060_0220 闇に見るはⅢ ~外湯~


 カンテラの淡い光に浮かび上がる湯気に、樹里はため息を混ぜる。

 即席で作られた割に、露天風呂はなかなか具合がよかった。蛇口カランとシャワーがついた洗い場まではないが、そんなことで戸惑うようなヤワな人間は、支援部員には存在しない。文句を言ったら部長に『自分でなんとかしやがれ』などと言われるのがわかっているのもある。


「ミス・キスキ」


 肩まで湯に浸かり、弛緩していた樹里は、呼びかけに意識を収束させる。

 頭に遠隔操作 《魔法使いの杖アビスツール》《ピクシィ》の一基を乗せた野依崎が、蹴伸けのびで泳いできたというか近づいてきた。


「《ヘミテオス》の件、どう説明するつもりでありますか?」


 夕食後に問い詰められかけた時には、無視するような構えだったのに、どういう風の吹き回しなのか。いやこの思考回路が独特すぎる小学生の場合、単に気分の問題かもしれないが。

 ともあれ離れている他三人が、耳を立てている様子もない。体を洗う際にはさすがに《魔法使いの杖アビスツール》を手放しているので、人外の感覚で察知してはいない。

 耳がないことを確認してから、樹里は小声で考えを述べる。


「……話さない、というか、話せない。私だってほとんどなにもわかってないのに、中途半端なこと、話せないよ……」


 ほんの少しだけ、姉と義兄を恨みに思ってしまう。なぜこのような時に留守にしているのかと。


「堤先輩が秘密にしようとしてるのに、私が勝手にバラすわけにもいかないし……」

「言い訳でありますね」


 野依崎の遠慮ない言葉が胸に刺さり、続きの言葉を失う。

 言い訳なのは樹里も自覚している。


 やはり怖い。

 拒絶されるのが。


 樹里が普通の人間でないことは、部員全員の知るところとなっている。しかし他の部員たちは、それまでと変わらない付き合いをしてくれている。

 それだけでも結構危うい。彼女たちは樹里を受け入れたのではなく、異能を『なかったもの』として付き合い続けているのだから。

 なにかあれば疑念や恐怖といった感情が再燃し、表面化するだろうことは、容易に想像がついた。

 そして十路が《ヘミテオス》と化したことは、それに触れる事柄であろうことも予想できる。


「お前は、なにをどうしたいのでありますか?」


 珍しく野依崎が話を続ける。

 彼女と話すことなど、普段ない。基本、用事がなければ口を利かない性格の上に、野依崎とかぶる用事があまりないので、話す機会が限られてしまう。

 そして彼女は、樹里を名前で呼ばない。他の部員たちは、立場や名前で呼ぶが、樹里だけは一貫して『ミス・キスキ』と苗字で呼ぶ。


 自覚があるのか知らないが、他の部員たちに比べて、人間関係に一線を引いている。

 そんな彼女が、どういうつもりだろうか。眠そうな半開きではないが、やはり感情は読めない灰色の瞳を、樹里は見返す。


(……ん?)


 だが、彼女への質問も、彼女の質問に対する答えも、樹里の口から出なかった。

 《魔法使いの杖アビスツール》なしで起動している脳内センサーが、反応を捉えたから。


「なにか、こっちに来る……?」



 △▼△▼△▼△▼



 廃墟の中に隠れるかと思いきや、建物反対側から外に出て、森の中に逃走したので、十路は必死にならざるをえなかった。ここは無人島で、整備もされず野生動物だっているはず。大人でも危険を感じ、日中でも気軽には入らないだろうに、ろくな装備も持たずに夜間に子供が出歩く場所ではない。


(なんでこんなところに子供がいるんだよ!)


 自衛隊や在日米軍関係者が、『任務』に家族を連れてきたなど、あってはならない。査察団の人間でも同じこと。

 だから十路が咄嗟に考えたのは、島に隠れ住んでいる人間がいるのではないかという疑いだった。子供ひとりでサバイバル生活などできるはずもないから、大人も一緒と考えるべきだ。

 もしかして、淡路島が『無人島』になった後も住み続けている、戸籍に登録されていない住民がいるのではないか。

 真相を探るためには、逃げる子供を捕まえ、保護するしかない。木々の間から辛うじて見える、服とおぼしきものを、十路は必死に追う。


 だが速い。夜間戦にも森林戦にも慣れている十路でも、双方合わさった視界の悪さと悪さで、全力疾走はできない。それでも並の人間よりは速く走っているはずだが、子供はその上を行き、距離を詰めることができない。


(なにかがある……!)


