050_2200 結局ピノキオは人になったのか?


 あの日は結局、それどころではなかった。

 だから改めて、野依崎の誕生日パーティが行われることになった。全く復興が進んでいないため、暗い神戸の夜、総合生活支援部部室前で。


「あの日、なぜ夕食でバーベキューしていたのか、理解不能だったでありますが……そういうつもりだったでありますか」

「じゃぁ、なんだと思ってましたのよ? 確かにあの時、誰もフォーさんの誕生日に触れなかったですけど」

「《男爵バロン》の対策を話し合うために、部員全員で食事していたのかと思っていたであります……」


 すでに疲れた様子の野依崎が、コゼット相手に今更こぼす。サプライズ・パーティーどころではなくなり、食料品を無駄にしないために食べていたと考えるより、状況的にそちらが自然かもしれない。

 場所もやることもあの時と大差ないが、準備に時間があった分、多少変化がある。


「前とは違うケーキにしてみました~!」

「自分、前のケーキを知らないであります……」

「バームクーヘンで作ってたんですけど、パーティーどころじゃない状況になったので、早々に証拠隠滅しました」

「食ったでありますか……」


 ケーキが変わった。ナージャがロウソクを立ててフォーの前に差し出したのは、リットル単位のアイスクリームを飾り立てた物だった。暦の上では秋だが、野依崎はアイスを好むという事前情報と、バーベキューもまたやるので、冷たくてもいいだろうと料理長ナージャが判断した。


「部外者までいるでありますが……」

「じゅりちゃんの友達? フォーちん、前に会ったんしょ?」

「会ったというか、改造いじられたというか……しかも、のた打ち回っているアレは?」

「和っちセンパイはいつものことじゃん。フォーちん知んないだろうけど、前の時もいたよ?」


 面子が変わった。顧問たるつばめは戦後処理で東京滞在中のため、メッセージとプレゼントのみの参加となった。

 代わりに南十星が挙げた部員以外の人間が参加している。料理のつまみ食いをしようとした和真は、ナージャに地獄突きで沈められて、そんな普段のやり取りを知らない結・晶・愛の三人娘はドン引きしているが。


 特に野依崎自身が変化している。当人は不満そうに、コゼットに小声でこぼし続けるが。


「なぜ着替えなければならないでありますか……」

「主役なんですから、ちったぁ着飾りやがれ……いつも通りジャージでウロウロしやがんじゃねーですわよ」


 修交館学院初等部女子の学生標準服である、二次元ではともかく現実には珍しい、白に近い水色のワンピースタイプのセーラー服を着ている。

 半袖と膝丈スカートからは、下に着ている衣装ハベトロットを覗かせ、ネコミミ帽子をかぶっているが、きっと二度とお目にかかれない野依崎の夏季学生服姿だった。また万年ジャージに戻るかはさておいても、数日後には衣替えになるので、最短でも半年先まで見ることはできないだろう。


「んんっ。それではフォーさん、改めまして」


 付き合っていたららちが明かないと思ったか、王女の仮面を被ったコゼットが、鈴の音で歌い始める。


「Happy birthday to you――」


 ギネス・ワールド・レコーズにも記載されている、世界で最も歌われている歌。『数年前なら著作権料が発生したであります』などと悪意のない毒舌を吐くこともなく、野依崎も困惑顔のまま口を閉ざしている。


