025_1030 【短編】 彼女は何者たるかⅣ~大学生として~
「おぉ……まだケツ痛ぇ」
「お姫様! 尻がパックリ割れてるじゃないですか!?」
「元から割れてるって、お約束を返すべきなんでしょうか?」
翌日の、昼休憩時間。
四時限目の数学を終え、席を移動して親しい者同士で弁当をつつく者、連れ立って購買や構内食堂に
しかしこの日は、少し違う行動をせざるをえなかった。
(なんで今日も……教室にまで押しかけてくるとは……)
同じ敷地内にいるとはいえ、大学部と高等部では校舎が違う。個人間で付き合いがあっても、校舎に入ってまで来る猛者はそうそういない。
なのに昼休憩になった途端、コゼットが高等部三年B組の教室に突撃してきた。
高等部でもコゼットは有名人だ。なにせ肩書きだけでなく、見た目も完璧な王女様なのだから、顔と名が知られている。
だから彼女の姿に、昼休憩でガヤつく教室が、別の意味で一層騒然とした。
十路が目的で教室に来たことは、予想するまでもない。その場でそのまま話しができない用事だろうことも。
だから十路は昼食の入った袋を手に、外へと促したのだが、クラスメイトの
中庭の隅に場を移して、ベンチに座ったコゼットの第一声が、『ケツ痛ぇ』だった。王女の肩書きに相応しくないセリフだが、部外者ふたりは地の彼女も知っているので、問題はない。中庭といっても、人が多いカフェテラスからは離れた場所なので、大声でなければ聞かれる心配もない。
「そんなことボヤいてたら、またあの人が来ますよ? どうせまた逃げてきたんでしょ? 部外者でも、理事長から許可出てて、構内にいるんでしょう?」
焼きそばパンをかじりながら十路が忠告すると、コゼットが青い視線を背けた。図星に違いない。
「
「これまた上流階級って感じのチェックですね」
「服の種類から畳み方からベッドメイキングから……そりゃ余裕があるならやりますけど、忙しいのにンなことイチイチやってられっかっつーの……お陰で夜中まで小言聞かされましたわ」
「はぁ。台風が来たわけでもあるまいし」
「なんで台風が関係ありますのよ?」
「? 前の学校じゃ、そうだったからですけど?」
「……ハ?」
正規軍の新兵教育課程において、宿舎居室の整理整頓がなっていないと、訓練不在時にメチャクチャにされることがある。無言裡に整理整頓のやり直しを命ずるこの伝統行事を、自衛隊では『台風』と呼ぶ。物が散らばっているだけなら可愛いもので、シーツがグショグショに濡されたり、ベッドが上下反対になっていたり分解されていたり、本物の災害現場顔負けに荒らされる。
コゼットと話がかみ合っていないが、元陸上自衛隊員の十路は、全くの筋違いを話しているわけではない。
「あのー? 『あの人』って誰?」
「というか、部長さんのお尻、どうしたんです?」
昨日からの訪問者を知らない和真とナージャは、昼食を口に運ぶ手を動かしながら、世間話の延長で問う。
コゼットをチラリと見やり、顔色悪い彼女からの返事は期待できそうにないと判断し、仕方なく代わりに十路が答えた。
「部長の
「なんのご用で日本に?」
女の子らしい、男からすると『そんな量で足りるのか?』と思う小さなランチボックスをつつきながら、ナージャが問う。お尻ペンペンはどうでもいいらしい。
「ロシアにいないのか? 独身の節介焼きたがる近所のおばさんとか」
「お世話になったことはありませんけど、いるとは思いますよ。でも、教育係してた人が、部長さんのお婿さんのお世話をしに?」
『まだ二〇歳で結婚の話?』という疑問ではなく、『本当にそんな用事?』という本音が、ナージャの顔にも表れている。その時の
十路も同感ではある。とはいえ、薄い警戒しかしておらず、積極的な防諜に動くつもりはない。縁が薄れた昔の知り合いだろうと、近況が大きく変われば、一般人でも事情を知ろう動いても不思議はないのだから。
ならばコゼットのプライベートな問題だから、十路は口を挟むつもりはない。
「ひっ!?」
たとえ顔を強張らせたコゼットに、学生服を掴まれたとしても。
またも十路のポケットで、携帯電話が鳴り始める。ダダンダンダダンッ♪ と重厚でおどろおどろしい音楽が流れる。『そういや、アイツに電話するの、結局また忘れてたな』と思うと同時に、『狙って電話かけてないか?』とも思う。
「……もしかして、あの人ですか?」
「……BGMとマッチしすぎなんだけど」
ナージャと和真も、やはり同じことを考えるらしい。
未来の世界の殺人ロボット的雰囲気を
「アリス姫様」
他に目もくれていない老婦人の呼びかけに、初対面となるクラスメイトふたりは、『?』を浮かべた顔で顔を見合わせる。『アリス』が誰かのことか、説明もなくわかるはずもない。
「……………」
「……? イヴォンヌ? なにか?」
老婦人の無遠慮なジトッとした視線に、コゼットは王女の仮面をつけ忘れることなくベンチから立ち上がり、若干引き気味な笑顔で応じる。
「いえ。本日は背筋が伸びておりますもので。結構です」
元乳母らしい言葉と共に、
同時にコゼットの首が、わずかに動いた。斜め後ろの位置に座る十路には見えなかったが、きっと気まずげに目を泳がせたのだろう。移動先に部室を選んでいたら、まず間違いなく、彼女は王女の仮面を外してダラけていた。叱られずに済んだことに安堵したに違いない。
それを察しているのかいないのか。マダム・イヴォンヌは用件を切り出す。
「アリス姫様。先方から連絡がございました。今週末にお会いになるとのことです」
「あのですね……イヴォンヌ? 勝手な真似はやめてくださらない?」
