もの語る少女とビブリオドールのお話




  散り逝く者たちへ 真白き御手の救いあれ

  彼らは死神の鎌を見ただろうか

  いいえ、天使のラッパを聞いたでしょう

  夜の哀愁 白百合の涙

  全ては穏やかな風に流して……

  流れる月日は優しく 移ろう世界は美しく

  残された者の祈りは空へと消え

  旅立つ者の思いは花へ転じて歌うでしょう

  千夜の彼方に、あなたと会える日を






 「なんでしょうか、あれは」 

 「人だかりができているな。何かの芝居でもやっているのか?」


 街の中心部にほど近い、円形広場でのことでした。

 今日の宿を探していた旅装束の大人と豪奢なドレスを着た子供が、顔を見合わせています。

 彼女たちの前には、わりと密集して何かに注目している人々。その表情はてんでバラバラです。楽しそうに連れの人たちと笑いあう若者から、どこか思い詰めたような顔で胸元の服を握ったままの女性まで。


 「少し気になりますね」

 「まさかこの中に入っていく気か? この人数だぞ……」


 大人の方がそこに集まっている人々の数をみて、うんざりしたように言いました。

 彼女はカリオン・シュラークと言い、凄腕の元傭兵です。今は縁あって、彼女の隣にいる子供——カリオンがセシェと名付けました——と一緒に世界中を旅しています。


 子供の方は、人だかりの中心にばかり興味があるようです。

 セシェというのはカリオンがつけた呼び名です。本当は彼女に名前はありません。ビブリオドールと呼ばれる、神が造りしヒトならざるモノなのです。


 「あの中に突撃せずとも、何があるのか話を聞ければいいのですが……」


 そう言うと、ビブリオドールはさっそく人だかりに近づき、一番後ろで背伸びをしている男性に声をかけました。


 「あの、すみませんが」

 「はい?」


 振り返った男性が一瞬目を泳がせました。大人びた声に反して、その背が小さく男性の視界から外れていたからです。


 「えっと、どうしたのかな。お嬢ちゃん」


 男性は少し膝を折り、ビブリオドールと視線を合わせました。


 「この人だかりは何かと思いまして。旅芸人たちがお芝居でもしているんですか?」

 「ああ、そうか。もしかして君も旅をしているのかな」

 「ええ、今日この街に着いたばかりなんです」

 「そうなんだ。それじゃあ知らないのも当然だね」


 そして男性は、近づいてきてビブリオドールの後ろに立ったカリオンをこの子供の保護者だと思ったのか、


 「かわいいお子さんですね」


 と声をかけてきました。

 カリオンは多少面食らいましたが、男性の言いたいことを察して困ったように頬をかきました。


 「あー。まあ私の子ではないんだが……うん」


 曖昧な返事で返しておきます。

 男性は「そうなんですか」とだけ答えました。


 (親子に……見えるのか? 私たちは)


 年だけで言えば、まあ頑張れば有り得なくもないかもしれません。が、見た目が全然違います。

 カリオンは肩にかかるぐらいの白い髪と鋭い紫紺の瞳を持ち、女性にしては筋肉質な背の高い人です。対してビブリオドールは波打つ蜂蜜色の長髪、青い大きな瞳、白磁のようになめらかな肌の、華奢で愛らしい少女です。


 (似て似つかぬとはこのことだろう)


 と、カリオンは思うのでした。

 男性は膝を伸ばして立つと、二人に向かって説明しました。


 「ここには今、霊媒師シャーマンが来てるんですよ」

 「しゃーまん?」


 聞き慣れない言葉に、カリオンは首を傾げます。


 「そうなんです。一ヶ月ぐらい前から滞在していて……死んだ人の魂が見えるそうなんです!」

 「っ、なに!?」


 あまりの驚きに、カリオンは思わず大声を出してしまいました。それは周りの人の注目を集めましたが、男性はカリオンのそんな反応も予想済みだったようで、楽しそうに話を続けました。


