025_1020 【短編】 彼女は何者たるかⅢ~町娘(鍋)として~

「貴族の名前には、よく『ド』とか『ツー』とか『フォン』とか『ヴァン』とか入ってますけど、ウチの一族の場合、ちょっと特殊でしてね」


 時期外れの鍋をつつきながら、結局コゼットが部室で途切れた説明を再開させた。


「長男だったらこの中から選ぶとか、傍系の血筋を引くならこれを入れるとか、名前の付け方にテンプレートがあるんですわ」


 名前の付け方は世界様々で、世界各地に赴いた十路でもよく理解できない。基本的には『どこどこ出身の誰々さん』なのは共通しているが、政治・宗教まで絡んだその国独自の進化をしているので、皇族以外は一族名+個人名だけの現代純日本人は理解を放棄する。


「で。『Doeドゥ』っつーのは、簡単に言えば、不名誉な名前なんですわよ……二、三〇〇年ぶりっつーくらいの、カビの生えた習慣みたいですけど」


 フランス語圏の場合、称号として入るのはDeだ。英語ならofに当たる単語でしかない上、現在では形骸化し、姓の一部以上の意味はない。

 しかしコゼットの場合、読みだけなくスペルから違う。

 英語でそのスペルはメス鹿という意味でしかないが、鹿を示す英語はなぜか、スラングでよく使われる。

 しかも本名不明の個人名、いわゆる名無しの権兵衛のことを、英語圏ではJoneジョン DoeドゥJaneジェーン Doeドゥと呼ぶ。俗称ではなく、身元不明遺体の診断書など、おおやけの場でも使われる。

 そちらの文化混合があった名前なのだろうかと、十路はボンヤリ考える。


「わたくしの『ワケあり』な事情をご存知なら、ご推察かと思いますけど……子供の頃、検査で《魔法使いソーサラー》っつーことが判明してから、今の名前になりましたのよ。わたくしが《魔法使いソーサラー》なのをバラしたいのか隠したいのか、よく理解できねーですけど」


 真実に『魔女』である《魔法使いソーサラー》は、魔女狩りが過去存在した宗教的影響力の強い国では、忌避感が強い。コゼットの母国でも例外ではなく、しかも国のシンボルたる公王家に生まれたともなれば、影響が計り知れない。

 だから彼女は《魔法使いソーサラー》であることを秘匿ひとくされ、うとまれ、しかし捨てるわけにもいかない、非常に扱いが難しい子供として育った。

 親たる公王夫妻も苦慮したに違いない。親としての個人的感情だけでなく、政権はなくとも国民感情を考えた内政的にも、扱いを誤れば大火傷する爆弾なのだから。

 その末にできあがったのが、スレて達観しているが、優秀な人格者の仮面を被れる丁寧ヤンキー王女なのだが。果たしてこれは、子育てや淑女教育の成功例なのか失敗作なのか。


「それより部長。別の疑問がありましてね」

「ア゛ァン?」


 箸で豆腐と白菜を小鉢とんすいに移しながら、十路は話題を変える。

 ちなみにコゼットは外国人なのに普通に箸を使っているが、さすがに豆腐を掴む真似はできないらしく、穴空きお玉スキンマーすくっている。十路の場合、利き手を両利きに矯正する訓練で、こういった精密作業は嫌になるほどやったので、木綿豆腐くらいは箸でつまめる。


「なんで俺の部屋に部長がいて、一緒に鍋食ってんですかね?」


 なぜ冷房の効いた部屋で鍋をつついているのか。物の少ない部屋なので、土鍋やカセットコンロの用意がないのに、コゼットが持ち込んでまでここで夕食を取っている理由が、十路には理解できない。


「イヴォンヌが突入してきたから、逃げてきましたのよ……」


 一応は申し訳ないと思っているのか、コゼットは金髪一房を指に巻きながら、視線を逸らす。


「マンションのセキリュティは……って。聞くまでもないか」

「理事長の知り合いですもの……話通してんでしょう」


 マダム・イヴォンヌはこのために、つばめに話をしたのだろうか。家具もないだろうから、どこで寝泊りするのだろうか。そんなことを十路はボンヤリ考えつつ、紅葉おろしを白菜で包みながら話を続ける。


「逃げるにしても、なんで俺の部屋?」


 わざわざ男の部屋に来なくても、他にあるだろう。同じマンション内でも女性の部屋に行くのが普通だろう。しかも。


「同じ建物内で逃げたことになります?」


 外に出れば、いくらでも選択肢はある。コゼットは大学生活中は、敬意を集めるパーフェクト・プリンセスで通している。王女の肩書きがどのように作用するか不明だが、頼れる友人知人のひとりふたりはいるだろう。コネを使わずとも金銭で外泊できる場所も事欠かない。

