偉大なる王とビブリオドールのお話






  神よ、無神論者の私が最初で最期に祈る


  どうかわが祖国に勝利を!


  詩を捨てて剣を取り


  さえずるよりもいななくことを選んだ我が国民たちに


  どうか栄冠の輝きを!







   偉大なる王とビブリオドールのお話



 そこは、白銀の大地でした。


 左には高い山が黒々とそびえ立っていましたが、右に目を向ければ、そこは空の端からわずかに差し込む淡い光をチロチロと反射する広大な平原でした。


 動くものは天空の鳶以外にない——いえ、地上をゆっくりと移動する一頭の馬がありました。その上には、分厚い毛皮ですっぽりと全身を覆った二つの人影が乗っていました。


 馬の手綱を握っている方はカリオン・シュラークといい、元傭兵のとても腕が立つ女性です。しかし、これほどの雪が積もる寒さには慣れていないのか、この地方へ足を踏み入れてから、めっきり口数が減ってしまいました。


 もう一人は、カリオンの体温を背中に感じながら白い息を吐いている少女でした。彼女は人ではなく、友だちの神さまが己の代わりに魂と精霊を救うことを望んで造った、ビブリオドールという意志ある人形でした。


 ふいにビブリオドールが片手を上げて、前方を指差しました。


 「館長さん、あれを」


 ゴーグル越しに目を凝らしたカリオンは、ビブリオドールが指差したものを数秒と経たずに発見しました。


 「あれは狼煙……? いや、何本も見えるな。炊事の煙か?」


 「おそらく。まだ夜も明けきらぬというのに、働き者がいらっしゃるようですね」


 「こんなところに集落があるのか? 信じられない」


 「ここは、元々遊牧民たちが住む土地です。彼らは常に牧草を求めて、集落で移動するのですよ。……とはいえ、少しひっかかりますね。通常、彼らは冬には堅牢な城壁を持つ国都へ帰るはずなのですが……」


