050_0400 野良猫、消えたⅦ~人生の悩みはお風呂で消える~
神戸ポートタワーに少し遅れてやって来た警官たちに事情説明し、《
警戒していても、続けざまに『死霊』は出現しなかった。イクセスが警察無線とネット上の両方を警戒しても、別の場所での出現報告はなかった。
そして現場周辺を《
なので、これ以上はここにいても無駄だと、十路は判断した。
深夜ということで、さほど大きな騒ぎにはならないが、人出は完全なゼロではない。時間が経てばそれだけ衆目を集めてしまうだろうから、避けたかった。
総合生活支援部は、公的な捜査機関ではない。今回のことも十路たちは、警察の手伝いをしていたに過ぎない。更には未成年の高校生だ。
身元はハッキリしているのだし、後日の事情聴取に応じられるため、これ以上の束縛は警官たちも避けて、十路の帰宅要望を跳ね除けはしなかった。
そうしてオートバイを駆り、日付が変わった頃に学校に着いたのだが。
『先輩……』
「遠くから見た時、まさかとは思ったが、見間違いじゃなかったな……」
用心のため、《バーゲスト》の偽装エンジン音を消して敷地に乗り入れ、樹里と薄い緊張を浮かべて語り合う。
まだかなり離れた場所にある、敷地隅に建つガレージのシャッターが少しだけ開き、支援部の部室は明かりが点灯していた。
不法不審者の可能性も考えないでもないが、堂々と明かりをつけるのも変だ。
部員の可能性を考えても妙だ。
「反応は?」
部室から離れた場所で《バーゲスト》を降り、十路はヘルメットを脱いで振り向く。
「この距離の上に屋内ですから……ただ、ハッキリしない物音は聞こえます」
異能で脳内センサーが常に可動している樹里は、自信なさげに小さく首を振る。
「俺が先行する。木次は後から続いてくれ。イクセスは待機。異変があれば関係各所への連絡と、デカいサイレンでも鳴らせ」
【了解】
気配と足音を殺し、十路は特殊部隊式の
コンクリ打ちっぱなしの床には、誰の足も見えない。家具の陰も注意深く観察したが、変化がない。
ただ、汚れた運動靴だけがポツンと見える。
部の関係者がいるなら、姿が全く見えないのは変だ。敵が壁や天井に貼り付いて待ち受けているなら、明かりも靴も変だ。
首を傾げつつ、十路は身を低くしたまま、シャッターを素早く潜り抜ける。
そして予想外というか『予想できるか』という光景に、中腰姿勢で固まった。
靴だけ残っていたのは当然だった。それを履いていた『物体』は、隅の小型キッチンのシンクに、泡まみれでスッポリ収まっていたので。
「…………なにやってる?」
「入浴であります」
十路が声を絞り出しても、『それがなにか?』と言わんばかりに泡をモコモコさせる。性別を考えればもっとリアクションがあっていいはずだが、『物体』は彼が入ってきたことを気にしていない様子だった。
「なぁ……風呂って日本語知ってるか?」
「自分を馬鹿にしてるでありますか?」
「知ってるなら、そこは風呂じゃないってわかるよな? というか、これまで風呂どうしてたんだ?」
「部室棟のシャワー室を使ってたであります。しかしこの時間では施錠されているため、今日は仕方なくここを使ってるであります」
『物体』が手を伸ばし、台所用給湯器のシャワーノズルで頭から湯を浴び始め、『人物』へと変化していく。
シャンプーの泡が洗い流されると、整えられずに伸びた赤茶けた髪が出現する。
ボディソープの泡が洗い流されると、
十路はゆっくりと部室に入り、腰を伸ばして半屋内を見渡す。
ソファの背もたれにエビ茶色のジャージを引っかけ、座には深緑色の衣類が畳まれている。バスタオルはすぐ手が届くよう、ボトル類と共にIHヒーターに置いている。
一月あまりも音信不通で消息不明になっていた、
「お前な……」
言わなければならない言葉が色々あるはずだが、精神的頭痛で十路の口から中々出てこない。