 行く手がおぼろに明るい。メチャクチャに走っているので、方向感覚はとっくに狂い、行く手になにがあるのか推測できない。

 だが人工の明かりが存在する以上、『なにか』がある。子供はそこに向かっているのではないかと想像し、覚悟を決めた。


 枝葉が体を叩く。服の上だけでなく、露出した肌も容赦なく打ち据え、引っかく。

 だが十路は構わない。ひと際濃く茂るやぶに、顔をかばって飛び込んで。


「ちょっ――! 攻撃ダメです!」


 少女の慌てた声の直後、盛大な水音と共に濡れた。


「え?」


 着地地点には、膝の高さまで達する『水たまり』があった。それだけなら整備が放棄された山の中、大して疑問に思わない。だが溜まっているのが温かい匂いを発する湯であれば、やはり怪訝に思う。


 そして、なによりも想定外だったのが、『水たまり』の中やほとりに、支援部員たちが全裸で立っていた。服を着ていないのに、慌てたようにそれぞれの装備を構えていた理屈が、咄嗟には理解できない。


「「……………」」


 すっぽんぽんな彼女たちも状況を理解できていないようで、硬直している。

 だから十路はまず、事態解明に努めることにした。女性陣の裸体をガン見したとも言う。


「…………」


 ヘアターバンで髪をまとめたコゼットは、装飾杖だけでなくカンテラを手にし、中途半端な姿勢で止まっているので、色々と見えてしまっていた。以前彼女の裸を見たのは、部室のソファで仮眠中に脱ぎ散らかしたという謎の状況だったが、その時は丸くなっていた。今はその時には見えなかった部分まで余すところなく見えている。

 身長、頭身、バスト・ウェスト・ヒップの周径バランス、それぞれの立体バランス、尚胴体トルソとの位置関係や高さ。全てが完璧なゴールデンカノンではないかと思える。ゆえに性的な魅力よりも神秘的な魅力を覚える裸体だった。あとついでにムダ毛処理も完璧。普段は服で見えないところも、王女様はパーフェクトにプリンセスだった。


「…………」


 次。両手にトンファーを握り、無造作に立っている南十星に視線を移す。

 活動的な彼女らしく、肌には日焼けの痕がくっきり残っている。小柄で細い割には筋肉質で、少年と見まがうような体つきは相も変わらず。彼女の裸を見たのは、十路が入浴中に風呂場に突撃してきた以来だが、その時とほとんど変わっていない。三ヶ月くらいで突然グラマラスになっていたら、それはそれで生命の神秘に驚愕するだろうが。

 だったら摂取した栄養は一体どこへ消えているのだろうかと、まじまじと幼児体型の中学生を見ながら考えてしまう。


「…………」


 次。長い髪を束ねてまとめてアップにしている、ナージャに視線を移す。

 いつでも操作できるよう、左手に携帯通信機器を持ち、液晶画面に右手を添えているだけだった。胸はほとんど隠れておらず、他については言わずもがな。

 以前、彼女の裸を見たのは、正体が知れて奇妙な軟禁生活を送らせていた時の、風呂あがりだった。その時は爆弾を体内に隠す手術痕と火傷が残る、無残な裸だった。しかし《治癒術士ヒーラー》たる樹里の治療を受け、傷跡までも修復されている。

 実際その職業に就く者は、印象を残さない地味な造形を求められる。しかし相当に鍛えられながらも、起伏したボディラインを描く肉体は、ある意味では女性非合法諜報員イリーガルらしいとも言える。

 端的に言うと、エロい。


「…………」


 次。ふちに腰掛け、一基だけの戦闘機モドキを持った野依崎に視線を移す。

 ヤバかった。なにがヤバいって、誰がどう見ても子供の体だ。南十星以上に胸は膨らんでおらず、尻も小さい。第二次性徴のきざしは辛うじて感じられるものの、坂道の入りかけと誰もが談じる。健康的な土器色テラコッタ肌だからか、妙になまめかしく背徳的に感じてしまう。以前彼女が部室のキッチンで入浴していた時にはなんとも思わなかったというのに。その時は予想外すぎた衝撃が大きかっただけかもしれないが。

 逮捕事案だった。そもそも全裸女性五人に男ひとりなこの状況は、どう考えても警察のお仕事になるが。


「…………」


 最後に、樹里。

 彼女の裸を見たのは、転入間もない頃、彼女とつばめの部屋に行った時だったか。あの時にはまだ半端にタオルで隠していたものの、今回はそれすらもない。両手で長杖を握っていたが、それで隠れるはずもなく、骨格から細いとわかる裸体を見せている。

