000_1100 魔犬、起動Ⅰ ~BENELLI 「TNT1130」~


 東海道本線を走る列車を追いかけるように、小型外車と青いオートバイも、兵庫県を飛び出していた。


「フォーちゃん。ちょっと撮影やめて」


 長久手ながくてつばめは、本来彼女のものではない、ネコミミ単眼頭部装着ディスプレイHMDをつけたまま、車を運転していた。片目で前方を見ていても、立派によそ見運転に当たる危険行為なので、良い子は絶対に真似をしてはいけない。


『なにかあったでありますか?』


 本来の持ち主である野依崎のいざきしずくの姿は、車内にはない。彼女は少し離れて飛行していたので、無線を通じた声をその場の者たちに届かせた。


「いや、生着替えシーンなんて見せちゃダメでしょ」


 チラリと後部座席を振り返る。

 年齢は老年の域に達した、しかし見た目はまだ壮健な男性が、渡されたタブレット端末に食い入るように見ていた。


「ノっちゃ~ん。そんなかぶりつくように見てぇ~。どんだけ女子高生の生着替えに期待してるんだよ?」

「いや、そうではなくてだな!」


 つばめの視線とセリフに我を取り戻し、『小娘の着替えに興味ない』と言わんばかりにタブレット端末を膝に置き、乾いた咳払いと共に居住まいを正し。


「……あれが、《ヘミテオス》」


 一転して、重い言葉を吐いた。


「正確には、そのひとり。キミたちの業界では、《獣人ライカンスロープ》《合成獣キマイラ》《百の手ヘカトンケイル》なんてコードネームで呼んでるところもあるみたいだけど」


 彼は、着替えの前に行われていた、超常の戦闘に目を奪われていた。彼も知っている、日本の軍事力最高峰のひとりと人外の、等身大の戦闘を行ったのだから。

 そして職務として、《魔法》という次世代軍事力について詳しくならざるをえない。都市部を走る列車の上で、対人規模の戦闘で終わったのは、僥倖ぎょうこうでしかないと理解していたからこその反応だった。

 世界中の諜報機関が血眼ちまなこになり、情報を暴こうと、秘匿ひとくしよう躍起になっている一因。


「なぜこれを見せた?」

「防衛省内だけでもさ、色々と調査に動いてるでしょ? 防衛政策局とか、情報処理隊とか陸上幕僚監部の情報部別班とか。使い道はわたしの知ったことじゃないけど、知ってて無意味ってことはないでしょ」


 防衛大臣は軍人ではない。最高責任者であっても、政治家だ。他の省庁と同様に、幕僚長ら幹部との軋轢あつれきがあるに違いない。

 国内のみならず、諸外国との情報戦争にも使えるだろう。

 つばめは言外に、それらに使えと言っていた。

 その代わり、こちらに有利に動けとも。

 あの少女が半神半人ヘミテオスなど呼ばれる超人類であると明かすのは、最悪の手であり、そんなヘマをしない相手だと知っているからこその、無言の交渉だった。


『樹里ちゃんの秘密を知る人を増やすの、私はやっぱり反対なんだけどね……』


 現状こそがその悪手ではないかと、後続する大型オートバイから、未練がましさ満載の声が届いた。


「無理だよ。あのコは修交館学院に入学し、支援部に入部したんだから、秘密はいずれバレる。あのコの意思を尊重するなら、わたしたち大人は、できる限りのことをするだけ。防衛省関係者と警察庁関係者に今夜のことを見せるのは、それ」

『あの《騎士ナイト》くんも?』

「そうだよ、見てたでしょ?」

『や~……まさか、暴走した樹里ちゃんを止めちゃうなんてね……』

「しかも無理矢理ってわけでもなく。キミでは出来ない芸当だよね」

『や、まぁ……仕方ないんだけどね』


 彼女はヘルメットの中で、ため息をついているだろう。悲観的な声色はなく、どちらかといえば呆れが強い。


『あの子にとって、私は、敵なんだろうし』


 だから、淡々と事実を述べるに留まる。

 だから、彼女も話題を変えた。


「で、どう? カレ、わたしが設定した第一関門は突破しちゃったよ?」

『ん~……さすがにあれだけじゃ、安心できないわね。問題はあの子の秘密を知った後、彼がどうするか、なんだし』


 その会話はいくらもすることなく、上空からの別の無線が割って入って止めた。


理事長プレジデント。名神高速茨木インター付近、府道一四号線と国道一七一号線の合流地点にて、兵庫県警の覆面パトカーを確認。その側に対象と思われる人物が立っているであります』

