慧眼のジェミニと館長さんのお話
この美しく残酷な世界で
——この麗しく狂った世界で
僕らの手は何を掴むのだろう
——僕らの声は何処へ届くのだろう
砕け散った硝子球 生命は飛び散り虚空を映し
——枯れ落ちた花びら 千切れた生命は虚しく消えて
そして僕らは混沌の大地に
——そして僕らは混迷の海に
慧眼のジェミニと館長さんのお話
運河が網の目のように張り巡らされた大きな街の一角にある赤煉瓦作りの宿に、二人組の旅人が泊まりにきました。
「やれやれ、やっと人心地つけそうだな」
「そうですね。前の街から、だいぶ距離がありましたからね」
荷物を下ろし、風よけの上着を脱いで大きく息をついたのは、背が高く鍛えられた身体を持つ女性でした。名をカリオン・シュラークといい、元凄腕の傭兵です。
窓を開け、外の空気を部屋に取り入れてから微笑んだ少女は、外見に反して非常に大人びた雰囲気を持っていました。
彼女は、世界中の誰もに忘れられた友だちの神さまが、彷徨う魂の救済のために遣わした代行者たる人形、ビブリオドールでした。カリオンにはセシェと呼ばれています。
「それにしても……」
カリオンはちらりと壁に目をやりました。天井まである高い本棚は、ぎっしりと大小の本で埋められていました。
「ずいぶんな数の本だな。まさか、全ての部屋にこれだけの本が置いてあるのか?」
「この街は昔から教育に力を入れており、識字率が非常に高いのです。活版技術も早くから取り入れていましたし、本というのはこの街の人々にとって、もっとも身近な娯楽なのです。十年前の戦争で、そのほとんどが焼けてしまったと聞いたこともありましたが、復興しつつあるようですね。喜ばしいことです」
珍しく鼻歌などを歌いながら、さっそくビブリオドールは本に手を伸ばしました。
「お前でも本を読みたいのか? お前には、新たに得る知識などないだろうに」
「ええ。わたしはこの世界の全てを知り、世界の真実を知る者です。ですが、そんなわたしでも知りえない世界が、真実があるのです」
「それは、言葉遊びのつもりか?」
「まさか、そんなつもりはありませんよ。わたしでも知りえない世界とは、すなわち人の心に浮かんだ空想の世界です。ここには決してないのに、人が在ると信じて描き、綴った世界。わたしは、そこまで見通すことはできません。ですからこうして、本を読むのです」
「……そうか」
カリオンはそう言うと、ページを繰るビブリオドールを頬杖をついて見ていました。
西に傾きつつある柔らかい太陽の光が差し込む中、そよ風に蜂蜜色の長髪を遊ばせ、澄んだ青い瞳が文字をなぞり、ほっそりと白く滑らかな指が紙を愛おしげに撫でる姿は、それこそ絵物語のワンシーンであるかのような光景でした。
カリオンは首を振ると、愛用の剣を持って立ち上がりました。
「ちょっと出てくる」
「遠慮せずに、貴女も本を読んではいかがですか?」
ビブリオドールが顔を上げ、本棚を手で示せば、カリオンは少しつまらなさそうな顔で言いました。
「私には、お前の言う非現実の世界は肌にあわん。そういう……なんというか、男女の機微だ、耽美的だ、というのは、読んでいてもよく分からん」
「戸締まりはしっかりしとけよ」と言い残して出て行った彼女を、ビブリオドールはわずかな苦笑いとともに見送りました。
そのとき、部屋に吹き込んできた風に乗って小さな囁きが聞こえましたが、ビブリオドールは少し考えると、もう少し待ってみることにしました。
さて、宿を出てきたはいいものの、どこで何をしましょうか。
マッチや携帯食料などを買い足そうかと考えましたが、それならば明日の日中の方が店の品揃えも良さそうです。
どうしたものかと首を巡らしたとき、強い風がカリオンの背中を押しました。思わず一歩前に踏み出してしまうほど強い風でした。
なんとなく、この風に吹かれるまま歩いてみるのも悪くないと思えたので、カリオンは風に抗うことなく足を進めました。
カリオンが今いる街は、中央に海へと続く流れの緩やかな大河が横たわり、それゆえに海運業が発達した大きな街でした。商人の街だからこそ、学問も尊ばれたのかもしれません。
大通りを抜けてしばらく歩くと、赤や黄色に色づいた木々が等間隔に植えられた道に出ました。まだ日が高いので、街の人たちは仕事に精を出していることでしょう。並木道に人の姿はまばらでした。
(石畳に轍の跡……。貴族たちの乗る馬車か、人であふれていた大通りを避けて荷を運ぶ荷車の跡か……)
左右に目をやりながら歩いていたカリオンは、ふと目の前の立派な木の下に座り込んでいる子どを見つけました。
(? 何であんなところに座っているんだ?)