 そのとき、殺気を感じてカリオンはいつでも剣を抜けるように、柄に手を添えました。


 前から馬が二頭、雪煙をあげながら走ってきました。それぞれの騎手が弓矢を構えています。


 射放された矢は、カリオンたちが乗る馬の手前三十センチほどのところに刺さりました。驚いた馬が暴れそうになったので、カリオンは手綱を操り逃げようとしました。


 しかし、


 「逃げてはダメです! おとなしく彼らを待ってください」


 ビブリオドールがそれを止めました。カリオンは憮然としましたが、雪原での馬の扱いは、相手に一日の長があると言えるでしょう。


 カリオンは馬をなだめ、そのまま近づいてくる二騎を待ちました。二騎は徐々にスピードを落としつつ、こちらを警戒したままゆっくりと、前後から挟みました。


 「お前たちは何者だ!」


 カリオンたちの正面にいる男が、厳しい口調で問い質しました。


 「ただの旅人だ。貴殿らの領地を侵してしまったのなら、謝罪しよう。慣れぬ雪道で、境界線を越えてしまったようだ」


 その時、二人の後ろにいる若い男が怒鳴りました。


 「嘘をつけ! 奴らの密偵だろう! 生きて帰れると思うな!」


 全く身に覚えのない謂れです。カリオンは不快げに眉をひそめました。


 すぐさま、正面の男が若い男を叱咤しました。


 「やめろ! 我々の品格が疑われるぞ! 奴らと同じ野蛮人に成り下がりたいのか!」


 「しかし隊長……」


 「ええい、お前は黙っておけ!」


 そして、隊長と呼ばれた正面にいる男は、矢の先を二人から逸らしたうえで言いました。


 「申し訳ないが旅人殿。今の我々は、素性の知れぬ者を受け入れることができない。このまま道を引き返していただけないだろうか」


 「……拒める雰囲気ではないだろう。分かった。こちらとて、無理にこの先へ進む理由はない」


 「かたじけない。雪が溶け、草の萌える季節になったら、またお越し願いたい。その時は歓迎致そう」


 そしてお互いが馬首を巡らそうとしたとき、「お待ちをー!」という若い女性の声とともにもう一頭、別の馬が集落の方から駆け寄ってきました。


 「お待ちください! もしやあなた方は、〈葬者そうしゃ〉とその契約者殿ではございませんか⁉」


 「「「⁉」」」


 ビブリオドールを除く三人が、驚いたように駆け寄ってきた若い女性を見ました。


 「〈葬者〉? いや、私たちは……」

 違うと言いかけたカリオンの声に被せるように、ビブリオドールは肯定の意思を示しました。


 「そうですよ。どうかしましたか?」


 「ああ、よかった。すみませんが、私たちの集落に来ていただけませんか。あなた方にお会いしたいという方がいらっしゃるのです」


 「なんだって⁉」


 若い男が女性に食って掛かりました。


 「こんな、どこのどいつかも分からねえ奴を連れて行くだと⁉ ふざけんな! 奴らの仲間だったらどうするんだよ!」


 「ババ様が呼んでこいって言ったんだもの! 大丈夫よ!」


 「ババ様が⁉ なんで!」


 「そ、そこまで知らないわよ!」


 二人が言い争っている裏で、カリオンもビブリオドールに訊いていました。


 「〈葬者〉とはなんだ? お前はビブリオドールじゃないか」


 「地方によって伝わっている呼び名が違うだけですよ。〈ビブリオドール〉も〈葬者〉も同じ、大母の代行人わたしを指します」


 この場にいる者の中で、ビブリオドールだけが事情をはっきりと理解しました。


 「そのババ様というのは、もしかしてハーナですか?」


 「え? あ、はい!」


 女性が慌てたように答えました。「なんで知ってんだよ!」と全員の気持ちを代弁した若い男には目もくれず、ビブリオドールは苦笑と呼ぶには優しい笑みを浮かべ、


 「そう、まだ生きていたのですね……」


 と呟きました。が、それは誰の耳にも届くことはありませんでした。


 「すみません、案内してもらえますか?」


 ただ、少し嬉しそうに、そう頼んだだけでした。



 数分後、カリオンはビブリオドールとともに、ハーナなる人物と小さな天幕の中で面会していました。


 正直なところ、カリオンはこのハーナほど、と呼ぶにふさわしい人物に会ったことはありません。


 肉はだらしなく落ち、肌はシワとシミだらけで、どこが目で口なのか判別がつかないほど、その顔は崩れきっていました。何かの病気かと思えば、そうでもないようです。


 「久しぶりですのう、葬者よ。いつ見ても愛らしい顔立ちで」


 「お久しぶりです、ハーナ。貴女こそ、お変わりないようで」


 周りの人間のとまどいなど気にせず、二人は喜びの抱擁を交わしていました。


 「お前さんが今の契約者殿かの?」


 「あ、ああ。カリオン・シュラークと言う……。よろしく頼む」


 ハーナから突然尋ねられ、面食らいながらもきちんと名乗ったカリオンを見て、ハーナは愉快そうに笑った。


 「なんじゃ。今度の契約者はずいぶん青いようじゃな」


 「前の契約者よりもずっと若いのですから、当然ですよ。……館長さん。ハーナは先々代の館長さんのときからの知り合いなんです」


 カリオンは軽く目を見張りました。契約者は、ヒトならざるビブリオドールのそばで毎日を過ごすので、その影響を受けて普通の人間よりも長生きをするとされています。


 もちろん、契約者になったときの年齢もあるので一概には言えませんが、それでも先々代の時からの知り合いだというと、だいぶ長いはずです。


 (何歳だ、このばあさん……)


 カリオンの心の声が聞こえたのでしょうか。ハーナはまたも愉快そうに笑いながら言いました。


 「今年で百九十になるでの。いやー、よく生きとるわい」


 「なんだと……⁉」


 カリオンにしては珍しく、狼狽えたような声が出ました。


 「なぜそんなに長く生きている? 〝おもちゃ〟の寿命は長くても百年だと神が定めているはずだ。それを……」


 「なあに。ワシはその神に興味を持たれているからの。おかげさんで、まだまだ元気じゃわい」


 「はあ?」


 「なんでも、ワシは若いころから世界で一番醜いと言われていてのう。それが神の興味を引いたようなんじゃ」


 「……ちなみに、どちらの神の興味を?」


 「奇術の神ヴェルメイユさ」


 奇術の神ヴェルメイユは、ひねくれ者としても名高い神です。奇妙奇天烈なものを好む性格として知られています。


 「いやはや、奇特な神もいたもんじゃ」


 ビブリオドールよりも小さい体を揺らして、ハーナは笑いました。その時、欠けた一本の前歯しかない口が見えました。


 (まったくだ……)


