緋の死神とビブリオドールのお話



  さあ 全ての強者つわものどもへ捧げましょう 

  炎よりもあかく濃い、緋色の華よ

  この地に大きく咲き誇れ

  ああ 私の心に巣食う獣が吼える

  肉を裂き、温い血を浴び、数多の命を奪えと

  熱に呑まれるまま、血に酔うまま

  私は手に握った刃を振るう

  いざ踊れよ、金色の蝶

  狂える紅蓮の炎に焼かれて

  巡り廻れよ、金色の蝶

  闇に閉ざされた漆黒の心を




   あけの死神とビブリオドールのお話


 同時に鳴らされたいくつもの鐘の乾いた音が、広く響き渡りました。


 嘘か真か、背筋も寒くなるような恐ろしい噂が囁かれているこの頃。賑わいを見せそうな大きな町の夕暮れ時であっても、どことなく重い陰が張りついているように見えたのは、気のせいではなかったでしょう。


 それでも、一体誰がこんなことを予想していたでしょうか。

 きっと、見知った顔に思わず人混みをかき分けて駆け寄ってしまったカリオン・シュラーク本人にだって。


 「サディ! サディだろう? 一体何があったというんだ。お前ほどの男がそんな怪我を負うなんて……」


 カリオンは旅人です。幼い姿の少女に同行して、今日の昼過ぎにこの町へやってきました。荷物を宿に預けて、必要な物を買いに出ていたのですが、突然西門のほうが騒がしくなったので、様子を見に来たのでした。


 するとそこには、ひどい怪我をした男性が二人と馬が一頭倒れていました。周りには悲鳴をあげて顔を背ける人や、手当てをしようと走り回る人が大勢いて、慌ただしいものでした。

 その倒れている男性の片割れが、カリオンにもなじみのある顔だったのです。たとえ血にまみれて汚れていようとも、独特の剃りこみを入れた頭は見間違えようがありません。


 「おい、しっかりしろ! サディ! 聞こえているか⁉ おいっ!」

 「…………ぅ、れ……お?」


 血の気を失った彼の手を握りながら繰り返し呼びかけていると、指先がぴくりと動きました。震えながら開いた瞼の下の、濁った目がカリオンへ向けられ、カサカサの唇が吐息のようにかすかな音を紡ぎました。


 「ああ、そうだ。久しぶりだな。待っていろ、すぐに医者に連れて「にげろ、れおっ!」……は?」


 突然身を起こした彼の手が、カリオンの腕を強く掴みました。

 張り上げられた声は黄昏の空に高くこだまし、周囲の人々の動きすらも止めました。


 「にげろ! とにかくにげるんだ!」

 「おい、どうした。落ち着け!」


 さっきまで弱々しく呻いていた人とは思えないほどの力でした。


 「あのおんな、ついにほんもののしにがみにたましいをうりやがった! やつにはだれもかないやしないっっ‼」

 「!」

 「にげろ! ここにいたらころされるぞ! しにがみにころされる‼」


 それだけ叫ぶと、彼はたくさんの血を吐き出して、糸が切れたように地面に倒れこみました。それからは何度カリオンが呼びかけようとも、二度と動くことはありませんでした。



 それからその場はひどいパニックになりました。見回りをしていた兵士たちが人々を落ち着かせて回ったようですが、夜が更けてもまだ完全に静まったとは言えないようです。


 「この服はもうダメだな。買い替えるか」


 戻ってきた宿の部屋で、カリオンは小さくため息をつきながらまだ湿っているシャツを椅子の背にかけました。


 袖にくっきりと残った手形や胸からお腹にかけてべったりと染み付いた赤い色は、何度洗っても薄くなったかどうかすら怪しいほどで、とうとうカリオンはさじを投げました。

 着ていたものがその有様でしたから、今のカリオンは胸元を覆う下着しか身につけていません。だからこそ、彼女の体に残るいくつものみみず腫れや痛々しい縫合の痕がはっきりと見えました。