「え……」
脇からの声に振り向くと、《
野依崎の裸の背中を
「見ちゃダメです!」
きっと樹里は、手で十路の視界を
つまり、どういう事かというと。
「ぎゃああああぁぁぁぁっ!? 目がっ!? 目がああああぁぁぁぁっ!!」
「うわぁぁぁぁっ!? ごめんなさーーーーい!!」
樹里の細い指が、ズキュッと眼球に突入した。
△▼△▼△▼△▼
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
「わかってる……でも、気をつけてくれ……」
勢い
《
「それにしても先輩……コンプリートですね」
「……?」
支援部女子部員全員の全裸を見た意味だとは理解できなかったが、十路は空気を読まずに問い返すことはしなかった。気まずくなることをトラブル回避本能が察知した。
【それで、フォー? どういうことですか?】
十路は床をのた打ち回り、樹里はオロオロしていたので、中途半端なシャッターは、赤外線スイッチを自分で操作して開けて入ってきた。いつもの位置に停車したイクセスが、勝手に話を進め始める。
【突然消息不明になったと思えば、突然帰って来て】
「まぁ、色々あったのでありますよ」
【色々って……私は深くは聞くつもりないですけど、他は説明の必要あるでしょう?】
「面倒であります」
いつも聞いていたような気がする、覇気のないアルトボイスでのセリフに、診察を受けながら樹里の背後にいる野依崎を見やる。
彼女は体を拭いて、いつもの偽ブランドジャージに着替えていた。常のことなので、くせっ毛なのか寝癖なのか不明なボサボサ頭は今、濡れてかなり長めのショートヘアに落ち着いている。十路の惨事など認識すらしていないような態度で、いつもの眠そうな無表情で、タオルを耳の穴に突っ込んでる。
ただし、顔や手に目立つ黒い汚れが残っている。
【体を洗った割に、汚れが落ちてないようですけど?】
「機械油なので仕方ないであります」
【なにしてたんですか】
「ちょっと面倒な機械いじりであります」
説明する気はないと、野依崎はタオルを首にかけて、洗面器にボトル類を片付けていく。
どうやら洗い直す気はないらしい。そして診察も終わったらしい。
「目に問題なしです……すみませんでした」
だから樹里がペンライトを消して質問してくる。
「それで、先輩。バイクの整備した後、いつもどうやって油汚れを落としてるんですか?」
「シンナーで洗う。爪の間はタワシと研磨剤で」
「……手、荒れません?」
「俺が気を遣うタイプだと思うか?」
「や、話の流れを踏まえて、野依崎さんの顔に使える方法だと嬉しいんですが……」
十路はソファから起き上がり、近づいて野依崎に手を伸ばす。
彼女は嫌がる素振りを見せたが、構わない。子供らしく柔らかい頬の油汚れを指でこすったが、その程度で落ちるはずもない。
「化粧落としとかマニキュアの除光液で落ちるだろ。あと油を塗って汚れを浮かせて拭くとか」
「どれもここにないです……」
オートバイ用の
居住性があるとはいえ、部室で生活しているわけではない。食べ物があるにはあるが、菓子か冷凍食品かカップ麺くらいなので、さすがに料理するための食用油は常備してない。
「野依崎さん、ウチに来……ます?」
だから存在する場所に、樹里は誘った。なぜか要請の言葉を、気弱そうにお
野依崎には直接見せたわけではないのだが、やはり異能の件が部員にバレたのが尾を引いている。
そんな態度を気にした様子はなく、野依崎は『面倒であります』とは即答せず、考える素振りを見せた。
「汚れは別にいいのでありますが、
「急ぎなのか?」
「急を要する内容ではありますが、緊急を要するレベルでもないであります。だから明朝でもいいかと思い、入浴してたのでありますが」