 「そうなんですよ! 『なに!?』ですよね! 僕も最初はそうだったんです。でも、このシャーマンに会いに行った僕の友人たちが口をそろえて『あのシャーマンは本物だ』『何も言ってないのに兄が死んだことを言い当てた』とか言うんです。デタラメでもインチキでもないらしくって。凄いですよねえ」

 「あ、ああ。そうだな……」


 しきりに頷く男性にあわせて、とりあえず同意しておきます。

 カリオンはこっそりビブリオドールの表情がうかがいましたが、彼女は口元を緩めて頷いているだけでした。


 「一ヶ月ほど前から滞在しているということは、そのシャーマンさんは旅の方なんですか?」

 「そうらしいね。その滞在は気まぐれだっていうから、いなくなっちゃう前に一度くらいは見ておこうかと思って、僕は今日ここに来たんだけどね」

 「そうなんですか。ありがとうございます」


 ビブリオドールが小さく頭を下げました。


 「いやいや。君も、一度会って話を聞いてみると面白いんじゃないかな。いい話の種になるよ」

 「そうかもしれませんね。では」


 そして歩き出したので、カリオンも男性に一礼をすると彼女の後についていきました。


 「セシェ、ほっといていいのか? 普通の人間が死んだ者の魂を見ることが出来るなど……」

 「大丈夫ですよ。そんなに怖い顔をしないでください、館長さん」

 「だが……」

 「非常に稀有な才能ですが、たまにいるんです。普通の人の身でありながら、死んだものの魂を見ることができる人が。私や契約者である館長さんほどはっきりとではありませんが」

 「そう……なのか?」

 「ええ」


 ビブリオドールがしっかりと頷いたのを見て、ようやくカリオンは肩の力を抜きました。


 「しかし、知らなかったぞ。そんな人間がいるなんて」

 「私も、まさか館長さんが契約者である時代にそんな人が生まれてくるなんて思わなかったんです。本当に、数百年に一人生まれるぐらいの確率なんですよ」

 「そうだったのか」

 「はい。古来、霊や魂のことを『もの』と呼ぶことがあると言います。ですから、私は彼らのことを『もの語る人』と呼んでいます」

 「『もの語る人』、か……」


 すでに遠ざかりつつある人だかりを振り返ります。どんな人が、今代の『もの語る人』なのでしょうか。


 「少し興味があるな。明日まだこの町にいれば、見てみるか」

 「そうですね。私もお話ししてみたいです」


 ちょうど宿の空きを見つけた二人は、早速旅の汚れを落とし、久々に食べる温かい食事に舌鼓を打ったのでした。



 翌日、朝食を終えた二人はさっそく昨日の人だかりがあった場所へと向かいました。


 「もの語る人が見るのは、私たちが見る魂とは違います。私たちは、この世に強い未練を残したり自分が死んだことに気づいていなかったりして、この世にとどまり続けている哀れな魂を見ます。彼らは生きている人々と一見変わりません」

 「ああ。声も聞こえるし、表情もよく動くし、実体がある」

 「そうです。ですが、もの語る人が見るのは厳密に言えば魂ではなく、なんというか……そう、思念体と呼ぶべきものなのです」

 「思念体?」

 「ええ」


 まだ太陽が中天に上がる時分ではないせいか、昨日ほどの人ごみはありません。


 「それらは、無事に天の園へ渡った魂たちが落としていったひとかけらの気がかり、望み、感謝などの想いなのです」

 「……それは、人の姿をしているのか? しゃべったり表情が動いたり……」

 「と、いうようなことはありません。ふわふわとした雲のような光のような、極めて不定形なものなんです。彼らは複雑な想いを抱えていませんから、もの語る人はその思念体を見てなんとなく『ああ、これはこの子の母親で、ちゃんと成長できるか見守っていたいんだな』とか『これは彼女の亡くなった恋人で、彼女がもう一度幸せになれるか心配なんだな』というようなことを、感覚的に感じとるのです」