 「結局、もう一人の方も馬も助からなかったそうですね」

 「……ああ。二人とも遺体の引き取り手がいないということで、町の共同墓地に埋められるそうだ」

 「そうですか」


 ベッドに腰かけていた少女はそれを聞くと、胸の前で手を組んで黙祷を捧げました。いつもは凪いだ海のように慈愛をたたえている瞳も、今は哀しみに染まって揺らめいていました。


 「あの方とは、どういうお知り合いだったのですか?」

 「……あれも傭兵だ。弓の名手で、『炯眼けいがんのサジタリアス』の通り名で知られていた。もちろん弓以外の腕も相当なもので、あいつを相手にするのは少し面倒……だった」


 最後、呟かれた過去形はずっしりと重く、彼女なに彼のことを悼んでいるのが分かりました。ですがそれとはべつに気になることがあるのか、カリオンは口元に手をあててずっと何かを考えていました。


 「……セシェ」

 「はい」

 「もしも私が……契約者が死んだら、ビブリオドールおまえはどうなるんだったか?」

 「っ!」


 カリオンが言わんとすることを察して、少女は息をのみました。


 ビブリオドール。それは、死んでも死にきれず彷徨う魂を救うために、大いなる母から遣わされた人形のことです。セシェというのは、カリオンがつけた仮の呼び名にすぎません。こう見えても少女は、永い永い時を生きているのでした。


 そしてそんなビブリオドールの傍には常に、一人の人間が付き添っていました。ビブリオドールの身を守り、救済の手助けをする人間です。彼らはビブリオドールに「館長さん」と呼ばれ、契約を切るその時まで共に世界を巡っていました。

 歴代の館長の中には、病に倒れた者もいました。老いて天寿をまっとうした者もいました。争いに巻き込まれ、不幸にも命を落とした者もいました。他の生きる道を見つけ、別れた者もいました。

 そして、彷徨う魂の人知を越えた力によって命を奪われた者もまた、少なくはなかったのです。


 「……契約者なしでは、わたしはこの世界を旅することができません。そういう風に造られています」


 白く細い指が、ぎゅっと豪奢なゴシックドレスの裾を握りしめました。


 「貴女が亡くなれば、貴女とわたしが最初に出会った名も無き島にわたしは還り、次の館長さんがやってくるのを待ちます」

 「そうか」


 カリオンは視線を窓の外へ移しました。とうに日は地平線の向こうへ落ち、はるか頭上の空は塗りつぶしたような黒一つでした。それ遠ざけたいとばかりに、地上の町にはたくさんの篝火が焚かれています。

 ですがその赤と黒の強い対比がまた皮肉にも、どうしようもなく心をざわめかせているのです。


 「館長さんは知っているんですね。誰があんなことをしたのか」

 「ああ、知っている」


 カリオンは長く息を吐くと、荷物の中から取り出した別のシャツに腕を通しながら椅子に座りました。


 「昔、私が『不死身の獅子レオ』と呼ばれていたように、『黒衣こくえのバルゴ』という通り名で知られた傭兵がいた」

 「処女バルゴ……ということは、女性ですか?」

 「ああ、そうだ。私があいつと知り合ったときにはすでにその名が定着していたし、私はあいつの本当の名前を知らない。だが、あいつを指すもっと簡単な名を知っている」

 「別の名前、ですか?」

 「『死神』だ」


 カリオンは淡々と、ですが警戒と緊張を孕んだ声でその一言を告げました。


 ビブリオドールは、残った最期の命の力を、あらんかぎりの叫びに込めたあの男性のことを思い出しました。


 『あの女、ついに本物の死神に魂を売りやがった!』


 彼は、そう言っていなかったでしょうか。


 「大鎌なんて扱いづらい武器を好んだのも、そう呼ばれるようになった一つの要因だろうな。右に振れば首が飛び、左に振れば胴が散ると言われた女だ」

 「……それは、さぞ恐れられたのでしょうね」

 「ああ。とても恐ろしかったし、同じくらい強かった。敵にはなりたくないと心底思ったほどにな。そもそもあいつの通り名である『黒衣』の由来は、浴びた返り血が黒ずんでもまだなお戦場で鎌を振るっていたことにあるからな」