「「Happy birthday to you――」」


 応じてナージャと南十星も歌声を重ねる。公用語として英語を修めているのは南十星だけだが、国籍の異なる者たちが同じ言語で歌う。


「「Happy birthday, dear――」」


 他の日本人たちも声を合わせる。しかし名前の部分でつまずいた。多くは本名であり、あだ名でもある『フォー』と呼んだが、彼女が普段使っている偽名も出てきた。

 『どれだよ』と言わんばかりに、小さな笑いで歌声がぶれる。


「「――Happy birthday to you」」


 それでも歌い切り、拍手が響く。

 野依崎は動かない。眉尻を下げて固まっている。

 知識としては知っているかもしれないが、誕生日を祝ってもらった経験がないのだ。彼女の正体を知った今、つばめが『祝ってほしい』と言った理由が理解できる。

 だからケーキを持ったナージャが小さくささやいて促すと、ようやく肩で息を吸い。


「――ふぅぅ……」


 一一本のロウソクを、吹き消した。



 △▼△▼△▼△▼



「あの、王女殿下……学校で火を焚いていいのでしょうか?」

「月居さん、おっしゃりたいことは理解できますわ……でも、この部に常識を求めてはならないのですわ……わたくしも最近になって、ようやく諦めがつきましたわ……」

「まぁいいんじゃね? 《魔法使いソーサラー》ばっかなんだしさ、山火事になってもすぐ消火できるだろうし。なんやかんやでウチの部室、消火器がいっぱいあるし」

「普通に『理事長が顧問だから』って理由じゃないんだ……」

「まぁ、なんとなくわかってたけど……」

「樹里ちゃんの友達だと……わかんないかぁ? この部はそういうところ。お姫様も言ってたとおり、気にしちゃダメ。さぁさぁ、折角来たんだから――ぐぇほ!?」

「はいはい、和真くん。目障りですから、あなたの正体を知らない女の子に、ちょっかいをかけないでくださいね」

「げほっ、ごほっ……! ナージャさん……! ただ話してるだけなのに……! また地獄突きで黙らせないでください……!」

「クニッペル先輩。知ってますよ? 高遠先輩の女ったらしは」

「俺そこまでナンパしてねぇのに……!?」

「でも樹里にもナンパしてるって聞きましたよ?」

「あたしにもそーゆーこと言うよね」

「畏れ多くも部長さんにまで言ってましたよね」

「はい……それは事実です」


 無秩序に賑やな場に背を向けて、十路はそっと離れ、シャッター開けっぱなしの部室に足を踏み入れる。

 普段は周囲がかしましくても気にしないというのに、今日はどうにも居づらい。

 自身に起こった変化を、樹里と野依崎以外の部員は知らない。話せるわけがない。

 その後ろめたさと、違うモノになってしまった自己嫌悪が、彼女たちと一緒にいるのを苦痛にする。


 いつもの停車位置には、半壊したままの《バーゲスト》が鎮座している。

 十路が入ってきても、イクセスはなにも反応しない。もちろんシステムが故障していないのは確認している。

 やるせなく首筋をなでてから、十路はため息交じりに謝罪する。


「……悪かったよ」

【とりあえず謝っときゃいいとか考えてるなら、不愉快なんですけど……?】

「そうじゃないけど、部活が終わってから、お前、一言も話さないだろ?」


 あの戦闘ぶかつが終わり、この部室に輸送する際にも、それからも、イクセスは一言も発しなかった。この返事が久しぶりに聞く彼女の声だった。

 十路が考える原因は、《ヘーゼルナッツ》のデバイスを守るために、《バーゲスト》を破損させてしまったくらいしかない。


「俺が無茶させて壊して、しかも修理もままなってないから、不機嫌なんだろ?」

【いえ……仕方ないのは理解しています。あの状況なら、他に手段はなかったと思いますし……】

「じゃぁどうした?」

【……トージ。《使い魔ファミリア》はどういった《魔法使いソーサラー》の装備となるか、ご存知ですよね?】


 イクセスは不機嫌なのではない。ずっと言葉を発していなかったから仕方ないだろうが、ようやく十路は理解した。

 ただし、無口になった理由も、彼女の質問が意図するところも、想像できない。戸惑いを覚えながら問いに応じる。


「《魔法使い》の人数やら、お国事情が深く絡んでくるだろうが、普通は叙勲するような働きをした連中だな。俺は前の学校でも乗ってたし、こういう言い方は自慢みたいになるから、あんまり言いたくないんだが」

【ならば、なぜ《使い魔ファミリア》が、優秀な《魔法使いソーサラー》に与えられるか、それもご存知ですよね?】

「優秀ってことは、それだけ過酷な任務にコキ使われるってことだ。だからサポーターって理由が一番だろう」

【一番はそれではありませんよ……】

「抑止力と、万一への備え、か?」

【えぇ……もしもマスター役の《魔法使いソーサラー》が裏切りや暴走した際、抹殺するために《使い魔ファミリア》は配備されます】


 実際どこまで有用かは怪しい。《使い魔ファミリア》は意思と自律行動能力を持つ《魔法使いの杖アビスツール》でしかないため、基本単体では《魔法》を使った次世代戦闘は行えない。《魔法使いソーサラー》と真正面から交戦すれば、敗北はほぼ確定している。

