000_0440 そこは悪魔の掌Ⅴ ~軽自動車届出書~


 一方、連れ去れた樹里はというと。


(気絶させるためにジメチルトリプタミンDMT吸わせたんだろうけど……あの量、私以外だったら、かなり危ないと思う……)


 暗い折りたたみ式コンテナの中で、この上なく落ち着いていた。台車に乗せられていても、屋外を通っているので、砂利でガタゴトするのに若干辟易していたが。

 詰め込まれる前に、作業着の『蟲毒じょせい』に気化した薬品を吸わされた。こういう場面ではおなじみのクロロホルムではなく、『魂の分子』、臨死体験を引き起こすとまで言われる幻覚物質だった。過剰摂取すれば意識を刈り取られる。

 《魔法使いの杖アビスツール》なしで《魔法》が使える樹里は、吸った時点で成分を分解したので、なんら意味はなかったが。

 それでも樹里は気絶したふりをして、体操着のまま膝を抱えた姿勢で詰め込まれ、大人しく運ばれていた。


 命と身柄を狙われる立場にあるのは、日頃から言い含められているのもあり、充分自覚している。

 誘拐犯たちの正体や目論見がわからない。

 ならば、大人しく運ばれておけばいい。相手の目的や本拠地がわかれば連絡し、あとは大人の問題して片付けてもらうのが、一番いい。

 十路が考える以上に、彼女は冷静だった。非常時に適切な対処ができるか、という話は別問題だが。


(これ、またつばめ先生の策略かな……?)


 同居人にして部活顧問に、はめられたような気がしなくもない。日頃注意を促されているとはいえ、体育祭前日の夕食時、改めて注意を受けたのだから、つばめはこの事態を察知していたのではないかと疑う。

 だったら自分が積極的に動かなくても問題ないだろうと、樹里は判断した。マーカー役をこなした後、文句をタラタラ言えばいい。

 樹里の場合、命が危うくなっても、並大抵なことでは死にはしないという思惑があるため、その程度にしか考えなかった。


(堤さん、大丈夫かな……? なにか毒を注入されたみたいだけど、近づいて診察したわけじゃないし……虫の毒なんて大したものじゃないはずだけど、あの様子じゃ、そんなレベルじゃなさそうだったし……)


 手榴弾の爆発も、せいぜい転倒した程度だから、他人の心配をしていられるほど、冷静で余裕があった。今からでも誘拐犯たちを倒し、十路を助けに戻るべきか考えるくらいに。


『なに考えてんだい……!』


 しかしコンテナ越しに聞こえた女性の日本語に、実行は控え、情報収集を優先した。

 出会って数時間で、信頼と呼べるものがあるわけがない。初対面が最悪の部類に入るであろうから仕方ない部分はあるが、差し引いても十路は人相が悪く愛想がない。守らなければならないという意識は働きにくい相手だ。

 だから陸上自衛隊の《魔法使いソーサラー》なら、根拠もないのに大丈夫であろうと、意識せずに優先順位を下げただけのこと。誰しも大体そんなものであろうから、薄情と呼ぶなかれ。


『あんなド派手なことしたら、成功するモンも失敗するだろう!』

『知るか』


 苛立つ女の声に、イントネーションのおかしい、ふて腐れた男の日本語が交錯する。いくら人目につかない状況とはいえ、あのハイテク忍装束で学校内をうろついていたら、誰かに見つかり騒ぎになるだろう。どうするもつもりなのだろうかと、間の抜けた疑問が樹里の脳裏によぎった。


