035_0180 【短編】修学旅行に必要なものは?Ⅸ ~シークレットナイフ~


 東京湾には、海堡かいほうという人工島が存在している。明治から大正にかけて、首都防衛のために作られた海上要塞だ。

 陽が完全に落ちてから、南十星たちが連れて来られたのは、三つある海堡のうち、富津ふっつ崎沖、東京湾を塞ぐ位置にある第二海堡だった。

 島は国有地で、関係者以外立ち入り禁止となっている。石油火災の特殊訓練施設だけでなく、侵食対策で護岸工事が行われているため、重機や設備が置かれているが、夜の今は無人となっている。

 だから、後ろ暗い目的に使うのに、都合がいいのだろう。洋上で大型プレジャーボートから小型ボートに乗り換えての上陸で、海上保安庁の監視対策と思える念の入り様だ。用心しなければならないが、一度入れば人の目を気にしなくて済むと。


「なんであたしらまで、武器の取引にドーコーさすのさ?」

「お前が散々引っ掻き回してくれたせいで、時間がなくなったからだろうが」


 実際、取り巻きAの説明どおりだろう。車は一度もどこかに立ち寄ることはなく船着場に着くと、船に乗り換えさせられた。

 だが南十星は、別の場所に移送する時間がないだけの問題だけではないと予想している。


「カネ払うんじゃなしに、武器とクスリをブツブツ交換って、最近のヤクザじゃフツーのことなん? あんま聞いたことないけどさ」

「……お前、何モン?」

「イタイケな女子中学生以外のなんに見えんの?」

「いたいけな女子中学生ってのはな、縛られててオレたちみたいなのに囲まれて、そんな落ちついて口ペラペラ動かさないもんだぞ」

「へー。初めて知った。東京の女子中学生ってヤワだね」

「そういう問題じゃない。あと、ウチの若いのを海に蹴り落とさない」

「そりゃあのにーちゃんが悪いって。いくら身体検査だっつっても、股に手ぇ突っ込んでくる?」


 公平少年と勝利少年は腕を後ろ手で拘束されてるだけだが、南十星は足まで厳重にガムテープでグルグル巻きにされ、担がれての上陸だった。


「それじゃ、大人しくしとけよ」


 形はそのまま残っているが、廃墟と呼ぶべきであろう、レンガ造りの小さな建物に、中生三人は放り込まれた。元はなんなのか、倉庫のように窓がないので扉が閉められると、完全な暗闇になる。

 少し待って様子を窺う。見張りは扉の近くにいるだろうが、特別中の様子に注意している様子はなさそうだった。


「おし」


 なにか弱音が出てくる前に、南十星は埃くさい床を転がって、二人が座らされた場所に近づく。

 通報と追跡の阻止でスマートフォンは破壊された。中学生のおこづかい程度をカツアゲしたわけではないだろうが、財布を奪われた。

 気がかりなのは、一緒に学生証を奪われたことだ。総合生活支援部員が持つ身分証明書は、学校だけでなく政府機関も身分保障している。その場で見られることはなかったが、中身を見て尚、南十星をただの女子中学生などと考えはしない。

 だから一刻も早く、絆創膏やハンカチといった身だしなみ用品と同様に、身体検査を潜り抜けて奪われなかった、リップクリームが必要となる。


「これ誰? 前後ろどっち?」

「僕だ……というか、蹴らないでくれ」


 目の慣れていない暗闇で最初に触れたのは、公平少年の三角座りするすねだった。

 位置関係を脳裏に描き、南十星は尺取虫と化し、彼の背後へと移動する。頭を触れさせ人体の在り処を探り、後ろ手で縛られた手を発見する。


「はんちょー、あたしの胸ポケットからリップ取って」

「いや、それ、俺の手……」


 勝利少年の戸惑う声があがる。南十星の脳内お絵かき能力がイマイチなのか、さすがに膝と背筋を使って移動すれば感覚がズレるのかは、誰にもわからない。

 あとリップクリームを出してくれるなら、公平少年でも勝利少年でも、どちらでも構わない。南十星は更に体をずらして仰向けに寝そべり、縛られた手の下に胸元を置く。


「どっちでもいいから、早く」

「こんな時にリップなんか……」


 不精不精ながら、手が動く。

 遠慮ない手つきで、胸がまさぐられた。自称ナイチチとはいえ、そして客観的にもないとはいえ、男にはない膨らみがあるにはある。南十星も年頃の女の子なのだ。


「やんっ!?」


 普段の彼女からは考えられない、可愛らしい悲鳴が反射的に飛び出た。


「変な声出すなぁ……!」

「ゴメン……パイオツ触られる心構えができてなかった」

「パ……」

「ここでオンナ出してる場合じゃないってわかってる。覚悟カンリョー。早くして」

「…………」


 南十星は急かすが、逆にものすごく迂遠になった。分厚いジャンパースカートの生地に指先だけで触れ、不用意に押し込んで彼女の肌を刺激しないよう、慎重すぎるくらい慎重な手つきだ。