子どもが着ている服は際立って華美なものではありませんでしたが、労働者階級のボロでもありませんでした。こざっぱりとした、清潔なものです。
(いいとこのお坊ちゃんみたいだが、だったら余計になぜだ?)
カリオンの足音を聞きつけたのか、子どもの顔がこちらを向きました。その目を見たカリオンの眉が軽くあがりました。
(青と金のオッドアイ……?)
少しの間その神秘的な色の瞳に釘付けになっていたカリオンでしたが、子どもの大きな瞳が二度まばたきするのを見て、ハッと我に返りました。
そして子どもを怖がらせないように少し離れたところで膝をつくと、できるだけ優しそうな声を意識して出しました。
「どうしたんだ? こんなところに……座って」
『わあ、ぼくのこと見えるの!?』
すると、パアッと顔を輝かせた子どもが両手を地面について身をカリオンの方へ乗り出してきました。
「なに?」
『今まで誰もぼくに気づいてくれなかったんだ! ねえ、お姉ちゃんはぼくのことが見えるんだよね!』
(まさかこの子ども……)
カリオンが館長となってから過ごした時間は、短いものではありません。いつの間にか、ビブリオドールがそばにいなくても彷徨う魂を見ることができるようになっていたようです。
(だが、私に天の園へ葬ることはできない。セシェのところへ連れて行くべきか……)
カリオンが考えにふけっていると、子どもがさらにずいっと両手で身体を支えて乗り出してきました。
『お姉ちゃんは街の人じゃないよね? 旅人さんなの?』
「ん? あ、ああ、そうだ」
『すごーーい!』
「お前こそ、こんなところに座ってどうしたんだ?」
カリオンがそう尋ねたとたん、子どもの顔が曇りました。
『……動けないの』
「動けない?」
『うん。ぼくね、がんばって逃げてたんだよ。でもね、後ろでね、ドッカーンって爆発が起こって、吹き飛ばされちゃってね、木がぼくの上に倒れてきてね、足が……動かなくなっちゃったの』
子どもの目に、みるみる涙が浮かんでいきました。
『すごくね、熱くて、息苦しくて、痛くてね……。でもね、みんな逃げてて、助けてくれないの。ぼくもね、動きたかったのにね、動けないの。ぼくね、ずっとここにいるの。動けないから、ここにしかいれないの』
ボロボロと大きな水滴を零し、しゃっくりあげる子どもを見て、なんとなくカリオンは察しました。
(この子は、例の十年前の戦争に巻き込まれ、死んでしまったんだな。子どもの身では、自分が死んだということをいまいち理解できないのか……)
ならば、なおさらビブリオドールに会わせなければなりません。このまま、放っておくことはできません。
「なら、私が連れて行こうか」
カリオンは、両腕を子どもに差しのべました。子どもがきょとんとした顔でカリオンを見つめます。
「お前の足が動かなくてここから離れられないなら、私がお前を抱えよう」
『……お姉ちゃんが、ぼくを?』
「ああ」
『…………できるの?』
子どもの目は不安そうでした。それを聞いて、カリオンは少なからず憤慨しました。これでも、身体を鍛える努力は怠っていないつもりです。子ども一人、それも魂だけの存在となった者ぐらい、楽に抱え上げる自信がありました。
「もちろんだ」
『でもね、お母さんはしんどいって言ってたよ。もう大きくなっちゃったから、だっこするのはしんどいって。お父さんも、あんまりしてくれなかったよ。お隣の八百屋のおっちゃんはしてくれたのに……』
なるほど。つまりこの子どもの中では、自分はもう身体が大きくなって体重も増えたから、女の人が抱えるには負担になる、ということになっているようです。