 だが《使い魔ファミリア》の多くは、隠匿性と踏破性を考えた二輪車形状の乗り物ビークルだ。移動時に目立ち、邪魔になる装備を持たない状態で触れる機会がある。

 《魔法》を使えない状態ならば、軽量級の戦闘車両でも充分勝てる。《魔法使いソーサラー》が乗っている時、自爆してしまえば抹殺できる。

 確実性はどこまでのものか怪しいが、セキュリティのひとつとしては機能するため、上層部は鹵獲ろかく阻止という名目で、自爆機能を持たせている。


【私は万一の時、ジュリを破壊するため、リヒトとユーアに製造されました……】


 妹を殺す道具を、義兄と姉が作った。

 保護者の責任と言えるだろうが、殺すことを前提にするなど、並の精神で考え付かない覚悟を感じる。

 同時に疑問も覚える。《使い魔ファミリア》を首輪とするなら、不完全すぎる。樹里は高校一年生で、誕生日が年をまたぐ早生まれだ。大型二輪はもちろん、スクーターの運転免許も持てないのだから、乗ることができない。こんな単純なことに気付かないはずはない。


【そして今回の事態で、トージ……あなたも破壊対象になるでしょう】


 自然と右手が掴む。全く変わらない、しかし別物になってしまった、左腕を。

 《バーゲスト》は、十路の転入とほぼ同時期に、部に配備されたと聞いている。しかもマスター役は、十路と樹里の二人でシステムが作られている。

 何物かの作為を感じてしまう。樹里の首輪を、十路にも担わせようとしただけでなく。

 十路も同種となることを、見込んでいたのではないだろうか、と。


「《ヘミテオス》、か」


 その単語を口にするのには、部室の外を確かめてしまう。

 皆、食事をしながら歓談しているので、こちらの会話に気づいている様子はない。


【えぇ……詳細は私も理解していないので、質問は受け付けません。しかし私には、緊急時の破壊命令がインプットされています】

「実行の判断材料は?」

【……私の意志、のみです】


 おかしい。


「上位権限による命令は? たとえば理事長とか、木次の兄貴・姉貴が命令すれば、問答無用で実行されるってことは?」

【存在しません。全て私に一任されています】


 そんな設定はありえない。


 だが、イクセスが無口になった理由が、ようやく推測できた。

 彼女は苦悩しているのだろう。

 機械にあるまじき感情だ。残酷な結果を生み出すことも、冷徹に、無感情に行うはず。いや、そうでなければならない。


 常日頃感じることだが、改めて思う。

 イクセスと名づけられたAIは、あまりにも人間的すぎる。


「ベーレンホイター」


 ソファはテーブルと共に表に出され、コンロの周りに置かれている。だからOAチェアを持ってきて、オートバイの前で座り、膝に肘を乗せて十路は教える。


「日本語名だと《緑の上衣を着た兵士》……それが俺の、《ヘミテオス》としての、能力プログラムらしい」

【グリム童話ですね。普通、そのドイツ語を直訳した『熊の皮を着た男』というタイトルのようですが】

「らしいな。そんな話があること自体、部長に聞いて初めて知ったけど」


 イクセスが言外に『関係ない話題を出してどうした?』と言っている気がするが、十路は無視して自分の話を続ける。


「金持ちになるか、魂を奪われるか……七年間、人間扱いされない風体になっても耐えられるか、兵士は悪魔と賭けをした。俺が兵士だとすれば、お前の役どころは悪魔か?」

【意味のない比喩ひゆだと思いますが、そうなるでしょう】

「なら問題ないだろ」


 本棚に視線をやる。詰め込まれているのは、ほとんどイメージトレーニング兼暇つぶしのマンガだが、他の本も置かれている。

 コゼットに聞いて先ほど開いてみた、童話集も。


「悪魔は兵士の魂を奪えなかった」

【童話では、別人の魂を奪っていますけどね……ま、三年目に婚約する娘よりは、マシな役どころですか】


 合成音声はまだ尖っているが、幾分やわらいだ。

 十路の放った言葉は、ただの気休めでしかない。彼自身も『そんな時は来ないから信頼しろ』などという気持ちを込めていない。

 むしろ、いざとなれば殺せとすら思っている。得てしまった能力について、なにもわかっていないのだから。自分が周囲を害する存在になるならば、後腐れなく殺してもらいたい。

