050_0500 不本意な誕生日・日常Ⅰ~日本一寝顔が酷い絶世の美猫セツちゃん~
痛みと呼べない体の違和感で、
「……?」
そして部屋の違和感に気づく。
視点が違う。フローリングの床に薄いマットレスを敷いて寝ていてために、随分と目線が低い。
匂いが違う。強いものではなく、決して不快でもないが、部屋に普段ない異物が存在している。
時間が違う。時計が示している時刻は、いつもの起床時刻より少しだけ早い。
日頃の寝起きは良い方だが、昨夜は遅くまで活動し、色々とあったせいかもしれない。頭の回転率が鈍いのを自覚しながら、なぜ自室なのに床で寝ているのか、十路はしばらく考えたが。
(……あぁ、そうだ)
上体を起こしベッドを見て、昨夜のことを思い出した。
そこではサマーブランケットをかけた黒髪の少女が、ブラウスの背中を向けて寝息を立てていた。
鍵をなくし、自室に入れなかった
だが、樹里しか寝ていない。シングルサイズのベッドでも、女子高生と小学生ならば大丈夫だろうと、二人で使わせたはずなのだが。
(なんでここで寝てんだ……)
野依崎は十路の頭上位置で、やはりジャージのまま、クッションを抱きしめて丸くなっていた。枕代わりが強奪されたため、首の違和感で目が覚めたらしい。
シーツの乱れは少ないため、樹里に蹴り落されたとは考えにくい。そもそもベッドから離れて十路は寝ていたのだから、転がってくる距離ではない。
ただ考えたところで、当人も覚えているか怪しそうな事柄であるため、正解は出ないと思って思考を放棄する。
寝ぼけ頭も手伝って、なんとなく野依崎の寝顔を眺めてしまう。
眠そうな顔はいつも見ていたが、寝ている顔は初めて見る。
長い前髪は床に流れて覗かせている、額縁眼鏡を外した顔は、相応にあどけない。ちなみに昨夜の油汚れは、嫌がる彼女を強引に押さえつけて洗い落とした。
(こうして見れば、ただの子供なんだけどな……)
思いはするが、違う事実を知っている。
だから、どこまで踏み込んだことを知っておくべきか。
(それにしても、前髪長すぎだろ……切れよ)
十路は考えながら思いながら、寝床から起き上がった。
△▼△▼△▼△▼
試験明けの休暇なので、のんびりした朝だった。
泊めてもらった礼ということで、昨夜に引き続きマンション五階で、樹里の料理を食べることになったのだが。
「ゆうべはお楽しみでしたね。三人でお楽しみでしたね」
部屋着スッピンでニヤける
十路はコーヒーをすすってから、全くそちらを見ずに冷淡に返す。
「枕投げも徹マンもカードゲームもせずに寝ましたけど?」
「トージくん、反応つまんない~」
「俺になに期待してるんですか」
二九歳女が年甲斐もなく唇を尖らせたかと思えば、すぐさまパッと顔を輝かせる。
「あ! 今夜は女の子の匂いついたベッドに顔を埋めてクンカクンカ?」
「そんな失礼なことしません。お借りしたシーツはいま洗濯してます」
「つまらん! 本気でつまらん!」
最後に食卓についた、学生服の上からエプロンをつけた樹里が、冷淡に返した。
「あとつばめ先生? 朝ごはん食べちゃいけないって意味じゃないですけど、今日はどうしたんですか? いつもならまだ寝てる時間なのに」
「仕事で東京まで行くから、ベッドでグダグダしてたら間に合わないの」
そして実際にはパンとサラダは別だが、ワンプレートの少々豪華な洋風朝食を四人で食べ始めてから、今度は真面目につばめが切り出した。
「それでフォーちゃん。この一ヶ月、どこに行ってたの? イギリス行ったのは知ってるけど」
「ミセス・ローネインから連絡あったありますか……?」
「うん。突然やって来て、用件済ませたらさっさと帰ったって」
「送金を頼んだだけでありますしね……所有株数パーセントの売却で作れる額でありましたし、面倒事の処理を頼む必要なかったでありますし……用が終わればさっさと行くでありますよ」
「そうじゃなくて。孫みたいな歳の女の子が来ることなんてないからって、残念がってたみたい」
「世間話など面倒でありましたし……他の用件も忙しかったでありますし……ふぁぁ……」
「送金って、やっぱり『ナッツ』関係?」
「いえす……私的運用以上の文句を聞きたくないでありますし……」
いつもより四割増で眠そうな野依崎の寝癖頭を指差して、十路は会話に割り込んで、つばめに問う。
「ローネインって、確かコイツがよく使ってる偽名のひとつでしたよね?」
「うん。このコがいつもやってるデイトレードとか、金融取引で使ってる名前」
「でも今の口ぶりだと、別に実在してるみたいに聞こえますけど?」
「そうだよ。イギリスにいるよ。いい歳したお婆ちゃんだけど、投資家としてその筋じゃちょっとした有名人なんだよ」
「で、その人の口座を使ってると? 借名取引はまずいんじゃ?」
