000_0300 複雑怪奇な部活動Ⅰ ~ビルトインガレージ~


 グラウンドの片隅でペットボトルを呷り、乾いた喉を鳴らしながら、スポーツドリンクを流し込んで。

 ひと息ついたつつみ十路とおじは、口元を手の甲で乱暴に拭い、大きなため息を吐いた。


 疲れた。

 肉体的には大したものではなくとも、精神的な疲労が激しい。


(この任務、俺じゃなくても無理ないか……?)


 木次きすき樹里じゅりの護衛は、十路ひとりではお手上げだった。

 とにかく人が多い。これが普段の学校風景ならば、明らかに部外者とわかる服装や年齢で省くことができただろうが、体育祭の今日は不可能だった。

 加えて外国人が多い。ただ留学生が多いというだけでなく、《魔法》に関しては最先端の研究都市・神戸に家族連れで移住しているため、保護者も結構な数が参観していた。

 公安警察だけでなく、諸外国の諜報機関関係者もいても不思議ない。日本の機関は自国内のことなので、事を荒げたくないだろうと推測できるが、他国機関の対応は読めない。他国だから大人しくするか、無茶できると考えるか、どちらとも考えることができる。

 更に主犯と目されるフリング社の関係者は、国籍も不明と来ている。潜り込んでいても、十路には判別できない。

 警戒する対象者が多すぎるため、万全を期すならば、国賓レベルの要人警護体制を組まなければ不可能だった。

 いつどこにいる誰をどのように警戒すればいいのか判断できないため、十路はただただ気を張っていることしかできなかった。


 幸いなのは、護衛対象の樹里がほとんど動かなかったことだろうか。一度トイレに立ったくらいでしかない。女子トイレの中まで調べることはできず、何事も起こらないのを祈っていたが、たった一度の杞憂に終わった。

 十路も参加した競技は、借り物競争だけだったので、身辺護衛の役目は果たすことができた。


(午後もこの調子か……? 勘弁してくれ……)


 しかしこれが続くとなると、精神的にもたない。

 午前中になにも起こらなかったのは、結果論に過ぎない。午後になにか起こる可能性は、依然として存在していただろう。それが何パーセントなのか、全く予想できずに任務に当たるのは、辛すぎる。


 直近の問題としては、昼食をどうするか。

 午前の部が終わったため、人々が移動している。共に弁当を囲むために保護者席に行く学生。どこかに別の場所で食事するのか、共に移動する家族連れ。小学生ならばともかく学年が上がれば、家族と一緒が気恥ずかしいのか、それとも来ていないのか、学生だけで移動する集団もあった。

 友人であろう女子学生と別れ、ようやく移動し始めた、樹里はどうするのか。

 水分補給していれば、一日二日食べなくても平気だが、彼の都合で決められることではない。しかし彼女は十路が護衛だと知らないから、どうするべきか。学食にでも行くなら、付いて行って食事していればいいが、家族と一緒ならば、離れた場所で監視するしかないか。


 自分が護衛と知られていないため、彼女に予定を聞くのも迷ってしまう。普通の感覚ならば、今日初めて会った男に、なぜ予定を話さなければならないのか、となるだろう。

 様々な経験をした十路でも、かつてないほど、この任務はやりにくかった。


 十路がそうこう迷っていると、アタッシェケースを両手で提げた樹里が近づいてきた。


「堤さん。お昼、どうされるんですか?」

「考えていない」


 『お前次第だ』という本音は出さず、ぶっきらぼうに応じると、樹里は安心したように微笑を浮かべて、アタッシェケースを持ち上げた。


「じゃあお昼、ご一緒にどうですか?」



 △▼△▼△▼△▼



 樹里に引き連れられて来たのは、敷地隅に建つ、プレハブの建物だった。長久手ながくてつばめと公安刑事が対峙していた場所だが、ふたりとも知るはずもない。

 樹里はシャッター脇の小さなボックスに鍵を差し込んで、手馴れた様子で開くと、スイッチを押す。

 するとモーターが呻りを上げて、シャッターを巻き上げ、ゆっくり内部を見せた。


「ここは?」


 正にプレハブといった屋内の、壁二面を占める棚にはさまざまな物が詰め込まれている。中身不明のダンボール箱から、いくつか用途不明のガラクタが覗いていた。別の棚には紙が黄ばんだマンガ本や、埃をかぶった映画やゲームのハードケースが並んでいる。

 それだけでも倉庫としてはおかしいが、奥には小さなキッチンや冷蔵庫があり、ボロボロの応接セットとOAデスクも置かれている。だからまだ新品の光沢と保っているパソコンと、卓上充電器に乗っているタブレット端末が異質に見えた。


「物置き場か?」

「や……ここが総合生活支援部の部室です」


 『やっぱりそう思われるんだ……』とでも言いたげな半端な顔で、樹里は半分ほどシャッターが上げた時点で停めて、照明をつけた。五月とはいえ好天で、直射日光がきついのか、シャッターは全開しなかった。


