050_2100 巨兵ⅩⅤ~科学と人間の不協和音~


 全てが終わった頃には、夜空が白み始めていた。


 出力デバイスを再接続し、水平の飛行姿勢を取り戻し、空中静止している《ヘーゼルナッツ》の気嚢部エンベロープ上で、十路とおじはようやく息をつく。

 機体外部に引っかかっていた《バーゲスト》は、ロープで引き上げ収容した。

 《ゴーレム》を通して抱いていた印象が変わり、肉ダルマと呼びたくなる《男爵バロン》は、厳重に身体検査して、ワイヤーではなく艦の鉄筋を用いて拘束している。

 まだ異形を保っている、左腕一本で。


(これ、元に戻るのかよ……?)


 結構な時間が過ぎているので、金属の鱗が生えた異形への驚きはもうない。代わりに日常生活への心配が、十路の中で芽生えた。


「堤先輩!」


 上から声が聞こえてきたので、十路は首だけ振り返る。

 当然、長杖に横座りする学生服の少女が、《魔法回路EC-Circuit》を発生させて浮かんでいる。


「《ヘミテオス》……」


 転がっている《男爵バロン》が、樹里を見て呟いた。

 襲撃があったことを、電話連絡で端的に受け取っただけだから、十路は知らない。《ゴーレム》を通じて樹里に放った言葉など。

 だが、その言葉は覚えがある。野依崎も《ゴーレム》との交戦開始直後、同じ事を呟いた。左腕が変化する時、システムメッセージで流れていた。


「またボロボロになって……今度はどんな無茶したんですか?」


 樹里は気嚢エンベロープの太陽電池に着地する。彼女がいるのは右横だ。まず目に入ったのは、あちこち学生服が切り裂かれ、血に染まった、十路の全身に違いない。

 だから彼女はいつものように、捨て身で戦った十路を、文句を言いながら治療したのだろう。その後ブクツサ言いながら、顔面を削られる勢いで、ハンカチで血を拭かれるのかもしれない。

 十路がなにも言わなければ。なにも変わってなければ。


「なぁ……? 木次きすき……」


 たたずまいからは想像できないが、彼女は宇宙を往復し、帰還直後に戦線にも参加させた。

 まずねぎらうのが筋なのかもしれない。本当に空気を読む人間ならば、自分のことは後回しにし、気を回すのかもしれない。

 しかし十路は違う。空気は読まない。脳裏にそんな言葉は浮かばなかった。

 時間を経て収まってたはずの熱が再燃し、黒煙を上げて嫌なものが生まれ出る。

 一時の感情のままに、傷つけることも構わず、息を吸い込んで。

 どうしようもなく、堤十路は普通の人間で、ごく普通の一八歳でしかないことを証明した。


「俺になにをしたんだ……?」


 低い声を出しながら、体ごと振り返る。


「え……」


 近づこうとした樹里は、異形の左腕に、どんぐり眼を見開いて固まった。


「その腕……なにがあったんですか……?」

「これ、移植された、木次の心臓のせいだよな……?」


 震える声での質問に答えず、一方的に言い放つ。

 喉の奥から溢れて出てくる負に染まった言葉を、せき止めることはできなかった。


「こうなる前、『承認』ってメッセージが出た……なにかしたよな?」


 腕が生えたのは『緊急措置』と知らされたが、管理者No.003――樹里による承認を得て、この変化は行われた。

 筋が違うとわかっている。彼女は十路の命を助けようと、みずからを分け与えたのだから。今度もそうに決まっている。


「身に覚えのない風景がハッキリ見えた……最初は幻覚かと思ったけど、俺は頭までいじられてるのか?」


 正誤はわからずとも納得してしまえる理屈がある。秘密を知って尚、十路が彼女を拒絶しなかった理由に。

 さまざまな常識外の経験をしているために、感情のぶれは小さく、心の機微はうといのは、自覚している。それで納得できなくもなかったが、もう無理だ。あの理解不能の光景が、死の間際に見た幻だと思うことも。


