乙女の罪人とビブリオドールのお話
美しく、願い
失われた夢も生まれた愛も
全てがその道を彩り導いてゆく
時計の針は止まらないから
私がここから未来を見届けよう
いとおしき人よ、どうか安らかに
ここは、遠くに海を臨む丘の上。辺りにはこれといって何もなく、ただ空の青さばかりが目立つ場所でした。
『彼女と出会ったのも、こんな日だったよ』
冷たい土の上に座った男性が、懐かしさに口元を緩めながらそう言いました。
『俺はほら、この見た目の通り片目はつぶれてるし、もう片方の目もほとんど見えてない。そんな俺でも分かるぐらい、彼女の状態はひどかった。服はボロボロで靴もはいてない、体のあっちこっちに傷があって、野盗にでも襲われたのかって最初は思ったね。
でも違った。彼女は、自称「正義の味方」に殺されかけたんだよ』
わずかな嘲りとともに、彼は短く息を吐き捨てました。
『ある日、彼女の生まれ育った地で謎の病が発生した。体温がだんだん下がって冷たくなって、体もどんどんひび割れていって、やがて死に至る、そんな病気。
病気は町の人間だけに発症した。町の人たちは、郷土食になっていた植物が原因なんじゃないか、原因を突き止め治すための調査と研究をって訴えたらしいけど、周囲の町の連中はそれを聞き入れなかった。
極めて限定的な地方病として、町を包囲し、植物もろとも住民を皆殺しにすることで解決を図ったんだ。まったく、イカレてるよ。
当然、彼女たちにはそんな話受け入れられなかった。だからみんなが必死で町の外へ逃げたらしい。彼女も、病や追手で友を喪い、家族を喪い、それでも逃げ続けていた。
俺は彼女の話を聞くまでそんな病気のことなんて知らなかったんだけど、世界的にはそこそこ知られたことらしいね。どこへ行っても必ずバレて、化け物だ病原体だ、人に害をなす悪魔だと始末されかけて、逃げて、その繰り返し。
誰も信用できないし、安らぐこともできない。もう生きてる意味も分からないけど、それでも死にたくないのって泣いていた』
そして男性は口を閉じました。
彼女が泣かなければならないことへの憤り、彼女を泣かせた理不尽への怒り。当時も噛みしめた歯ですり潰した苦い思いが、また湧きあがってきたのでした。
『……』
冷たい風が濃いカラメル色の長髪を乱暴に吹き散らかし、首から下に広がる火傷の痕があらわになりました。
『……俺はさ。まだガキの頃、父さんと山に入ったときに崖崩れに巻き込まれて、片目を失ったんだよ。でも、俺を庇った父さんが失ったのは、命だった。それからすぐに母さんが病気で死んで、最後は家が火事で全焼した。
疫病神だと親戚中に罵られ、弟とは引き離されたよ。それでも弟は、わざわざ丘を登って俺に会いに来てくれる優しい奴なんだけどね。
あのころ俺は、俺が怖かった。誰が疫病神だよふざけんじゃねえよと思った反面、俺のせいで弟に何かあったらと思うと、頭がおかしくなりそうだった。だから、ずっと弟にも冷たくして、会いにくるなと言い続けたっけな』
くしゃりと髪をかきあげる口は、わずかに笑みを形づくっていました。
『そんなんだったからかな、俺はつい、彼女にここに住まないかって言ってしまった。
たとえ世界中の人間が違うと言おうとも、俺だけは君を人間だと認めるよ、ってね。
彼女はありがとうと言ってくれて、それから一緒に暮らし始めた。友人でも恋人でも、当然家族でもなかったんだけど、居心地は悪くなかったよ。彼女もそう思ってくれていたって、俺は今でも信じてる』
彼女の「ありがとう」のあとに続いた言葉が、男性の脳裏をよぎりました。
『ありがとう。そう言ってもらえて凄く嬉しい。今なら私、すごく幸せな気持ちのまま死ねそう』
『な、何言ってるんだよ。これからここでずっと生きて……』
『ずっとは無理だよ。私は病気だから』
『あ……』
『そんな顔しないで。薬も治療法もないから、仕方がないことだし。……ずっと嫌だ、死にたくないって思ってたけど、君が私を人間だって言ってくれたから。もう、怖くないよ。我ながら単純すぎだろって思うけど』
憑き物が落ちて、そう笑う彼女の笑顔のなんと美しかったことでしょう。
ずっとそのままでいてほしいと思いました。曇ってしまわないように、もう泣かなくてすむように、最期まで穏やかに。
もしもその願いを叶えることができたら、自分から弟に声をかけてみよう。
そんな願掛けとともに、彼は彼女と最期まで一緒にいる覚悟を決めたのでした。
『だというのに、水を差す奴っていうのはホント、どこにでも現れるよね。ここに来る直前の町で彼女を殺そうとした奴らが、わざわざやってきたんだ。
達成感? 優越感? 名誉欲でも自己満足でも、呼び方なんてなんでもいい。ふざけんなよ、馬鹿は馬鹿だと自覚しておとなしくしてたらいいんだ』
それを知った彼女は、体を震わして泣き叫びました。
『いやあぁぁっっっ! なんで! どうして! 放っておいてよ! いいかげんにして! もう、もう私は死ぬのに、なんでッッ!』
彼が住んでいた家は町から距離がありましたが、彼女の体のヒビは指先や顔にまで及んでおり、ごまかすことはできません。遠からず、突き止められてしまうでしょう。
(こんなことが許されてたまるか! 何か、彼女のために俺ができるのはっ……!)