人前だからか、具体的な名詞は省かれていたが、見合いのセッティングだというのは、十路にはわかる。ナージャと和真はまだ理解していないような顔をしているが。
「わたくしは、バルバの次男坊となんか、会いたくないと申しましたよね?」
普段はそういう目的では使わない、王女としての威厳を垣間見せる。
『命令』にする一歩手前というところまで。理不尽なことを平気で言い出す彼女だが、それとは込められている感情が全く違う。
「申し訳ありません。しかし先方も織り込み済みの予定ともなれば……」
しかし老婦人は意に介さない。謝意を示しても、どれほどの本心が込められているのか、怪しいものだった。
当人が関知していない予定を強行させるなど、傍仕えや秘書の立場で絶対にやってはならないことだろう。コゼットも王女の仮面を被ったまま、顔をしかめるほどなのだから。
「強引ですね……」
「申し訳ありませんが、わたしが日本に来た理由のひとつでもありますので」
有無を言わさず、老婦人は一礼して立ち去った。
場に妙な緊張感が宿る。コゼットは苛立つように金髪をかき上げ、小さく舌を打つ。彼女を追いかけて拒否するといったことをしないということは、無精無精ながらも見合いを容認したということか。
ナージャは十路を見てくる。紫の瞳に込められた意図はよくわからなかったが、彼の反応について、なに言ってるのはわかった。だが十路は軽く肩をすくめる以外、なにも返さなかった。
「……アリスちゃん」
そんな緊張感に耐えられなかったのか。和真はポツリと禁忌に触れてしまった。
「まぁ、高遠様?」
対し
「その名前は――」
「ぶっ!?」
まずは座っている和真に近づき、膝を鼻っ柱にかまして。
「昔のもので――」
「をっ!?」
足を払い、和真を後ろに転倒させた。ベンチの陰に入る絶妙な位置に。
「今のわたくしではありません」
「ごふっ!?」
最後に優雅な足取りでベンチに乗り越え、腹に飛び乗り、ストンピングで追い打ち。
何度も実践したとしか思えない、流れるようなコンボは、人のいる場所でもじっと見ていない限り、なにが起こきたか理解できた者はほとんどいないだろう。コゼットは王女の仮面そのままで、背後に咆えるライオンオーラを形成させて、『二度とその名前で呼ぶんじゃねーぞゴルァ』と倒れてうずくまる和真に威圧する。
「こ、この衝撃は……! ごじゅう、ごキロ……!?」
「うふふ☆」
「をフっ!?」
正解なのだろうか。もっと軽いのだろうか。更なる禁忌に触れた和真は、おまけの
十路でも自業自得と思ってしまう暴虐なので、冷淡に放置して、教室に戻るために席を立つ。
△▼△▼△▼△▼
「十路くん的には、どう思ってるんですか? 部長さんのお見合い」
「俺が口出す問題じゃない」
「あらら。白馬の王子サマやっちゃって、そんな冷たいこと言います?」
「あれは別に、そういうのじゃないだろ」
ぶっきらぼうな口調なので、余計に冷淡に聞こえるだろうことを自覚しつつも、十路は事実として言っておく。
先の部活動で、彼女のために戦ったのは、助けを求められたからだ。これは誰も否定することのできない事実だ。
他に意図や感情があるかは、さておいて。
「それにしても、どういうつもりなんでしょーね? あのへんてこりんな会話は」
「ナージャも気づいてたのか」
「ふふ。十路くんにとっておきの秘密を教えてあげましょう。実はわたし、ロシア人なんですよ?」
「知ってる」
コゼットと、マダム・イヴォンヌの会話のことだ。
日本人ではない彼女たちにとっては、フランス語やドイツ語が母国語なのだから、『うっかり』で日本語を話すのは不自然となる。
ならば先ほどの会話は、十路たちにも聞かれても構わないということか。
それとも、聞かせるためなのか。
昼休憩時間とはいえ、人通りの少ない道順を使い、老婦人について考えながら足を動かしていたが、止めることになってしまった。
その当人が、行く手を先回りしていた。
「ムッシュ・ツツミは、随分とお静かでしたね?」
「俺には関係ない話でしょう?」
こちらもなのか。
思わず舌打ちしたくなったが、実際に音を鳴らすのは我慢して、言葉を紡ぐ。
「マダム。なに考えて来日したか知りませんけど――」
覇気のない手を首筋にやると、自然と怠惰なため息が出た。
だが目線だけは、普段とは違う、力を込めた鋭いものにする。
「俺が部長の世話焼くことなんてないですからね?」
「………」
意はちゃんと伝わったのか、どうなのか。年季の足りていない若造では、老婦人の澄まし顔に隠された真意は読み取れない。
だがどちらでもいい。これ以上話すことはないと、十路は老婦人を置き去りにした。ナージャも足早に追いかけてきて、耳元にバニラの息を吹きかけてくる。
「あのお婆さん、何者ですか?」
「部長が言ったとおり乳母なんだろ……と言いたいんだけどなぁ?」
「なにかあるんです?」
「いや、なんつーか……身のこなしが普通じゃないというか」
昨夜、窓の外に貼りついていたことを端折ると、随分とマイルドな表現になってしまった。一般の認識からすると、王女の関係者がテキパキしているのは、普通のことだ。
「ワールブルグ公国は、ビックリ人間の宝庫なんですかねー……?」
だがナージャは、正確に十路の意を汲んでいた。
彼女は以前、部外者でありながら、支援部の『部活』にも参加しているから、垣間見ている。
「あの人、ご同類じゃないです?」
「かもな」
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