 それを今、苦悩している彼女に語ることは、さすがに十路でもしないが。


粗野で種々雑多なものアラライラオ……日本語に再設定された名前は、《千匹皮》」


 十路とイクセスの会話に、横合いから割り込んできた。 


「それが私の能力プログラムで……私が知ってる、唯一のことです」


 首だけ動かすと、中途半端に開いたシャッターの真下に樹里がいた。視線を足元に落とし、十路を見ないまま。

 彼女とも部活動が無事終了してから、ずっと話していない。

 怒りとは違う。後ろめたさでもない。説明しにくい、タールのような黒くまだ冷めやらぬ感情が、彼女を善しとしない。

 樹里も同じなのかもしれない。しかし彼女の感情は、冷え固まっているのは顔色でうかがえる。


「すみません……私は、昔の記憶がないんです……」


 無言をどう受け取ったか、弁明が重ねられる。


「覚えてるのは、五年くらい前からで……子供の頃、どこでどう暮らしてたとか、両親がどんな人かも、全然覚えていないんです……《千匹皮》も気がついたら持ってたという感じで……」


 初めて聞く話に、十路は小さな驚きを覚えた。

 総合生活支援部には、互いの事情を詮索しない暗黙の了解があるため、プライベートな話題は避ける傾向がある。

 とはいえ、やはり言葉の端々から伝わってくるものがある。その中で樹里の両親については、一度も聞いたことがない。姉夫婦が保護者なのは察していたが、『なにか事情があるのだろう』程度で流していた。当人も両親を知らないとは、予想していなかった。幼少期の思い出を語ることも少なく、しかも五年も間があるため、記憶がないことも全く感じなかった。


【ジュリ。リヒトとは連絡が取れないのですか?】


 二人でいると無言が流れるだけだから、イクセスが問うと、樹里は一瞬だけホッとした様子を見せた。


「取れたというか……留守電にいまアメリカの留置所にいるって連絡があっただけ」

【……リヒトは一体なにをやったんですか?】

「や、よくわからないけど、ホワイトハウスに突入したとかなんとか……」

【全然理解できませんが、ひとつだけ理解できますね。あの男はアホですか?】


 イクセスはスピーカーから呆れのため息を漏らす。その横で十路は内心で舌を打つ。

 リヒト・ゲイブルズ。

 きっと世界中で最も《魔法》に精通し、《ヘミテオス》を最も知っていると思われる人物と、コンタクトが取れないのでは、また不安と苛立ちのまま過ごさなければならない。


「…………姉貴は?」


 十路が重い口をこじ開けると、樹里は怯えたように肩を震わせた。


「その……まだ帰ってきてません……事が終わって、静岡の自衛隊駐屯地に行って、それっきり連絡が取れなくて……」


 オドオドした返事に、十路は今後こそ音を立てて舌を打つ。鋭い音にまた樹里の肩が震えたが、気にしない。

 ゲイブルズ木次悠亜ユーア

 リヒトの事情とは別に、会わなければならない人物になってしまった。


(木次の姉貴が使ってたのは、間違いなく《無銘》だった……)


 十路が知っている範囲では、古巣である富士駐屯地の開発実験団本部に保管されているはずの装備を使っていた。


(でも、そんなわけ、あるはずない……)


 《魔法使いの杖アビスツール》は、使用する《魔法使いソーサラー》専用にカスタマイズされている。マザーボードを交換して、別人が再使用している可能性もゼロではないが、整備改修するなら、折れた刃をそのままにする理由はないだろう。

 しかも《軟剣》などという、類似 《魔法》を見たことがない、クセの強すぎる術式プログラムまで使っていた。

 それらの使い手は世界にひとりしか存在せず、もう存在していてはならない。

 かつての上官で、憧れだった、最強の《魔法使いソーサラー》――《女帝エンプレス衣川きぬがわ羽須美はすみは。


(あの人は間違いなく俺が殺した……木次の姉貴が、羽須美さんのわけがない)


 疑う余地はないのだが、見てしまった以上、看過はできない。しかも悠亜はヘルメットで顔を隠していたことが、疑念を増加させている。


 なによりも樹里の特徴に、共通点を見出してしまう。あどけなさが残る女子高生と、上官だった陸上自衛隊員では、年齢も顔も体つきも違う。しかしまだ発展途上の樹里が完全に大人になれば、『彼女』に似てしまうのではないかと連想する類似点が存在する。

 ならば、樹里の姉は? 妹とそっくりだったら? 親代わりならば、年齢が合致してしまわないか?