 「へぇ」


 感心したようにカリオンは呟きました。そしてぽっと湧いた自身の疑問をふと洩らしました。


 「……それは、私も見ることができるものなのか?」

 「見てみたいのですか?」

 「まあ、純粋な興味だ。無理なら無理でいいのだが……」

 「そうですねえ……」


 きょろきょろと辺りを見回したビブリオドールは、ちょうど二人の横を通り過ぎていった二人組の女性を指差しました。


 「あちらの女性方の頭上をじーっと見てください」


 そう言いながら、カリオンの手をしっかりと握ります。カリオンも躊躇いながら握り返して、女性二人の頭上に目を凝らします。

 しばらく何も見えませんでしたが、フイッと白い小さな塊が一瞬現れてすぐに見えなくなりました。


 「!」


 さらに続けて眺めていると、だんだん見えてくるようになりました。千切れ雲のような小さい何かがぐるぐると二人の上空を回っていました。


 「見えましたか?」

 「ああ。なんか……うまい言い方が見つからないが、子犬みたいだな。遊んでほしくて飼い主の周りをしきりなしに走り回っている子犬……」

 「悪くない表現ですね。あれは、あのお二人が幼い頃に亡くなった幼なじみの方の思念体です。ずっと一緒に遊びたいという子供らしい願いの現れですね」

 「なるほど。さすがだな、セシェ」


 二人は商店と商店の間に張ったテントの前にまでやってきました。昨日見たほどではありませんが、三、四人が並んでいました。

 そのときちょうど、母親とおぼしき女性が、まだ十歳ぐらいの男の子の手を引いてテントから出てきました。


 「すごかったね、お母さん!」

 「ええ、ホント……。あの子にはとても寂しい思いをさせていたのね。教えてくださったシャーマンの方々には感謝しなきゃいけないわね」

 「帰ったらお兄ちゃんのお墓の前でいっぱいおしゃべりしてあげようね!」

 「ええ、そうね」


 そう言って母子連れは去っていきました。どうやらあの子には兄がいて、その子は家族が自分のことを忘れてしまうのではないかと寂しがっているようです。

 しかし、それよりもカリオンが首を傾げたのは母子の会話のほんの一部でした。


 「シャーマンの……方々? 複数人いるのか?」


 目線を下に向ければ、ビブリオドールもちょっと不思議そうに首をひねっていました。


 「もの語る人が同じ時代にそんな二人も三人も現れるとは、とても思えません。神様から見れば、純粋な普通の人と違ってもの語る人は、言い方は悪いですが欠陥を持つ人間ですから……。当代のシャーマンというのは、一人で世界を回っているのではなく、商人たちと同じく複数人で旅しているのかもしれないですね」

 「ふむ。そういうことか」


 列が少し進み、杖をついた老女が中へ入る為に入り口の布をめくり上げました。そのとき、中に座す霊媒師の姿がちらりと見えました。

 座っていましたが、子供のように小柄な人だと分かります。ふわりとした白や薄桃色の薄布の衣装を身にまとい、顔には同じ色のヴェールをかけていました。この人が霊媒師、当代の『もの語る人』なのでしょう。そばには真っ白な衣装を身に着けた男性が控えていました。


 「ようこそおいで下さいました。さあどうぞ、お座りください」


 ヴェールを通して聞こえてきたのは、鈴を転がすような可愛らしい声でした。


 (まだ若い……というよりは、幼い声だな)