「……はんちょーに代わるべき?」

「遠慮させてほしい……」


 純真なオトコノコたちにはハードルが高かった。いやらしいことを目的とした行為ではないが、クラスメイトの少女の胸をまさぐり、ポケットの中の物を取り出すのを、役得とは考えられないらしい。


「堤くん……なにをするつもりだ?」


 代わりに小声で目的を問うてくる。


「もちろん逃げる」

「『大人しくしろ』と言われたが」

「大人しくしてたら、あたしたち殺されるよ」


 胸を探る勝利少年の手が一瞬ビクッと震えた。だが後ろ手で不自由な指先は止まらない。


「やはりそうなのか……」

「生きて帰すつもりで、あんなペラペラなんでも話すわけないじゃん」


 麻薬の所持どころか、武器の取引まで、しかも東京のお膝元とでも言うべき場所で行われる。そんな秘密を知った子供たちを、彼らが生かすとは到底思えない。

 証左に身分証明書を奪われた。殺して遺体を遺棄し、発見されても身元が簡単に割れないようにするための処置だと予想する。


「今回のことは、完全にあたしのせい。だから責任持ってふたりを逃がすから」

「どうやって? 縛られるのに」

「そのためのリップクリーム」

「いや、そこが理解できないのだが……」


 丁度、胸元の感触が変わった。 


「取れた」

「ちょっち待って。姿勢変えるから。そしたらあたしに渡して」


 ゴソゴソしてうつ伏せになり、位置を合わせて勝利少年の手を叩くと、南十星の手にリップクリームの細長い容器が転がり落ちる。

 後ろ手のままキャップを外し、ケース根元を捻る。普通ならばスティック状のクリームが出てくるが、違うものが伸びる。


「これ、リップクリームじゃなくて、ナイフなんだよ」


 指先で操り、腕に巻かれたガムテープに切れ込みを入れ、一気に引き千切る。


「なんでそんなの持ってんだよ……」

「兄貴にもらった。イザって時用に」


 どんな兄貴だ。

 用心とはいえ拘束されることを想定して妹に暗器を渡す、元陸上自衛隊の非公式・非合法特殊作戦要員など知らない少年たちの心の声は重なったに違いあるまい。


 そんな声は届いていない南十星は、足のテープも切り裂き、自由を取り戻す。



 △▼△▼△▼△▼



 崩落しかけた地下壕入り口で、後ろ暗い取引は行われていた。

 外に明かりを漏らさぬよう、運び込まれた木箱が工具を使って開けられると、緩衝材に埋もれた銃火器が黒光りする。何十丁もの拳銃だけでなく、短機関銃サブマシンガン散弾銃ショットガンも、当然それらの弾薬もある。

 小火器、しかも旧式のものばかりとはいえ、遠洋漁業の小遣い稼ぎで行われるような、よくある密輸事件とは規模が違った。


「確かに」


 銃火器を確認していた部下たちが頷くと、手慰みにガムテープをまわしながら見守っていた百鬼なきりなる男は顎をしゃくり、アタッシェケースを渡させる。

 武器を用意した男たちの側では、受け取った麻薬を検査キットにかける。サンプル用だけではなく、ちゃんと包装された物もいくつか無作為に選んで取り出してだ。


「すいやせんねぇ。お宅ら、いろいろゴタゴタしてるって聞いたもんで……念入りに確認しなけりゃ、こっちも安心して取引なんぞできやせんので」

「耳が早いな……ま、それについてはこっちも落ち度ある。気が済むまで確めてくれ」


 相手の『支払い』に疑問を抱くような真似をすれば、仁義にもとる行為として、一触即発の空気が張り詰めるだろう。だが百鬼なきりの鷹揚さで、この場では度外視された。


麻薬ヤク持ち逃げされたと聞きやしたけど、無事ケジメつけさせたっちゅーことですか」

「それだけなら、まだよかったんだがな……」


 部下が麻薬を確かめる間、武器密輸の代表が時間つぶしのように語り掛けてくるのに、百鬼はため息をつく。

 持ち逃げだけならまだ理解できる範疇はんちゅうだが、今回のようなことは、この業界でも前代未聞だろう。


「変なガキどもが関わって、妙な具合になった。いろいろ引っ掻き回されたから、折角あんた方から仕入れたチャカ、使うのにほとぼり冷まさなきゃならねぇ」

「変なガキってのは、なんですかい?」

「修学旅行で神戸から来た中学生だと」


 百鬼はスーツのポケットから、取り上げたカードケースを出して、『見たければ見ろ』と突き出す。


「神戸ねぇ……」

「そういやアンタ方の商売、そっち方面じゃかんばしくないって聞いたが。いくつかの組が縄張りシマ変えしてるみたいだし」

「いやぁ、なんというか……確かに商売は、芳しくはないですねぇ? 神戸は本物マジモンの軍隊が衝突ケンカしてやすからね? ヤクザモンがどうこうできるような場所じゃなくなってんですよ」


 男は口を動かしつつ、興味のない手つきでケース表紙をめくる。


 学生証など、機会がなければ、じっくり見るものではない。うちふたつ、少年ふたりの学生証はそのとおり、顔写真と名前、『当校の学生であることを証明する』とあるだけの、見る価値が然程さほどないものだ。