 事態がひとまず片付いた時には、既に神戸を離れていたらしいが、リヒト同様、会って確かめなければならない。


 それにしても樹里の関係者たちは何者かと、改めて思う。謎が多すぎる。

 初源の《魔法使いソーサラー》が義兄で、十路にとっては怪しいことこの上ない無所属の《魔法使いソーサラー》が姉で。

 表向きは社会実験チーム、しかし実体は超法規的準軍事組織を設立した、若き学校法人責任者と同居している。

 そして当人も、《ヘミテオス》などという正体不明の超人だ。


 なにかが起こるとするならば、きっとその中心は、樹里なのだろう。


「その、ごめんなさい……どうでもいい情報ばかりで……」


 そんなことを十路が考えていたら、うつむいたまま、か細い声で樹里が謝る。 

 義兄や姉と会うことができないのは、それぞれの事情によるものなのだから、彼女が謝罪することではない。

 精一杯役に立ちたくて。できる限りのことを十路にしたくて。でも役に立たない自分をなじれと言わんばかりに口にした。

 十路の変化について、彼女は一言も謝罪を口にしていない。許す、許さないの問題ではない。だから。


 もっとも、自分の行動を含めて、きっと彼女は理解していない。


 ただでさえ今の十路に話しかけるには、勇気が必要だったに違いない。彼が鼻を鳴らすと、怯えた子犬のような態度をつのらせ、すごすごと部室から出ていった。


【トージ……】

「言われなくてもわかってる。俺の身に起こったことは、木次が助けようとした結果だって言うんだろ?」

【えぇ、そうです】

「だからって、受け入れらない」

【…………】


 とがめるような声に答えると、わずかに唸るような音を出して、イクセスは口を閉ざした。

 もう少し樹里に気を遣えと言いたいのだろうが、彼自身で冷徹だと思っても、十路としても受け入れられない。機械の彼女にしても心情は想像できると、それ以上は言わないのだろう。


 背もたれに体重を預けると、さび付いた音が立った。ガルバリウム鋼板の屋根に、苛立ちのため息を吐き出す。右手も首筋から移動し、短髪頭をかきむしる。

 前の学校での『校外実習』で、任務達成困難な状況になったことは何度もある。だが当たって砕けろとばかりに覚悟を決めれば、なんとかなることばかりだった。

 それが、こんな打開のしようのない、他人任せの状況には、困惑することしかできない。


(普通の学生生活はどこにいった……)


 十路が転入・入部した際、望んだものから、随分と遠ざかってしまった。


「賑やかなのを好むわけでないでありますが、陰気なのもどうかと思うであります」


 少女のものにしては随分と低い声に、再び顔だけ向けると、両手に大量の荷物を抱えた野依崎が部室に入ってくるところだった。

 抱えた荷物は、贈られた誕生日プレゼントだった。まだ包み紙をはずしていないそれを、キーボードをどけたOAデスクに山積みする。

 そして封筒ひとつだけ手に、仰向け未満の十路に近づき、太ももに飛び乗ってきた。反射的に上体を起こし、十路は小さな体を軽く抱きとめる。


「どうした、フォー?」

「なにかに抱きつくのは精神に安定をもたらすという、研究発表も存在するであります」


 珍しい以前に、初めてのことに十路も戸惑う。あの手この手を講じたわけでもないのに、懐かない野良猫が急に体をこすり付けて甘えてきたら、なにかあったのか疑いたくなる。


十路リーダーが自身の変化を、どう捉えているか、関知せずに言うでありますよ」


 十路の腕を導き、背中を腹に押し付けながら、野依崎は愛想のない声を放つ。


「あの時、十路リーダーが力を振るわなければ、《男爵バロン》に敗北していたのは確実。神戸も存在していたか、怪しいものであります」


 抱えこまされた小さな体は、骨格の細さはわかっても、少女らしい柔らかさや温もりは伝わってこない。学生服の下に《魔法使いの杖アビスツール》を着込んでいるため、ゴツゴツとして硬い。


