000_0450 そこは悪魔の掌Ⅵ ~任天堂 「エキサイトバイク」~
グラウンドにいる人々は、空を見上げていた。
一般的にはホログラムと呼んだほうが通りがいいだろうが、厳密には被写体がそこにいるような、三次元映像投影技術のみを示す。
だからもっと広義の、空間投影ディスプレイが、宙に浮かんでいた。二一世紀初頭の科学技術では、試作品レベルならば成功し、市場に出るのもあとわずかと言われているが、いまだ実用化には至っていない。霧や小さなビーズをスクリーンにして投影する技術は実用化されているが、なにもない中空となると、技術的に高レベルになる。
それが堂々と中空に浮かんでいた。グラウンドのどこにいても目に留まる大きさで。
表示されているのは、複数のカメラで捉えられた、校内各所の様子だった。それがリング状にゆっくりと回転しながら投影されて、どの方向からでもどの画面でも見られるようになっていた。
野依崎の《魔法》による現象だった。空中への映像投影そのものはもちろんのこと、映し出す校内各所を様子も、彼女の
《
運動会で行う『宝探し』と呼ばれる競技は、ルールが多岐に渡る。保護者も参加し、子供たちの顔を隠して、我が子を見つけてゴールする。埋まっているなにかを見つけ出す。借り物競争の亜種。そんなパターンが存在する。
ここで開催されたのは、最後――借り物競争の亜種のパターンだった。一斉にヒントが出され、校内にある指定物を持って戻ってくれば、品物に応じた点数が加算されるというルールだった。
撮影されているものの大半は、その指定物だった。一応は競技参加者がスタートした後に映像が投影されたのだが、戻って見れば『宝』の正体が一目瞭然という有様だった。
とはいえ修交館学院の場合、『宝』がなにかわかったところで、どこにあるかまで判明したとは言いがたいのだが。点数一〇点に指定された教卓など、パッと見では初等部・中等部・高等部どこの校舎のどの教室のものか、わかるわけない。そして紙を貼られたものを持ってこないと加点されない。
『さぁさぁさぁ! 一発逆転宝探し! 普通こういうのは最終競技と決まっていますが、この学校ではそんな常識通用しません! 一〇〇〇〇点の黒板を持って来るのはどちらのチームか! 『いねーよ』というツッコミはこの際無視だ!』
放送機材を占有し、マイクを握って熱く語る学院理事長は、急遽競技を変更して、襲撃者たちに迂遠な妨害を仕掛けた。校内で手榴弾が爆発した件も、うやむやにしてしまえといわんばかりに。
『さぁ、豪華景品は誰のものかなー!?』
ポケットマネーでそんな要素まで追加したので、突然のルール変更も学生たちはおおむね好意的に受け止め、追加された参加者枠に殺到した。
△▼△▼△▼△▼
(いだだだだだだ痛い痛い痛いっ!?)
だからコンテナの中で、そして心の中で、樹里は悲鳴を上げていた。
膝を抱える姿勢でなければ入らない容器とはいえ、ジャストサイズなわけはない。しかも緩衝材などという心遣いはなかった。上下左右前後、激しく揺れるコンテナに、体が絶え間なくあちこちに叩きつけられていた。
『どうなってんだい!?』
『How could I know that!(知るか!)』
『蟲毒』と『ニンジャ』が、コンテナの乗った台車を押し、走っているからだ。
つばめが、ひいては指示を受けた体育祭実行員の学生が、樹里の入ったコンテナに得点が書かれた紙を貼って、『宝』にしてしまった。
『こっちにいたぞ!』
『逃げないでくださーい!』
彼らは、競技に参加する学生たちに追われ、逃げていた。目では見えていない樹里にも、追いすがる学生たちの姿が『視えて』いた。
『
『いくらなんでもこの状況じゃ……!』
十路をあっけなく行動不能にした彼らならば、無警戒の、まだ子供と呼べる人間など、束になられても殺害できるに違いない。『
しかし目的は、樹里の確保だということを、彼らは忘れていなかった。
『仕方ないねぇ……! 『回収班』呼ぶよ……!』
だから、ただひたすらに逃げていた。
△▼△▼△▼△▼
「体育祭の競技に紛れて、連中を包囲するだ……!? なに考えてるんだ、あの理事長は……!」
「え!? いい手段だと思いますけど!?」
「馬鹿か! オオカミに羊の大群ぶつけるようなモンだぞ! いつ大量虐殺が始まっても不思議ないぞ!」
「羊の怖さを知ってないですねー! すぐパニクって暴走するから、結構危ないんですよ!?」
「たとえだから、実物はどうでもいいんだが……」
ランニングシャツ越しに感じる押し付けられた豊かな胸の感触にも、耳元をくすぐるバニラのソプラノボイスにも、なんの感慨もない。
リアシートにナージャを乗せた《バーゲスト》を駆り、校舎の狭間を走りながら、十路は焦りを怒鳴った。
可能な限り暗闘に留めようという、十路の任務と意思に、また制限がついてしまった。
「なら、急がないといけませんね!」
「……っ!」
ナージャの返事に、十路は己の体に歯噛みした。
中毒でアドレナリンを注射する場合は、本格的な治療までの時間稼ぎにしかならない。だから効果も薄れ、毒の影響が再び色濃くなり始め、踏ん張ることができない。
(重い……!)