「大丈夫だ。私は身体も鍛えているし……。ほら、力こぶだってできるぞ」
袖をめくって力こぶを作ってから、
(いや、何をしているんだ私は……)
ハッと我に返って気恥ずかしくなりました。子どもがすごいすごいと目を輝かせてくれたことが、まだ救いと言えるでしょう。
『ね、ね、じゃあお姉ちゃん! この木の枝につかまってね、こうやって、よいしょ、よいしょってできる? 八百屋のおっちゃんはできたんだよ!』
子どもが懸垂のジェスチャーをして、自分の頭上にある太い枝を指差しました。
「ああ、それぐらいならば簡単だ」
剣を地面に置き、軽く手足を回すと、カリオンは幹を蹴って飛び上がりました。難なく枝を掴んで、そのまま十回連続で軽々と懸垂をしてみせると、ますます子どもの目が輝きました。
『ほんとだあ! お姉ちゃんすごいねー!』
パチパチと拍手までしてくれました。カリオンは音もなく地面に着地すると、腰に剣をさしてもう一度子どもに腕を差しのべました。
「どうだ? まだ、私ではお前を抱えられないと思うか?」
『ううん!』
子どもは元気よくうなずくと、腕をのばしてきました。抱え上げた子どもは、想像した通り、とても軽いものでした。
『あのね、お姉ちゃん』
「なんだ?」
『ぼくね、動けたらずっとしたいことがあったんだ』
「したいこと?」
『うん。……双子の弟を捜したいの』
カリオンの服の肩あたりを握った子どもが、目を伏せて言いました。
『最初はぼくと一緒にいたのにね、途中ではぐれちゃったの。ぼくね、会いたいの。ずっとね、探しにいきたかったの。お姉ちゃん……手伝ってくれる?』
せっかく泣き止んでいた子どもの目には、またうるうると涙が浮かびつつありました。
「……ああ、もちろん。かまわないぞ」
ぎこちない手つきながらも、子どもの背を軽く叩いてカリオンはそう言いました。カリオンもかつて、死にものぐるいで弟を捜したことがありました。この子どもの気持ちは痛いほど分かります。
「どこではぐれたか分かるか? まずはそこに行ってみよう」
かまわないとは言ったものの、今現在の、その双子の弟の行方は分かりません。
この子どもが死んでから、十年が経過しているのです。この街にいるのかいないのか、そもそも生きているのか死んでいるのかも分かりません。
それでも、カリオンはここで手伝えない、とは言えないのでした。
『はぐれたのはね、このあたりなの。人がいっぱいいてね、気がついたらいなかったの。そのあとすぐに爆発が起こってね、みんな……みんなね……』
またしゃっくりあげ始めた子どもの頭を、カリオンは撫でてやりました。
『ずっとここで呼んでたんだけど、返事がないの。どんだけ呼んでも答えてくれなかったの。だからきっと、ここにはいないの』
「そうか。ならば、この街を見て回るか」
『うん……。あのね、お姉ちゃん。だったら一番始めに船着き場に行ってもいい?』
「船着き場?」
海から着た船、海へ出て行く船がたくさん並んでいる場所です。宿へ入る前に一度目にしましたが、他には類を見ないぐらい大きな船着き場でした。
『お父さんとお母さんにね、はぐれたらそこに行きなさいってね、言われてたの。海に出て逃げるからって。ぼくはね、足が動かなかったからいけなかったけどね、もしかしたらそこに……』
「なるほど。ならばそこに行ってみよう」
道中、またも子どもが泣き出しでもしたらどうしようかと思っていましたが、それは杞憂に終わりました。十年間あの場所にいた子どもにとっては、見るもの全てが目を奪われるもののようでした。
『すごいね、お姉ちゃん! 人がいっぱいいるよ!』
「そうだな」