「自衛隊がテロ組織あぶり出したとかいう、アレか。テレビでそんなことやってたな」

「あぁ、あれ。表向きはそうなっちゃぁいやすが、違うんですよ。自衛隊と学生がケンカしたらしいですよ」

「テレビでも学生がどうこう言ってたけど……どういうことだ?」


 だが、最後だけは違った。あのふてぶてしい少女が持っていたカードケースだけは。


「神戸にゃ、変な学校があるんですよ。《魔法使い》ってヤバい化け物がいて、警察の仕事とかいろいろ手伝って……て?」


 ケース表紙をめくった一番最初は少年たちの物と同じ学生証だが、それをめくれば別の身分証明書が出てくる。『上記の者は、業務委託の受託者であることを証明する』と書かれ、防衛省・警察庁・消防庁からそれぞれ発行された三枚がある。

 単体ならまだ納得できても、複数あれば、本当に少女の身分を証明しているのか、総合生活支援部の知識がなければいぶかしむ。


「……この中学生の娘、どうしやした?」

「……捕まえてこの島で閉じ込めてる」

「……格好、どんなでした?」

「……ワンピースの制服なんだが、チャイナ服みたいに足出してた」

「……その神戸の事件の時、そんな格好したのが、トンファー持ってたような?」

「……うっすらした記憶だが、言われてみれば、そんなの見た気がする」

「…………」

「…………」


 だが、訝しむことができれば、理解は早かった。



 △▼△▼△▼△▼



『ねーねー! トリマキー! ちょっと来てー! トイレ行きたーい! 漏ーれーそーうー!』

「取り巻きって、まさかオレのことか!?」


 小娘が漏らすのはどうでもいいが、その呼び名は頂けない。彼が敬愛する若頭を『(笑)カッコワラ』と呼ぶ、ふざけたあの少女に一言文句を言ってやろう言わんばかりと、中学生たちを閉じ込めていた扉が乱暴に開けられる。

 暗闇の中に、夜の光が差し込む。

 だから彼は見えたはず。目線よりも高く跳んだ少女の、ジャンパースカートを割って覗く膝頭を。それは刹那の間に接近し、近すぎて視界から消えただろう。


「地獄の断頭台ィィィィッ!」

「ぐべぇっ!?」


 元はマンガだが、実在するプロレス技でもある。変形ダイビングニードロップと呼べばあっけないが、飛びかかってすねを相手の喉元に当てて押し倒すのだから、地面と挟まれ喉を潰されるので、結構エゲつない。


 一撃で悶絶させ、南十星の瞳は次の獲物を探す

 だが見張りはひとりだった。島で取引するのであれば、四方八方警戒しなければならないのだから、拘束した中学生たちを閉じ込めておくのに、割ける人員に余裕はないということか。


 ひとまず安全だと手を振ると、拘束を解かれた公平少年と勝利少年も外に出てくる。


「あたしがおとりになるから、マッシーとはんちょーはなんとかして逃げて。連中のボート奪えれば一番だけど……無理なら最悪泳いで。通りかかる船に助けてもらえるかもしれないし、陸地まで三キロくらいだと思う」

「ちょっと待て……! 堤が囮になるって……!」


 遠泳を普通の中学生に求められたことよりも、勝利少年は南十星の心配を口にするが、彼女は厳しい顔で首を振る。


「言いたくないけど……ふたりとも足手まとい。さすがにあたしも逃げるのが精一杯になるだろうから、いないほうがいい」

「でも――」

「テキザイテキショ。命のやり取りができる人間なんて、あたしだけっしょ?」


 先回りして言葉を封じる。打ち合わせは脱走前に終えるべきだったと、突拍子もない思考回路の南十星でも後悔し始める。


「それに、ふたりにも役目がある」


 短い言葉で端的に、更に言い分を封じる。


「あたしがここにいるって、どうにかして兄貴に伝えて。お台場の公園に呼び出された時、連絡しといたから」

「ちょっと待てくれ……堤君のお兄さんは、神戸にいるのだろう?」


 普通ならば報せる先は警察だ。彼らと同時に十路たちも東京入りし、影警護していたなど知らなければ、公平少年の疑問は常識的であり、助けを求める相手が違うと考える。


「あたしが助けを求めたら、あの人は地球の裏側からだろうと、絶対に来る……だからできれば連絡したくなかったんだけど」


 影警護を承知しているか否かを無視し、物理的限界を飛び超えた確信をしている南十星がおかしい。

 ただしそれは、絶対の信頼と言い換えることもできる。


「気づかれた。早く行って」


 明るい夜空に浮かぶ島の稜線に、人影らしきものが見えた。それもひとりやふたりではない。


「堤君……無事でいてくれ!」

「急いで助け呼んでくる!」


 もう時間はないと南十星が手を振ると、迷いを振り払うように彼らは駆け出した。


 鬼ごっこが再開される。お台場では捕まるだけだったかもしれないが、今度は命がけであると知れる。


「Let the game begin!(さぁ、ゲームを始めよう)」


 それでも彼女は自分を鼓舞するように、開始を宣言した。

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