 異能が他の部員たちにばれ、表面だけ取り繕ったような微妙な雰囲気になっても、十路は変わらず接していた。それを彼女がり所にしていた節もある。

 だがもう無理だった。許容できる限度を超えてしまった。

 彼自身が体験したからこそ、気にしないわけにも、認めるわけにはいかない。


「お前は俺まで『化け物』にしたのか!?」


 木次樹里は、人間ではない。ただの《魔法使いソーサラー》でもない。

 自分とは異なる、理解不能の存在と断ずるしかない。


「…………」

「…………」


 まだ明けぬ朝の海風が、二人の間を冷たく流れていく。

 十路に後悔はない。表情まで固めてしまった樹里を見ても、罪悪感はわかない。

 恋愛感情など双方が抱いていない。同じ建物で生活し、放課後に同じ場所で顔を合わせるだけの、同じ学校に通う先輩後輩でしかない。

 しかし共に死線をくぐり抜け、心を許し信頼していた、近しい間柄であったことも間違いない。

 いまの一言で、確実に彼女との関係に、ひびを入れた。


「あ……」


 それを示すように、左腕が変化した。装甲が砕けて、コーティングが剥げ、塵になりながら海へ流れ去っていく。取り込んでいた《魔法使いの杖アビスツール》の主要部品は、そのまま排出されて太陽電池に跳ね返る。

 十路が記憶しているままの、けれども違う左腕が現れた。


「……十路リーダーは、オリジナルの《ヘミテオス》ではないのでありますね」


 再びその言葉が投げ入れられた。振り返ると、艦を応急処置していた野依崎が、ハッチから半分体を覗かせていた。


「そういや……お前も言ってたな」


 樹里を見て以降、口を閉ざしていた《男爵バロン》と、艦上に出てきた野依崎と、どちらでもなく十路は問う。


「《ヘミテオス》ってのは、なんだ?」


 まずは《男爵バロン》が、樹里を視界に捉えたまま答える。


「そのお姉さんが、そう呼ばれていた」


 続いて野依崎が補足する。

 

「正解であり、間違いでありますね」


 完全敗北で理解したか、拘束されてから大人しくしていたが、敵愾心が再燃したのか。《男爵バロン》は眉をひそめて食ってかかる


「はぁ? お前、なに言ってるのさ?」

「お前こそ、《ムーンチャイルド》なのに知らないのでありますか? まぁ、自分の場合、より詳しく知ることができる環境だったでありますが」


 それだけ言い捨て、それ以上は説明する気ないと、彼女は十路にいつもの無表情顔を向ける。


「簡単に言えば、特殊な細胞と、《魔法使いソーサラー》とは異なる異能の持ち主であります」


 本来 《男爵バロン》が聞く場で話すべきではない機密だろう。だが十路の変化は見られているから、隠しても今更だろう。

 しかしあまりに簡潔すぎるため、全てを語っているとも思えない。やはり《男爵バロン》が聞いているからなのか、それとも本当に知らないかは、判断が難しいところだが。


「言葉自体はギリシャ語。ヒーローの語源。英語で示すならばdemigod」

「亜神……下級の神?」

「日本語ならば、半神半人が正確と思うであります。神話やおとぎ話に出てくる英雄たちは、神の祝福を受けた人間か、神と人の間に生まれた子供でありますから」


 アキレウス。ヘラクレス。オリオン。クー・フーリン。

 神は絶対者。人間は凡百。その中間は、強者として、導く存在として、描かれる。


 ならば、現実にそう名づけられた者は。


(英雄かはともかく、人外ではあるな……)


 体験したのだから、十路も納得できる。


「元々 《ムーンチャイルド》計画は、《ヘミテオス》が持つ細胞の研究が、傍流として独立したと聞いたであります。ミス・キスキは、もっと詳しい話を聞いていないでありますか?」


 樹里が力なく首を振る。なぜここで野依崎が話を振ってくるのか、理解できないといった風情だった。質問内容は、彼女がその《ヘミテオス》に該当することとは異なるのだから。