彼女の体を強く抱きしめていた手が、ふと緩みました。
それは、まるで天啓であるように思えました。
『俺が君を殺すよ。君の体も心も、過去も未来も全部、あんな奴らには渡さない。俺が、君を人間のまま殺してあげる』
そう告げれば、彼女の目は驚きと困惑で見開かれました。逆に言えば、それだけだったのです。恐怖も嫌悪も、彼女にはありませんでした。
『でも……それじゃあ…………』
『いいんだ。このまま君が、怯えて泣いたままでいるよりは。……こんな方法しか思いつかないなんて、俺はやっぱり疫病神なのかもな』
さっきまでの頼もしさはどこへ行ったのか、最後のほうは声に力が入りませんでした。
ですが、彼女は目を逸らした彼の頬を両手で包み、自分へと向けさせるとあの美しい笑顔を見せました。
『そんなことないよ。私も言ってあげる。君は人間だって。たとえ世界中の人が君を疫病神だと呼んでも、私だけは君を人間だと言うよ。だから、凄く嬉しい。ありがとう』
それから彼はすぐに彼女を殺し、家に火をつけて全てを灰にかえしました。
『もう髪の一本、血の一滴すら、あいつらには触れてほしくない』というのが、彼女の最期の願いだったからです。
そして、火事だという通報を受けて駆けつけた警備兵に返り血のついた手を見せて、人を殺したと言いました。彼はそのまま牢屋行きとなりました。
連れて行かれる彼を遠巻きに見る野次馬の中から、大切な弟が飛び出してきました。
『兄さんっ……。なんだよ、これ……どうして……っ!』
義憤か、悲しみか。唇を震わせて、泣きそうな顔で見てくる弟に、少しだけ申し訳なく思いました。
『……ごめんな。お前の心配を無駄にしちゃって。でも、俺はいいんだ。決めたから』
『決めたって? 何を?』
彼は、その問いに心の中でだけ答えました。
──俺は、俺の殺人という罪をもって、彼女が人であったことを未来永劫証明する。
『さてっと。俺の話はこれで終わり。満足してもらえたかな、お嬢さん?』
男性が振り返った先には、一人の少女がいました。リボンやレースをふんだんに使った重厚なドレスを着た美しい少女です。
そのすぐ後ろには、少女を守るように白い髪の女性が立っていました。
「ええ、ありがとうございました。乙女のための
『そりゃどーも。……で、なんでこんな話したんだっけ』
「はい。この世を彷徨い、天の園へ逝けずにいる貴方を
『ああ、そうだったね。ビブリオドール』
ビブリオドール。
それは、かつて世界中の全てのものに忘れられた友だちの神さまが、彷徨う魂を救うために造り、世界へ送り出した人形のことでした。
ドレスを着た少女こそがそのビブリオドールであり、そばに控えているのは〈契約者〉カリオン・シュラークでした。
「お前は、彼女を殺したことを後悔していないんだな?」
『もちろん』
カリオンの問いに答える声は力強く、迷いがありませんでした。
『俺は、彼女を殺したことを後悔してない。それが彼女にとって最善だったと信じているし、彼女もそれを心から受け入れてくれたんだと信じている』
「ではなぜ、お前は今もこうして世界を彷徨っている?」
未練や後悔、怒り、悲しみ、憎しみ、愛おしさ……。人が魂だけの存在となってもなお世界を彷徨うには、さまざまな理由があります。
「何がお前を繋ぎ止めている?」
彼は、日が西に向かうにつれて白さを増していく青空を見上げました。
ずっとずっと、見つめていました。
『……そうだね。その後の顛末が気になっていたからかな』
やがて、囁くような声で紡がれたのは、そんな言葉でした。
「顛末、ですか」
『そう。ああ、俺のじゃないよ。俺の顛末は獄中死っていうべつに面白みもなんもないやつだから。そうじゃなくて、俺は……俺は、本当に彼女の名誉を守れたのかっていうのがね。ずっと気になっているんだ』
彼女が人であったことを未来永劫証明する──。
彼が、自分に課した使命。それが本当に果たされているのか、ということでしょう。
「では、少し散歩に出かけませんか」
『は?』
ぽかんとした彼の手を引き、ビブリオドールは丘の麓に広がる町へと歩き出しました。