『あ! あれって南の島でしか採れないホルボの実だよね! 砂漠の国のショールもある! 山の向こうが原産地のラザリスの花だ! 本でしか見たことないのがいっぱいだねー!』
「……お前はよく知っているな」
感心したように言えば、子どもは満面の笑みで答えました。
『うん! 本で読んだもん! 本物を見るのは初めてだけど!』
「本を読んでいて楽しかったか? 外では遊ばなかったのか」
『うん! ぼくたちは本を読んでるほうが楽しかったよ! 本にはね、全部載っているんだよ。本はすごいんだ。なんでも教えてくるんだよ!』
「……そうか」
態度は子どものそれなのに、大人と変わりなく的確に話ができるのは、、どうやら本を読んで学んだものだったようです。
「偉いな。こんな小さいのに、たくさんのことを知っていて」
『えへへ』
嬉しそうに笑った子どもにつられて口元を緩めたとき、すれ違った人が変な顔つきで自分を見ていることに気がつきました。
(まさか誘拐犯にでも間違われたか……?)
その可能性が頭をよぎりましたが、すぐに違うと打ち消しました。この子どもは、もはや魂だけの存在となったもので、普通の人には見えないのですから。
(つまり、私が一人ごとを言っているようにしか見えないということか。それはさぞ不思議だろうな)
ですが、カリオンはそんな視線など鼻を一つ鳴らすだけですませる性格の持ち主でしたので、そう思っただけでした。
船着き場は、日が西に傾きつつあるというのに、まだまだ多くの人と船でにぎわっていました。
『わあー。人がいっぱいだー』
「荷物の取引などをやっているんだろうな。さて、商人たちの邪魔をするわけにもいかないが……」
人ごみから少し外れたところで、カリオンがあごに手をあてて考えていると、腕の中の子どもが思いっきり息を吸って、
『カーーーートーーーール!』
叫びました。
聞こえるものにしか聞こえないその声が、空気を震わすことはありませんでした。ですが、その声に答えるように、強い風が突然吹いてきたのでした。
「っ……」
巻き上げられた河原の砂から目を守るために、とっさにカリオンは目元を手で覆いました。
『——!』
そのとき、妙に近くで、なのにはっきりとはしない、子ども特有の甲高い声がしました。
『カートル!』
「お、おい待て!」
その声がしたとたん、子どもはカリオンの腕から飛び出していきました。
慌てて追いかけるも、子どもは人ごみに気にせず突っ込んでいきます。
魂だけとなり、人としての
「くっ! すまん、通してくれ!」
一方で、カリオンはそうはいきません。人をかき分け押しのけ、小さい子どもを見失わないように必死で追いかけました。
人ごみを抜け、船着き場が豆粒ほどに見えるまでずっと走った先に。
『カートル!』
『ポルクル!』
しっかりと抱き合い、くるくると嬉しそうに回る双子の姿がありました。心から喜んでいるその笑顔を見て、カリオンはほっと胸を撫で下ろしました。
『久しぶりだね!』
『うん、久しぶり!』
『やっと会えたよ!』
『会えたね!』
『やったあ!』
『やったあ!』
双子というだけあって、その容姿はそっくりでした。二人とも片目は金色ですが、反対の目は青色か、緑色でした。それぐらいしか違いがありません。
いつまでも笑って踊っている双子を微笑ましく見守っていると、最初にカリオンと出会ったほうの子どもが、あっと気がついたように弟の手をひいて、カリオンの元へやってきました。
『あのね、カートル。この人がぼくをここまでつれてきてくれたんだよ』
『そうなの? ありがとうございます!』
「気にするな。それより、よかったな。自分でも歩けるようになっているぞ」