 『ニンジャ』が奪った手榴弾を使ったのは、『蟲毒こどく』が苦言するとおり余計な真似だった。一般人が知ることのない暗闘の始末を、衆目を集める方法で行おうとしたのだ。


十路アイツ、ダメ……』


 だが、片言の日本語が一気に真剣味をびた。込められたのは恐れと読んでもいいかもしれない。


『あの坊やの正体、知ってんのかい?』

『イヤ……あぁいうヤツ、ダメ』

『ハァ? 知らないのになんで?』

『オレがまだ半端で、スタントコーディネーターだった、あぁいう目をした子供いた……アイツ見た時と同じ気分』

『そんなにヤバかったのかい……?』

小学生スクールチルドレンで、真剣リアルソード殺陣バトル、火ダルマなりたい、言い出した』

『疯狂的……(クレイジーだね……)』

『強い弱い、違う。折れない。厄介』


 ちなみに話に出てきた『子供』はというと、立派なアホの子に成長し、狂気の自爆拳法を自己流で身につけ、約二ヵ月後にこの学院に転入し、しかも交戦した青年の義妹だったりするのだが、この時点でそんな事実は誰も知らない。


(折れない、か……なんかわかるよーな、わからないよーな)


 遠くない未来で、その『子供』とほぼ毎日顔を合わせるようになることも当然知らないから、樹里の思考は十路に向いた。

 『ニンジャ』の考え同様、厄介だと。


(称号とか、あんまり意識したことないけど……《騎士ナイト》って、そんなにすごいものなの?)


 どういう経緯か不明だの護衛として派遣された彼だが、こういう事態になった以上、彼はいないほうがいいと考えてしまう。

 慢心をしているつもりはない。彼女は自分の分をわきまえている。

 ただ、堤十路という人物を知らないだけ。


(ん……?)


 感覚からすると、外来用駐車場まで運ばれたところだった。

 人は少ない。当たり前だ。今日の学院を訪れた人々にとって、駐車場が目的であるわけない。


『すみませーん』

『その荷物、待ってくださーい』


 なのに二人の人間が、樹里の入ったコンテナに、ひいては運んでいる『ニンジャ』と『蟲毒』に近づいて、あまつさえ声をかけた。

 取得する情報からすると、どちらも十路ではない。生体コンピュータを使った分析をするまでもなく、あのやる気なさそうな声とは違う。


(まずいなぁ……いざとなれば、私が――)


 裏社会の者に、しかも表沙汰にできない仕事の最中、なにも知らないまま不用意に声をかけ、どういう反応があるか。


『この荷物、理事長が発送する荷物ですよね?』


 制止したその荷物の中で、樹里が緊張しているなど知るはずもなく、近づいた学生の片割れは、微笑していそうな声で問いかけた。


『……そうですが、どうかしましたか?』


 対する『蟲毒』は、様子を見ることにしたのか、蓮っ葉な日本語を引っ込めて、変装した配達員のように対応した。


『理事長から、運ぶのもうちょっとだけ待ってくださいってことです』


 もうひとりの学生が言ったと同時、コンテナに軽く叩いたような音が発せられた。

 やはり直接目で見ないと、わからないことも多い。襲撃者たちも質問に肯定してしまったため、思わぬ事態に困惑しているのか、取り立てての反応は見せない。学生たちの目的が理解できないので、対応に迷ったのだろう。

 樹里も内心で小首を傾げたとき、グラウンドのスピーカーから声が届いてきた。


『――次の競技は、校内宝探しです』



 △▼△▼△▼△▼



 鍵については考えていなかった。しかし昼間、樹里と一緒に来た時のように、スイッチボックスは問題なく開いた。

 狭い隙間から急いで入ろう屈んだら、毒の影響でそのまま倒れこんでしまうことを予感したため、電動シャッターが開くのを大人しく待つ。


(やべぇ……)


 座り込むのも危険を感じた。精神的なものに違いないのだが、動いていたほうが毒の影響が薄れる気がする。しかし実行する体力がもったいない。呼吸困難と悪寒で、振り絞る気力も出なかった。

 しかし動かないとならない。装備を外しながら崩れ落ちそうな膝をこらえて待ち、半分ほど開いたシャッターをくぐり、十路は中に入る。

 昼休憩で見たまま、白い大型オートバイが、頭を奥にして駐車されていた。

 注入された毒のせいで、十路の体はまともに動かない。学校内での戦闘で、銃火器を不用意に使うわけにはいかない。

 ならば樹里の奪還に使える戦力は、《使い魔ファミリア》しかない。

 とはいえ、それでも不足していた。


(…………まさか、な?)