二人乗りのせいもあるのだが、任務で使っているオフロードタイプの《
なによりも一番は、十路自身の体が思うように動かないこと。
「十路くん! 交代しましょう!」
言葉にせずとも苦戦を理解したか、ナージャが耳元で怒鳴る。いつの間にか『堤くん』から呼び方が変わっていたが、余裕がなかったため、気がつかなかった。
「本気か!?」
「国際免許、持ってますよ?」
「そういうことじゃない!」
「いち! にの――!」
ナージャは担いでいたカメラを押し付けて、勝手にカウントダウンを始めた。身を離し、十路の肩に手を置いた。
「さん!」
仕方なく十路は、ハンドルを押してステップを蹴って、後ろにずり下がる。衝突するべきナージャの体は、リアシートに存在しなかった。
走行中に立ち上がった彼女は、馬飛びの要領で下がる十路を飛び超えて、一気に場所を入れ替えて、ハンドルを握った。
(この女、何者だよ……!?)
プロのスタントマンでも
そもそも触れる体の感触が、見かけを裏切っている。女性らしい柔らかな脂肪の下には、相当に鍛えられた筋肉が詰まっていた。
彼女はじゃれつき愛想を振りまくネコではない。獲物を狩るための白い体躯を持つ雪豹だ。
正体や目的がなんであれ、味方してくれているのは確かだったため、
だからナージャは気を取られることなく、ダイナミックな運転で、学生たちもいる校舎間を駆け抜け、見通せる場所に出る。
修交館学院の敷地は、高さが建物二階分を優にある、ひな壇造成されている。その段差先端に。
「見えました!」
作業着姿でコンテナを乗せた台車を押す二人組が、下方にある校舎一階廊下を走っていた。いつの間にか、『ニンジャ』は忍び装束から着替えていた。
台車には二つのコンテナが載っている。ひとつは樹里が入れられているに違いない。もうひとつのコンテナには、
距離を隔てたその後方を、体操服姿の学生たち数名が追う。彼らは二人のことを、ただの配送業者と思っているだろう。素直に『宝』を引き渡せばいいものを、なぜか逃げていることに、不審すら感じていなかっただろう。
真実を知っている十路の目から見れば、正に『羊の群に追い立てられるオオカミ』だった。いつオオカミが足を止めて
だから十路は、リアシートから叫んだ。
「左の握りを捻れ!」
オートバイのアクセルは、ハンドルの右側だけにしかない。握り部分を捻ることで、アクセルの吹かし具合、ひいては速度を調整する。
しかし《
「スライド!」
その状態でハンドルを少し傾けてやれば、車体の向きが簡単に九〇度変わる。意図的にタイヤグリップを失わせるドリフト走法ではない。『超』をつけられる重機や履帯車両ほど完璧ではないが、車輪を違う方向に動かして向きを変える信地旋回を行う。
「そのまま! バランス!」
それどころか、前後輪をハの字に配置した状態を維持すれば、車両では普通不可能な真横の移動を可能とする。
「おぉー! これが《
「ディスプレイ切り替え! スピードメーターを二回、タコメーターを三回、左下隅を触れ!」
言われたとおりの操作で発揮される、未知の機動性に歓声を上げるナージャを無視した。十路はマニュアル操作の指示を続け、デフォルトのシステム画面呼び出させる。
「タブ『メカニズム』! サスペンション三番四番、ゲイン最小! 合図で一気に最大! 振り落とされるなよ!」
「……?
「あぁ!」
《
だが駄目だった。台車を運ぶ二人は、かなり無理矢理に逆T字型の廊下の『奥』へと曲がってしまった。
慌ててナージャがブレーキをかけたが、行き過ぎてしまった。
「十路くん! こうなればヤケです! 一度やってみたかったんですよねー!」
「は……?」
十路が怪訝に思う前に、彼女はアクセルバーを全開で捻った。左手はディスプレイに置き、指示とは違う操作を行う。
ナージャは頭を下げている。ジャンプする際にそんな姿勢でいれば、着地の衝撃で顔面をフロントに強打するかもしれないのに。
だからこそ、なにをする気か理解した。十路も背中に押し付けるようにして頭を下げた瞬間、二人乗りの機体は全力で段差を、後輪を滑らせるようにして飛び出した。
そして空中でわざとバランスを崩し、機体をほぼ水平に寝かせた姿勢になる。
一秒後、タイヤで窓を盛大に破壊し、屋内に飛び込んだ。横方向のベクトルをそのまま生かし、一瞬だけ壁を走った後、止まらぬまま廊下に降りた。十路もタイミングを合わせてクッションを取ったが、危なげは全く感じられない着地だった。
「HAHAHAHAHAー! 中継車のお通りですよー!」
実に楽しそうに、ロシア人留学生は廊下を疾走――いや暴走させた。追って曲がり角を曲がろうとした学生たちの足を止めさせ、豪快なハングオンで先行した。アスファルトと比べた摩擦は頼りないリノリウムの床なのに、転倒の危険を考慮しているのか怪しい速度で。
廊下奥で立ち止まっていた配送業者たちが、これまでと決定的に違う追跡者の出現に、ギョッとした目を向けてきた。
「HAHAHAー! 一〇〇点のお宝はっけーん!」
ナージャは二人乗りにも関わらず、わずかに
コケ方が悪ければ死にかねない高さのジャンプだけでも、普通は
(コイツ、ヤベェ……! 頭イカれてる……!)
先に立ったのは恐怖でも関心でもない。ハンドルを任せた後悔が、この時のナージャに抱いた、十路の正直な感想だった。当人が知れば『十路くんにだけは言われたくありません』と言うだろうが。そして双方を知る第三者も同意するだろうが。
この時点で彼女が《
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