050_0300 野良猫、消えたⅥ~定本 謎解き『死霊』論~
そしてしばらく後。
『私、空気悪くしてました……?』
ヘルメットに仕込まれた無線を使い、リアシートの樹里がおずおずと語りかけてくる問いに、十路は念を入れて確認する。
「どういう意味で言ってる?」
『や、私を連れ出した理由ですよ……部屋で部長がつばめ先生とお酒飲んでたから、私は居心地悪そうにしてたのかなって……』
「まぁな。空気悪くしてたとまでは言わんが、
料理している時はまだしも、食事中も。十路が同行を頼んだ時の返事が、唯一の例外だった。
同席していたコゼットに対する気後れだろう。年長者のコゼットが一番落ち着いているが、それでもやはり樹里の秘密を知って以降、彼女の態度は以前とは
だから樹里の側からも距離を取っている。
考えすぎかもしれないが、つばめが部屋に呼びつけたのは、ここにも理由があるのかもしれないと十路は考える。賑やかに酒を飲んでる横で、樹里が一緒に食事していたら、コゼットも意識して口数を減らすだろう。かと言って一緒に食事しないのは、あからさま過ぎる。騒いでいる横でも気にせず食事する十路が同席するのが、一番いい状況作りかもしれない。
「だから気分転換と思って」
そして食事が終わり十路が退席すれば、樹里は自室に引っ込んでいただろうから、問題ないと言えなくもない。
とはいえ健全とも言えないから、理由を作って連れ出した。
『お気遣い頂いてすみません……』
「気にするな……って言っても無理だろうな」
感謝に対してと、忠告としてと、二重の意味で答えてから、十路はわざと見当違いのことを言っておく。
「いつもパンチラだけでもヘコむのに、今日は豪快にノーパンでコケてたし」
『秘密バレじゃなくて!? そっちの理由ですか!?』
「ま、見たのは俺とナージャだけだし。
『蒸し返さないでください!! あとなんて言われようと気にしますよ!!』
同意してその件に触れれば、また樹里を沈ませる。
ついでに彼女を連れ出したのには、もうひとつ理由があるから、そのことに触れる必要もない。
「あと、今日はイクセスと二人きりになると、ヤバそうな気がしたから、木次にも来てもらったんだ」
いつも暴れて中途半端になるので、今日は強引な手段を使って念入り行った。鎖で縛ってホイストクレーンで吊り上げて、身動きできない状態で。
人間相手ならば拷問かSM趣味だから、終わった後も不貞腐れて、呼びかけても全然返事がなかったのだが。
【毎度のことですけど、トージはどれだけ私にセクハラすれば気が済むんですか……】
ようやくオートバイ当人が、不機嫌極まりない合成音声を発した。
特殊作戦対応軽装輪装甲戦闘車両――通称
《
《
しかしイクセスと名づけられた人工知能は、あまりに人間的な女性人格であるためか、整備をセクハラだと騒ぐのが未だに続いている。
「俺がお前に乗る限り、整備し続けるに決まってるだろ。しかも汚れてたからドライクリーニングしたのに、なんで文句言われなきゃならないんだ?」
【そういう問題ではありません……女の体をなんだと思ってるんですか……】
「少なくともお前を女扱いしたら、俺は頭を心配されてしまうんだがな?」
誰がなんと言おうとオートバイなので。偽装で正体を隠しているため、なにも知らない一般人にオートバイとの会話を目撃されただけでも、過度の機械フェチか
だから、人の耳を気にしなくて済む部室内と走行中は、こうして双方遠慮なしに口を利く。
「前から思ってたんだが、イクセスって性格設定が女なのに、女子力ないよな?」
【聞き捨てなりませんね……なぜ私に女子力がないと?】
「身だしなみ放置する女が女子力あると?」
【自分でどうにかできるわけないでしょう!? 私の体はバイクですよ!? 整備も洗車もできませんよ!?】
「だったら触られてグチグチ言うなよ? 人間でも美容院とかエステとかマッサージとかネイルとか、いくらでも他人に体いじられるのに」
【私に対するトージの行為を人間で言えば、医師が診察と称して、わいせつ行為を行うようなものだと思いますけど……】
人間と機械の乗り越えられない意識差が存在する以上、整備や洗車がセクハラであるか否か、結論は出ない。
『あの、先輩……それより『例の依頼』ですけど、どこへ行くんですか?』