 その細さが、女性への発展途上であると強く意識させる。肉付きは薄く、特に胸は当人がコンプレックスを持つ大きさでしかないが、腰はくびれ、スレンダーなりにバランスが整ったスタイルだ。当人は貧乳コンプレックスを抱いているが、あと大きいとは決して言えない大きさだが、ちゃんと存在する。


 石鹸やバスタオルといった入浴用具もあることから、女性陣が風呂を作り入っていたところに、十路が突入してしまったため、今の図があることをようやく理解した。


「「…………」」


 ひと通りの観察が終わっても、場はまだ硬直している。


「兄貴。どうかした?」


 例外は南十星だけだった。いや家族とはいえ一応は異性が入浴の場に突入してきたのに、トンファーをへりに置いて再び肩まで湯に浸かる、何事もなかったかのような反応もどうかと十路は思うのだが。


「子供がこっちに来なかったか?」


 ともあれ、今は必要な情報提供をつのる。

 現実逃避ともいう。彼女たちは全員 《魔法使いの杖アビスツール》を持っている。なにが起こるかわからない無人島での露天風呂という状況を考えれば、無防備になるまいという意図は納得できるのだが、風呂にまで持って入るかとちょっと思わなくもない。しかもそれを自分に向けられているのだ。数十秒後の未来は考えたくない。そのうち考えざるをえないのは理解しているからこそ。


「いんや? 誰も来ないけど?」

「その様子だと、《杖》と接続してたんだろ? それでも?」

「なにかが来るって、慌てて接続したけど、センサーで視える範囲には兄貴しかいなかったよ?」

「どういうことだ……?」


 自分が出てきたやぶを振り返る。木々に隠れ、姿が判然としないままに追っていたのだから、『見失っていない』とは断言できない。

 しかし《魔法使いソーサラー》の脳内センサーに反応していないのは、どういうことなのか。

 見間違いとでもいうのか。それとも。


「幽霊でも見たん?」


 タオルを頭に乗せる南十星の挙げる可能性か。普段なら一笑することを、真面目に考えなくてはならない。


 しかし、思考の停止を余儀なくされる。


「そろそろいいですかしら……?」

「…………」


 熱い怒りを含んだ、けれども無理矢理押さえつけられた、噴火寸前のマグマみたいなコゼットの声で。

 現実逃避が許される、つかの間の時間が終わった。きっと7:1:2くらいの割合で血と汗と涙の味がする、この上なくしょっぱい現実と向き合わなければならない。


 だから十路は、湯船を飛び出した。


「ぬおおおおおぉぉぉぉぉぉっッ!?」


 走る。走る。走る。振り返ることなく全速力で走る。元民家の敷地を突っ切り、森の中に入っても安心することなく逃げ続ける。足が千切れても構わない。いや千切れたらコケるからやっぱりダメだ。そんなセルフツッコミを考える暇もなく、十路はとにかく足を動かす。


「タダ見で済むと思うなコルァァァァッ!?」


 駆け抜けた直後、足元から次々と石の槍が生えるのだから。少しでも遅れたら串刺しにされる。

 死力を尽くし、彼史上、最高速度を叩き出した。紛争地帯の荒野で戦闘ヘリに追いかけられた時よりも、古典的に自爆装置が起動した秘密軍事施設から脱出した時よりも、間違いなく必死になった。客観的に話だけ聞けば才能の無駄遣いに聞こえるだろうが、当人的には涙目になって『冗談じゃない』と返すに違いない。《騎士ナイト》とあざなされた特殊作戦要員たる身体能力と察知能力を遺憾いかんなく発揮し、軽犯罪法第一条二三項違反つまり窃視のぞきの私的制裁から逃走する。


「いやあぁぁっ!」


 遅れたソプラノボイスな悲鳴の直後、戦場でつちわれた直感が最大警報を発した。逆らうことなく十路は斜め前にダイブする。


「うぉ!?」


 間一髪、先ほどまで立っていた直線上を、巨大な漆黒の刃というか柱が落ちてきて、木々を押し潰した。安堵する間もなく地面を転がり、ついでにそのまま斜面から転げ落ちた。

 柔らかな土と落ち葉が積もる小さなくぼみに落ち、落下は止まる。危機に戦慄したものの、さすがにもう《魔法》は追ってこなかった。


「あ……! あぶ……! 危……! し……! 死……!」


 これだから、女所帯に男ひとりで混じるのは嫌なのだ。相手が相手だから、ラッキースケベなど冗談ではない。命の危険に直結する。

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