 ガレージから引き出そうと、ハンドルを手にかけたところで、十路はふと思い立った。

 その時の《バーゲスト》は、テストモードで動いていたため、《魔法使いソーサラー》の戦車ではなく、少し高性能な電動オートバイでしかなかった。

 それは、まだシステムに登録されたマスター役を認識していなかったから。


――トージくんもどう? 修交館ウチに転入して入部しない?


 だからこそ、つばめの勧誘を思い出した。

 自動二輪運転免許を持っていない樹里は除外。他の部員がマスターである可能性も、ハッキリしない返事だった。

 ならばもしかして、この《使い魔ファミリア》は、入部することを前提として、十路をマスターとして作成されたのではないか。

 そんないぶかしさと期待で、十路はシリンダーに刺さったままのキーを抜いた。

 一般的なタンブラー錠の鍵でも、最近の自動車で見られるウェーブキーでもない。金属とプラスティックで作られたカートリッジだった。

 十路はそれを口に含む。頬の粘膜をこそぎ取るように動かし、DNAを採取する。

 そしてハンドルを握り、カートリッジをシリンダーに挿して、捻る。

 エンジン音は鳴り響かない代わりに、車体の各所が青白い光を放ち、回路図にも見える幾何学模様が部分的に描かれる。現状世界最高のスーパーコンピュータである《魔法使いソーサラー》の脳と簡易的に接続し、仮想のDNA解析装置が作成されて稼動する。


 それだけ。《魔法回路EC-Circuit》が消滅する以外、変化はなかった。ディスプレイに表示された『ERROR』の五文字が、端的にその理由を説明してくれていた。


「そりゃそうだ……」


 この時点では外部組織に所属していた十路が、部の備品である《バーゲスト》のマスターであるはずがない。

 勝手に抱いた多少の期待も裏切られたため、嘆息ついた十路は、追加収納パニアケースを載せた機体をバックで表に出した。


「おやや?」


 そこで、ソプラノボイスが投げかけられた。

 銀糸と見まがう白金髪プラチナブロンドを揺らし、女性らしい肉体を体操服に包んだナージャが、支援部の部室を訪れた。

 なぜか左肩に、小型だが業務仕様のカメラを担いで。


「堤くんがそのバイク、お使いですか? というか、顔真っ青ですけど、大丈夫ですか?」

「あぁ……」


 オートバイの使用を肯定し、ついでに『体調悪いの自覚してる』という意味をこめて、消え入りそうなたった一言だけ返し、十路はオートバイにまたがった。


「じゃ、ちょっと付き合ってください」


 したら、なぜかナージャが、カメラを担いだままリアシートに座った。


「あと、これも見える位置に貼っといてください」


 そして、すぐ貼れるよう両面テープが既につけられた、『中継車』と書かれた紙を手渡された。

 意味がわからない。


「あのな……? いま切羽詰ってるんだが――」

「大丈夫です」


 ナージャを降ろそうとした言葉は、彼女が被せてかき消された。

 十路が振り返ると、ナンバープレートにもう一枚の『中継車』を貼り付けたナージャは、紫色の瞳を見返してくる。陽に干した布団のような雰囲気をかもし出す笑顔だったが、視線だけは鋭かった。


「誘拐された木次さんを取り戻すんでしょう?」


 彼女がどこまでを知っているのかはともかく、説明も誤魔化しも不要だと理解した。

 だから十路はそれ以上はなにも言わずに前を向き、ノーヘルのままアクセルバーを捻った。

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