 老いた女性がテントの中に身を滑り込ませると、入り口の布が落ち、中の様子はまったく見えなくなりました。

 ふと、カリオンたちの二つ前に立っている男性がしきりに周囲へ目をやっているのが目につきました。彼の順番は、次です。


 「どうかされましたか? ご気分でも優れないのですか?」


 気がつけば、ビブリオドールがするりと列から抜け、男性の服の裾を軽く引いていました。男性は大げさなほど肩を震わせて、驚いたようです。


 「な、なんだね、君は?」

 「あなたが先ほどから落ち着かない様子でいらっしゃったようなので、ご気分がよろしくないのかと……」

 「おい、セシェ」


 カリオンも列から外れて、ビブリオドールの頭に手を置きました。


 「連れが失礼した。……しかし、本当に顔色が良くない。無理をせず、どこか涼しいところで休まれてはいかがか?」

 「いや、大丈夫だ。むしろ、今ここを離れるほうがダメだ。私には、もうこのシャーマンという方しか頼る相手がいないのだ」

 「どういうことですか?」


 ビブリオドールが小首を傾げます。

 実は誰かに聞いて欲しかったのか、男性はせきを切ったように話し出しました。


 「どうもこうもないのさ! つい三ヶ月ほど前に私の上司がご病気で亡くなられたのだがね、以来どうにも体が重くて辛くてかなわないんだ。医者にも罹ったし整体にも通ったんだが、イマイチ効果が上がらない。気のせいだとも思おうともしていたんだが、物をなくす、鳥のふんが頭に落ちる、小指をテーブルの足にぶつける、コップが突然割れるとかいうことが起こってね。これはもしかすると上司の悪霊が私に憑いているんじゃなかろうかと。高名なシャーマンの方が来られているなら、これは一度見てもらいたいということでやってきたんだ」


 力説している男性には申し訳ありませんが、カリオンもビブリオドールもとても賛同できたものではないと密かに思っていました。


 「それは……不運に不運が重なっただけではないかと思うのだが」


 遠慮がちにカリオンがそう言いますと、男性はぶんぶんと頭を強く振りました。


 「いや! これはもう、悪霊の仕業としか思えない! シャーマンの方に祓ってもらわねば、私は安心して夜も寝れんのだ!」


 拳を握りしめる男性になんと声をかけたものかカリオンたちが悩んでいると、ちょうどテントからさっき中へ入った老いた女性が出てきました。


 「ありがたや、ありがたや……」


 彼女は涙を流し、幸せそうな顔でよたよたと歩いてきました。と、足が絡まったのか彼女の体ぐらりと傾きました。


 「危ないっ」


 とっさにその細い体を抱きとめたのはビブリオドールでした。


 「大丈夫ですか、おばあさん」

 「ああ、すまないねえ。可愛らしいお嬢さん。ありがとねえ」

 「いいえ、そんな。お礼を言っていただくほどのことではありません。それにしても、とてもお幸せそうですけど、何かいいことでもあったんですか?」


 女性がしっかりと両足で立ち、杖をまっすぐについたのを見て、ビブリオドールは体を離しました。


 「そうなんだよ。本当に嬉しいことでねえ……。この、シャーマンというお人がね、」


 女性は改めて両手を合わせると、テントを振り返りました。


 「あたしの息子はもう、あたしを恨んじゃいないって、長生きしてほしいって言ってるって伝えてくれたんだよ。死んだ人の声が聞けるっていうのは、いいことだね。あたしゃこの六十年、申し訳なさでいっぱいだったんだ。農作業中の事故で死なせてしまった息子があたしたちを恨んでないか、ずーっと不安だったんだよ。けど、今日やっと救われたような気分だ。高いお金を払ったかいがあるというものさね」

 「そうなんですかー」

 「よかったですね」

 「ほら、やっぱり! ここのシャーマンは本物なんだって!」


 他の人からも拍手などが起こります。女性はビブリオドールにもう一度頭を下げると、ゆっくりとした足取りで去っていきました。


 「さて、私もその恩恵に預かれるといいのだが」


 男性は緊張した顔でテントの中に入って行きました。

 列から出てしまった二人は並び直しです。ですが、二人ともなんとも言えない顔を見合わせていました。


 「……まず、あの男については」

 「完全にあの人の思い込みですね。あの人の周囲には何もいませんでしたし、そもそも思念体には人に干渉するだけの力がありませんから」


 間髪入れずにビブリオドールが答えます。


 「では、今のは……」

 「怪しいです」


 きっぱりと言い切ると、突然ビブリオドールはテントに耳をつけて中の様子をうかがおうとしました。


 「あのおばあさんの話の内容が怪しいのではありません。シャーマンの方が怪しいのです。おばあさんの周りには、誰もいませんでした。息子さんの思念体というのは初めからないか、もしくはとうに消えてしまっているんです。自身の生活のために多少のお金をとるのは分かりますが、嘘をついて多額のお金を得ているとなればそれはもう」