指差せば、子どもは『ホントだー!』とまたも大喜びでした。
(願望、後悔、未練、怒り……。天の園へ逝けない魂が抱えているものは、様々だ。この双子の場合、お互いの再会だと思っていたが、自然と還る様子はないな……。やはりセシェに頼むべきか。だが、どうやって連れて行こうか……)
そう思案するカリオンの前で、お互いずっと喋りたくてたまらなかったことを、大きな身ぶりとともに一生懸命話し合っていた双子が突然歓声をあげて同じ方向を見ました。
『ホリギツネだ!』
『ホントだ! なんでこんなところにいるんだろ?』
『さわりたい!』
『うん! ふわふわっぽい!』
そして二人は対岸へ行くためにまっすぐに川に向かって走っていきました。
「こらこらこら、待て」
『うわーん!』
『離してー!』
「そのまま川に突っ込む気か? 危ないだろ」
そこで二人ははっとして立ち止まりました。特に、金色と緑色の瞳を持つ弟のほうは、若干青ざめた顔をしていました。
『でも、ホリギツネさわりたい……。ホリギツネってね、一年中山の中にこもってるんだよ。だけど、たまに人に懐くこともあるんだって』
『ホリギツネのお腹はすごく柔らかくてあったかいんだよ』
二人が口々にそう言うので、カリオンは軽いため息をつくと、また両腕を今度は二人に向かって差しのべました。
「分かった。向こう側にいるホリギツネを見たいんだな? 私がお前たちを抱えて、そこの飛び石を渡って行ってやる」
『ホント⁉ わーい!』
『え? で、でも……』
『大丈夫だよ、カートル。このお姉ちゃんすごい力持ちなんだよ!』
『八百屋のおっちゃんより?』
『八百屋のおっちゃんより!』
さっさとしがみつき、両手をグッと握って力説した兄を見て、弟のほうも納得したのかカリオンの腕の中に飛び込んできました。
一人が二人になったところで、やはりカリオンにとってはたいした重さではありませんでした。大河の流れも緩やかなところだったので、カリオンはまったく危なげなく飛び石を渡り終えると、双子を地面におろしました。
「ほら、行ってこい。動物は音に敏感だから、静かにな」
二人は口の前に人差し指を立て、抜き足差し足忍び足……と近づいていきました。
(いや、あの二人は普通の人間ではないのだから、そんなこと気にしなくてもいいんだった……)
額に手をあてながらカリオンは軽く首を振りました。
こうしてみると、不思議なものです。彼らは魂だけの存在、普通の人には見えないこの世ならざるもの。
ですがカリオンには、彼らを救うために旅をするビブリオドールと契約を交わした者には、彼らは普通に目にすることができます。会話だってかわすことができます。そこに体温はなくとも、抱き上げたときに重みは感じられるのです。
彼らは、本当に生きている人間となにも変わらないのです。
(彷徨う魂は生きている人間を見ることができる。だが、生きている人間には彷徨う魂は見えない。声が聞こえることもない。お互いが話すこともない。なんて……)
なんて苦しく、寂しいものでしょう。そんなしがらみからなど、解放してあげたい。
カリオンが己の手を意味も分からず強く握りしめた時、双子の『ああ〜』という残念そうな声が聞こえてきました。
「ふっ。どうした、逃げられたか」
『うん……』
『なんで気づかれちゃったんだろ……』
野生の動物は、街で生きる人よりも五感が優れているものです。弱肉強食の世界で生き残るためには、すばやく敵を察知しなければならないのですから。
(人と動物とでは、おそらく感覚的なものが違うんだろうな。二人の異質さを、本能的に感じ取りでもしたか?)