 「その方が、近頃この地域を脅かしてきた噂の鬼だと、そう言うのですね?」

 「それ以外には、もはや考えられない」


 カリオンはそう言いきると、愛用の剣を手に取りました。使い込まれ、傷だらけの鞘や柄が経た月日の長さを思わせました。


 「セシェ、お前はもう気がついているんだろう? 彷徨う魂になったバルゴの禍々しい気配に。殺しても死なないんだ、サディたちは頭がおかしくなったかと思ったろうな」


 すらりと抜かれた刀身が、天井から下げられたランタンの明かりを反射して鈍い輝きを見せました。


 「私が必ずあいつの動きを止めてみせるから、あいつをおくってやってくれ、セシェ。頼む」

 「……もちろんです。ですが、貴女の命と引き換えに、などというのはお断りですよ。わたしは、誰かに命を捨ててほしいわけではないのです」


 硬い表情を崩せないままそう言えば、カリオンはふっと口元を緩めました。


 「ああ、善処はする」


 何かを決めたときの、静かで強い瞳でした。

 それ以上のことは何も言えず、ビブリオドールはグッと胸元を握りしめて、それでもかろうじて言葉を絞り出しました。


 「他の傭兵やこの町の方に手伝っていただくということは……」

 「もちろん考えてない。いたずらに犠牲者を増やすだけだ」

 「……やはりそうですか」

 「それに……」

 「?」


 何かを言いかけたカリオンでしたが、結局それが言葉になることはなく、剣の手入れを始めてしまいました。ビブリオドールも今度こそ何も言わず、ずっと口を閉じていました。



 その夜、カリオンはなかなか寝付くことができませんでした。固い木の天井を眺めていても、それはすぐに曇った雪空に塗り替えられてしまうのです。


 『理想の死に方?』


 それはもう、何年前のことでしょうか。カリオンが、まだレオの通り名で呼ばれていたときのことです。サジタリアス、バルゴと呼ばれた彼らも同じ場所にいました。


 『だってよ、こいつがこんな寒いところで死にたくない〜せめて太陽の下で〜とか言うから』

 『お前らはもう少しおじさんを労ってもいいと思うんダヨネ⁉ もっと南のほうの出身なんだから、暑いのはともかく寒いのはほんとダメなんだって!』

 『あ、じゃあ一緒にこれ飲みましょうよ! 一気にあったまりますよ!』

 『ちょっと待ってそれ原液……ブッホォウ⁉』

 『ほーらあったまるでしょう? あ、ちなみに僕の理想の死に方は、酒風呂で溺死です』

 『あっはっは! なんじゃそりゃ!』


 数十人で戦場を移動していた途中、雪原で休むことになったときのたわいもない話です。

 戦場に長くいる傭兵たちばかりでしたから、繊細な話題もなんのその、笑いながら土足で駆け抜ける無神経さとおおらかさを皆が持ち合わせていました。


 『そういうサディはどうなんですか?」

 『あ? んなもん、美女の腕の中一択だろ』

 『美女だって、どうせ死ぬ男ならもっといい男抱きしめたいって思うんじゃねえの?』

 『そりゃ一体どういう意味だおい!』


 そして明るい声がはじける中、カリオンはもう一度尋ねられました。


 『で、レオは? どんな風に死にたいと思う?』

 『そもそも、ろくな死に方しないだろ。傭兵なんてやってるんだ』

 『んーなこっちゃねえんだって。理想の、死に方なんだからよ。ちなみにオレは、美味いもんを食って食って食いまくって死にたいね』


 口の端から垂れるよだれを隠そうともしない彼に、またも笑いが起こりました。

 そのとき、カリオンは少し考えるようなそぶりを見せましたが、当時の彼女の答えは揺るぎなく一つでした。


 『弟の顔を見ながらであれば、なんでもいいな』

 『出たよ、こいつの弟大好き病』


 答えたとたん、周りからこぼれたのはため息と笑いが混ざったような呆れの言葉でした。


