い出す。
まさか風呂場に十路が突入してくるなど、思いもしなかった。彼女の場合は二度目だが、再び経験するなど想像もしていなかった。
色黒なので傍目にはわからないだろうと思いつつも、頬の熱を自覚した。野依崎はアイスを口にくわえて冷やしながら、ジャージ下に着る《ハベトロット》にケーブルを接続する。
「ついでだから言っちゃうけどさ。みんな、兄貴とどうなりたいわけ?」
グローブをはめた手で、仮想のキーボードを軽快に叩きながら、聞こえてくる声にチラリと目を向ける。
南十星は、ふたりを正座させたまま、火器管制を行う砲雷長席に座るところだった。
「え、いえ、別に堤さんのことがどうとか――」
「はいはい。ゴマカシいいから。時間のムダ」
反射的と言ってもいいようなコゼットのセリフは、バッサリ切り捨てる。
『なにを今更』と野依崎も思う。社会性の乏しい彼女が見ていても、コゼットが十路に向けている感情は、それとなくわかる。
ちなみにナージャは、隣でコゼットが斬殺されたためか、口を
「みんなそれぞれ、《
座席を反対に座り、ネックレストに小さな顎を乗せた南十星は、不自然に言葉を区切って、半眼をふたりに向ける。
「…………まさか、あれでコナかけてるつもり、とか言わんよね? メシ作ったり、ボディタッチした程度で」
「「…………」」
右利きのコゼットが右に、左利きのナージャが左に、首と視線を動かす。図星を突かれたのと、『え? それ以上をやれと?』という戸惑いが、傍目からでもわかった。
そんな乙女たちに、南十星は哀れみをブレンドした目を向ける。
「兄貴が戻ってきたら王様ゲームでもやる? キスはもちろん、脱衣とか揉むのもアリで。女同士でやるカクリツ高いけど」
年長組ふたりは、まだ湿気を
口には出さないが、ウブいと野依崎も思ってしまった。ふたりの拒絶は女同士でキスする危険性からではなく、十路への羞恥だとわかったから。
いつもと比較してかなり遅いテンポで、野依崎にしか見えない仮想のキーボードを叩きながら、考えるでもなくボンヤリ考える。
様々な情報から様々な分析を行った結果、十路は
それとなくアピールしても、『なんで私の気持ちがわかってくれないのよ!』なんて言っても、彼は無視する。
恋愛感情を伝えたければ、直接的な方法を取る必要がある。それで応えてくれるか別問題であり、かなり勇気が必要とされるだろう。
「離れて暮らしてる間、あたしはずっと兄貴に守られてた」
野依崎が部室に毎日行くようになっても聞くのは珍しい、南十星のシリアス一色な声に顔を上げた。
「だから兄貴のためなら、あたしはなんだってやる。性欲の
南十星が見せる、
危うい自己犠牲精神を真顔で披露できるのだから、イカレ具合はなかなかだ。コゼットは『またか』と苦々しい顔を作り、ナージャは『どう言ったものか』と思案顔になっている。
野依崎としては、その狂気は、ある種うらやましくもあり、興味深い。
人間そこまで一途になれるものなのかと思う。自分本位で社会性の怪しい野依崎でも、そこまでひとつのことを優先できない。
なのに、それほどまでに南十星は、十路に恩義を感じている。
ただ、彼女の弁には、前提から大間違いがある。だから野依崎は口を挟んだ。
「
「そりゃドーカン。だからこんなこと言えるってのはある。自分で言うほど簡単に死ぬつもりもないし」
反論するどころか、南十星は語気を普段のものに近づけて同意してきた。
だからこそ、常識人であるコゼットは返答に困り、どちらかと言えば性格が近いナージャでも相容れない。
群れもせず、庇護者に頼りもしない、子虎の気性そのままに、南十星が声音を再び真剣に変えて言い添える。
「だからさ、ハンパな気持ちだったら、兄貴に近づいてほしくないワケ。なんかあった時にまた守ってもらおうなんて、くだらないヒロイン願望を持たれてたら、あたしが迷惑」
南十星は理性的な人間だ。普段はなにも考えていないアホの子全開だが、演技だというのが、こういう場面で強く実感できる。