「なにも聞いていないのでありますね」


 予想範囲内だと、野依崎は表情を変えない。


「自分にその情報を与えたのは、《妖精の女王クィーン・マブ》の開発責任者。現在はミス・キスキの義兄でもあるであります」


 十路が把握している人間関係で、新たな線が構築される。そこが結びつくのかという小さくない驚きを伴って。

 《魔法使いソーサラー》というだけで無関係ではいられないのに、ここまで関係してくるのか。

 いまだ彼が会ったことのない、初源の《魔法使いソーサラー》は。


「ドクター・リヒト・ゲイブルズ……」



 △▼△▼△▼△▼



 太平洋と大陸一つ隔てた場所で、その名を持つ技術者兼料理人はというと。


「まァ、こうなるよナァ……」


 逮捕され、警察車両の中にいた。

 当然だ。世紀末な恰好でホワイトハウスに、しかも観光見学などではなく、政権中枢たるブリーフィングルームに突撃したのだから。阻止しようとするシークレット・サービスを殴り倒して。

 突入直後に逮捕どころか、射殺されても不思議なかった。当人があまりにもふてぶてしく、しかも起こっていた事態が事態であったため、首脳陣はなんとなく後回しにしてしまっていたが。

 事態がおおよそ終結した判断され、事後処理問題が語られ始めた段階で、思い出したようにこうなった。


 直接リヒトがなにかしたわけでもないが、今後の心配はしていない。

 結果としてアメリカ首脳陣は、選択を誤った。そして善しとせねばならない形で、彼らのたくらみはすべて失敗した。


 奪取された秘密兵器は撃沈された。《墓場の男爵バロン・シミテール》の身柄は、彼らにとってはまだ未確認情報であるが、交戦した支援部の性質を考えると、無事である可能性が高い。

 しかも《妖精の女王クィーン・マブ》ともうひとつの秘密兵器は、人前に出てしまった。

 これから政府は、非常に困難な対応を迫られる。日本政府、総合生活支援部、そしてリヒトの協力が必要不可欠になるはず。


(これでしばらく、XEANEジーンは大人しくしてるだろォ)


 だから自分のことについては、あまり心配していない。

 ただ唯一、心配なのは。


(当分日本に帰れねェケドョ……)


 愛する妻と義妹に会えないこと。 


「ツバメェェェェ! とっととオレを釈放させろォォォォ!」

「Shut up! son of a bitch! (黙れクソ野郎!)」


 狭い車内に響き渡る野太い日本語に、警察官の英語がかぶせられる。

 ちなみにホワイトハウス襲撃犯を連行する警察官は、オーダーされたのではないかと疑うほど、古きよき銀幕時代の悪徳警官を思わせる強面こわもてだった。実際悪徳かどうかは大変失礼だろうから不明のままにしておく。


「ア゛ァン?」

「Ah~?」


 ファンキー技術者兼料理人もタイプの違う強面だ。だからかは知らないが、男同士キスできそうな至近距離でメンチ切った。



 △▼△▼△▼△▼



 名前を呼ばれた彼女は、ガンつけなどという、平和的闘争で済ませられる状態ではなかった。


 明石海峡大橋は、世界一巨大な吊り橋であると同時に、世界一無要な建築物だ。

 

 建設中は本州四国連絡橋の、最東を担うルートとして期待されていた、国家プロジェクトだった。

 しかし、《塔》が出現した。淡路島は立ち入り禁止区域となった。四国側を結ぶ大鳴門橋おおなるときょうは、建設途中で計画が白紙になり、橋脚しか存在していない。

 国連決議されている立ち入り禁止区域とはいえ、調査などで人が入ることもある。そのわずかしか使用されないために、明石海峡大橋は残ってしまっている。

 普段は決して人の入れない、吊り橋の中央を大きく過ぎた、淡路島側主塔の真下で。


 童顔の、レディーススーツ姿の女性が、を突きつけていた。


「てっきりまだアメリカにいるものと思ってたら、まさか神戸に来ていたとはね」


 右手一本で構えているのは、S&W M&P9シールド。親指サムセーフティがないため安全性にやや難があるが、コンパクトかつ軽量で女性でも即座に扱うことができる、アメリカではポピュラーな拳銃だ。


イェンはてっきり東京にいるものと思っていたが……』


 銃口の先にいるのは、ケースを手にした、全身黒ずくめの男だった。ライダースーツに身を包んでいるが徒歩でやって来た彼は、フルフェイスヘルメット内で変換された声を出す。


「今回は緊急事態だったから、仕方なく

『それはまた……今まで使わなかった手だね』

「そっちが今まで使わなかった手を使ってきて、後手に回ることになったしね。『陣地』を取られるわけにはいかないし。アンタを直接相手にするためだから、ルールには抵触しないでしょ? 

