025_1020 【短編】 彼女は何者たるかⅢ~町娘(鍋)として~
「貴族の名前には、よく『ド』とか『ツー』とか『フォン』とか『ヴァン』とか入ってますけど、ウチの一族の場合、ちょっと特殊でしてね」
時期外れの鍋をつつきながら、結局コゼットが部室で途切れた説明を再開させた。
「長男だったらこの中から選ぶとか、傍系の血筋を引くならこれを入れるとか、名前の付け方にテンプレートがあるんですわ」
名前の付け方は世界様々で、世界各地に赴いた十路でもよく理解できない。基本的には『どこどこ出身の誰々さん』なのは共通しているが、政治・宗教まで絡んだその国独自の進化をしているので、皇族以外は一族名+個人名だけの現代純日本人は理解を放棄する。
「で。『
フランス語圏の場合、称号として入るのは
しかしコゼットの場合、読みだけなくスペルから違う。
英語でそのスペルはメス鹿という意味でしかないが、鹿を示す英語はなぜか、スラングでよく使われる。
しかも本名不明の個人名、いわゆる名無しの権兵衛のことを、英語圏では
そちらの文化混合があった名前なのだろうかと、十路はボンヤリ考える。
「わたくしの『ワケあり』な事情をご存知なら、ご推察かと思いますけど……子供の頃、検査で《
真実に『魔女』である《
だから彼女は《
親たる公王夫妻も苦慮したに違いない。親としての個人的感情だけでなく、政権はなくとも国民感情を考えた内政的にも、扱いを誤れば大火傷する爆弾なのだから。
その末にできあがったのが、スレて達観しているが、優秀な人格者の仮面を被れる丁寧ヤンキー王女なのだが。果たしてこれは、子育てや淑女教育の成功例なのか失敗作なのか。
「それより部長。別の疑問がありましてね」
「ア゛ァン?」
箸で豆腐と白菜を
ちなみにコゼットは外国人なのに普通に箸を使っているが、さすがに豆腐を掴む真似はできないらしく、
「なんで俺の部屋に部長がいて、一緒に鍋食ってんですかね?」
なぜ冷房の効いた部屋で鍋をつついているのか。物の少ない部屋なので、土鍋やカセットコンロの用意がないのに、コゼットが持ち込んでまでここで夕食を取っている理由が、十路には理解できない。
「イヴォンヌが突入してきたから、逃げてきましたのよ……」
一応は申し訳ないと思っているのか、コゼットは金髪一房を指に巻きながら、視線を逸らす。
「マンションのセキリュティは……って。聞くまでもないか」
「理事長の知り合いですもの……話通してんでしょう」
マダム・イヴォンヌはこのために、つばめに話をしたのだろうか。家具もないだろうから、どこで寝泊りするのだろうか。そんなことを十路はボンヤリ考えつつ、紅葉おろしを白菜で包みながら話を続ける。
「逃げるにしても、なんで俺の部屋?」
わざわざ男の部屋に来なくても、他にあるだろう。同じマンション内でも女性の部屋に行くのが普通だろう。しかも。
「同じ建物内で逃げたことになります?」
外に出れば、いくらでも選択肢はある。コゼットは大学生活中は、敬意を集めるパーフェクト・プリンセスで通している。王女の肩書きがどのように作用するか不明だが、頼れる友人知人のひとりふたりはいるだろう。コネを使わずとも金銭で外泊できる場所も事欠かない。
十路としては、常識的なことを言ったにすぎない。
「ダメ……ダメ……ガチで逃げたらダメなんですわ……」
しかしコゼットの白い顔が青ざめ、青い瞳のピントが明後日に合い、細い肩が細かく震えだしたのはなぜなのか。
「許されるのはかくれんぼまで……それくらいなら小言、最悪お尻ペンペンまで……でも、でも……! 脱走と思われたら……!」
「俺が悪かったです……」
詳細不明だがトラウマを刺激したっぽいので、十路はとりあえず謝罪して、話を変えた。彼女が部屋に来た理由は、まだ半端そうだから。『だったら最初から逃げなきゃいいのに』と思いつつも、そこには触れない。
