035_0170 【短編】修学旅行に必要なものは?Ⅷ ~ママチャリ~


 少し時間はさかのぼる。


 葛飾かつしか区といえば、実際その作品を見たか見てないかはさておいて、日本人なら誰もが聞き覚えある映画や長期連載マンガで、下町として有名だろう。

 実際、おおよそ合っていると言える。いまだ昭和の風情が根強く残るエリアに違いあるまい。元は闇市から発展した地域もあるため、木造建築が立ち並んでいる。


 そんな狭い商店街を、アタッシェケースを抱えた若い男が、必死の形相で駆け抜けていた。スーツは汗と埃に汚れ、後ろを時折気にし、荒い息を吐くが、それでも足を止めない。


「待てコラァァァァッ!!」


 後ろから、ガラの悪さ一目瞭然の男たちが追っているのだから。

 路上駐輪されている自転車をなぎ倒し、人とぶつかり、よろめきながらも、懸命に逃げ続け、追い続ける。ドラマのような光景だった。

 とはいえ、そこに済む人や行き交う人にとっては、のん気に見ていられるものではない。物が散乱し、破損するかもしれない。歩行者同士の衝突でも、怪我人や死者は出る時には出る。


「お前ら邪魔。すっこんでろ」


 だから介入する者が現れた。スピード感からすれば場違いなほど、声は怠惰な色をびているが。


 最後尾の追っ手に追いつき追い抜き、前に出した瞬間、体重移動で後輪を浮かせてブレーキをかける。ガラの悪い男は自ら後輪に顔面を突っ込ませることになり、路上にひっくり返る。

 かなりひどい実力行使だが、追跡者は知ったことではないと、倒れた男は放置して騒動の原因たちへと追いすがる。


 つつみ十路とおじは一層の力を、のペダルに込めた。


 まごうことなきママチャリだった。ホームサイクル・ファミリーサイクルと呼ぶメーカーもあるが、そういうオシャレな呼び方は似つかわしくない。彼が立ち漕ぎでシャコシャコする赤い車体は、フロントには買い物カゴ、リアには自転車用チャイルドシートが装備された、電動アシスト機能すらない完璧なママさん仕様の婦人用自転車だ。ただし関西ではないので、引ったくり防止カバーと傘スタンドは装備されていない。

 普段乗り慣れていない乗り物というか、普段の乗り物のご先祖様の進化形で、彼はエクストリームしていた。良い子は絶対に真似してはいけないというか、悪い子でも普通は真似できない。


「ほらほらほら」


 前輪を浮かせてスタンドを軽く引きずりながらバランスを保ち、後輪運転ウィリーで残る追っ手を追い立てる。すると走りながら声に振り返り、ギョッとした顔になったと同時に、脚をもつれさせて転倒した。

 十路は遠慮なく踏み潰しながら前輪を下ろす。かなりガタゴトした際、中身がハミ出たようなヤな悲鳴が上がったが、気にしない。


 残るはアタッシェケースを持った、一番先を走る男だ。追っ手が倒されたことを安心してはいない。別口ではあるが、自転車を駆る十路も追っ手だと、逃走の足を止めなかった。


 だが、というべきか、だからこそ、というべきか。目をこらさずとも判別できる、カメレオンにも劣る迷彩だが、走りながらのボンヤリした確認だけでは、見逃すことも充分あり得た。

 建物の外壁と同じクリーム色だった大型オートバイが突然動き、交差点で軽く激突され路面を転がり、逃走は終了させられる。


「返してもらうぞ」


 ブレーキをかけ、自転車を降りた十路は、男の手から転げ落ちたアタッシェケースを拾い上げる。肉球ステッカーが貼られているのを確認するのも忘れない。


「手間かけさせやがって……追い込むのが大変だったぞ」

【こんな杜撰ずさんな作戦、どうかと思いましたけど、案外上手くいくものですね】


 男には聞こえない、ヘッドセットをつけた十路にだけ聞こえる無線こえで、イクセスも嘆息吐く。

 そしてその身を変えた。塗布された電位変色性塗料の状態を普段のものに戻すと、十路が見慣れた赤黒ネイキッドバイクが出現した。



 △▼△▼△▼△▼



 オートバイ自体を罠にしたので、追いかけるには別の足が必要だっただけの話だ。


「自転車、ありがとうございました」


 買い物帰りで立ち話をしていた主婦に、借りた自転車を返すと、彼女はなんとも言えない視線を十路の背後へと向ける。

 そこにはド突き倒した三人の男たちが、結束バンドで拘束されて座り込まされている。取り囲む野次馬たちの無遠慮な視線にわめき散らせる元気があるので、いた怪我は応急処置で充分そうだった。