それに、ここで引き返すなら、見逃すつもりだし」

『おや? ここで仕留めるチャンスだろう?』

「どういうわけか知らないけど、こっちに味方してくれたみたいだから」

『あぁ、あれか。さすがに『駒』がやりすぎたから、多少のフォローはしておかないと、今後に差しさわると思ってね』


 まだ完全には収まっていない市内の混乱に乗じて、普段は厳重に封鎖されている場所にいるのだから、他には誰もいない。

 だから二人はわかりやすい説明の必要なく、ゲームプレイヤー同士だけで理解できればいい会話を行う。


「で。どうする? わたしとしては、今ここで事を構えたくないから、退いて欲しいんだけど」


 それも終えるつもりの言葉を、わずかに銃を動かす仕草と共に、再び女性が端的に問う。


『退く必要を感じないのだけどね?』


 対し男性は、左手に持っていたケースを右手で触れる。追加収納パニアケースが割れて、見た目の容量を裏切る、身の丈以上の鎌槍が飛び出した。


 交戦の意思に、『仕方ないなぁ』とでも言いたげに女性は苦笑する。

 男性が手にしているのは、骨董品の形をした、兵器として使える超科学の電子機器だ。小さな拳銃ひとつで立ち向かえる戦力ではない。


コン……いや、あえてちゃんとスー金烏ジンウーって呼んだほうがいいかな?」


 だから彼女は左手を挙げた。


「もしかして、『わたし』がひとりだと思ってる?」


 すると現れた。ロープで降下して、主塔から顔を出して、点検用通路から這い上がって。高機動車HMVに、軽装甲機動車LAVに、AH-1Sコブラ対戦車ヘリに、UH-1Jヒューイ汎用ヘリに、乗り込んで展開し。

 『彼女』の部隊は、殺意を放った。



 △▼△▼△▼△▼



「……?」


 戦闘音が聞こえた気がしたため、十路は淡路島に首を巡らす。

 彼だからそう聞き分けたのであって、知らない人間は騒音の一言で片付ける、そんな音だった。とはいえ陸地とかなり離れてる上に、《ヘーゼルナッツ》の駆動音にまぎれてでは、本当に聞こえたのかも判然としない。

 異能を持つ樹里は、普段から脳内センサーが機動しているが、十路の場合、そんな現象は起こらないらしい。これ以上人間離れするのも困るので、それでいいが。


『……堤さん? どうかいたしました?』

「いえ、なんでもないです。変な音が聞こえた気がしただけです」


 電話中、突然話が途切れれば、不審にも思うだろう。不思議そうなコゼットに返事して、それ以上は気にしないことにした。

 最低小隊規模の軽・重火器群でもなければ作れない、正しく『戦場の音』に思えた。だが、騒動の原因はすべて排除された現状を考えると、さまざまな想定をしても、戦闘が発生するとは思いにくい。仮に想定外のなにかが交戦したとしても、音はあまりにも短すぎた。


「それで部長。そっちは?」

『緊急事態でコンビナート設備を接収したゴタゴタ、長引きそうですわ』

「理事長に丸投げしてしまうしかないんじゃ?」

『それが……先ほど理事長から、東京のゴタゴタが片付かないと帰れないから、神戸のこと頼んだって連絡がありましたわ』

「うわ……マジか」

『そんなわけで、申し訳ないですけど、《男爵バロン》のことは堤さんで対応してくださいません? こちらはわたくしひとりで充分ですし、ナトセさんとクニッペルさんも向かわせますわ』