野依崎が消息不明になり、突然帰ってきた理由は、十路も興味がある。夕食時につばめに話したように、彼女の正体や情報を知っておく必要性は、今も感じている。
しかし早めに話しておきたい、というくらいならば、押し掛けて話し合いの場に同席する必要もないかと思い直す。ギリギリまで明かさない悪癖があるが、つばめは必要な情報は与えてくれるので、伝えてもいいか悪いかの精査は挟んでも問題ないかと考える。
今夜の『死霊』についても報告の必要があるが、進展と呼べるか怪しい程度だ。詳しくは明日に報告しても充分だろう。
(もう帰って寝るか……)
十路はそう決め、デスクの引き出しからケーブルを取り出し、《バーゲスト》のUSB端子に差し込んだ。
△▼△▼△▼△▼
「……速いであります」
恨めしそうな声でようやく気づき、十路は歩くスピードを落とした。
「悪い。木次となら意識しないから、なんとも思ってなかった」
「あ……ごめんなさい」
子供の歩幅ではかなりの早足になっていたため、樹里と共に素直に謝る。
このところ、いつも樹里と一緒にいるため、彼女の歩幅に合わせて歩くことは、意識せずとも行うようになっていた。
そして野依崎と出歩くなど初めてなので、更に歩幅が小さいことは頭の隅にもなかった。
「自分、もしかしてお邪魔虫でありますか? 前からよく行動を共にしてたでありますから、交際でも始めたでありますか?」
「一月前となんら変わってない」
「ふたりしてこんな時間まで外出していたのに?」
「ちょっとな」
意図して返事を誤魔化したわけではないが、十路が部活だったと回答しなかったせいなのか。野依崎は額縁眼鏡越しの視線を、樹里と両方に向けて、普通の小学生はしない意見提言を行った。
「こんな中途半端な時間に帰ってくるなら、ご休憩ではなくご宿泊にするべきだったのでは? 公衆便所やその辺の物陰でサカることなく、懐事情と合わせて考えれば、致し方ないかもしれないでありますが」
「ややややや! 違います! そういう理由で先輩と出てたわけじゃないです!」
樹里の猛烈な否定に、野依崎が一応といった具合で、振り返って見上げてくる。
だから十路も否定した。
「ヤるなら俺の部屋に木次を連れ込んでる。金かからんし。時間気にしなくていいし。ベッドもシャワーもティッシュもタオルもゴムもあるし。後片付けは自分でする必要あるけど」
「先輩も変な反論しないでくださいぃ!? ってゆーか
ただ効率と一般論を使っただけなのに、樹里からの反応はすこぶる悪かった。
だからか野依崎は、左上に無表情顔を向ける。
「ミス・キスキは、ミスタ・トージとナニするのが嫌なのでありますか?」
「ややややや……嫌とかいうか、質問がダイレクトすぎるっていうか……」
「ミス・キスキはミスタ・トージを対象とした、有性生殖および性的快感を目的とする交尾に、感情的に拒否する明確な理由が存在するでありますか?」
「難しく言えばいいってもんじゃないです!! しかももっとダイレクト化してます!?」
「ならばどう問えと?」
「その質問自体やめてください!!」
樹里は普段見せない犬歯を剥き出しにし、深夜に迷惑な音量で、十路に対する心情回答を完全拒絶した。
だからか野依崎が、右上に無表情顔を向けてきた。
「ミスタ・トージは?」
「その気ない。木次じゃなくても相手が誰だろうと、単純に面倒くさい」
「モテない男の言い訳でありますね」
「俺にとっちゃ単なる事実だけど、思うのは勝手だ」
「あるいは Erectile Dysfunction? 医療英語が理解できないなら、頭文字で察するであります」
「お前な……? 本気でその口矯正しないと、そのうち誰かから殴られるぞ……?」
悪意無く
女子高生が『面倒ならどうして
そんな話をしたからか。
マンションに着き、エレベーターに乗り込み、二階で別れの言葉を残して降り、鍵を開けて自室に入り。