 キッと、ビブリオドールの美しい顔がいつになく怒りをたたえています。


 「それは詐欺です。亡くなった方への冒涜にも等しい。決して許されることではありません」


 それには同意です。カリオンもテントに耳を寄せました。元傭兵の彼女の聴覚は、ビブリオドールを上回ります。……あくまで、普通の人が相手の場合ですが。


 「……というようなことが起こっていまして。もう恐ろしいやら怖いやら」


 先ほどの男性が、ことのあらましを霊媒師たちへ語り終えたようです。


 (恐ろしいも怖いも同じ意味だろうに。よほど混乱してるようだな、あのおっさん)


 こっそりとカリオンは心の中で呟きました。


 「シャーマン様、どうかお助けください!」

 「そ、う、ですね。あなたの背後に、禍々しい気配が見えます」

 「や、やっぱりそうなんですね! このまま放っておいたら……」

 「ええ、非常に恐ろしいことが……そう、今以上の不幸があなたの身にふりかかることでしょう」

 「あああ! それだけは! お願いします! 助けてください! 私にできることならなんでもしますので!」

 「ご安心を!」


 この声は、今まで聞こえてきていた可憐な声ではありません。同情を装いながらも、どこか打算的な大人の男の声でした。


 「我々の巡礼の目的は、大切な誰かを失ってしまった心の空虚を埋めるだけでなく、あなたのように亡者によって苦しんでいる方を救うことにもあるのです。いくつか手段はあるのですけれども、すぐに解決したいと思われるのでしたら……」

 「そ、それはもちろん今すぐにでも!」

 「であれば多少お高くはなるのですが、こちらの魔方陣を利用したものなどは……」

 「はいはい! もうぜひ、それで!」


 勢い込む男性の声が聞こえたところで、すっと姿勢を正したビブリオドールがバサッと入り口の布をはねのけて中へと入りました。


 「そこまでです。馬鹿なことはもう止めなさい!」

 「な、なんだ君たちは! 順番は守ってくれないと……」

 「お黙りなさい。ありもしないことを言って人の不安を煽り、それにつけいってお金を巻き上げるなんて最低な行為です。しかもそれに亡くなられた方を利用するとは、到底見過ごせることではありません」


 いきなり乱入してきて自分たちのやっていることを非難され、白い服を来た男は怒って怒鳴ろうと口を開きかけました。ですが、そう言ってきたのがまだほんの子供だったので一瞬つまったあとどうにか口調を整えました。