 十路としては、常識的なことを言ったにすぎない。


「ダメ……ダメ……ガチで逃げたらダメなんですわ……」


 しかしコゼットの白い顔が青ざめ、青い瞳のピントが明後日に合い、細い肩が細かく震えだしたのはなぜなのか。


「許されるのはかくれんぼまで……それくらいなら小言、最悪お尻ペンペンまで……でも、でも……! 脱走と思われたら……!」

「俺が悪かったです……」


 詳細不明だがトラウマを刺激したっぽいので、十路はとりあえず謝罪して、話を変えた。彼女が部屋に来た理由は、まだ半端そうだから。『だったら最初から逃げなきゃいいのに』と思いつつも、そこには触れない。


「部室で広げてた冊子あれの束、全部見合いの釣書ですよね? 知り合いみたいなリアクションしてましたけど、部長に婚約者がいたりするんですか?」

「あー……」


 コゼットが正気に戻り、再度気まずげな顔で金髪に手をやり口ごもる。


「正確な意味ではいねーですけど、類するのはいるとゆーか、いたとゆーか……?」

「そですか」


 十路は素っ気なく、話は終わりと言わんばかりに白菜を口を運ぶ。

 しばらく鍋がコトコト煮える季節はずれな音が支配した後、金髪を指に巻き巻きしていたコゼットの目尻が、時間をかけて釣り上がる。


「……普通、そこまで聞いたなら、続きを訊こうとしません?」

「部長の男性遍歴なんてプライベートなこと、俺が聞く話じゃないですし」

「違ぇ。だから聞け」

「嫌です。なんかトラブル臭しますし。俺を巻き込もうとしてません?」

「…………」


 図星らしい。青い瞳が泳いだ。

 だがすぐに気を取り直して、箸をテーブルに叩きつけて、コゼットは身を乗り出してくる。


「見合い相手のひとりはマルカントニオ・バルバ! 年齢二五歳! 職業軍人! ウチの国では公爵家の子孫で由緒はそれなりに正しい! 父親は軍のお偉いさん!」

「はぁ」


 声を張り上げるコゼットとは対照的に、十路は気の抜けた返事しかない。しかも、長時間煮ると味が落ちるので、時期外れな春菊はしゃぶしゃぶよろしく湯通ししながらの。


「一般論では優良物件じゃないんですか?」

「……そうですわよね。貴方はそういう人ですわよね。期待したわたくしがバカでしたわ」


 一体なにを期待しているのかと、十路は緑鮮やかな春菊を口に運ぶ。

 諦めた息を吐いて腰を落としたが、彼女の話そのものは、普段のトーンで続けられる。


「正直なところ、会いたくねー男なんですわよ……いや、それ言やぁ、見合いなんぞ全部お断りですけど」


 十路は特に反応しない。一定ペースで鍋のものをすくい、口に運び続けている。だが視線を向けて、一応は聞いているアピールをしているから、コゼットも続ける。


「行動はかなり制限されてましたけど、実際のところ、わたくしは幽閉されて育ったわけではねーですわ。国民発表される公式行事の参加は、免除というか除け者にされてましたけど、行事そのものを完全にってわけじゃねーですし。バルバ家の次男坊とも、そういう場で何度か会ってんですわ。あんまいい思い出ないですけど……」


 子供の頃に会うなら、なにかのパーティとか、そんなものだろうかと十路は推測する。二一世紀現在での王族の日常などわからないから、中世ファンタジーフィクションからの想像だが。


「決定的だったのが、名前が剥奪されて、不名誉号ドゥが与えられた時でしたたわね」


 詳しい内容は端折はしょられたが、拒絶されたのだろうと、十路は見当をつける。


「その男、部長の初恋相手ですか?」

「違うっつーの」


 顔色も声音もさして変わっていないが、自分をいつわることはほぼ完璧な彼女だ。間髪入れない否定は、誤魔化しとも真実とも、どちらとも取れる。


 最低限の情報収集は終わったと判断し、十路は顔を上げて、ちゃんとテーブル向こうのコゼットに向き合って、結論を口にする。


「まぁ、どんな相手であれ、会うのが嫌なら、断ればいいだけの話じゃないですか」

「そうですけど……あのイヴォンヌが関わって――ひっ!?」


 急にコゼットは座ったまま、尻で後ずさり始めた。

 十路はコップを手にしたまま顔をしかめる。


「なんでそんな態度取られなきゃいけないんですか」

「ちが……! あれ、あれ……」


 コゼットが十路を指差す。いや、方向が少し上にずれている。つまり、背後を示している。

 そこで丁度、携帯電話が鳴った。流れる音楽は、またしても『The Terminator Theme』だった。夕方、電話をかかったきたが電話に出ることができず、折り返し電話しようと思っていたが、忘れていたことを思い出した。


 後で電話すればいいかと、十路はコップに口をつけたまま、振り返った。


「ぶふぅっ!?」


 そして鼻から麦茶を噴き出した。

 カーテンをまだ閉めていなかった窓から、老婦人が憮然とした顔で見下ろしていた。夜空をバックに部屋を覗き込む老女の顔は、部屋の明かりを受けて、あと携帯電話から流れるBGMと相まって、ちょっとしたホラーだった。コゼットが腰を抜かしたのも理解できる。


(どうやって外に貼り付いてんだ……?)