 カリオンは心の中でこっそりと呟きました。その様子を楽しげに眺めていたビブリオドールでしたが、ハーナの笑いが収まったのを見て、自分たちを呼んだ理由を尋ねました。


 「ハーナ。なぜわたしたちを呼んだのですか? 貴女のことですから、ヴェルメイユの神託でわたしたちが来ていることを知ったのでしょうが……」


 ハーナは急に神妙な顔つきになって、杖をつきながら天幕を出ました。ビブリオドールとカリオンも後ろからついていきます。


 「あなたにおくってもらいたい奴がおるんじゃよ」


 「それは誰ですか?」


 「この国の王さ」


 さすがのビブリオドールも、息をのみました。


 そして三人は、天幕と天幕の間を通り抜けながら、ひときわ大きくて豪奢な天幕を目指しました。


 「実は、今この国は戦争をしておる」


 「戦争……」


 であれば、出会い頭の若い男の言葉にも、納得がいくというものです。『奴ら』とはすなわち、戦っている相手のことなのでしょう。


 「遊牧民に対して戦争をするなんて、ずいぶん変わっていますね。遊牧民の方から定住の地を求めて、戦争を始めたのなら話は違ってくるのでしょうが……」


 「そんなわけがあるかい」


 ハーナの答えは早いものでした。


 「そうですね。では、向こうは何を狙ってこの国に?」


 「知らん。おおかた、この草原が欲しいんじゃろう。ここに街を興し、道を整備すれば儲けられると考えとるんじゃ」


 (そして、ここの遊牧民たちは奴隷として飼うなり売るなりする、というわけだな)


 そんな気分の良くない思惑が簡単に想像できて、カリオンは小さく舌打ちを洩らしました。


 「遊牧民の王は、強い者でなくてはならない。腕っぷしだけでなく、判断力や統率力も求められるものなんじゃ。それを、今の王は全て備えていた。まさに、王の中の王として讃えられるべき人物じゃった。それが、もう三日も意識が戻らない状態にある」


 「王は、病で?」


 「病……もあるが、単純に寿命じゃ。ワシのような奴が長生きするよりも、あやつのような奴が長生きする方が、本当はええんじゃが」


 ハーナは深々とため息をつきました。


 「神に頼らず、自分の腕と真摯な対話でこの国をまとめあげた豪傑じゃ。死を恐れてはおらんじゃろうが、今この状況で死ぬのは、さぞ心残りがあるだろうと思うてな。あなたなら王を安らかに旅立たせてやれるじゃろ? かつての父上のように」


 ハーナはわずかに顔を上に向けました。遠い昔を振り返っているようです。


 ビブリオドールもつられたように、過去を懐かしむ顔で囁きました。


 「ええ、任せて下さい。かの勇敢なる大王のときのように……」

 


 二人が案内された天幕の中で、その人は簡素でも様々な装飾が施された寝台に横たわっていました。髪と髭は白く、顔には深いシワが刻まれています。


 伝令が届いていたのでしょう。そこには王と、寝台の傍らに腰掛けた老いた女性がいるだけでした。彼女は入ってきた二人を見ると、すっと立ち上がって頭を下げました。


 「はじめまして。かねてより話は聞き及んでおりました、〈葬者〉とその契約者殿。あなた様のお手を煩わせることになってしまったこと、王に代わって妃のわたくしがお詫びいたします」


 ビブリオドールは簡単に挨拶をすませると、さっそく王の手に触れました。かつては大きく、逞しかったであろう手も、今では細く痩せてしまっていました。


 「陛下はもう二年以上前に病に倒れられました。この国のしきたりとして、王が死ぬまで次の王は即位できません。大きな懸案もなく、次の王の選定も無事に済み、あとは安らかに眠るだけ……そうであったはずなのに」


 「異民族が攻めてきたのですね?」


 「ええ。雪が溶け始めた頃に、突然。彼らは、我々が見たこともないような強力な兵器を持っていました。それゆえに、野戦を得意とする我々も、なかなか完全な勝利を収めきれずにいたのです」


 「戦況は悪いのですか?」


 カリオンの問いに、王妃は曖昧な表情で首を振りました。


 「五分五分と言ったところでしょうか。いま敢行している作戦が成功すれば、我々の勝利です。しかし……」


 「……それは極めて難しいということか」


 かつて戦場に身を置いていた者として、王妃が言いよどんだ理由を察しました。


 「本当に、立派な王だったのですね。この人は」


 ビブリオドールが王の手を優しく包み込みながら言いました。王妃も涙ぐみながら、それに頷き返しました。


 「それはもう。陛下は、神など当てにせぬと豪語する御方で、民の声によく耳を傾け、時には自ら先頭に立って剣を振り、この国を盤石なものへと変えました。私たちが平和を謳歌できたのも、陛下のおかげなのです」