「《使い魔》、移動させたのか?」


 すると、棚の前に駐車された、白い大型オートバイに気づくことになる。《使い魔ファミリア》の配備で突貫工事したのか、真新しい二〇〇ボルトの充電用コンセントにケーブルが接続されている。

 樹里と共に駅から学院に移動してからは、理事長室で話をして、そのままグラウンドに移動した。だから駐車場に停めたままになってるはずなのに、ここにあるということは。


支援部ウチの備品なら、放置するのも問題ですし」


 樹里が移動させたということに他ならない。


「また無免許運転したのか」

「や! 今度は押して運びましたよ!?」


 元々その風情があるがあったが、今日からここは本格的に、ガレージハウスになるということか。

 そう思い、十路は改めて屋内を見渡した。


(ボロ……)


 感想はその一言で充分だった。学院の校舎はまだ新しいのだが、このプレハブ倉庫は建設当時より前からあったのではないかとも思えた。それをリフォームし、今のようになんとか居住性を作ったような。


(やっぱ民間の《魔法使いソーサラー》部隊ってのも、資金繰り厳しいのかぁ……?)


 軍事はとにかく金食い虫だ。平時で役目はなくとも訓練で銃弾を消費し、兵士を食わせて万全にしておかないとならない。

 軍事に限らない《魔法》運用も似たり寄ったりで、まともに運用しようと思えば小国の国家予算規模を簡単に超える。《魔法使いの杖アビスツール》の価格など億を簡単に超え、電池が特殊であるため、一度の《魔法》に消費する電力料金も、巨大工場とも比較にならない。

 民間組織であるならば、純然たる軍事組織とは異なるだろうが、《魔法使いソーサラー》が金食い虫であることに違いはない。それが部室に表れていると、十路は考えた。


 同時に危険も感じた。

 秘匿の意思が全く感じられない。どれほど重要な会話をするか不明だが、こんな設備では盗聴器も仕掛け放題、聞き耳立てることも容易だろうと。


「この学校、初等部から大学部までありますから、部活とかサークルとか同好会とか、乱立してますからね。元々倉庫だった建物を自分たちでリフォームしたんですけど、これだけ広い部室が確保できるって、なかなかできないことなんです」


 十路が黙って部室を物色していたのをどう捉えたか、冷蔵庫を開けて麦茶をコップに注ぎながら、樹里が弁解のような説明をした。


「オンボロですけど、子供の頃の秘密基地みたいで、ちょっと楽しいですけどね」


 微笑しながらチェスボードや雑誌を片付け、テーブルにコップ二つを置いた。


「悪いが、俺にはそういう経験がないもんでな」


 本格的な戦闘陣地や、待ち伏せに使う簡素な狙撃用陣地なら、いくらでも作ったが。

 だから気持ちは理解できないし、どうでもいいと、無愛想に十路は返した。


 樹里に本音は伝わらなかったのか、ただ無視しただけなのか。


「それで、お昼作るのこれからなんですけど、ちょっと手伝ってもらえませんか?」


 話題を変えて、棚の一角を示した。



 △▼△▼△▼△▼



「なぁ……鉄板焼きって、体育祭の昼飯として普通か?」

「や、普通ではないと思います……何人前になるかわからないって聞かされたので、こんな形になりました」


 指示に従って準備した物を見て、十路が疑問の声を上げると、油を塗りながら愛想笑いを浮かべた樹里が答えた。


「なんのための改造だ?」

「や、こないだ、お好み焼きパーティーやった時に製造されまして……温度低い部分が広いから、作りながら食べるのに便利だろうって」

「工学部系のノリだな……」


 ホットプレートなのだが、改造された品だった。市販品の本体を一部分解し、盛大にはみ出す広さの鉄板を乗せていた。水平にする足だけをくっつけて、あとは剥き出しなので、不用意に触れれば火傷する。


「堤さんは、いつ転入してくるんですか?」


 あとは火を通せばいいだけの準備をしたのだろう。樹里は空間制御コンテナアイテムボックスから、アルミホイルに包まれたものを、次々と鉄板に置きながら問うてきた。

 護衛ならば薬物混入を警戒しなければならないが、樹里の手作りな上に、空間圧縮コンテナアイテムボックスで保管されていたから、その心配は不要だろう。彼女が十路に対して薬を盛る可能性も、チラリと頭をよぎったが、平和ボケした態度にそれはなかろうと、幾分かは警戒心を解いた。


「転入って? なんのことだ?」


 とはいえ完全な無警戒にはしなかった。十路も彼女も《魔法使いソーサラー》で、別組織に所属している形なのだから。当人の意思と無関係に、どんな利害関係が絡むのかわからないため、心を許すことなどできない。