 消防法がちゃんと適応されているのか怪しい、ちょっとした要塞と呼べるマンションだ。外的からの侵入を警戒しているので、外壁に凹凸はほとんどない。

 しかし老婦人は平然と制止している。しかも窓ガラスにベッタリ貼りつくような必死さもない。この場に行くから待っているよう、手でジェスチャーを残して、スススと下がっていく。


(え? 両手フリー? ロープ使ってるにしても、本当にどうやって姿勢保ってんだ?)


 ともあれ、噴いた麦茶を拭くために、ティッシュの箱を引き寄せた。

 しかしチャイムの音で阻害される。


「「早ぇ!?」」


 思わず声が重なった。窓の外で消えてから、一〇秒も経っていないから。

 十路の部屋が二階で、侵入者が住人であったとしても、セキュリティが厳重なこのマンションは、そんな短時間ではたどり着けないはずなのだが。


 なにかの間違いではないかと、ドアホンのカメラを覗いてみたが、少し歪んだ映像の中には老婦人が立っていた。


「……部長。あの人、人間ですよね?」


 電話に出ずに放置していたから切れてしまった映画BGMの、未来の世界の殺人ロボットではなく、ジャパニーズ・ホラーじみている。


「人間………………の、はず」


 そこは素直に言い切って欲しい。せめて顔を見て言ってもらいたい。なぜコゼットは、全力で顔を背けているのか。

 ともあれ、無視するわけにもいかないので、十路は玄関の扉を開く。


「ムッシュ・ツツミ。失礼いたします」


 ダダンダンダダンッ♪ と脳内BGMが鳴り響いた気がするが、それはさておき、背筋の伸びたマダム・イヴォンヌが入ってきた。そこはかとなく十路の背筋も伸びる。


「なぜアリス姫様はこちらにお邪魔していたのでしょう?」

「たまにですが、部員同士で一緒に食事を取ることもあります」


 嘘は言っていない。十路の部屋で取ることはないが、顧問たるつばめの部屋で話のついでに食事をすれば、自然と一緒に暮らしている樹里と共に食べることになる。コゼットと食卓を共にする機会はそうないが、ゼロではない。


 うながすと、老婦人はキチンと靴を揃えて上がり、リビングに入る。


「……あれ?」


 コゼットの姿がない。火が止められ、湯気を立てている土鍋があるだけだ。


 十路が行方を考えるよりも先に、老婦人はテーブルに近づき、コゼットが使っていた箸を一本だけ手に取る。


「ふんっ!」


 そしてクローゼットに向けて投げた。


『ひいぃっ!?』


 するとクローゼットの中から悲鳴が上がった。百均で買った単なるプラスティック製の箸が、スコーンと音を立てて分厚い木板の扉に突き立って、半ば貫通したから。

 先ほどガチの逃走はマズイと言っていなかっただろうか。かくれんぼレベルだからセーフなのだろうか。中から涙目のコゼットが転がり出てきた。


(ちょっと待て……? 俺も棒手裏剣使うけど、木の板貫通は無理だぞ……?)


 畳だったらなんとかなるか。やはり箸だと厳しいか。

 そんな、やはりズレたことを十路が考えている間も、事態は進む。


「アリス姫様……いい歳して、まだそのような子供じみたことを……」


 マダム・オヴォンヌは、へたりこむコゼットに無造作に近づいた。


「え?」


 そしてまた無造作に、コゼットを小脇に抱え上げた。

 身長と体格から考えて、コゼットの体重が重いはず。加えて長袖に隠れているとはいえ、老婦人の腕は大した太さではないとわかる。

 なのに、片腕で抱えた。擬音語にすれば『ヒョイ』と。この後の運命を悟っている、捨て猫の目をしたコゼットを。


「……食事が終わってないので、連れて帰るの、もうしばらく待っていただけませんか?」


 問題の先延ばしなのはわかっているが、せめてもの情けで、十路は提案してみた。


「元よりそのつもりです」


 返事は少し予想外な賛成だった。


「ただ、けじめはキチンとつけないと、姫様のためにもなりませんので」


 マダム・イヴォンヌはそう言い置いて、コゼットを抱えたまま、なぜか脱衣所の扉を開き、消える。


『ア゛ーーーーーーーーーッ!?』


 数秒後、悲鳴と共に扉の向こうから聞こえてきた。ヒューマンビートボックス(物理)、ドラムによるキレのいいビートが。


「…………」


 十路はどうしたものか、少しだけ考えた末、冷蔵庫から冷や飯と卵を取り出し、〆の雑炊を用意することにした。

 コゼットを見捨てたとも言う。

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