「それもそうだな」
それに樹里が、もっともな話題で口を挟んできたので、意識を切り替えて十路は確認する。
「イクセス、昨日ナージャとどこ走った?」
声を荒げていたAIも態度を切り替えて、普段の怜悧な印象の声で答えた。
【中心地から東部です。三宮北部の繁華街周辺を警戒し、異常がなさそうなので国道二号線を走り、大阪に入る前にUターン。もう一度繁華街をひと回りし帰投しました】
「情報にあった昨日の目撃位置は西側……長田区辺りなんだよな」
『今日はそっち方面を走ってみますか?』
「他に当てもないし、そうするか」
十路が目標を定めて交差点でハンドルを切ると、《バーゲスト》も従って曲がり、樹里も重心移動でアシストする。
ここ最近、奇妙な報告がネット上で取り沙汰されていた。
【『死霊』騒動なんて……もう九月も終わりなんですけどね】
「その手の話は夏限定じゃないだろ。内容は大抵季節不明だし、雪女とか明らかに冬の話もあるし、海水浴客みたいに幽霊が夏しか出ないなんて理由ないだろうに」
『怪談が夏の風物詩なのは、昔は涼を取る方法だったからですよ。怖い話を聞いてゾッとすると、緊張で毛細血管の血流が悪くなって、体感温度が下がるんです』
『死霊』。
そう呼ばれる現象が神戸市内で、立て続けに起こっていた。
内容は大したものではない。ボンヤリと光る得体の知れない人型を見たという話だ。
ただしその形状は人骨のようだったと一貫性があるため、ただの幽霊ではなく『死霊』と、誰からでもなく呼ばれるようになった。
【なにかの見間違いと思いますけどね……幽霊は大脳生理学的な錯覚だという論文も存在しますが】
「AIは夢がないな?」
【科学技術の使い手 《
「あれ幽霊だったかも、っていう実体験なら育成校時代にある」
『ややややや、そういう話やめてくだいよぉ……』
見ただけで、実害は起きていない。襲われたなどという話もなきにしもあらずだが、実際そのような痕跡は存在せず、行方不明者との関連も見られない。噂に付きものの尾ヒレと考えた方がいいだろう。
「大した話じゃないって。狙撃されて俺の横で頭吹き飛ばされたヤツが、夜中に出てきて消えたとか。確かに会って話したのに、そいつは前日の空爆で真っ黒焦げの焼死体になってたとか。『校外実習』なんて
『ご冥福お祈りします! ですが幽霊よりもその死因の方が怖いです!』
「あと給料支払う段になって、会社が依頼主に申請した実働人数が実際よりも多くて、幽霊兵士がいるって騒ぎになったことも」
【それ、虚偽申請して着服しようとしただけですよね?】
しかし、あまりにも目撃例が多かった。
関連が見出せない人々が、異なる日時、異なる場所で、同じものを見たと口を揃える。多数シェアされている、判然としない写真データの位置情報と撮影時間は、神戸近隣という以外に規則性が感じられない。
「それにしても、いくら俺たちが《魔法使い》とはいえ、まさか幽霊退治することになるとはな……」
【絶対に勘違いがありますね】
「内情はともかく、触りだけ聞けば、完全に
だから総合生活支援部は、活動することになった。
部の依頼メールにも、『死霊』に関する調査依頼が届くようになった。興味本位だけでなく、実際に目撃した学生からのものもあったから。
この手の依頼は、以前からもあった。不思議な現象を体感した学生が相談してくることは。
普段なんでも屋のようなことをしているとはいえ、そんな依頼は一笑して断る。
一般人は言葉の響きだけで、オカルトと結び付けてしまう。しかし現代の《魔法》は、オカルトではない。ただの通称で、Environmental Control(環境操作)という正式名称が存在する科学技術だ。そんな勘違いは迷惑でしかない。
『や~……治安維持って名目ですから、一応部活の範囲内ですけど……』
「まさか警察から要請されるとは」
【むしろ支援部を疑ってるからでは?】
しかし今回ばかりは、活動せざるをえなかった。
まず、大量の目撃例を無視できなくなったため、警察から部に協力要請が出された。さすがに『幽霊が出た』という話を、公的機関が鵜呑みにすることはなくても、なにか異常事態が起きているのは事実だ。物見高い人々が夜間散策し、治安悪化や別の犯罪に巻き込まれる懸念もあるので、現象の調査が要請されるのは不思議ではない。