「法人口座だから一応は大丈夫。フォーちゃんが稼いでるお金だし、管理運用は好き勝手やってるけど」
「協力求めて大丈夫な相手なんですか?」
「ちゃんと見極めてるよ。若い頃は
厳密には、偽造戸籍とは異なるものらしい。金融面で秘密裏に活動するため、実在の人物を隠れ
それが合法か非合法か。日本国内の法だけではなく海外事情ではどうなのか。ひとまず株取引は未成年でも行えるが、不可能な
「……そもそもコイツ、なんで自分で金稼いでるんですか? 話の流れからすると『ナッツ』とやらが関係してるみたいですけど」
しかも根幹部分から疑問点があるため、十路は今まで口にしなかった疑問を重ねる。
「フォーちゃんには金食い虫がいるんだよ。そのために自力でお金稼いでるわけ」
つばめは詳しく説明する気はないらしい。野依崎も話す気がないのか、会話が耳を素通りしているのか、寝ぼけ
《
ただし、野依崎が自力で稼いでるのは、妙な話だ。
支援部員の《
野依崎も部員であるにも関わらず、その『金食い虫』が部費に組み込まれていないのは、おかしい。
「正直に言うとさ、フォーちゃんが戻ってくるとは思ってなかった」
そんな十路の疑問は
「正直、自分も戻るつもりなかったでありますよ……」
細かなカスをこぼしながらトーストをかじり、野依崎が返す。
その言葉には十路も樹里も、思わず手を止めて彼女を見た。
やはり彼女は他の部員とは違う。ワケあり《
『金食い虫』の維持についても、部に組み込まれていないのは、そこら辺が理由かもしれないと十路は予想する。
「じゃぁ、なんで戻ってきたの? 置きっぱなしの荷物を取りに来たの?」
退部はつばめも予想していたか、格別態度を変えることなく問いを重ねる。
「それもあるでありますが、『ナッツ』のことだけで一月もかかったのではないであります……」
答えながら、野依崎はプチトマトを皿の端に押しやる。こういうところはお子様だと眺めつつ、十路はとりあえずは口を挟まずにおく。
「たまたま気になる情報を垣間見て、調査していたのでありますが、どうにも
眠そうな態度のまま質問したのは、きっと野依崎は期待していなかったからだろう。
「『トントンマクート』という名に、心当たりあるでありますか……?」
「名前だけタレコミあった。ヤバい情報らしくて、それ以上はわかんないけど」
「……………………」
だから、あやふやながらも肯定の言葉に、衝撃を受けたように動きを止めた。
「……その情報源、日本国内でありますか?」
「うんにゃ、違うトコから」
「……………………」
緊張を
眠気を吹き飛ばして考え込んだと思いきや、すぐに彼女はもう一度顔を上げる。
「『バロン』という言葉は? 同時に伝えられたでありますか?」
「それはなかった」
そして十路と樹里にも視線を向けてくる。
「ならば最近、学校や部活でなにか変化は?」
問われて十路は、樹里と顔を見合わせる。
「ってたらやっぱり」
「『死霊』……ですよね」
野依崎がいなかった間に、他にも変化はあったが、やはりそれが最たるものだろう。
「シリョウとは、
「あぁ。要は幽霊騒動なんだが、あまりにも目撃証言が多くて、少し前から神戸で騒ぎになってるから、部として当番でパトロールしてるんだ。
「理事長。
「あー、なんか届いてたね」
夜も遅かったので、
つばめは手の届くところに置いてあったスマートフォンを操作し、その画像を再生して、野依崎に渡した。
「俺たちも昨日初めて見たんだが、ただの噂や単なるイタズラじゃなさそうだ。見ての通り、木次が《雷撃》で攻撃したが、何事もなかったように消えた。痕跡も調査したが、なにも見つけられなかった」
「…………………………………………」
携帯電話で送信できるサイズの上に、暗視映像のため、映像は荒く再生時間も短い。
樹里の視点で見た『死霊』発見から消滅までを、説明は聞き流しているような態度で、野依崎はリピート再生する。
真剣に見入っているが、なにを考えているかは読み取れない。
三度目の再生が終わったタイミングで、十路は問う。
「さっきからなに警戒してる?」
「…………かなり仮定を含んだ話でありますが」
小さな画面から顔を上げて息を吐き、スマートフォンを返し、野依崎は厳選した言葉を重く
「自分を目当てにした《
迷った末の秘密の部分開示だけでは、なにもわからない。
詳しく話せと迫っても、きっと彼女は渋る。面倒だからではなく、なにか理由があって、情報開示を迷っている様子なのだから。
仕方ないので遠まわしに、どこまで情報の流出口を広げられるか、手探りしてみる。
「ソイツは俺たちの生活を邪魔しようって魂胆なのか?」
「繰り返すでありますが、潜入は仮定であります。万一潜入しているとしても、自分が神戸から逃亡すれば済む話であります」
十路は『俺たち』に野依崎を含んだのだが、彼女は自身を除外した。
