060_0210 闇に見るはⅡ ~幻影~
支援部員女性陣は、移動した。
「山おりんの?」
「
フォークリフトで。
王女様の履歴書にあるとは思えない『フォークリフト運転技能講習修了』を活用するコゼットが運転席に座り、その後ろのエンジンルームに南十星が座っている。
「衛星写真では、この道すがらにも、民家の廃墟があるであります」
野依崎は屋根に上っている。
技能講習だけでは、フォークリフトを公道で走らせてはいけない。特殊自動車運転免許が必要となる。あと免許を持っていたとしても、走れるだけで公道で荷物を運んではならない。フォークリフトの定員は一名で、それ以上は乗ってはならない。
だがここは無人島で、公道だが公道ではない。取り締まる警察もいないからと、やりたい放題だった。
「市街地まで行けば、旅館跡とかあるでしょうけど……」
淡路島にも温泉がある。人が住んでた頃には入浴・宿泊施設があった。源泉が枯れている可能性もあるが、設備だけでも残っているなら再利用が
だがコゼットは、彼女らしい理由とその他切実な理由で、山道の途中で止める予定だった。
「帰りがめんどっちいですし。なによりアレがもちそうにねーですし」
切実な理由のほうを、片手運転でコゼットが指し示した。
「もたないの、どっち?」
「どっちもですわよ」
南十星もコゼットも、止める気はない。引き剥がしたら今度は自分が被害に遭うことを理解しているから。
焚き火の周囲では大丈夫だったのだが、さすがに明かりが一切ない山道では駄目らしい。
「ナージャぜんばい……! ギブ……! ギブでず……!」
「まだですか!? 明かりのあるところまだですか!?」
リフトに持ち上げられたパレットで運ばれている樹里が、暗所恐怖症でパニックになっているナージャに絡みつかれ、締め落とされそうになっていた。
△▼△▼△▼△▼
「なんということでしょう。
まずコゼットは、石が敷き詰められたくぼみのゴミを《魔法》で分解し、沈下させた。雨水が溜まっていただけでなく、湧き水も引かれているらしい。あとついでに別の水たまりからも直接運んできた。不純物を除去し水質を調整して熱量を与え、キャンプ用品の明かりを置けば、あっという間に露天風呂になった。
普段は求められない限り絶対にやらないことだが、レポートを簡略化でき、部の備品ではないがバッテリーが《ヘーゼルナッツ》に大量にある今、やはりやりたい放題だった。
「庭でお風呂入るって、変な感じですけど」
「仕方ねーんですわよ……水が使える場所で、ちゃんとした資材が欲しかったですから。土だとよっぽどの圧力で固めないと、水に溶け出しますし」
風呂の原型はどう考えても池で、鯉でも泳いでいた場所であることは、この際気にしない方針となった。
「心配せずとも、覗く人間なんぞ、いやしねーですわよ。不安なら壁くらい作りますけど」
ともあれ、風呂が出来上がった以上、入るしかない。部員たちが廃屋の縁側で、思い思いに準備を始めたのを見て、樹里も
「…………」
パーカーを脱ぎ、なんとなく下着に包まれた、己の胸を見下ろす。
一応、山はある。一応。日本を代表する富士山には遠く及ばず。その半分程度、兵庫県最高峰・
樹里は視線を移す。
振り返れば、七大陸最高峰のひとつ、ロシア国内で最も高いエルブルス山(標高五六四二メートル)の存在が。本日は積雪した山頂だけではなく、白い輝きが全体を覆っている。
「木次さん……? どうかしました……?」
「や……」
長い
樹里は視線を移す。
そこにはエルブルスには及ばないものの、ヨーロッパ・アルプス山脈最高峰、モンブラン(標高四八一〇メートル)の存在が。朝焼けか夕焼けなのだろうか、山全体が桃色がかっている。
「木次さん……なんでこっち見ますのよ……?」
「や……」
やはり長い
樹里はもう一度、視線を移す。
見下ろせば一応、山はある。一応。だが『最高峰』などとつけるのはおこがましく思えてしまう。たとえ兵庫限定だとしても。最高峰とは
比べてしまうのが間違いだとは、彼女も理解している。富士山(標高三七七六メートル)を見るがいい。世界最高峰エベレスト(標高八八四八メートル)の半分以下だ。なのに彼は自信満々にその姿を見せているではないか。さすがは日本男児。世界の中では小兵でも、それを恥とは思わず堂々と起立している。山の気持ちも性別もわからないが多分。
でも樹里は違う。やっぱり比べてしまう。だって女の子だもん。
だからまたも視線を移す。
「えぇと……?」
「な、なんですのよ……」
じぃぃぃぃっ……と静的圧力をかける視線に、峰の持ち主たるナージャもコゼットもたじろぐ。