「そろそろ合流場所か」


 会話をやめて、つばめは運転に集中する。それが正しい自動車運転だ。

 やがて、報告の場所が見えてきた。つばめはハザードランプを点灯させる黒塗りの車の前へと道路脇に寄せて、停車した。

 乗っている人間を確認したのではなく、状況から呼び出された相手だと思い、行動したのだろう。側に立って待っていた中年男性が、完全停車する前から助手席のドアを開けた。


「ったく、大変でしたよ。先行してる車に追いつけって、普通に考えて無理――」


 車内を覗き込んだ、中年男性の口から漏れた愚痴が、不自然に途切れた。

 運転席に乗っているのが、メカニカルなネコミミなど着けた、童顔とはいえいい歳した大人ならば、きっとそれが普通の反応だろう。


「時間がないから、話は後にして、車に乗ってくれない? あ、送ってもらった人は帰ってもらってね。本気でヤバいから、大道さんひとりだけね」


 つばめに促されても、中年男性は動かない。


「……野口、防衛大臣?」


 後部座席に座る男も見て、固まった。ニュースをちゃんと見て世間の時流を知っている人間ならば、テレビ越しに見覚えある顔がこんな場所にいないというバイアスがかかる。公安警察という、普通とは言い難い職業であっても変わらない。


「そういうのも後。ほらほら」


 戸惑いなどガン無視し、つばめは助手席を叩いて急かした。


「第二ラウンドが始まっちゃうから」



 △▼△▼△▼△▼



「これ、オーダーメイドじゃないのか……? なんか、妙にピッタリな上に動きやすくて、逆に気持ち悪い……」


 しわを作ることを構わず、一度外したホルスターを脇に吊り、戦闘装備BUDベルトを腰に巻き、ナイフを入れたベルトシースを四肢に巻く。普段なら絞首具になりうるから着けないが、ワンタッチ留め具で襟元を飾るだけなので、臙脂えんじ色のネクタイも装着した。


「あぅ、着替えが学校にあるのに、なんだか勿体ない……予備の制服だから、おニューなのに……」


 ローファーを履いた足を上げて、細い太ももまでオーバーニーソックスを引っ張り、若々しさで目にまぶしい絶対領域を作ってから、紺色のリボンタイの具合を確かめる。


 十路とおじは、長袖ワイシャツに、スラックスパンツ。

 樹里は、長袖ブラウスに、ミニ丈のプリーツスカート。

 性別差で型は多少異なるが、二人とも校章が刻まれたバッジが胸元を飾る、ジャケットに袖を通した。樹里だけは校章と、Social influence of Sorcerer field demonstration Team――《魔法使い》の社会的影響実証実験チームの文字がぐるりと一周するように書かれた腕章を、左二の腕につけた。


 彼女がこの時も着た、彼がこの時から着る、日常の証にして、非日常の戦闘服。

 新品で折り目もくっきりとした、修交館学院高等部の標準学生服に、二人は身を包んだ。


「それじゃあ、とっととズラかるぞ」


 タクティカルグローブを確かめ、足の甲に乗せて立てかけていた小銃を蹴上げて、背負い紐スリングを肩にかけ、十路はきびすを返す。


「えと……いいんですか?」


 着替える場所が場所であったから、朱が引いていない頬でさすりながら、アタッシェケースと一緒に持った長杖で、樹里は前の車輌を指し示した。


「俺の任務は達成。あとはお前を連れて帰還すればいい。相手にする理由がない」

「や、まぁ、そうですけど……」


 元々 《ヘミテオス》として生体コンピュータが常時起動している樹里、《魔法使いの杖アビスツール》と接続した十路は、機械を超える知覚能力を発揮する。

 二人の目は、可視光増幅暗視と熱線暗視サーモグラフィによる映像が見えていた。だから先頭の機関車から飛び出し、コンテナの上を移動する、二人の人影を正確に捉えていた。

 列車を強襲した十路の移動経路にはいなかった、武装した『ニンジャ』と『蟲毒』が、遅ればせながら後続車両の異常に気づいて、出てきたらしい。

 通常の旅客列車に比べて編成数が多い。客車と貨車の混成とはいえ、かなりの本数を連結させていた。しかもいくらスペースがあるからとはいえ、自動車より早い速度で走るコンテナの上を、未経験で楽々と移動できるものではないだろう。

 十路たちがいる車輌まで辿りつくのに、若干の余裕があった。十路が足早に後部車輌に向かうと、多少逡巡しながらも、樹里も素直について来た。


「あ……」


 侵入経路を逆に辿り、十路が手を貸して客車内に足を踏み入れると、樹里は声を洩らした。

 原型は充分残っているとはいえ、車内は荒れている。血だまりが作られて、作業服姿の男たちが倒れている。まだ生きて、応急処置しようとしていたが、その傷を作った張本人が戻ってきたため、驚きの恐怖の目を向けてきた。