カリオンは心の内でそっと呟くと、双子に目線をあわせるために膝をついた。
「それは残念だったな」
『うん。でも、なんで山の中にいるはずのホリギツネがこんなところにいたんだろ?』
『なんか地面に鼻をこすりつけてたけど……。あっ!』
『なになに? どうしたの?』
『これ! これ見て!』
駆け寄ると、地面に小さな穴が掘られていました。双子に引っ張られて、カリオンが掘り返すと、出てきたのは木の実や死んだ虫たちでした。
『なんでこんなの隠してたんだろ?』
『あ! もしかして保存食とか!』
『そっか、なるほど! 冬が来る前に、こういうところにご飯を隠しておくんだ!』
『すっごーい! 知らなかった! ホリギツネってこんなことするんだねー!』
双子は肩を並べて地面を見つめながら、ニコニコとそんなことを言い合っていました。その後ろで、カリオンはうっすらと寒気を感じていました。
(この二人……本当に頭がいいんだな。本をよく読んでいたとは言っていたが、普通子どもがそんなところまで一瞬で思いつくだろうか)
もしかしたら将来、人々を幸せにする偉大な人物になっていたかもしれません。そうだとすれば人類は惜しい人材をなくしたということになりますが、こうも無邪気な様子を見せられると、大人達に汚く利用されなくてよかったとも思ってしまいます。
『あ、そうだ! ポルクル、あのね、ぼくね、この前ミズキドリを見たんだ! もしかしたら近くに巣があったのかも!』
『ええ⁉ ミズキドリってあのきれいな翠色の羽の鳥だよね? ぼくも見たい!』
『それに、卵もきれいな青色だって図鑑に載ってるの見たことあるよ! それも見たいな〜』
そして二人は揃ってカリオンのほうを見上げました。彼らがなにを期待しているか分かって、カリオンは毒気を抜かれた気分でした。
(生きていれば名を馳せただろうとか、幼いときに死んだのは幸いだったとか、そんなことを考えているのがバカバカしくなるな)
生者と死者の両方と変わらずに接することができるカリオンにとって、生きていても死んでいても、目の前にいるのが『その人』なのです。それ以上のものでも、それ以下のものでもありません。そして、それ以外の何者でもないのです。
「いつまでも付き合うさ。次はどこに行きたい?」
両腕を広げれば、二人が思いのほか勢いよく飛び込んできたので少し身体がぐらつきましたが、カリオンは意地と根性で踏ん張りました。
それから三人は、街の色んなところをまわりました。
大きな木の上でミズキドリの巣を覗き込んでは親鳥から反撃を受け、当時の面影が残る街角の裏路地で木のうろを吹き抜ける風笛の音を聞いては驚き、寂れた教会を訪れてみるとネコのたまり場になっていて思わず飛びついたり。
家にこもって本ばかり読んでいた双子には、この子どもらしい冒険がとても楽しいもののようです。カリオンの腕の中で、二人はずっとずっと笑顔でした。
「次はどこへ行くんだ?」
今、二人はお互いの手をしっかり握って、カリオンの数歩先を歩いています。街の端のほうへ向かっているようで、人通りもそんなに多くはありませんでした。なので、カリオンは好きにさせることにしたのです。
『うん。ちょっと』
『ねえポルクル。あっちに時計塔があるってことは、こっちだよね?』
『そうだね』
だんだん二人の口数が少なくなっていくのが、カリオンには不思議でした。
そしてある角を曲がった時、二人が息をのんで立ち竦みました。
「どうしたんだ?」
目の前には、広い公園が広がっていました。たくさんの花が咲き乱れ、ベンチも至る所に設置されています。昼下がりの散歩には、ちょうど良い場所のように思えました。
『…………なくなってたね』
『…………うん。ないね』
「……なにがだ?」
『………………ぼくたちの、いえ』
とても小さな声で紡がれた答えは、コロリとすぐに地面を転がりました。
『…………なにも、ないね』
『…………うん。なにも』
ぎゅうっとお互いの手を強く握り合う二人に、カリオンは何も言えませんでした。ビブリオドールならこういうとき、気の利いた一言を言えるのでしょうか。
『ねえ、おねえちゃん』
「っ、なんだ?」
『ぼくたち、しんでるよね?』