そこにはつい先ほど、気弱な態度で十路との不和をどう話すか悩んでいた、
「…………」
「…………」
「…………」
女三人が半裸で、変な
とそこへ、スパァン! と小気味よい音が。三人は一斉に発生源へ振り返る。
「いざ行かん!」
濡れていないのにどうやってイイ音を鳴らしたのか。タオルとトンファーを挿したベルトを肩にかけ、裸バスケットシューズというマニアックな格好の南十星が湯気へと去る。
一式詰め込んだ洗面器を手に、赤髪頭に戦闘機の模型のようなものを載せた野依崎も、
義務教育年齢の年少組は、モタつく年長組をあざ笑うかのように飛び石を渡る。裸の小さな背中が、なんだか雄々しく
「……行きましょう」
「そうですね……」
「はい……」
己の行動がアホらしくなった年長組は、互いの体を視界に入れず、とっとと服を脱いだ。
△▼△▼△▼△▼
十路が見かけた人工物は、いくつかの建物が集った、巨大な廃墟だった。
(寺か……)
無人島になって長いため荒れ果てているが、元はちゃんと整備がなされ、参拝客や観光客が訪れた場所だったろう。苔むした特徴的な灯篭や、汚れた立て看板の『聖観世音菩薩』の文字が、その面影を残している。
「……?」
十路は
一〇月ともなれば秋の虫が鳴いている。だから気のせいかとも思うことはできるはずだが。
行く手から話し声が聞こえている気がした。
十路は足音を殺し、木の根や風雨の浸食でガタガタになった石段を登る。
そして正面に本堂であっただろう建物が見える、一段高い境内に出た。
(……?)
敷地のほぼ中央たる闇の中に、ハッキリと人影が見えた。
今の淡路島は無人ではないのだから、誰かがいても不思議ないといえば、ない。
だが、シルエットが想定していたものと違う。迷彩服のようにダボついたものでもない。全身単色で肌の露出が見られず、頭部が大きい。
「誰だ」
右手は棒手裏剣を
相手は黒いフルフェイスヘルメットを被り、黒いライダースーツで全身を覆っていた。
(
支援部に敵対したかと思えば、協力してきたこともある、防衛省所属と想われる謎の《
しかし明かりの中でちゃんと見れば、間違いなく違うと確信できた。
わずかに待ったが反応がない。見たところ武器となるものは持っていない。だから十路は宣告する。
「ヘルメットを脱いで、顔を見せろ。でないと、こっちも相応の手段に出る」
応じて彼女は、光から顔を背けるように向きを変えて、ヘルメットの留め金にグローブに覆われた手をかけた。
「え……?」
その横顔には、見覚えがあった。
彼女はヘルメットを左手に、右手を後頭部にやると、まとめていた髪が解かれ、無造作に流れる。
顔を照らしていたはずの光は、いつの間にか下がっていた。だから彼女は振り向き、正面を十路に見せる。
どちらかというと垂れ気味の目元。どんぐり
鼻は低めで小さい。目と合わさることで、年齢に削ぐわない童顔を作っているので、荒事ではいらぬ苦労を背負い込むとこぼしていたこともあった。
唇の厚さはどちらかというと薄め。砂塵と泥に
絶世の美女とはとても呼べない。目を細め口元を歪め、不敵な微笑を浮かべると、オオカミ近種の猟犬のような雰囲気が
後輩の少女に面影を見ていたが、改めて見れば明確に別人だとわかる、記憶にある姿そのままだった。
「羽須美、さん……?」
かつての上官で、師であり、憧れで――十路が殺したはずの、《
不意に誤魔化しようのない物音が響き、虫の声も一瞬止まった。反射的に十路も音の方角に光を照らす。
庫裏というか、関係者の住居だったのだろう。横手にあった建物の玄関扉が倒れ、辛うじて残っていたガラスが割れて飛び散っていた。
この場にはもうひとり、誰かがいた。物陰に隠れて十路たちの様子を
「子供……!?」
そんな存在は、この淡路島にいてはいけない。例外は支援部員だけのはず。
だが並べて比べるまでもない、小学五年生でも小柄な野依崎よりも、もっと小さな人影が、まぶしい光に顔を背けた。
「おい! 待て!」
しかもそのまま、廃墟の暗がりの中に、逃げていってしまった。
「くっ……!」
十路は行動に迷いながら、もう一度本堂前の石畳を照らした。
(いない!?)
そこにいなければいけないはずの、ライダースタイルの女性は、存在していなかった。
あれは夢幻だったのか。《
だが庫裏廃墟からは、盛大になにかにぶつかり倒れる音がする。こちらは幻ではなく、実体としか思えない。
懐かしさを覚える女性の姿に、未練を覚えながらも、十路も廃墟の中へと突入した。
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