 「な、なにを……私たちはウソを言っていません。ここにいるシャーマンは本当に死者の声を聞くことができるんですよ。ほら、あなたも何かこの子に言ってあげなさい」


 ところが、当の霊媒師の少女は両手を口元に当ててがたがたと震えるだけでした。


 「……! ……!」

 「どうしました、シャーマン?」

 「……っ、ぁ」


 いぶかしげに男はもう一度霊媒師の少女のほうを見て首を傾げましたが、女の子はかすれた声を出すだけでした。


 「あなたが本当に死者の声を聞こえるのならば、正直にお答えなさい。うら若き霊媒師シャーマンよ。貴女に助けを求めてきたこの男性は、死者の恨みを買っていますか?」


 ビブリオドールは正座をしたままポカンと口を空けている男性の肩に手を置きました。

 霊媒師の少女は震える唇を堅く結び、一度つばを飲み込むとかすれた声で紡ぎました。


 「……い、いいえ。この方の周りには誰もいません。呪われているというのは、この方の思い込みです」


 途端に、二種類の驚きの声が二人の人ののどから漏れました。


 「な、なにを……!」


 白い服を来た男の、予想に反する裏切りに対する驚き。


 「え? え、あ、で、でもさっきは……」


 相談に訪れた男性の、先ほどとは真逆の答えに対する驚き。


 「先ほどの言葉は、貴方が悪霊の仕業ではないかと疑っている話を肯定したうえで、さらに輪をかけるような話し方をすることで貴方の不安を煽り、不当に高額な金銭を要求しようとしたものです。騙されてはいけません。貴方に悪霊は憑いていませんから、ご安心ください」


 にこっと微笑んでビブリオドールが男性の顔を覗き込んで言いました。


 「し、しかしですね。私の身に起こった数々の不幸は……」

 「ただ運が悪かっただけです。ゆっくり寝て休めば、もう怖がることはありませんよ。湯を浴びたあと、寝る前に軽く体をのばして眠ると快い眠りを味わえると言いますから、一度試してみてはいかがですか?」

 「う、ううん……」


 あまりにも鮮やかに手のひらを返されて、まだ少しの疑念と不安を拭いきれない様子の男性は、腕を組んで渋っていました。それを見た霊媒師の少女は、自分の体の後ろに置いてあったかばんから片手に乗るぐらいの小さな袋を取り出すと、男性の手に握らせました。


 「これは、気持ちを落ち着かせる効果のあるお茶の茶葉です。眠る前にカップ一杯飲んでみてください。リラックスした気持ちで眠れると思いますよ。お茶には昔から悪い気配を祓う効果もあると言われてますから、貴方にはとても効くと思います」

 「は、はあ……。けど、あの、これは……」


 男性が何を心配しているのか、少女にはすぐ分かりました。ですので、すぐにこう付け足しました。


 「あ、もちろんお題は結構です。いたずらに貴方の心を騒がせてしまったお詫びとして、受け取ってください」

 「おい、こら! 何を勝手に!」


 白い服の男が少女に向かって拳を振り上げました。それを見た少女はビクッと肩をはねさせましたが、テントの入り口から飛んできた石が鼻に命中し、男はもんどりうって後ろへと倒れてしまいました。

 自分の頭に拳骨が落ちないと分かった少女は、急かすように男性をテントの外へ向かわせました。


 「さあ、今日はもう帰ってゆっくりお休みください。大丈夫です、あなたには悪い霊なんて本当に憑いていませんから」

 「そ、そうですか? それなら……」


 半信半疑という雰囲気は結局晴れませんでしたが、男性は少女からもらった茶葉を大事そうに抱えてテントから出て行きました。


 「……っ、このガキ共がぁ」


 白い服の男は鼻を押さえて立ち上がると、二人の少女に襲いかかりました。


 「何してくれてやがんだ、ごらぁ! せっかくの金蔓をよぉ!」


 その瞬間、外からテントの上部が真一文字に切り裂かれ、風にあおられて飛んでいきました。


 「……⁉ ……⁉」


 男は目を白黒させて動きを止めました。霊媒師の少女も驚きに口を空けています。


 「……少し、乱暴すぎませんか。館長さん」

 「仕方ないだろう。テントの中が狭すぎて私は中に入れなかったんだ。それじゃ中で何が起こってるのかイマイチ分からん。入り口の隙間から覗くのもけっこうしんどいんだぞ」


 カリオンはそう言いながら、剣を鞘に納めました。そして、腰をかがめた格好のまま冷や汗を流している男を見下ろしました。


 「それに、ちょうどいいだろう。悪徳商法を白日の下に晒そうってんだからな」

 「それもそうですね」


 ビブリオドールは霊媒師の少女と男の間に体を滑り込ませると、厳しい口調で問いつめました。


 「さて、この悪徳商法を主導していたのはあなたのほうですね? か弱い少女を利用し、人の心の弱みに付け込んで金品を巻き上げる行為に罪悪感はないのですか?」

 「な、何を言っているのかな? 私は、ただ姪が自分の能力を正しく使えるように指導をだな……」

 「その結果があれだと?」


 物腰の柔らかい大人を演じていた男も、ビブリオドールに睨まれて、ついに立ち上がってその仮面をかなぐり捨てました。


 「そうだ! べつにいいだろ? 誰も損をしてないんだからな。つまり、誰かを亡くした奴はこいつを通じてそいつの気持ちを知ることができるし、おれは十分な金をとれる。一石二鳥だ!」