 警察官でも同じことをすれば、マスコミに報道されて責任問題になるだろうに、名目上民間人である十路がやったことは、完全な事件だ。

 とはいえ調べれられれば、すぐに解放されるであろう見通しは立っている。だから場を離れることなく、通報した警察が来るのを大人しく待つ。


【私ひとりの時、警察無線で連絡が来たので、勝手に対応しましたよ】

「どこの部局からだ?」

【組織犯罪対策課を名乗っていました。あと、無線の向こうで交代して、地方厚生局からも協力要請されました。こちらは麻薬取締部です】

組織犯罪対策捜査員マルぼうどころか麻薬取締官マトリまでって……どんどん大事おおごとになってるな」

【昨日、警視庁に顔出ししたのが、早速役に立ちましたね】

「理事長経由で兵庫県警から指示されただけだ。警察組織図上だと、支援部は県警の下部組織になるから、東京で活動するのに話を通しに行けって」

【え? トラブル起こす前提じゃなかったんですか?】

「誰がそんな予定立てるか……兵庫県警の心配が大当たりってことになるけど、結果論だからな?」


 傍目にはひとりごとに見えるかもしれない、イクセスとの無線越しの会話が、その根拠だ。

 取り違えられた南十星の空間制御ボックスアイテムボックスのGPS反応を追い、それを持つ男の顔を撮影したのが発端だった。その時点で十路たちは、男が暴力団関係者とは知らなかったので、ごく普通に取り違えを伝え、交換すればそれで済むと考えていた。行動予定を男の顔写真と共に警視庁に伝えたのは、トラブル回避本能に従った、無視されても構わないと考えた念のための報告に過ぎない。


 だが警視庁内部でどんなやり取りがあったのか、過剰とも思える反応が返ってきた。


「警察がマークしてたヤクザが持ち逃げしたブツが、なとせの装備と取り替えられるとか、想像するわけないだろ……?」


 最初の驚きを思い出し、十路が軽くため息をついた時、ジャケットのポケットで携帯電話が震えた。


「どうした、木次きすき


 液晶画面に表示された名前は、十路と共に東京入りした後輩女子高生だった。


『先輩。なっちゃんが、同級生の男の子ふたりと一緒に、誘拐されました。お台場の暁埠頭公園で車に乗らされたから、行方を追うことはできません』

「あー……やっぱり」

『ふぇ? 『やっぱり』?』

「さっきなとせから連絡があった。面倒ごとに巻き込まれて、クラスメイト人質に取られてヤクザに呼び出されたから、助けてくれって」


 南十星が埠頭公園まで移動する時間では、激動の一日は端折った説明しかなかったが、とにかく助けを求めてきた。

 十路が神戸にいるものとして連絡してきたのか。はたまた理事長であるつばめに頼まれ、修学旅行中ずっと影ながら警護していることを承知してかは、短い話ではよくわからない。


「失敗したな……」


 護衛・警護は十路の本領ではないとはいえ、言い訳にはならない。しかも、さほど昔ではない過去に失敗したので、どうしても苦く感じる。

 ひとりごとのつもりだったが、電話向こうでも反応した。


『すみません……こうなる前に突入して、救出するべきだったんでしょうけど』

「いや。南十星を含めて三人も守らなきゃいけないし、木次の《杖》は俺たちが持ってる。それで助けるなんてさすがに無茶だ」

『《魔法》で変装しても、空間制御コンテナアイテムボックス持ってたら、私だってバレますからね……持ってなくても、勘だけで正体見破られかけましたし』


 樹里は《治癒術士ヒーラー》と呼ばれる、既存科学と比べれば別次元の医療技術を持つ《魔法使いソーサラー》だ。やろうと思えば美容整形手術の限界を無視し、完全な別人に成りすますこともできる。

 そうやって彼らは人知れず、南十星の警護を行っていた。だが肝心な時に、樹里の《魔法使いの杖アビスツール》は《バーゲスト》に積載されたままだから、守ることができなかった。


「それを言い出せば、俺と木次が別行動したのも失敗だった」

『や~、それも仕方ないでしょう。なっちゃんが持ってるアタッシェケースがおかしいのに気づけば、私と先輩、二手に分かれるしかないですよ』


 樹里がなぐさめの言葉を吐くように、これをミスと呼ぶのは酷かもしれない。

 だが十路は、やはり想定が甘かった後悔がぬぐえない。


 そもそもの失敗は、昨夜、南十星のホテル脱走を見過ごしたことだ。

 十路たちも同じホテルで宿泊したものの、修学旅行生だけでフロアが貸切られた状態だから、あまり近づくことができなかった。しかも外部から南十星の部屋を覗いて確認すれば、彼女らしき者がいた。それが身代わりマネキンと気づくのに時間がかかった。

 ラーメン屋でアタッシェケースの取り違えが起きてからは、十路たちも混乱した。麻薬の持ち逃げだと知った今、当然追っ手をかく乱しよう逃走としたとわかるが、南十星も不審に思った東京全域からの奇妙なGPS反応が、どういう理屈なのか理解できなかった。わからぬまま十路たちも追跡したが、相手は地下鉄を使ったことで、電波反応が途切れてしまったため、捜索は困難を極めた。更に南十星が翌朝早朝から捜索に動いたことで、余計に混乱した。

 確信を抱けたのは今朝、彼女が背負うアタッシェケースが空間制御コンテナアイテムボックスではないと確認したことで、十路とイクセスは、陰警護を樹里に任せて別行動を行うことにして、今の事態だ。


 関係者の誰もそんなつもりはないだろうが、完全に振り回されていた。


「こうなりゃ即応部隊として活動するぞ。警視庁とも本格的に協力体制を取る。学校にも連絡するしかない」

『了解です。なっちゃんのケータイ、壊されましたから、そちらのGPSでは追えません。だけど車のナンバーは控えてますから、ある程度は追跡できると思います』

「わかった。イクセス。東京二三区の地図出せ」


 誘拐されたなら、時間勝負になる。そして先読みが重要になる。

 大型オートバイのインストルメンタル・ディスプレイに表示された地図を眺め、十路と樹里の現在位置を確認し、やらなければならないことを列挙し、想定できる様々な可能性を考え、電話のスピーカーにひとまずの指示出す。


「木次。スカイツリーで合流しよう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る