「だから自分は、感謝するであります」

「そうだよな。それだけは認めないといけないよな……」


 代わりのように十路は、ネコミミ帽子の上から赤毛頭に鼻先をうずめる。繊維の埃っぽい匂いに混じり、落ち着く日向の匂いが鼻腔に届く。


 十路は大量出血で死んでいた。《トントンマクート》にいいようにもてあそばれ、《ヘーゼルナッツ》は撃墜された。落下してくる戦略兵器を撃破できなかった。

 《ヘミテオス》が、《緑の上衣を着た兵士ベーレンホイター》が、管理者No.003じゅりの決断がなければ、なにも守れないまま死んでいた。

 勝利した現在いまのために、なくてはならなかった要素であることは、認めなければならない。


「そういや部活、まだ辞める気なのか?」

「辞める理由がなくなったであります」


 戦い始めた発端は、結局それだったはず。


「それに理事長プレジテントから、こんなプレゼントが届いたでありますから、離れられなくなったであります」


 普段と同じように、けれどもどこか嬉しそうに、野依崎が大事そうに持っていた封筒を開く。


「戸籍謄本とうほん?」


 頭の上から覗き込んで、出てきた書類の意外さに、十路の口から疑問が漏れる。


「野依崎雫の戸籍謄本……もう少し正確に言うと、戸籍原本の写しであります」


 正確もなにもそのままなのだから、野依崎の日本語はおかしい。日本人ひとりひとりの誕生から死亡までの記録を戸籍原本と呼び、市区町村役場で管理している。一般市民が契約や公的届け出時に取得する戸籍謄本は、そのコピーだ。


「戸籍の偽造は電子情報のみで、さすがにバックアップまでは、手出ししていなかったでありますからね。もともと神戸に長居する予定もなかったでありますし」

「なんで今さら戸籍が出てくるのか、意味わからんかったけど……そういうことか」


 秘密裏に、遺伝子工学的に生み出された野依崎は、正式な戸籍を持っていない。社会生活を送るのに、彼女はハッキングで偽造した戸籍を使っている。

 しかし電子データ化が進んでいる現代でも、いまだバックアップとして紙が使われていたり、アナログな磁気テープで保存している。そちらは手出ししていないとなると、いずれ誰かが齟齬そごを見つけただろう。

 つまりこの、法務大臣の名前が直々にサインされた書類は。


「正真正銘、『野依崎雫』になったってことか」


 No.44でも《妖精の女王クィーン・マブ》でもない彼女の存在が、おおやけに認めれている証明だ。バックアップ対策も取られていると十路は見る。


「お前の望みは、これで叶ったのか?」

「さぁ? イチャモンつけられるツッコミどころが少なくなっただけで、今までと変わらないと思うでありますがね。現にアメリカ政府は秘密裏に、《男爵バロン》と共に自分の引渡しも、日本政府に要求しているみたいであります」

「公的に戸籍が発行されたのは、その対策か……」

「自分もそう推測するであります。《妖精の女王クィーン・マブ》などという者は存在しない。いるのはクォーターの日本人・野依崎雫だと」


 野依崎の返事は、いつも通り素っ気ない。だが大事そうに書類を封筒に戻す手つきに、本当の気持ちが表れている。


「防衛省と警察庁から、部員としての正式な身分証明書も発行されたでありますし」

「ヲイ。今まで無免許で活動してたのか?」

「非常勤の手伝いみたいな扱いだったであります」

「正規の部員じゃなかったのかよ……」


 大事な話でも訊かないと明かさない、いつも通りの秘密主義には、思わず苦笑が浮かんでしまう。


「だから大丈夫でありますよ。みなが自分を拒絶しなかったように……自分は十路リーダーを拒絶しないでありますよ」


 だが、それこそが今の十路にとっては、嬉しい。急に話題を変えたように感じる、少女が伝えたかったであろう、その言葉が。


十路リーダーは変わってまで、自分と艦を守ってくれたでありますから……」


 男の太さを持つ左腕を小さな手で抱え込み、顔を見ぬまま、子供のなりで高校生の十路を慰める。


 作られた存在である野依崎に、嫌悪や恐怖は抱かなかった。それを彼女にも伝えた。

 しかし本当の意味での理解はしていなかったことを、十路はようやく気づいた。常人からは人間扱いされない《魔法使いソーサラー》とも違う、決定的な変化を身にしてしまってから、経験を伴ってようやく実感した。