十路は携帯電話で短いメールを送り、ネクタイを外しながら、思わずベッドを見てしまった。
「木次をここに連れ込む……?」
自覚したひとりごとを
家庭的。つばめと同居し、家事の一切を取り仕切っている。いつもアイロンがかかったブラウスを着ており、ハンカチ・ポケットティッシュは常に所持。日頃も弁当を自作しているらしく、数時間前のように彼女の手料理を食べることもあるので、料理の腕は並以上だと知っている。
性格は控えめ。部活時はかなり苛烈なところを見せるが、普段は大人しい。
容姿はまずまず。当人は胸周りをかなり気にし、お世辞にも大きいとは言えないが、スレンダーなりにスタイルはいい。当人は地味だとかなり気にし、特別目を
充分に魅力的と判断していいだろう。
「……いや、ないな」
しかし樹里と肉体関係を結びたいかと自問すると、首を傾げる。
二択ならば『好き』と答えるが、四択ならば『どちらかと言えば好き』を選ぶ。身も
十路の感受性が鈍いのは、さておいて。
胸に触ったこともある。パンツ割とよく見る。裸も見たこともある。なのに肉体的性的な欲求を向けるのは、なにか違うと思ってしまう。偶像崇拝や家族的な親密さはなく、等身大の少女だとわかっているのに、そういう気になれない。
(それになぁ……?)
彼女のことは気にかかる。《
先月彼女の異能を部員たちに明かしてからは、若干の距離ができたが、それより以前より知っていた十路は、樹里に恐怖を抱いていない。
だから彼女の現状が気になるし、樹里も
それに十路は、疑問がある。
(なんで俺は、木次と普通に接していられるんだ?)
この疑惑が晴れない限り、彼女に感情を抱くことは、きっとない。
(いきなり夜中に部屋に来て、木次から迫ってきたら、勢いでってこともあるかもしれんが……まぁ、そっち方面かなり奥手だろうし、断じて起こらんだろ――)
そこまで考えてワイシャツを脱ごうとしたら、チャイムが鳴り響いた。
ドアホンの画面には、玄関前に
「どうした?」
小さく驚いて扉を開くと、彼女は十路を見上げて、安堵の息を吐いた。
けれどもすぐに視線を落とし、言葉を
学生服のまま、
風呂に入ってから来たでもない。着飾るように着替えたわけでもない。チェック柄のミニスカートを握り締めて、呼吸をわずか荒くし、彼女は言を
「その……先輩……」
やがて彼女は意を決し、
「今夜一晩……先輩のお部屋に、泊めて頂けないでしょうか……」
そういう想像はつい先ほどした。
しかし
「ミス・キスキは、どこかで家の鍵を落としたらしいであります。しかもオートロックで鍵のかけ忘れは期待不可能」
「つばめ先生、寝ちゃったみたいで……チャイム鳴らしても、携帯電話鳴らしても、出てくれないんですよぉ……私はお部屋の隅っこでも台所でもいいですからぁ……」
「どこで寝るかはさておき、まぁ、上がれ」
△▼△▼△▼△▼
同時刻。薄暗い部屋の中で。
「There is a soldiers he had to say ...(あれが例の《魔法使い》たちかぁ……)」
唯一の光源であるモニター前で、背の高い椅子に座り。
「What can I do...The 《Queen》 does not come out quite outside... (どうしよ? 《クィーン》はなかなか出てこないし……)」
バリボリと菓子を噛み砕きながら、ひとりごとを呟いて。
「...Try to change the approach. (探し方、変えるしかないか)」
声の幼さに似つかわしくない、残虐な笑みを浮かべた。
△▼△▼△▼△▼
更にほぼ同時刻。
一部のファンやマニアはともかく、多くの一般人は興味を持って見ないであろうニュースの見出しは、こうあった。
――
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