「最悪を考えると、洒落にならないですけど……了解しました」


 通話を終え、追加収納パニアケースに入れて激戦でも無事だった、海上では通話圏ギリギリだった携帯電話を切る。

 そして大きくため息をついた。彼女たちには伝えていない、自分の身に起こったことを、落ち着いて考えることもできない。


 コゼットは別行動だから仕方ない。野依崎は領空侵犯している《ヘーゼルナッツ》の問題があるから離れられない。

 ならば上陸した十路が、《男爵バロン》を秘密裏に行政に引き渡すしかない。これからの国際問題に発展しかねない問題は、社会的には一介の学生にどうにかできないのだから。

 在日アメリカ軍が秘密裏に、証拠隠滅に動いていることも考えられるため、気は抜けない。今の十路は《バーゲスト》も《八九式自動小銃》は破損しているため、交戦能力を持っていない。ナージャと南十星も、《魔法使いの杖アビスツール》のバッテリーがほぼ尽きているので、合流しても戦力になるか怪しい。


「ミス・キスキひとりを先行させて、よかったのでありますか?」


 野依崎の言うように、樹里を当てにするべきかもしれない。拡張装備を接続する彼女の《魔法使いの杖アビスツール》は、バッテリーが尽きておらず、そもそも装備なしで《魔法》を使える。

 しかし彼女の姿はない。コゼットに電話をする前に、神戸に先行して帰るよう指示を出したから。


「普通の医療機関で対応できる範囲かもしれないけど、負傷者のことを考えれば、《治癒術士ヒーラー》の手はあったほうがいい」

「そうではなく、一緒ではなくて構わないのか、という意味であります」


 十路は内心で舌を打つ。野依崎は気付いている。

 これだから頭の良い人間とは話しにくい。隠していても推測で意図を看破する。


「部活時、十路リーダーが一緒であることが多いと思うでありますが」

「まぁ多いな」


 確かに普段の部活時、十路単独行動でなければ、樹里が一緒であることは多かった。彼女の異能が他部員たちにばれてからは特に。


「責任者代理として同行しているのではないでありますか?」

「そんなことはない。話はいつも木次に任せてるし」


 一緒なのは、樹里が同行を求めてくるから、という場合が多い。十路が不安を覚えた部活内容については、例外なく彼女が同行を求めてくるから、彼から同行を言い出す必要がないだけ。