カリオンの息が思わず止まりました。肯定も否定もできないまま、沈黙が続きました。
『やっぱり、そうだよね』
『そうじゃないかなって、おもってたんだ』
『でもね、よくわからなかった。しんだけど、これからどうしたらいいんだろうって』
『あたりまえなんだけどね。しんだことがないから』
『ねえ、おねえちゃん』
『ぼくたち、どうしたらいいの?』
鼻をすすりながら、泣かないように耐えながら、賢い双子はカリオンを見上げました。
「……お前たちは、本当に頭がいいな」
『え?』
「自分が死んでしまったということに、気がついていたのか」
『うん……。だってだれもぼくたちにきづいてくれないし』
『あんないたいめにあったのに、ぼくのからだ、どこもけがしてなかったんだもん。おかしいなーって、なんとなくずっとおもってたの』
「死んだらどうなるのか、聞いたことがあるか?」
二人はお互いの顔を見合わせると、首を傾げながら記憶を遡って答えました。
『えっと、たしか……かみさまのところにいくんだよね?』
『そこでじょうか、されるん……だよ、ね』
だんだん声が震え、顔も下を向いていきます。
「怖いか?」
二つの頭が同時に縦に振られました。
「そうか。怖いか」
また二人の頭は縦に動きました。
「私には、お前たちが怖いという気持ちを取り除いてやることができない。だが、これだけは言えるぞ」
力強いカリオンの声に、のろのろと二人の顔が上がりました。二人の頬を濡らす涙を、カリオンは両腕の袖でやや乱暴に拭ってやると、言いました。
「お前たちは死んで消えるわけじゃない。生まれ変わるんだ」
『生まれ変わる……?』
「そうだ。お前たちは生まれ変わるんだ。
そのためにどうすればいいかなんて、簡単だ。歩いていけばいい。お前たちはまだ子どもだから分からないかもしれないが、大人はみんな歩いている。どんなに怖くても、辛くても、歩いていかなければならないんだ。それと同じだ。自分の為に、大事な誰かの為に、この……悲しいほど痛くて、愛しい世界を巡るために!」
そして慣れない手つきで二人の頭を撫でました。
『わ、わあ!』
『おねえちゃん?』
「だから、何も怖がらなくていい。お前たちなら大丈夫だ」
二人はもう泣き止んでいました。
これで二人の恐怖を取り除けたかは、分かりません。そこでふと、カリオンはビブリオドールの
「まあ、その、なんだ」
慣れないことをするのに、戸惑いとも恥ずかしさとも言えるむず痒さを覚えながら耳の裏をかくと、カリオンはそっと二人を抱き寄せました。
『おねえちゃん?』
『どうしたの?』
「お前たちの次なる目覚めにこそ、光があらんことを。お前たちの愛しい者たちに代わって、心から願う」
『……うん』
『……ありがとう、おねえちゃん』
ぎゅっと抱き寄せていると、二人もぎゅっと抱き返してきました。
しばらく抱き合っていましたが、双子のほうからそっと体を離していきました。その体が淡い光をまとっているのを見て、カリオンの心には安堵とともに、別れを惜しむ気持ちも浮かんできました。
「……それじゃあ、な」
『うん』
『あのね、お姉ちゃん』
「? なん、だ」
さっと寄ってきた双子が、カリオンの両頬に同時に唇を押し当てました。
「………………は」
目を見開いて硬直したカリオンを、おかしそうに笑いながら、双子は今日一番の笑顔で声を揃えて言いました。
『ぼくたちの残りの人生が、お姉ちゃんの幸せに変わりますようにっ!』
そのまま二人の姿は濃紺色の空にとけていきました。
全く身動きできないまま、数分の間カリオンはそこに留まっていました。ようやく動き出せた後も、その足下は若干ふらついているようで、いかに彼女にとって初めてもらったキスが衝撃的であったかを物語っています。
人はこういうときにこそ、物語に目を通して気持ちを落ち着かせたり、刺繍や料理に没頭して忘れたりするのでしょうか。
(とりあえず……帰ったらセシェにオススメの本でも聞こう……)
こうして、フラフラで帰ってきたカリオンに一連のことを聞いたビブリオドールは珍しく声に出して笑い、高い本棚から一冊の本を抜き出してカリオンに渡したのでした。
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