 十路は脇をすり抜けて、樹里はそのひとりの側に膝を突き、振り向きもせずに口を開いた。


「すみません、堤さん。少しだけ時間を稼いでください」

「そいつら、お前を誘拐した連中だぞ?」

「わかってます」


 彼女がなにをしようとしているのか、聞かずとも理解できた。実際、直接圧迫していた手を無理矢理どけさせて、傷口を観察し始めた。


「だけど、私たちは学生。私たちがやるのは部活動」

「誰かを殺さなければいけない立場でなければ、殺す必要もないってか?」

「はい」


 コゼット・ドゥ=シャロンジェからも聞いた詭弁を、もう一度聞かされた。


「その甘さは、お前の寿命を縮めるぞ」


 子のワガママが親に通用したように。学生と社会人を世間が分かつように。

 甘さを持てるということは、幸せであるという側面もある。通用しない厳しさに触れずに済む世界に生きてきたということなのだから。


 治療を受けた敵は、果たしてなにを思うだろうか。

 命を助けた樹里に感謝するだろうか。一応はするだろう。

 だからといって、恩と捉えるだろうか。敵対を恥じ、その立場から足を洗うといったことがあるだろうか。

 むしろ、樹里の甘さをあざ笑い、寝首をかくために、癒された手足を動かすだろう。それに敵味方関係なく治療を施す行為は、医療従事者のかがみと称されても、同時に敵を救う行為を反逆と捉える感情問題もある。


 ならば十路は、敵は殺して後腐れをなくしたほうが、建設的だと考える。


「かもしれません……でもこの甘さは、私たちが失くしてはいけないものだと思うんです」


 しかし樹里は偽善を止めない。《魔法》で傷を塞ぎながら、言葉を続けた。


「『敵』というで殺したら、誰かから恨まれるに決まってるんですから」


 樹里の過去など知るよしもない。そのような思考の根拠を推測もしない。

 ただ、『敵というだけで殺してきた』十路は、己とは対極的だと考えた。


 きっとずっと、この少女とは相容れない予感も覚えた。


「治療は致命的な止血だけ。一分以内で終わらせろ」

「はい!」


 だから十路は譲った。彼女の真剣な顔を見れば、いくら主張したところで折れないことは、容易に想像がついた。余計な言い争いに時を使うよりも、制限つきで手早く終わらせるのが、トラブルなく一番早いと判断した。


(そういえば……)


 同時に時間が生まれるなら、確かめておきたいこともあった。

 脳内センサーでまだ余裕があることを確認してから、十路は腹這いになり、車輌と車輌の間から、上下反対になって貨物車底部を覗いた。車輌ごとのわずかな速度変化差異で、巨大な金属の重量が連結器の遊びで衝突している音に、挟まれる危機感を覚える。しかし調べるには、やはり直接目視するしかなかった。


 暴走する樹里に吹き飛ばされ、車輌と車輌の間に落ちかけた時、デジタル数字によるLEDの明かりを見た気がした。その時にはそれどころではなく、鉄道のことは詳しくない上に、電車には床下にモーターがあるのが当然であるのは知っているが、改めて考えると変な気がした。

 電車は自動車などとは違い、一両だけで機能が完結されていないものが多い。都市部を走る八両編成であれば、二・三・六・七両目にモーターを搭載した動力車を配置するといった具合に、編成全体で見た配置をする。

 しかし貨物列車は、強力なモーターを搭載した電気機関車一両で、貨物を載せた付随車を引っ張る。動力分散している貨物列車も存在するが、先頭車両はパンタグラフを持ち、貨物スペースなどない、電気機関車だった。素人目でも異なるのがわかった。

 電気設備がない、引っ張られるだけの台車に、制御盤が必要な部品があるとは考えにくかった。


(やっぱり……)


 制御盤らしきものは、気のせいではなかった。見たものとは異なる車輌だというのに、ほぼ同じ位置に存在した。

 手の届く位置にあるため、十路は軽く触れて、内部や回路を《魔法》で調べる。

 電子機器に比べれば大したものではないが、部品点数が多く、電気回路としては複雑だった。三軸加速度センサーに環境光センサー、温度センサーにジャイロセンサー、シャフトと繋がったロータリエンコーダなど、センサー類が多いのが特徴か。デジタル数字の表示は、それらが取得したデータを可視化している。

 それが一両につき四基設置されていた。電源は内蔵電池だけではなく、車輌にバッテリーを別途搭載されている。

 最大の問題は、それらのセンサーが異常を感知した途端、車体底部に大量に貼り付けられた、梱包された物体へと起電すること。内部に詰められているのは、トリニトロトルエンTNTトリメチレンヘキトリニトロアミンソーゴン可塑剤エステルなどの混合という結果だった。


「木次。こういう場合、民間所属の《魔法使い》的にはどうするんだ?」


 声音も態度を変えず、十路は立ち上がりながら、治療のため車両の反対端に移動した樹里に問うた。


「この列車、多分全部に、爆弾が仕掛けられてる」

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