「なのに、わざわざ確認しに、神戸に戻ってきたのか?」
「
なのに重ねた問いで、彼女は矛盾した行動を肯定した。
支援部を既に退部した気でいるなら、なぜ神戸に戻ってくる必要あるのか。
未確認の危険が予想されていて尚、帰ってくる必要があったのか。
その矛盾に気づいているのか不明な無表情で、野依崎は決意したように、額縁眼鏡越しの視線を投げかけてくる。
「ミスタ・トージ。
「
「見落としは自分も期待していないでありますが、現場を直接見たいのであります。どーせ女とのデートなんて予定ないでありますでしょう」
「予定ないけど、余計だ」
悪意無く断定するのに、十路は最後のトーストをコーヒーで流し込んで、顔をしかめる。
「まーいいんじゃないの? フォーちゃんとデートなんて貴重だよ? わたしだって何回もないし」
無責任につばめが言いながら立ち上がり、コーナーテーブルにコードが延びている充電器に、スマートフォンを挿す。
まだ朝食の途中なので元の席に座るかと思いきや、つばめは野依崎の視界に入らない位置で、野依崎と十路を指した人差し指を外へと向ける。なにかジェスチャーで伝えたいらしい。
理解不能と十路が眉で伝えると、ジェスチャーが変わる。左手のなにかを右手で引っ張るような仕草。丸を描いて息を吹く仕草。小さな拍手。直方体を描いてそれを渡す。
(あぁ……昨日、そんな話をチラッと……)
つばめがなにを伝えようとしてるのか、遅れて理解できた。
(丁度いいか……?)
小さく
その視線に気づき、野依崎が振り向く。
「……? まだ食べ足りないのでありますか?」
「そうじゃない。出るなら早く飯食えよ。あとトマトもちゃんと食え」
音を立てて手を合わせ、食材と
量が調整されていても、野依崎の皿はまだ半分近く残っている。彼女の朝食が終わるのを待つのも効率が悪く、まだ動かないなら都合がいい。
「お前はそのまま出れるかもしれんけど、俺は準備あるから、一端部屋に戻るな」
「自分も一度自室に戻りたいので、部室で合流ということで」
「
「了解であります」
野依崎に言い残し、十路はリビングを出ようとして。
「あぁ、木次。俺の部屋に忘れものしてたぞ」
部屋から半分体が出た状態で、トーストをかじる樹里にも言葉を残す。
「ふへ? なにか
「ベッドにCカップのブラが残ってた」
「んぐ!?」
そして靴を突っかけて部屋を出て、五階に止まったままだったエレベーターに乗り込む。わずかな遅れで胸を叩きながら、なぜかトーストを持ったまま、樹里が飛び乗ってきた。
「木次は寝る時ノーブラ派だったのか……」
二階のボタンを押して、十路は思わずしみじみと
「や! 昨日だけです! いつもは寝る時専用つけてます! 着替えられなかったから外してたんです!」
「どっちを注意するべきなんだろうか? 乙女の秘密を簡単にバラす
「…………って! 先輩の部屋に忘れてるはずないですよ!? 起きてすぐ付けたんですから!」
「そりゃそうだ。内緒話があるから、テキトー言って呼び出しただけだ」
「だったらもっとマシな理由を作ってください……!」
期待通りの行動をしてくれたが、そんな嘘で慌てるのはどうかと思う。
十路は頭によぎった言葉は出すことなく、朝から疲れた樹里に本来の用件を切り出す。
「それで木次。理事長は今日、誕生日パーティーする気みたいなんだが」
「あぁ~……そういえば野依崎さんの誕生日が今日って……つばめ先生のあのジェスチャーは」
「準備するから、アイツを外に連れ出しとけってことだろ。でもあの人、仕事で東京に行くとか言ってなかったか?」
「や、でも、どうしましょう? 料理とかケーキは今からでも用意できますけど、プレゼントなんて用意してませんよ?」
「それを相談したくて、呼び出したわけなんだが」
「なにか案が?」
「案って呼ぶには微妙なんだが……」
軽快な音と共に、エレベーターの扉が開いたので、降りる。
そしてシリンダー錠と指紋認証ロックを解除して、二〇一号室の扉を半開きにして話を続ける。
「いい機会だから、アイツの格好なんとかしようかと思ってるんだ。というか、俺も格好に
「あぁ……なるほど」
「服と眼鏡と頭となれば、結構な金額になるから、部員全員のプレゼントって形も考えた。だけどアイツ嫌がりそうだから、失敗するかもしれないし、俺の押しつけに巻き込むのもどうかと思う」
「確かに微妙ですね……」
「でだ。その辺り、他の連中と相談してくれないか?」
「…………」
樹里が表情をわずか固めて押し黙った。手にした食べかけのトーストを、所在なさげに動かす。
「あとついでに、俺じゃわからんから、服と美容院の店情報も求む」
だが十路は、気づかなかったふりをして、彼女を置き去りにして自室に入った。
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