もっと大きな動機は、《
社会実験という名目で、一般市民に混じって生活しているのに、悪評が立つのはまずい。十路たちには騒ぎを起こすメリットはないが、なにも知らぬ人々に信じさせるのは容易ではない。
なので、実害が今のところなく、昨日まで試験期間でもあったので、当番制でパトロールする程度ではあるが、部活動として行動していた。
その証明として、修交館学院の校章と、Social influence of Sorcerer field demonstration Team――《
△▼△▼△▼△▼
深夜と呼ばれる時間になれば、コンビニと酒を出す店以外はほとんど閉店しているため、人は少ない。部が有名になっていても、ソーシャル・メディアを常用する世代も酔っているので、二人と一台はさほど注目されることはない。
『特に異常なさそうですね……』
樹里が言うように、見回りのために低速で運転する町に、異変の様子はない。
【アテのない話ですからね……】
イクセスがため息を漏らす通り、『死霊』の出現に規則性は感じられない。場所もまちまちで、日を置いて出現することもあれば、一日に複数個所で目撃されることもある。
「……どうしたもんだか」
十路は二重の意味で考える。今日の行き先と、長期的展望の両方で。
部活動としてパトロールを行い始め、既に一〇日間が経過しているが、支援部員が直接『死霊』と遭遇したことがない。見回りにオートバイを使う十路とナージャだけでなく、遠慮なく常に《魔法》の機動力を使う
「『死霊』が出続けている以上、
『そうですね……』
それは明日コゼットと相談することだ。とりあえず今日は、当てのないライディングになる予感を覚える。
人間の操作をAI制御がアシストする、セミ・マニュアルモードで運転しているので、十路がなにもせずともイクセスが事故を未然に防ぐが、それでも完全に考えに
「……なぁ? 仮に『死霊』騒ぎが人為的なものとしたら、どう考える?」
だから、さほど運転に気を割いていないもうひとつの人間の脳と、遥かに並列性と客観性を持つ人工の頭脳に、曖昧な仮定を与えて協力を求めた。
『ただの怪談じゃない想定はできますけど……』
【現状『死霊』がなにか、確かめられていませんが?】
「だからだ。というか、幽霊否定派っぽいイクセスなら、仮説くらい持ってるだろ」
なにも情報がないということは、逆に先入観に囚われずあらゆる想像が可能とも言える。
そして《魔法使い》とはオカルトの住人ではなく、科学技術の使い手なのだから、整然とした理論で物事を片付けなければならない。
『『死霊』の正体は、想像なら色々できますね……』
【目撃証言は、障害物の多い都市部です。黒タイツに蛍光塗料で『死霊』の姿を描いた人物が、目撃者を作ってとっとと逃げたということも、建物上から操り人形を使ったという仮定もできます】
『スクリーンを使わなくても、水や煙に映像を映すこともできますし』
樹里とイクセスが話す通り、準備ができるならば、常人でも可能な事態と思える。
【《魔法》ならば、もっと色々できます】
加えて、その可能性も存在する。《
【問題は、こんな騒ぎを起こす目的ですね】
『イタズラ目的以外、ちょっと考えにくいんですが……』
だが、そこで引っかかる。十路も運転しながらでは、ここで
「それに……仮にこれが
十路にしてみれば、今の状況下で最も考えないとならない想定をしてみたが、思考が止まってしまう。
【私たちは一度も『死霊』に接触できていないからですか?】
『パトロールの効果がないのは、偶然じゃないってことですか?』
「んー……それがわからないんだ」
AIの疑問は基点であり、少女の疑問は停止した想定だ。
「そもそもだ。俺たちが一度も『死霊』を見ていないのが、偶然なのか故意なのか……今のところ判断できないから、結論出ないのわかってて訊いたんだが」
『一〇日間の中で出現していない日もありますから、偶然もありえますか……』
「それに、俺たちになにか用事があるとすれば、避けるように現象が発生しているのは変だろ?」
『うーん……』
昼間は多くの人々で賑わい、夜も夜景ポイントとなるが、深夜の今は人がいない複合商業施設・ハーバーランドの側を通過し、住宅地へと入っていく。
