035_0210 【短編】修学旅行に必要なものは?ⅩⅡ ~兄~


「あーにきぃ――ぃい゛っ!?」


 妹の手加減ない愛情は、兄のたなごころがガッシリ受け止めた。

 そしてそのまま持ち上げる。


「あ゛ーーーーーーーーっ!? ギブ!? ギブギブギブギブギブ!! マジ痛だだだだだ!?」


 本来アイアンクローとは、握力任せにこめかみを締め上げる技であって、顔面を掴んで腕一本で宙吊りにする技ではない。というか普通そんなことできない。南十星なとせの小柄さと、十路とおじの鍛えられた握力・腕力、あと多大な怒りがあってこそ、非現実が実現された。


「うるせぇ。ちったぁ反省しやがれ、この愚妹」


 手を離した途端、顔を押さえてコンクリートを転げ回る南十星に、十路は冷たく言い捨てた。

 捜査員と共に警備艇で第二海堡に上陸した途端、全力ダッシュで飛びかかられたのに、避けて勢い余った妹を海に落とさなかったのだから、これでもまだ優しさが残っているとも言える。


 のたうち回る妹を放置し、十路はため息をついて足を進め、島を見渡す。

 元の島の姿は知らずとも、違いは嫌でもわかる。暗くとも、警察や海上保安庁の警備艇から投光器の光で照らされているので、無残な破壊痕は嫌でも見える。


「全部任せて悪かったな」

「や、これくらい、別にいいですけど……」


 瓦礫が散乱し形が変わっていそうな島のことは考えないことにし、十路は樹里に近づく。彼女の足元には、治療がほどこされ、結束バンドで拘束された、ヤクザたちが座り込まされている。

 十路は飛行できないので、飛べる樹里に任せて重役出勤してしまったが、指示せずとも彼女の仕事は的確だった。変な顔をしていたので、仕事を押し付けられて不服なのかと思ったが、どうやら南十星への仕打ちアイアンクローにドン引きしただけらしい。


 そちらは警察に任せて、十路は気まずさで首筋をなでながら、初対面の少年たちに振り向く。彼らは目が合うと、肩を小さく震わせた。


「あー……真下と三枝さえぐさ。自己紹介の必要あるか?」


 南十星の誘拐を対応した際、学校や引率の教師にも連絡している。一緒に誘拐された、妹のクラスメイトである後輩たちのことも、顔と身元だけは知っている。


「あ、いや……」

「堤君の、お兄さん……ですよね」


 ふたりからおびえや警戒のようなものを向けられているのは、自分の目つきの悪さのせいだろうかと隅で考える頭を、十路は下げる。


「謝って済む問題じゃないってわかってるが、すまない……なとせが巻き込んだ」

「あ、いや……」

「巻き込まれたということになるかもしれませんが……そこは堤君のお兄さんに謝られても……」

「当人がどう思おうと、周囲がどう考えるかもあるからな……まぁ、そこはここで話して終わるような話じゃないが」


 気まずげな、どう返せばいいのか迷うような返事なので、十路は早々に頭を上げた。これ以上下げても、彼らを困らせるだけだろうから。

 彼らがなんと言おうと、彼らの保護者たちから、なにがしかの文句が来るかもしれない。精神的苦痛を受けたとして、損害賠償請求などが来る可能性も考えられる。

 そうなったら十路が関わる話ではなくなる。顧問に任せるより他ない。

 だから十路個人にできるのは、南十星の兄として謝意だけでも伝えることだ。


「こっちが本題なんだが……あくまで俺の頼みで、どうするかはそちらの勝手だけど、図々しい頼みごとがある」


 さすがにのたうち回るのは止めたが、まだ遠くでうずくまっている南十星を指差し、声を潜める。


「できればアイツと、これまでと同じように接して欲しい」


 後輩男子中学生たちの頭上に『?』が浮かぶ。意識すらしていなかったようで、それはそれで安心できたが、これは誤魔化してはならないことだから、十路は説明を重ねる。


「なとせのヤツ、ふたりの目の前で《魔法》使って、ヤクザをボコっただろ? それ見てどう思った? 正直に聞かせてくれ」


 すると思い出したか、ふたりは顔色を変えた。同じ《魔法使いソーサラー》であり、しかもその当人の兄に言うのははばかられると、かなり長い間口ごもっていた。十路が軽く頷いて水を向けると、ややあって重い口を開いた。