 そして、ふっと悲しげな顔をのぞかせました。


 「これは、罰なのでしょうか。神をないがしろにした陛下への……。せめてあと一年、あと一年、侵攻が遅ければ、陛下は心安らかに旅立たれたあと。我々は、新しい王とともに陛下の遺した国を守ろうと、憂いなく戦えたことでしょう。それが今、陛下がいつ亡くなられるか分からないということで、民の心には常に影がまとわりついている」


 かける言葉も見つからないまま、居心地悪くカリオンが腕を組み直したとき、ビブリオドールが王妃の方に振り向きました。


 「この国は良き国ですね、王妃。民が王を心配し、王が民を案じている」


 王妃はいきなり何事かと、目を丸くしてビブリオドールを見つめ返しました。


 「王は死ぬのが恐ろしいのではなく、悲しみという心を蝕む毒を、己が死ぬことで国民に与えてしまうことを恐れています。自分はこんなに弱かったのかと、弱さを忌避している。だから、肉体はとうの限界を迎えているのに、魂は離れない」


 再び王の方へと振り返ったビブリオドールは、優しい手つきで頭を撫でました。


 「ですが、偉大なる王よ。そう怯えることはありません。貴方と共にあった勇気ある兵士たちが、この国に勝利をもたらすでしょう」


 王妃は目を見開いて立ち上がりました。


 作戦が成功するかどうかは、まだ分かりません。安易なことを言わないで欲しいという王妃の気持ちのあらわれでした。


 「あの……」


 「貴方が今までずっと見てきた国の民たちは、そう信じるに値する人たちなのではないですか?」


 王妃の動きがハッと止まります。それに気づいているのかいないのか、ビブリオドールはそっと息を吸いました。 



  書架配列六二三番より——開架


  偉大なる王に紡ぐ安楽あんらいの詩


 詠い上げるは葬唄おくりうた。死者を慰め、彼の地へおくる詩。



  ご覧下さい もうすぐ朝日が昇ります


  目映き光がこの国を照らすでしょう


  白銀の雪の輝きを受けて 清々しい空気を感じて


  貴方が想い、守った国は  


  とても美しい目覚めを迎えるでしょう


  今日も、明日も、末永く



 王の体から、力が抜けていくのが分かりました。王妃は、思わず「陛下!」と声をあげながら、その体にすがりつきました。誰も、それを咎めませんでした。

 


  貴方が最後に願う望みは 皆が受け取りました


  だから安心してお眠り下さい 偉大なる王よ


  眠り逝く者に天に在る者たちは祝福を与え  


  全ての者が生まれ還る地へ迎え入れるでしょう



 王の体が一瞬、光に包まれたように見えたのは、幻でしょうか。



  願わくば、


  貴方の次なる目覚めにも光があらんことを……




 強い風が吹いて、天幕の入り口がめくれあがりました。そこから差した朝日が、旅立った王の横顔を照らしました。


 嗚咽を漏らす王妃を残し、二人はハーナに連れられて外へ出ました。


 そのときちょうど、遠くからズーンと腹の底に響くような低い音がしました。


 「なんだ?」


 カリオンが周囲の人たちの様子に首を傾げます。みな、同じ方向を眺めて祈るように手を組んでいるのです。


 「作戦が行われた音じゃ。成功すれば、狼煙が上がることになっておる」


 ハーナは二人を調理場へ連れて行き、温かいスープをふるまいました。


 「作戦とはなんなんだ?」


 「……とても簡単なものじゃよ。山の斜面に火薬を設置し、いっせいに爆発させる。それだけじゃ」


 「それだけか? それでどうやって……!」


 一つの可能性に思い至り、ばっとカリオンはハーナを見下ろしました。


 「お前さんが想像する通りじゃ」


 「雪崩……か」


 「そうじゃ。あの蛮民どもは、この地域の雪や寒さに慣れておらぬ。活動しやすい昼間になってから動くのが常じゃった。だから、こんな早朝は確実に拠点におるはずじゃ。そこに雪が押しよせれば、ひとたまりもない」


 ハーナは淡々と語ります。そうでしか語れないのでしょう。分かっていても、カリオンは声を洩らさずに入られませんでした。


 「なんという無謀な……。爆弾の量、設置箇所、タイミング……どれだけ計算を重ねたとしても、自然を相手にするんだ。兵士たちの安全は約束されていない……!」


 「それでも、これが一番効果的だと判断したんじゃ。先王は」


 「……王が死ぬことを躊躇ったのも、それが大きかったのでしょうね」




 こうして、二人はささやかな感謝の礼を受け取ると、静かに雪原を去っていきました。


 後ろで上がった紅い狼煙を見て、その意味が良きものであるよう祈りながら。


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