そこで偽装のエンジン音が急に落ち、勝手に路肩に向けてハンドルが動き、やや強い慣性で停止した。
「イクセス?」
【警察無線傍受】
十路の操作ではなく、AI制御の介入だった。彼女は不審の声には直接答えなかった。
【神戸ポートタワー付近で『死霊』出現との複数の通報あり。場所が場所だけに、
すぐさま十路はハンドルを切って、道幅いっぱい使ってUターンする。
しかしそのまま全速発進する前に、思い直して逆にブレーキをかけて、背後に指示する。
「木次、降りてくれ。上から頼む」
『ふぇ? あ、あぁ……了解です』
理解した樹里は、後部右横の赤い
それを確認してから十路は、全開でアクセルバーを捻る。体重移動なしに慣性だけで前輪が浮く車体を押さえ込み、制限速度を無視して駆ける。
「対応は!?」
ケースを引っ掛けた長杖に横座りし、並列して飛行する樹里が、ヘルメットを脱ぎながら叫ぶ。
「まず観測情報を送れ! イクセスはちゃんと記録取れよ!」
【「了解!」】
イクセスと返事を重ね合わせ、樹里は上へと離れていった。
神戸ポートタワーは神戸港中突堤の付け根、十路がいるのは海を挟んだ東側。距離はそう遠くないが、波止場を回りこまないとならない。
バイパスを走り始めて何秒もせず、樹里の声が無線で届いた。
『目標、確認しました!』
同時、機体状態を示す《バーゲスト》のインストルメンタル・ディスプレイが切り替わる。
細長くした
尻餅を突く若い男性と、彼の腕にすがるようにし地面に座り込んでいる女性が映る。
そして彼らのすぐ前に、オーラのように
光のせいでやや輪郭が
その『死霊』は、体の同一のもので構成されている、『棒』を振り上げていた。
次の瞬間には、倒れたカップルのどちらかに振り下ろすとしか思えない。なにが起こると考える前に、十路の口から指示が飛び出した。
「狙撃!」
瞬時に
直線距離およそ五〇〇メートル。攻撃位置に迷ったように、わずかふらついた十字線は、正確に『死霊』の頭に重ね合わされる。射線はかなりの角度の撃ち下ろし、地面はただのコンクリートタイルなので、当事者も、通報者であろう他の目撃者も、巻き込む心配はない。
『《雷撃》実行!』
レーザー光線に導かれて放たれた高圧電流は、落雷のようにジグザグに曲がることなく直進し、光速で『死霊』を貫いた。
頭蓋の上半分が煙のように散ると、『死霊』は動きを止めた。ぎこちない動作で見上げ、存在しない目が映像の真正面から見据えてくる。
口を空けた。空中の樹里を見据え、笑った。
そして消えた。海風に流されるように形が崩れて発光が止み、後にはなにも残さない。
『…………』
無線から流れるやや荒めの吐息から、まだ解いていない樹里の緊張と驚きが伝わってくる。
【なんですか、今の……】
イクセスが漏らす驚きは、十路も同感だったが、念を入れて確認する。
「イクセス、木次。なにか観測したか?」
【いいえ。私はなにも】
『距離があったので、私も特に気になるものは……』
センサーでは光学系以外、『死霊』が補足できなかった。
反応が微弱なのか。無かったのか。それも推測に留まる。
「……とにかく木次、現場に下りてくれ。多分大丈夫だと思うけど、襲われた人の診察と警戒を頼む。俺たちもすぐに行く」
『了解です』
返事と共に映像送信が途切れたので、十路は前を向く。ディスプレイに見入って、ずっと前方を見ずに走っていたので、《
「一応はハッキリ確認できたが、結局『
緊急走行の必要はなさそうなので、法定速度までスピードを落として、十路は嘆息つく。
【一般人が考え付くイタズラではないと、結論づけていいと思いますけど……】
少し言いにくそうな口調で、イクセスが同意する。
【本物の怪奇現象かもしれませんね】
「おいAI。さっきと言ってること違うぞ」
【あんなものを
例えば心。例えば魂。
もっともらしい科学的説明はできるが、正解とは限らない。
そもそも正解とされていた常識も、時が流れて別の正解に更新される。天動説から地動説となったように。病の原因が呪いではなく微生物であるように。人間は神の造形物ではなくサルから進化したように。
【科学で解明できないものは、この世に存在しません。しかし、
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