「部室で広げてた
「あー……」
コゼットが正気に戻り、再度気まずげな顔で金髪に手をやり口ごもる。
「正確な意味ではいねーですけど、類するのはいるとゆーか、いたとゆーか……?」
「そですか」
十路は素っ気なく、話は終わりと言わんばかりに白菜を口を運ぶ。
しばらく鍋がコトコト煮える季節はずれな音が支配した後、金髪を指に巻き巻きしていたコゼットの目尻が、時間をかけて釣り上がる。
「……普通、そこまで聞いたなら、続きを訊こうとしません?」
「部長の男性遍歴なんてプライベートなこと、俺が聞く話じゃないですし」
「違ぇ。だから聞け」
「嫌です。なんかトラブル臭しますし。俺を巻き込もうとしてません?」
「…………」
図星らしい。青い瞳が泳いだ。
だがすぐに気を取り直して、箸をテーブルに叩きつけて、コゼットは身を乗り出してくる。
「見合い相手のひとりはマルカントニオ・バルバ! 年齢二五歳! 職業軍人! ウチの国では公爵家の子孫で由緒はそれなりに正しい! 父親は軍のお偉いさん!」
「はぁ」
声を張り上げるコゼットとは対照的に、十路は気の抜けた返事しかない。しかも、長時間煮ると味が落ちるので、時期外れな春菊はしゃぶしゃぶよろしく湯通ししながらの。
「一般論では優良物件じゃないんですか?」
「……そうですわよね。貴方はそういう人ですわよね。期待したわたくしがバカでしたわ」
一体なにを期待しているのかと、十路は緑鮮やかな春菊を口に運ぶ。
諦めた息を吐いて腰を落としたが、彼女の話そのものは、普段のトーンで続けられる。
「正直なところ、会いたくねー男なんですわよ……いや、それ言やぁ、見合いなんぞ全部お断りですけど」
十路は特に反応しない。一定ペースで鍋のものを
「行動はかなり制限されてましたけど、実際のところ、わたくしは幽閉されて育ったわけではねーですわ。国民発表される公式行事の参加は、免除というか除け者にされてましたけど、行事そのものを完全にってわけじゃねーですし。バルバ家の次男坊とも、そういう場で何度か会ってんですわ。あんまいい思い出ないですけど……」
子供の頃に会うなら、なにかのパーティとか、そんなものだろうかと十路は推測する。二一世紀現在での王族の日常などわからないから、中世ファンタジーフィクションからの想像だが。
「決定的だったのが、名前が剥奪されて、
詳しい内容は
「その男、部長の初恋相手ですか?」
「違うっつーの」
顔色も声音もさして変わっていないが、自分を
最低限の情報収集は終わったと判断し、十路は顔を上げて、ちゃんとテーブル向こうのコゼットに向き合って、結論を口にする。
「まぁ、どんな相手であれ、会うのが嫌なら、断ればいいだけの話じゃないですか」
「そうですけど……あのイヴォンヌが関わって――ひっ!?」
急にコゼットは座ったまま、尻で後ずさり始めた。
十路はコップを手にしたまま顔をしかめる。
「なんでそんな態度取られなきゃいけないんですか」
「ちが……! あれ、あれ……」
コゼットが十路を指差す。いや、方向が少し上にずれている。つまり、背後を示している。
そこで丁度、携帯電話が鳴った。流れる音楽は、またしても『The Terminator Theme』だった。夕方、電話をかかったきたが電話に出ることができず、折り返し電話しようと思っていたが、忘れていたことを思い出した。
後で電話すればいいかと、十路はコップに口をつけたまま、振り返った。
「ぶふぅっ!?」
そして鼻から麦茶を噴き出した。
カーテンをまだ閉めていなかった窓から、老婦人が憮然とした顔で見下ろしていた。夜空をバックに部屋を覗き込む老女の顔は、部屋の明かりを受けて、あと携帯電話から流れるBGMと相まって、ちょっとしたホラーだった。コゼットが腰を抜かしたのも理解できる。
(どうやって外に貼り付いてんだ……?)