「本当にあれが堤なのかって……鳥肌立ちました」

「堤君が戦っているのは、以前の事件の時、動画サイトで見てたつもりでしたけど……実際に見て、全然違うと思いました」


 彼らも本心を理解していないのか、やはり兄相手だからフィルターに通して発した言葉なのか、奥歯に物が挟まったようなマイルドな感想だった。


「それが普通の反応だ。《魔法》を使う時のなとせは、《魔法使い》としても普通じゃない。正直俺でも引く時がある」


 それ以上は彼らの口に求めても仕方ないだろうから、南十星を恐怖している、異物として見ているという前提で話を進める。

 ただの事実だ。逮捕されたヤクザたちの負傷は、樹里が完療させたわけではない。治りきっていない傷を見れば、南十星はいっそひと思いにトドメ刺したほうがマシな目に遭わせたのは、うかがい知ることができた。


「俺たち《魔法使い》は化け物だ。『史上最強の生体万能戦略兵器』なんて、厨二病感丸出しのキャッチフレーズがつけられてるのは、冗談でも笑い話でもない。『邪術士ソーサラー』なんて呼ばれるのも伊達だてじゃない。俺たちは生きてるだけで、誰かを傷つけて、なにかを壊す」


 それもただの事実だ。

 南十星も彼女なりに非日常の目に遭っているが、十路はレベルが違う。平坦な口調で語っても、信憑性もおのずずと変わってくる。


「でもな? 人間でもあるんだ……助けたはずの連中から、怖がられ、うとまれるってのは、かなり効く」


 ようやく十路の頼みを理解したと、少年たちの顔がハッとしたように変わった。


「アイツはこれからも学校で、今日のことなんてなかったような顔して話かけてくる。だけど、ふたりの見る目変わったってわかったら、それとなくフェードアウトすると思う」


 十路の想像だが、確信している。南十星は普段、なにも考えていないようなアホの子のくせして、機微にさとい。だから厄介なのだ。

 こうして彼が、慣れもしない、余計な口利きをしないとならないと思う程度に。


「できればそうなってもらいたくないが、あくまで俺の勝手な頼みだ。三枝も真下も、なとせを化け物扱いしてののしろうと、それは仕方ないと思ってる」


 伝えたいことは伝えたから、きびすを返す。一方的だったが、これ以上は後輩たちにも考える時間が必要だろうから、捜査員と話をしている樹里に近づく。

 完全に巻き込まれた被害者であるため、引率の教師が向かえに来るまでの短い時間で済むだろうが、後輩たちも事情聴取を受けることになるだろう。あとのことは警察に任せる。


「あのー……先輩? 今更ですけど、私、思ったんですけど……?」


 接近に気づくと樹里は、半笑いなのかなんなのか、なんともつかない顔を向けてくる。


「なっちゃんがこの島にいるってわかった時点で、私が飛んで来て制圧すれば、もっと穏便に片付いたんじゃないかと……」

「………………………………」

「それに、発射した空間制御コンテナアイテムボックスが海に落ちてた可能性も、着弾に巻き込まれて誰か死んでた可能性も、空間制御コンテナアイテムボックスが間に合ってもなっちゃんが《魔法使いの杖アビスツール》と接続するのが間に合わなかった可能性も、かなり高確率であったと思うんですけど?」

「…………まぁ、結果そうならなかったし、よしとしよう」

「ややややや!? これ作戦ミスですよね!? 建物被害だけで済んだの、運がよかっただけですよね!?」

「そこまで頭が回ってなかった……」

「なっちゃんがピンチで、焦ってたのはわかりますけど……」


 言われてみれば樹里の言葉どおりだ。被害の大きさを度外視するのはまだしも、確実性まで失った指示だった。あの時はそれ以外に思いつかなかったが、幸運でなければ、十路の指示で南十星が死んでいた。