兄に近づく異性に牙を剥いて威嚇する。普通ならば、ブラザー・コンプレックスを抱いていると見るだろう。
だが違う。彼女には十路への執着も独占欲もない。一種悟りの境地まで達し、自己満足のために自己犠牲する。自分のことなど二の次三の次、ひたすら兄にとってより良い結果を導くには、どうすればいいかという思考の末、無駄や脅威、不確定要素を排除しようとする。
現実に生きる二一世紀の《魔法使い》らしく、思春期らしいお気楽思考をどこかに置き去った
「兄貴は、自分がなにかを守れなくなるのを、極端に怖がってる。だからなんかの拍子で取り返しのつかないことになって、兄貴に背負わせるのはやめて。死ぬんだったら目の届かないところで勝手に死んで欲しい」
同時に反面、南十星は狂気を孕んでいる。
方法に
野依崎も相当イカレている自覚はある。遺伝子工学的に
だが南十星には負ける。勝てない。
野依崎だって十路には恩義を持っている。先の騒動で協力してくれた他の部員たちにも、相応には持っているが、やはり中心となった彼は特別な想いがある。
しかし南十星ほど強烈な意思は持てない。
そこまで彼を想えるものなのか。己の望みは全く叶わないことを理解していながら。
南十星は本当に、十路を愛しているのだろう。野依崎には理解しがたいほどまでに。
「妹として、
「ん~……強さというか、覚悟を持てってのは絶対条件。あとはザックリ訊かれても返事に困るけど……」
興味本位からの質問に、南十星は
「例えば、ここにいるメンツだと、みんな五十歩百歩かな」
視線の高さを戻し、まずはコゼットに顔を向ける。
「兄貴がぶちょーとくっついたとすると、安心はできると思う。《
コゼットは我が強い。
なので端的に言うと、十路がコゼットのフォローを行うような役割になっている。正式な肩書きは持っていないが、普段の支援部では、十路は副部長的ポジションに収まっている。年齢と《
十路は譲れない時は絶対に引かないが、そうではない時には自己主張が弱い。理不尽なことを言われても、愚痴をこぼしながらも応じる。
彼がそんな性格だから、些細なトラブルはありながらも、深刻なことになっていないのだろう。『なんで私の気持ちがわかってくれないのよ!』なんてセリフの出番になっていない。
これが四六時中、顔を合わせる関係になったら、果たしてどうなるだろうか。
コゼットも自覚があるのか、気まずそうな顔を作っている。
そんな彼女の思考に構うことなく、南十星は続けて顔の向きを変える。
「ナージャ姉は逆。家庭を守るのは大丈夫そうだけど、《
傍で聞いてる野依崎としては、『ホントにそう?』と言いたくなる言葉ではあった。なにせナージャがじゃれつくのを、十路がウザそうにいなしているのが、ふたりの普段の関係だ。家庭を作れるのかはなはだ疑問に思える。
ナージャは元料理研究部、家庭的なことが得意だから、そういう意味では納得できるのだが。部室ではお茶汲み係を自発的に行い、たまに自作の菓子も差し入れている。
あのデカイ
確かに南十星の言う通り、平時はともかく非常時には不安要素がある。
《
だが弱点が多い。まともに相対しなければ、その限りではない。ふたりが一緒の食卓を囲んでいるところに、どこかの組織の強襲でも受けて停電になり、暗闇でワタワタしているナージャの姿が目に浮かぶ。
南十星は続けて、野依崎にも顔を向ける。
「フォーちんは……歳は五年もすりゃ解決するからスルーすれば、一番の問題はギャンブル人生。生き方がバクチすぎるから、どう転ぶか見通しが全然立たない。ものすごいリターンがあるとしても、あたし的にはリスクが少ない堅実さをって思う」
不服に思わなくもないが、野依崎も自覚があり正論であると思えるので、唇を尖らせるだけで異論を述べるのは避ける。
ハッキングを行い、偽造戸籍を活用し、デイトレードで活動資金を得ているのは事実だ。
南十星は明言を避けたのかもしれないが、ギャンブル人生を送っているのは、結局のところは人造 《