 そう言ってからテントの前に並んでいる人たちを見て気がついたようでしたが、もう手遅れです。


 「ぇあーっと……」


 とっさにうまく口が回りません。向けられる視線はとても白いものでした。


 「あのー、もしかして死んだ人の声がきこえるっていうのは、ウソだったんですか?」

 「さっきからずっと詐欺だとかなんだとか聞こえてきてるんですけど……」

 「あ、いや、これはですね……その……」


 さっきの倍以上の冷や汗を垂れながら、なおも言い訳を続けようとする男に向かって、ビブリオドールはまっすぐに指を突きつけました。


 「何が一石二鳥ですか。お金をとることの全てが悪いこととは言えませんが、ありもしない悪霊を作り出して大金をせしめようとする行為は、立派な詐欺、犯罪です。大人しく出頭しなさい!」


 男は首を左右に振って味方を捜しましたが、そもそもここは男の知り合いがいない旅の途中の街。誰も彼を助けようとしてくれません。

 男はついにきびすを返してテントを乗り越え、逃げ出そうとしました。


 「あ、逃げる!」


 テントの前に並んでいた人の中からそんな声が出ましたが、ビブリオドールはまったく焦っていませんでした。

 道の上の小石を拾い上げたカリオンが手首を返すと、小石は狙いを外さず男の後頭部に当たって、男はゆっくりと倒れました。


 

 「あの、ありがとう……ございました」


 男はこの街の警察に連れて行かれました。

 霊媒師として男に使われていた少女は、ビブリオドールとカリオンの二人に頭を下げました。


 「君は生まれたときから死んだ人の魂が見えていたのか?」

 「はい……。べつに怖くはなかったんです。話すことはできないけど、なんとなく心配してるだけなんだなあとか、一緒にもっと遊びたいんだろうなあっていうのは分かってたから……。ただ、それが私にだけしか見えないって分かったときは、むしろ周りの人の目が怖くて……。叔父さんだけが私を巡礼の旅に誘ってくれたんです」

 「そうですね。普通の人は、死んだ人の魂は見えませんから。貴女を不気味に思ったかもしれませんね」

 「……ははっ。今ならその気持ち、少し分かるかも」


 少女は俯いて、渇いた声で笑いました。握りしめている両手が少し震えています。


 「私は、あなたが怖い。なんだかとてもすごくて……あまり、近づきたくない。あなたは……なんなんですか?」


 少しカリオンは驚いてしまいましたが、少女の怯えもよく考えれば当然のことです。ビブリオドールは、人間ではないのですから。


 「私はビブリオドール。天の園へ還れずに彷徨う魂を救い、荒れる精霊たちを鎮めるために、全ての人に忘れられた友だちの神様に造られました。貴女が私を怖いと思うのは、私が人でないことが、私に近い能力を持った貴女の本能が感じ取っているからでしょう。かつて、貴女と同じく人の身でありながら死んだ者の魂が見える人が、そう言っていました」


 少女はぽかんと口を空けて、ビブリオドールを見ていました。まだ幼い少女には、少し難しい言い方だったかもしれません。幼い風貌とは反対に長い時を生きてきた蜂蜜色の髪を持つ少女は、思わず苦笑を零しました。