 だから十路は護衛任務を苦手とする。壊せばいいだけの破壊工作に比べて、考えなければならないことが多すぎる。


「にひひ。兄貴。可愛いかわいー妹のピンチでパニクってたんだ」

「うるせぇ」

「あてっ」


 いつの間にか、立ち直った南十星が側にいた。浮かべるネコ科の笑みにイラッとした十路は、兄の強権チョップを振り下ろす。


「つーかお前、夏休み前の戦闘こと、なにも反省してないな? 空間制御コンテナアイテムボックスの取り違えが起こった時点で連絡してれば、こんな大事おおごとにならずに済んだだろ」

「にはは~……その件についてはハンセーしてまーす……」

「まぁ、いろいろ失敗して人のこと言えなくなったから、俺はこれ以上言わないけど」

「『俺は』?」

「俺は。なとせ、よかったな。明日世界一有名なネズミに会えなくなる代わりに、これからすぐにピーポくんランドを満喫できるぞ」

「わーい……って、どゆこと?」

「警視庁で説教と事情聴取と始末書が待ってる。あとついでに《魔法》使った時のレポートも」

「わーい……ゼンゼン嬉しくねー」


 警視庁の捜査員たちは、事件後と思えないやり取りをする《魔法使いソーサラー》たちを遠巻きにしている。

 無理もないと十路も思う。地形を変形させるのは、ミサイルや航空爆弾でもなければ不可能だ。武装した十数名のヤクザを拘束するなど、何人の機動隊員を投入すれば可能なのか。

 それを、たった三人のティーンエイジャーたちが行ったと知れば、畏怖するのが当たり前だ。

 一部の人間でも昨日顔を合わせただけ、ほとんどはこの場が初対面なのだから、多少でも慣れがある兵庫県警職員の対応と比べるのは酷だろう。


 支援部員がこの場でやることはもうないので、逮捕者を移送する警備艇に同乗し、本土に戻ろうと足を動かした。なにも言わずとも樹里も従う。

 だが南十星は遅れた。彼女はあらぬ方向を見たまま、動かずにいた。

 その視線を辿ると、ようやく安堵した様子で女性警察官から毛布を受け取る、クラスメイトの少年たちがいた。


「声かけないのか?」

「うぅん。あたしが声かけないほーがいいっしょ」


 視線を振り払うように、南十星もきびすを返して先を歩く。

 これだから、十路が余計な口を利かねばならないと思ってしまうのだ。小さなため息をついて、小さな背中を追った。



 △▼△▼△▼△▼



 翌朝。


 修交館学院中等部の修学旅行三日目最終日は、帰り時間を加味して半日程度だが、朝から世界一有名なネズミたちが闊歩かっぽするオリエンタルなランドで、実質遊びについやされる。

 駐車場横のフォトガーデンでクラス単位の集合写真を撮り、団体で入場すれば、あとは集合時間まで自由行動となる。

 これからの予定を楽しげに語るクラスメイトたちを、少し離れた場所から眺める公平少年は、リーダーっぷりを発揮してまとめるでもなく、やや疲れた息を吐いた。


三枝さえぐさも、あんま寝てないみたいだな……」


 声に振り返ると、やはり疲れた顔の勝利少年がいた。


 修学旅行中の中学生、しかも巻き込まれた被害者でしかない彼らは、昨夜の事情聴取は早々に終わり、迎えに来た担任教師と共にホテルへ移動し、クラスメイトたちに合流した。

 大幅に遅れて、しかも担任と一緒にホテルにやって来れば、やはり興味を引いてしまう。別段警察から口外禁止を言い渡されたわけではないが、なにがあったのかと問われることに、若干じゃっかん辟易した。