まだまだ危機はあるにせよ、一応なりとも落ち着いた生活を送っている今、なんと危ない生活をしていたのかと、野依崎自身でも思う。
「これ、かなり高く評価してるつもりだかんね? やっぱ兄貴の事情は普通じゃないし、並のオンナなら絶対無理って思うから、ハカリに乗せれる時点ですごいって思うよ?」
南十星はそう言い添えるが、野依崎だけでなく、聞く人間はそう思えるはずもない。
「評価してるとは、到底思えないでありますがね……」
「ま、ね。上見ればキリないし。そのあたりは結局、兄貴が決めること」
リスクをどこまで許容できるか。肉体的にも精神的にも社会的にも並の女性であったとしても、十路が全てを背負い込む覚悟で選んだとすれば、南十星は意見は言えても決定権は持っていない。あくまで
そういえば、と思い立った野依崎は、溶け始めたアイスを慌てて舐めながら、索敵系に意識を向ける。
人間大の反応はいくつかあるが、《ヘーゼルナッツ》のルーチンが反応しなかったように、特に怪しい動きはない。
探す反応は、三つ。うちふたつは一緒になって、山道を移動していた。
もうひとつの反応は、艦上部、
名札があるわけではないが、ふたつ一緒の反応は出かけに話を聞いて正体が知れているので、消去法で艦上方が目的の人物となる。艦内カメラの映像をチェックすると、
「ミス・キスキは?」
この場にいないから話に出なかったのであろうが、十路との関係性を取り沙汰すならば、彼女の存在を無視できない。
野依崎だけが知る、《ヘミテオス》を発端とする不和が起こる前は、よく行動を共にしていた。お互いの部屋を行き来し食事するような 私生活面でも交流があった間柄なので、一般的な先輩後輩よりも親密だろう。
「じゅりちゃんねぇ……これ、本人に言わないでよ?」
栗色のショートヘアをかき上げ、言いにくそうな態度を見せたものの、南十星は結局言い放った。
「兄貴の相手としては、ナシって思う」
△▼△▼△▼△▼
「はぁ~……」
《ヘーゼルナッツ》の
無人島が作り出す真の闇でも、暗視ができる彼女には、風景がよく見える。ボンヤリした眼差しで《塔》を眺めてはいるが、特にそれについては思うところはない。
(やっぱり私は、普通の生活なんて、望むべきじゃなかったのかな……)
考えるのはやはり、現状の人間関係だった。
南十星につつかれ、野依崎にも問われた、十路との関係が綻び始めた発端。
(どうしたいかって聞かれたら、やっぱり……)
修復改善は当然のように思う。
以前のように、十路とは気兼ねない先輩後輩でいられ、南十星をはじめとする他部員とも話せるようになりたい。
だがもう、なにも知らなかった頃には戻れないのは、わかりきっている。
おとぎ話の『魔法使い』ならば可能かもしれないが、二一世紀に生きる現実の《魔法使い》には、時間を
ならば、どうすればいいかと考えてみても、頭に収まる世界最高レベルの生体スーパーコンピュータは、答えを出してくれない。
「またハダカ見られて、余計顔を合わせにくくなったのにぃ……」
△▼△▼△▼△▼
【それらしい痕跡はありませんね】
「みたいだな……」
【私は初めて来たので、以前との比較ができないので、見落としている可能性も充分ありますが】
十路は《バーゲスト》に
あの時は《
【本当に子供なんて見たんですか?】
「そう言われると、自信なくなる……俺もハッキリ見たわけじゃないし」
子供のほうは、だが。
十路が確かめたかったのは、むしろもうひとりの人物の存在だ。
(あれは……どう見ても羽須美さんだった……)
見間違いのしようがなかった。
だが子供と同様、存在の痕跡は見つからない。
【どうします?】
「……戻るしかないよな」
やはり死んだ人間を見たのは、幻だったのか。
十路の中に、失望とも、安堵ともつかない、消化不良で胸焼けする複雑な感情が湧き起こる。
△▼△▼△▼△▼
支援部員たちそれぞれが、考えなければならない考えに
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