 「今はまだ、分からないかもしれませんね。でも貴女が自分の能力を正しく理解すれば、きっと分かることでしょう」


 ビブリオドールは手を伸ばして少女の顔を覆っていたヴェールをそっと外しました。


 「貴女の叔父さんは、貴女の『死んだ人の魂が見える』という能力を悪用していましたが、一部では正しかったのです。貴女が見て、感じた死者の言葉を語ることで、心を救われる人もこの先多くいることでしょう」


 現れた少女の目は、とても澄んだ綺麗な空色でした。


 「ここからは少し離れていますが、貴女の力に理解をしてくれる人たちがいる場所を知っています。貴女をそこへ連れて行きましょう。彼らのもとで、貴女の能力を人のためにどう活かすか、学んでください。そして大きくなったらまた世界中を旅して、大切な人を亡くして苦しんでいる人の心を癒してあげてくださいね」

 「叔父さんは……一緒に来てくれないんですよね?」


 少女は目を伏せました。

 ビブリオドールは、もう震えていませんが固く握りしめられていた少女の両手に、自分の手を重ねました。


 「ええ、残念ながら。彼は法に触れることをしましたから」

 「…………気味が悪いとか、化け物だとか、叔父さんだけが言わなかったんです。叔父さんと巡礼の旅をして、それで知らない人たちに『ありがとう』っていわれるのが嬉しかった………」


 みるみる少女の目に涙が溜まっていきました。


 「叔父さんが勝手にありもしないことを言い出したり、私にこうしろああ言えって言ってきたりもしたし、その通りにしなかったら殴られたりしたけど……でも、叔父さんだけが私の手を引いてくれてたのに…………!」


 少女は声をあげて泣き出しました。彼女を優しく抱きしめて、ビブリオドールはその背中を撫でていました。

 男のしていることがよくないことだと、本当はこの少女も分かっていたのです。けれど、幼い彼女は他に頼る人を知りません。だから、男についてこの街までやってきたのです。

 ビブリオドールが懇意にしているというその場所で良き成長をしてくれたらいいと、カリオンは願いました。





 こうして、ビブリオドールとカリオンはもの語る少女を連れて、ビブリオドールの知り合いがいるという教会に立ち寄って少女を預けたあと、まだ見ぬ死者と精霊を救うための旅路へ戻っていきました。

 その短い間にビブリオドールに懐いてしまったもの語る少女は、ビブリオドールのドレスを握ってなかなか離れようとしませんでした。

 ビブリオドールは愛おしそうに柔らかく笑むと、少女の耳にある詩を囁きました。



  ただ祈りなさい 君の幸せを

  ただ想いなさい 変わらぬ愛を

  星の歯車に貴女の希望を繋ぎ

  純粋なる声を追いかけなさい

  貴女の言葉を待つ誰かの為に



 「あなたが立派な霊媒師になるための魔法の言葉です。不安になった時は、いつでも口ずさみなさい。貴女の支えとなるでしょう」


 もの語る少女は幾度か口の中でその詩を繰り返すと、元気よく頷きました。


 「分かりました! 待っててくださいね。私、今度こそ立派な本物のシャーマンになってセシェ姉様に会いに行きますから!」


 もの語る少女は元気よく手を振りました。ビブリオドールとカリオンもそれに手を振り返しながら、教会をあとにしました。

 ただ、カリオンの心は漣が立ったように落ち着きませんでした。もの語る少女は、本当の別れ際に、カリオンの服の裾を引っ張って小声で言ったのです。


 『あなたの後ろにお父さんの魂が見えます。あなたがどう成長するのか心配しているみたいですよ』


 そんな馬鹿な、と笑い飛ばせればよかったのですが、彼女が本当に死者の魂が見えることはすでに知っていますし、彼女に嘘をつく理由はありません。


 (私がどう成長するのかが? 心配? あの父が? 親らしいことなんて何一つしなかったくせに、死んでからされても……!)


 嬉しいのか、悔しいのか、悲しいのか。カリオンには分かりません。ただなぜか歯痒く思いながら手綱を握る手に力をこめるのでした。


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