消防法がちゃんと適応されているのか怪しい、ちょっとした要塞と呼べるマンションだ。外的からの侵入を警戒しているので、外壁に凹凸はほとんどない。
しかし老婦人は平然と制止している。しかも窓ガラスにベッタリ貼りつくような必死さもない。この場に行くから待っているよう、手でジェスチャーを残して、スススと下がっていく。
(え? 両手フリー? ロープ使ってるにしても、本当にどうやって姿勢保ってんだ?)
ともあれ、噴いた麦茶を拭くために、ティッシュの箱を引き寄せた。
しかしチャイムの音で阻害される。
「「早ぇ!?」」
思わず声が重なった。窓の外で消えてから、一〇秒も経っていないから。
十路の部屋が二階で、侵入者が住人であったとしても、セキュリティが厳重なこのマンションは、そんな短時間ではたどり着けないはずなのだが。
なにかの間違いではないかと、ドアホンのカメラを覗いてみたが、少し歪んだ映像の中には老婦人が立っていた。
「……部長。あの人、人間ですよね?」
電話に出ずに放置していたから切れてしまった映画BGMの、未来の世界の殺人ロボットではなく、ジャパニーズ・ホラーじみている。
「人間………………の、はず」
そこは素直に言い切って欲しい。せめて顔を見て言ってもらいたい。なぜコゼットは、全力で顔を背けているのか。
ともあれ、無視するわけにもいかないので、十路は玄関の扉を開く。
「ムッシュ・ツツミ。失礼いたします」
ダダンダンダダンッ♪ と脳内BGMが鳴り響いた気がするが、それはさておき、背筋の伸びたマダム・イヴォンヌが入ってきた。そこはかとなく十路の背筋も伸びる。
「なぜアリス姫様はこちらにお邪魔していたのでしょう?」
「たまにですが、部員同士で一緒に食事を取ることもあります」
嘘は言っていない。十路の部屋で取ることはないが、顧問たるつばめの部屋で話のついでに食事をすれば、自然と一緒に暮らしている樹里と共に食べることになる。コゼットと食卓を共にする機会はそうないが、ゼロではない。
「……あれ?」
コゼットの姿がない。火が止められ、湯気を立てている土鍋があるだけだ。
十路が行方を考えるよりも先に、老婦人はテーブルに近づき、コゼットが使っていた箸を一本だけ手に取る。
「ふんっ!」
そしてクローゼットに向けて投げた。
『ひいぃっ!?』
するとクローゼットの中から悲鳴が上がった。百均で買った単なるプラスティック製の箸が、スコーンと音を立てて分厚い木板の扉に突き立って、半ば貫通したから。
先ほどガチの逃走はマズイと言っていなかっただろうか。かくれんぼレベルだからセーフなのだろうか。中から涙目のコゼットが転がり出てきた。
(ちょっと待て……? 俺も棒手裏剣使うけど、木の板貫通は無理だぞ……?)
畳だったらなんとかなるか。やはり箸だと厳しいか。
そんな、やはりズレたことを十路が考えている間も、事態は進む。
「アリス姫様……いい歳して、まだそのような子供じみたことを……」
マダム・オヴォンヌは、へたりこむコゼットに無造作に近づいた。
「え?」
そしてまた無造作に、コゼットを小脇に抱え上げた。
身長と体格から考えて、コゼットの体重が重いはず。加えて長袖に隠れているとはいえ、老婦人の腕は大した太さではないとわかる。
なのに、片腕で抱えた。擬音語にすれば『ヒョイ』と。この後の運命を悟っている、捨て猫の目をしたコゼットを。
「……食事が終わってないので、連れて帰るの、もうしばらく待っていただけませんか?」
問題の先延ばしなのはわかっているが、せめてもの情けで、十路は提案してみた。
「元よりそのつもりです」
返事は少し予想外な賛成だった。
「ただ、けじめはキチンとつけないと、姫様のためにもなりませんので」
マダム・イヴォンヌはそう言い置いて、コゼットを抱えたまま、なぜか脱衣所の扉を開き、消える。
『ア゛ーーーーーーーーーッ!?』
数秒後、悲鳴と共に扉の向こうから聞こえてきた。ヒューマンビートボックス(物理)、
「…………」
十路はどうしたものか、少しだけ考えた末、冷蔵庫から冷や飯と卵を取り出し、〆の雑炊を用意することにした。
コゼットを見捨てたとも言う。
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