 更に、やはり日常生活からかけ離れた体験に、精神が高揚していたのか、とても寝つけなかった。


「やっぱ堤はいないんだな……」

「だろうな……まだ警察にいるんじゃないか?」


 寝付けなかった最たる理由は、やはり彼女のことだ。

 彼女は戻っていない。朝食の場にも、ホテルを出る時にもいなかった。

 事件の被害者というか加害者というか、とにかく中心人物であった南十星は、警察とは無関係の中学生から考えても、早々に事情聴取が終わるとは思えない。

 思えるはずないのだが。


「あたしがどーかした?」


 なのに、栗色の髪を揺らして、ふたりの間から小柄な少女が顔を突き出してきた。

 少年たちがまじまじとその顔を見下ろすと、間違いなく南十星だった。ふたりを見返すと、彼女はニタリと笑う。


「なにー? ムードメーカーのあたしがいないと、テンションダダ下がり? いやー、ニンキモノはツラいなー」

「うるせぇ」

「ぐへ!?」


 青年の怠惰な声と共に、南十星の顔がグキッと嫌な角度に傾いた。

 少年たちが体ごと振り返ると、その背後に十路もいた。手綱代わりに、南十星のワンサイドアップをむんずと掴まえている。


「ギャー! アホ毛が抜けるー! あたし唯一のチャームポイントがー!」

「…………」


 アホ毛とは本来、まとめた髪から飛び出す短い髪のことだ。二次元キャラで見られる寝癖というか癖毛というかピョコンと頭頂部から飛び出した触角のことではない。

 本来の意味ではチャームポイントにならず、二次元の意味では掴まれてる部位とは違う。どう捉えても南十星の発言はおかしいのだが、それはそれとして。

 髪から手放した十路の手は、そっと南十星の頭に優しく置かれた。


「お前はもう少し、自分に自信を持っていいと思うぞ……?」

「かわいそうな子扱いされてる!?」


 突然兄妹きょうだい漫才を始めたのも勿論だが、この場にいないであろう者たちがいるので、少年たちは面食らう。


「もう、終わったのですか? その、いろいろと……」

「いいや……苦情の嵐はむしろこれからだ。集合写真で切り抜きの欠席者枠はムゴいから、撮影だけはさせるつもりで、コイツ連れて来た」


 具体性をぼかした公平少年の言葉に、十路がダルそうな態度で教えてくれた。


 なので撮影が終われば、撤収も早かった。


「なとせ、戻るぞ」

「えー! マジ入場せずに戻んの!? 少しくらい夢と魔法の王国マンキツさせてよー!」

「お前の好みは、世界最高をお届けする、大阪の映画テーマパークだろうが」

警視庁ピーポくんランド以外ならどこでもいい! この際●テホわくわくランドだろうと東●湖おもちゃ王国だろうと神戸●とぎの国だろうと!」

「格下扱いしてる兵庫のレジャー施設関係者に土下座しろ」

「しゅーがくりょこー楽しめってったの兄貴なのにー!」

「全部ブチ壊したのは、なとせの自業自得だ」


 十路に引きずられる南十星を見て、少年たち半笑いを見合わせてしまう。


「三枝は、アレ、化け物扱いできるか?」

「無理、だな……」


 彼らが教室で辟易しつつも、日常に欠かせない要素となっている、天真爛漫な少女のままだ。親に首の後ろを咥えられている、やんちゃな子猫を思わせる。

 非情な人間兵器としての姿が頭をチラついても、変わらぬあの態度で近寄られたら、別の態度を取れる気がしない。

 容易に想像できてしまい、安堵できる。


「堤君のお兄さんは、本物なのだろうか……」

「かもな……そんな感じはしなかったけど」


 言葉を交わした際に見たのは、無意味にアクティブな妹に頭を悩ませ、同時に心配もしている、兄の姿でしかなかった。

 ヤクザの話から漏れ聞いた、本当に何百人も殺した殺人兵器であるなど、疑わしく思えるほどの。


「真下君、大丈夫か?」

「なにが?」

「堤君と付き合おうと思えば、あのお兄さんが立ちはだかるわけだが」

「そうだな……って! どういう意味だよそりゃ!?」


 赤面した慌て顔を向ける勝利少年に苦笑だけを返し、公平少年は、短時間だからと駐車場の通路路肩に駐車された、赤黒の大型オートバイのほうを見やる。

 ヘルメットを被り、手馴れた様子でまたがり、発進するスポーツバイクのリアシートで、南十星が手を振ってくる。


「ほんじゃねー。あたし別口で帰るから、次会うのは神戸になるけどー」


 少しだけ特別な修学旅行が終われば、なにも変わらない日常が続いていく。ただ退屈なだけではなく、普通というとうとい時間でもある。

 予感でもあり、確信でもある気持ちを抱いた少年たちは、手を振り返して見送った。

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