「……ありがとうな」


 彼女が求めていたのは、こういうことだった。

 気を抜けば、涙がにじみそうなほど、嬉しい。隠すように顎を乗せていた頭に、額を押し当てる。

 しかし強烈な、イクセスとは違う視線を感じた気がしたため、十路はすぐに顔を上げた。


「…………」


 左側には、タレの小皿と割り箸を持ち、肉をモキュモキュしている南十星が。


「…………」


 右側には、両手で持った焼きトウモロコシをかじっているナージャが。

 いつの間にか両横でしゃがみ込み、食事しながら観客していた。


「……なんだ?」


 嫌な予感を覚えながら十路が声をかけたが、口の中のものを飲み込んだ二人は答えない。彼と野依崎の膝越しに、これ見よがしの会話をする。


「ナージャ姉。この間の部活から、フォーちん変わったよね」

「ナトセさんもそう思いますよね? フォーさん絡みの事件が解決したってだけでなく、丸くなりましたよね?」

「んでさぁ。兄貴も変だよね?」

「はい。なんだか余所余所しいといいますか、態度違いますよね」

「特にじゅりちゃんに対して」

「ですよねぇ」


 態度に出さないよう気をつけていたつもりだが、変化は彼女たちにも伝わってしまっていた。


「やっぱり、そうなんでしょうか……?」

「いやぁ、そう思うしかないんじゃない? じゅりちゃんに対しては後ろめたいとか?」

「その…………アレ、入ります?」

「……ニューネンな準備して、ガンバれば?」


 だが二人の会話は、真実とはかけ離れた結論を導く。


「「……ヤったか」」


 あまつさえ哀れむ目を十路に向けて、咎めの言葉を紡ぐ。


「兄貴……熟女ラブは経由してないから、まだマシかもしれんけど、年上好きからロリスキーって、キョクタンじゃね?」

「十路くん……さすがに小学生は……」


 対する十路は、引き抜いた左手で南十星の、右手でナージャの顔面を掴んだ。


「「あ゛ーーーーーーーーッ!?」」 


 右手はともかく左手も、以前と同程度の力しか発揮されておらず、南十星の頭蓋骨を陥没させることもない。

 とはいえ、割り箸と小皿を投げ捨てて、アイアンクローを引き剥がそうとしている当人には、死活問題に変わりないだろうが。


「どうしてお前らは俺の性癖を歪めたいんだ……? 俺を犯罪者にしたいのか……?」


 無表情でこめかみに青筋を浮かべた十路は、指にひときわ力を込めてから解放した。ハイテンションに変なことをしたがる『ナ』のあるコンビは、返事する余裕もなく、顔を抑えてうずくまる。

 

「非公式・非合法特殊隊員 《騎士ナイト》が、今更なにを言っているでありますか?」

「確かに表沙汰にできないことは、色々やってるけどなぁ……」


 そんな惨事に構わず、野依崎はノソノソと膝から降りる。

 住居不法侵入、建造物破壊、文書偽造、逃走、放火、傷害、殺人。超法規的に看過されているが、普通ならば犯罪となることを経験しているため、彼女の弁にも一理ないこともない。


「ひとくくりにされるのは断固拒否する」


 だが刑法第二二章つまり性犯罪は犯していないと、十路は憮然と返事する。


「それでは十路リーダーを犯罪者にさせないよう、今はこの程度にしておくであります」


 なにを考えたか、椅子に座っているから身長差がない今、野依崎は無造作に顔を近づけ、唇同士を触れさせてきた。

 ほんの一瞬、ただ重ねられただけだが、思いも寄らない行動に十路は呆気に取られて固まった。


「バレなければ犯罪にならないでありますし、その手のは親告罪でありますから、望むならこれ以上の行為も構わないでありますよ?」


 悪意なく司法機関をナメたセリフを無表情で言い捨て、野依崎は回れ右して、部室を出て行く。その態度は十路が知る、彼女の普段と変わりないと思ったのだが。


【……フォーが、女の顔をしてました】

「自分がしたこと、恥ずくなったんだ……」

「いやぁ……すごく、意外な行動と反応です」


 違う角度から見ていた女性陣一台と二名は、半ば声を失うほど驚愕していた。十路が見た限り、別に赤面などしてなかったように思うが。いや土器色テラコッタの肌でそんな簡単に血色がわかるのかという問題もあるが。


(相変わらずアイツ、考えてること読めねぇ……)


 左手の親指で唇をひと撫でして、十路は気まぐれな野良猫に嘆息つく。


 彼女は変わった。それは確実に言える。

 しかしピノキオは既に祝福を与えられ、人間であることに気づいたのだろうか?

 それは結局、彼女当人にしか、わからない。

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