 昨日の味方が今日には敵になる。そんな殺伐とした世界に身を置いていた十路には、絶対に許容できないことだった。


「ふぇ? ウチの学校に転入するから、今日体験入学してるんじゃないんですか?」

「違う」

「つばめ先生から、そう聞いたんですけど……? だからお弁当も、多目にって頼まれましたし」


 何気なく出された名前が、一度しか聞いていないためめ、瞬間誰のことか十路にはわからなかった。


「……あの理事長、何者だ?」


 記憶に残りやすい役職を思い出すと、改めて疑問も思い出したため、ちょうどいいと質問することにした。判断材料だけでも得ようと情報収集を行った。


「『何者?』って訊かれても、返事に困るんですけど……」

「広い意味でだ。《魔法使いソーサラー》がどういう存在かっていうのを理解している前提で訊くが、裏社会の人間か?」

「半分そっち側に足を突っ込んでる、って思っていいと思いますよ? 偉い人とのコネとかあるみたいですし」


 金属枠におろした山芋を流し込みながらの樹里の言葉は、何気ないトーンのものだった。《魔法使いソーサラー》は周知されていても実態はあやふやな、半裏社会の人間だという自覚があることに、十路はそこはかとなく安心した。


 そしてこの少女に訊くのも間違いだろう、とも思い直した。

 きっと詳しいことはなにも訊かされていない。秘密を死守できる性格ではないから、つばめは最初から詳しい話をしていない。護衛の件でもそうなのだから。


「そもそも部活ってのは、普段なにやるんだ?」


 だから十路は質問を変えた。

 つばめから簡単に聞いたが、具体的になにをするのか、あまり理解していなかった。午前中の様子だけ見ても、樹里は普通に学生していたため、伺い知ることができなかった。


「やー、色々ですね」


 すると樹里はベーコンアスパラを並べ終えてから、思い出すように上を見ながら言葉を紡いだ。


「校内の引越しとか、施設や備品の修理とか、植木の手入れとか。たまに恋愛相談とか人生相談なんかもありますね」

「……そんなことに《魔法》使うのか?」

「ややややや。ほとんど使いませんよ」


 なんでも屋を部活動とは呼ばないだろう。普通の学生生活とは縁遠い十路でも、それくらいは理解できた。

 しかも《魔法》を使わないのなら、なんのための社会実験チームだとも考えてしまう。


 十路は額に指を当て、どういう質問をして情報収集するか、しばし考えてから口を開いた。


「《魔法》使う機会は? 今朝、何気なく俺の治療したけど、そういうことってしないのか?」


 競技で盛大に転倒し、膝を擦りむいて、泣きながら救護テントに連れて行かれた小学生もいた。

 しかし樹里は、《魔法》で治すどころか、普通の手当ても行わなかった。養護教諭の手当てを受ける少年を気にかけるように、遠くから眺めていただけだった。


「やー……あれは特例と言いますか」


 ヒップアタックで鼻血ブーさせたのが後ろめたかったのか、樹里はヘラで野菜炒めを作り、十路の顔を見ようとしない。


「法律違反しているわけじゃないですけど、医師免許持ってるわけないですから、おおっぴらに治療するのは控えてるんです」


 医療行為は原則的に、資格を持つ者以外、従事してはならないと法律で定めている。社会的にはただの女子高生である樹里が、医師免許など持っているわけがない。

 しかし医師法が禁じているのは、医療行為を業――仕事にすることで、行為そのものを全面的に禁じているわけではない。でなければ、救急車が来るまでの応急処置だけでなく、救急隊員による搬送中でも、抵触する可能性が出てくる。

 そういった例外の中には、緊急措置だけでなく、実験的治療行為、最先端医療技術も含まれる。

 《魔法》による医療行為は、これに該当する。


 樹里の治療は違法ではない。しかし目こぼしされているグレーゾーンであり、決して合法だと勘違いしてはならない。調子に乗っていたら、法の裁きを受ける可能性は充分にある。

 だから彼女はこの頃も今も、特殊な治療法というだけでなく、緊急時という例外事例が加わる時だけ使うようにしている。ちょこちょこ隠れて個人的事情でも治療しているが、基本的にはしない。


「あと、自慢みたいな言い方になりますけど……外科的なことだったら、私はどんな難しい手術でも、一〇〇パーセント成功させる自信があります。だからたとえば手のほどこしようがない、余命三ヶ月の末期がん患者を完治させたのが表沙汰になったら、どうなるか想像できますよね?」

「押すな押すなの大盛況だな」


 重病人当人や、患者を抱える家族が、治療を求めて殺到する。諦めなければならない命に可能性を見い出し、奇跡を願う者たちは絶対に出てくるから。

 物理的に全ての人々を、この少女ひとりで救えるはずないのに。


 ただの事実として真面目な言葉を語るうちに、真剣味を帯びた人懐こい顔を、十路はじっと見た。


「? なにか?」

「多少はマトモな判断できるんだなーと、認識を改めた」

「……堤さんの中で、私の評価、最低なんですね」


 そんな話を聞かされても、改めた程度。平和ボケした子犬ワンコという評価に、変化はなかった。

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