 愛想がないのを自覚しているから、交渉や聴取が必要な場合、話は彼女に任せている。十路は必要な時に口を開くだけ。

 それが事実だ。どう好意的に見られようと、堤十路にとっては。


「どの程度かは不明でありますが、十路リーダー危惧きぐしたとおり、彼女は批難にさらされるでありますよ」

「危惧っていうか、ただ事実を言ったまでだ」


 だから無表情で浮かべる野依崎の心配に、聞く耳を持たない。



 △▼△▼△▼△▼



 部品の欠けた長杖に座り、生体コンピュータが神戸への帰途に付く間、樹里の生体脳は停止していた。


 ――消防や普通の医療機関も動いてるだろうが、先に神戸に戻って医療活動に従事しろ。


 彼自身に起こったことも、事情も、それに義兄が関わっているという話も。

 すべて後回しにして、十路は指示を出した。


 ――だけど、覚悟しとけよ。

 ――こっちの事情なんて関係なしに、口さがない連中は、文句言ってくるかもしれない。

 ――一番大変だった時に、木次は神戸から離れてた。

 ――しかも多分、宇宙兵器については、公表されないからな。

 ――批難されても、黙ってるしかないからな。


 同時に普段にも増して冷たい口調で、忠告を与えられた。


「私……甘えてたんだ」


 認識を深めるためにポツリと漏らすと、後悔が改めて襲う。


 樹里は普段での部活時、ひとりで活動することが少ない。

 交渉や詳しい事情聴取が必要な場合、判断力に欠けているのを自覚しているから、十路に同行を求めることが多い。彼女の異能が他部員たちにばれてからは特に。

 しかし頼まずとも同行することもある。今回のような場合も、きっと普段の十路だったら、樹里に単独行動させていない。

 やる気なさげで、無関心で、ぶっきらぼうで、理屈屋で、素直じゃなくて。

 なのに彼は実際のところ、周囲の異変に敏感で、気を遣っている。

 ずっとそうだった。

 部員の誰かが、コゼットが、南十星が、ナージャが、そして今回野依崎が。

 国家に管理されていないワケありの《魔法使いソーサラー》が持つ宿命に、翻弄された彼女たちを、彼は『魔法使い』となって戦った。


 しかし樹里だけは、見捨てられた。

 怒りは沸かない。背を向けてでも、もらった忠告に感謝こそすれど、怒るのは筋違いだと理解している。


 仕方なかった、などと自己正当化はしない。

 選択のメリットとデメリットは別に存在するもの。現実には大きな利点があるなら、欠点に目をつぶるしかないが、決して打ち消せるものとは考えてはならない。


 ――死ななかったんだから、『化け物』になったくらい、些細なことでしょ?


 そんな言葉を吐けるほど、木次樹里は『化け物』ではない。


「ずっと……守ってもらってたんだよね」


 だから、裏切られたなどとは決して考えてはならない。

 裏切ったのは、自分の側なのだから。



 △▼△▼△▼△▼



「ほら。とっとと降りるであります」

「Wait Wait Wait! Wait a minute!(待て待て待て!? ちょっと待て!?)」


 和歌山県の人里離れた海岸に艦を降下させた野依崎は、強化服ハベトロットの人工筋肉を活用し、身動きできない《男爵バロン》をゲシゲシ蹴り転がす。


「こんな高さから落とされたら死ぬ!?」


 なすすべもなく、子供サイズのコンバットブーツ跡をスタンプされる《男爵バロン》は、必死の声を上げる。

 いくら地表に接近しても、気嚢上部は相当な高さにある。


「海に落ちれば問題ないノープロブレムであります」

「Are you killing me!?(殺す気か!?)」


 激突死はまぬがれられても、手足が拘束されていたら、古式泳法でも訓練していなければ溺死する。落とされまいと必死になるのも理解できる。

 しかし抗議を聞く野依崎は、眠そうな無表情を険しくし。


「……死ね」

「Nooooooo!!」


 渾身のサッカーボールキックを脂肪の塊に叩き込んで、海に落とした。


「…………」

「なにか?」


 『マジ蹴り落としやがった……』と若干引いていた十路に、野依崎が不機嫌顔を向けてくる。


「いや、なんでもない」


 溺れまいと必死で海面を叩く音が聞こえているのだから、十路は口を挟む気はない。

 《男爵バロン》の行った一連のことは、決して許されるものではない。神戸市内での戦闘だけでなく、脱走時にアメリカ国内で死者を出しているのだから。

 それが一転、自分に身の危険を及んだ時に批難されれば、自分勝手さに苛立つのもわかる。一見コントとも思える場面だったが、彼女の心に渦巻いた感情を考えれば、笑えるものではない。


「《男爵アイツ》を溺死させるわけにもいかないから、俺も下船するぞ」

了解イエッサー。公海上に艦を移動させたら、自分も合流するであります」


 混乱の元凶である少年は、警察に引き渡す。可潜戦艦と、神戸を攻撃しようとした極超音速飛翔体HGVも水没している。部として急ぎ報告書を作成して、顧問にファックスで送信すれば、防衛省や警察庁にも詳細は知ることになるだろう。

 いくら同盟国で、事実上従属に近い関係であったとしても、明るみになれば国際社会から猛バッシングされる数々の迷惑行為に巻き込まれて、日本政府が『遺憾の意』で済ませるとは思えない。アメリカ政府も強気になれるとは思えない。

 あとひと踏ん張りで、自分たちの関わらない大人たちに任せてしまえる。


 十路も飛び降りるため、ふちに歩み寄る。空挺エアボーンは何度も訓練しているので、落下の恐怖はさしてない。


「リーダー」


 しかし野依崎が呼び止めた。いつの間にか変化した呼び名で。

 なにか用かと十路が振り返ると。


「部活、お疲れ様であります」


 習慣のような態度で、初めて彼女は挨拶した。


「あぁ……お疲れ」


 だから十路も軽く返し、足から高飛び込みした。


 どうしようもなく不協和音を残して。

 総合生活支援部の活動は、ひとまず終了した。

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