「貴方は、自分を遠ざけるばかりで何も助けてくれなかったあの町が好きではないかもしれませんが、意外と素敵なものがあったりするんですよ」
『えー、そうかなー』
不満そうな彼が連れてこられたのは、町の中央にある広場でした。そこには小さいけれど、ピカピカに磨かれた立派な銅像がひとつ置いてありました。
『これは……?』
彼の記憶ではたしか、ここには噴水と花壇とベンチがいくつかあるだけの、ごく普通の広場だったはずです。
銅像は、胸に剣を突き刺したまま穏やかに眠る女性を愛おしげに抱え、炎の中に立つ男性の像でした。心なしか、男性の顔は彼に似ていました。
「これは、『魔女にヘリクサム』という童話の最後のシーンです。作者は……」
ビブリオドールに促されるまま、台座に彫られた童話のタイトルと、その横に並んでいる作者の名前を確認し、思わず喉の奥でひっくり返ったような変な声が出ました。
『はっ⁉ これアイツの……俺の弟の名前じゃん! な、なんで……?』
「『魔女にヘリクサム』は、昔から世界中で人気のある童話だ。朗読や演劇で、私も旅の途中に何度か見かけたことがある。お前、弟に彼女とのことを話したんじゃないのか?」
男性はしばらく記憶を探るように宙を見上げ、やがてのろのろと口を開きました。
『言われてみれば……そうかもしれない。俺はもう死ぬし……何も言わないままなのも、毎日面会に来てくれた弟への不義理にもなるかなって……。でも、まともに話せてたかは曖昧だな……。ホント、死の直前って感じだったから……たぶん』
「それを聞いた貴方の弟さんは、お二人の話をモチーフにして童話を書きました。二人の真実が、少しでも世界に伝わるように。結果として、童話は世界中で読まれる名作となり、作者の生まれ育ったこの町にはこうして偉業を讃える銅像が建てられたというわけです」
『そうだったのか……。死んでから俺はずっとあそこにいたし、知らなかった……』
フッと、嬉しさとも寂しさともつかない笑みが浮かびました。
『そうか……。アイツはこんなことを、俺たちのために……』
「ええ。ですから、安心してください。貴方の結んだ誓いは、今もこうして守られています」
『……それは、俺の功績じゃないな。アイツのおかげだ。でも……よかった』
どこか緊張したような、影を落としていたようだった彼の顔が初めて、心からの笑顔に変わりました。
書架配列七一九番より──開架
乙女の罪人に紡ぐ殉愛の詩
詠い上げるのは
星も見えない夜だった
ただ独り、息をしていた
歌も知らず、
ただ独り、生きていた
家族がみんな揃っていて温かかった、幸せな時代がありました
悪魔だ疫病神だと蔑まれ、世界の全てに裏切られた苦しみに喘ぐ時代がありました。
同じ痛みを知るからこそ二人の出会いは運命的で、どこまでも寄り添えたのです。
たとえ、死が二人を別つとも。
この手を握り、共に歩んでくれたこと
その喜びは地の果てにも地の底にも至り
わたしにわたしの在り方を思い出させてくれた
もう二度と、忘れはしない
『俺もいいかげん、前を向かなきゃってことかな』
ビブリオドールが示す道へ踏み出した彼の足取りは、肩の荷を下ろしたからか、軽やかなものになっていました。
そのとき、彼の耳でキラリと光を反射したものがあることにカリオンは気がつきました。
『ああ、これ? 形見分けってやつ。俺がこれをつけてたから、アイツはタイトルにヘリクサムなんて選んだのかな』
赤から黄色へのグラデーションが美しいガラスの華。それは、永久花とも呼ばれる鮮やかな彼の花と同じ色でした。
女性物らしいかわいいデザインですが、不思議と彼にも似合って見えました。
ごめんなさい ありがとう
まったく違う言葉だけど
何度だって贈るよ
それがわたしたちの愛の形だから
今思いだすのは、家族との、彼女との、温かくて幸せな思い出ばかり。
『うん、悪くない気分だ』
願わくば、
あなたの次なる目覚めにも光があらんことを……
こうして、罪も罰も恐れず、ただ一人のために己の全てを尽くした人を見送ったビブリオドールたちは、また次の道へ歩き出しました。
彼のように、真っ直ぐ前を見て。
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