 『まあレオらしいといえば、そうじゃないですか? あ、バルゴ! あなたはどうですか?』

 『んー? 何がー?』

 『理想の死に方だよ。どうせ死ぬなら、お前はどんな風に死にたい?』

 『そうねえ……』


 湯気が立つ温かいお茶を一口飲む程度の間を置いてから、彼女はにっこりと笑ってこう答えました。


 『私がこれと決めた奴に殺されたいかな』

 『はあ?』


 思わず全員が口を開けた中、楽しそうに彼女は続けました。


 『十把一絡げのそのへんの奴になんか殺されたくないわ。そんなことになったら、死んでも死にきれないじゃないっ。ベッドの上っていうのも嫌ね。やっぱり戦場で死にたいわ』


 うっとりと目を細めた彼女に、相変わらずだなとか、正直予想できたとか、好き放題言いながら、皆一様に肩をすくめていました。

 があったのは、そんなことを話した数日後のことでした。今や覚えているのは、当事者だった二人だけでしょう。


 「ああ、そうだ。そうだよバルゴ……」


 カリオンは腕を目の上に置いて、ぽつりと言いました。決して忘れていたわけではありません。ですが、今回のようなことがなければ、記憶の箱の隅にこびりついていたようなそれに、光が当たることは生涯なかったでしょう。


 「私はあの日、お前と約束したんだよな……」


 そのつぶやきは小さく遠く、隣のベッドで寝ているビブリオドールにもきっと聞こえてはいないでしょう。


 「お前は私に殺されるのを待っているんだろう……?」

 



 翌日の空は暗く、雷神の唸り声が轟くような不気味な雲がとぐろを巻いていました。


 そう、乾くことを知らずに滴り続ける自らの緋色で染まった衣を纏った、異形の死神と向かい合うにはふさわしい天気だといえるでしょう。


 「なんだ、その姿は……!」


 剣に手をかけながらも、カリオンは驚きのあまり絶句して立ち竦んでいました。


 『……ァ、ア゛ー……鉄ト、肉ノ、匂イ…………血ガ……匂ウゥー……』


 今、カリオンの前には、記憶にあるよりもずっと青白く、能面よりも動かぬ瞑目した顔の彼女が立っていました。


 黒く、鈍く、光を反射する大鎌をだらりと下げて。


 もはや永久に黒へ変じることはない服を着て。


 そして、彼女に半身を埋める奇妙な男の姿を伴って。


 『鉄ゥ……鉄ノ匂イダァ……! 木モ、糸モ、ナイィ……薬、石……ナイ……鉄ダケノ、匂イィ……!』


 先ほどから男はずっと、濁った白目でこちらを見つめ、嗄れて錆ついた声でうわ言のように何かを呟き続けています。


 人が他人の体に埋まるなど、普通では考えられないことです。血まみれで、骨が見えるほど肉を抉られた二本の腕が彼女の体を愛しそうに撫で回し、よだれを垂らしながらこちらへ視線を向けるそれは、本能的な嫌悪感と恐怖を与えました。


 「おいセシェ、バルゴに一体何があったんだ?」


 たまらず、カリオンは遠く離れさせたビブリオドールに叫ぶように問いかけました。


 「……あれは、離れた場所で、別々の時に亡くなった二つの彷徨う魂です。それが、どんな因果でか、完全に同調してしまっています。熱で身と心を削るような戦いを望む彼女と、それこそ強者であると褒め讃え、崇拝すら捧げる彼の魂が……。互いに取り憑き、取り込み、ひとつの歪んだ彷徨う魂となってしまったのです。そうあることではありません……」


 ビブリオドールは、一人とも二人とも呼びがたい彼らを見つめ、ひそかに胸を痛めました。

 誰も彼らに、美しく優しい幸せを与えてあげられなかったことに。


 そんな世界で生きられなかった、彼女たち自身に。



  海は雲に 雲は雨に

  旧き世の永劫普遍の理に従い

  黄昏は夜に 夜は暁に

  総ては巡り廻りて回り続ける



 ふいに、悦びに満ちた呪いのことばが聞こえました。



  星は天に 花は野に

  古き世の永久不滅の理に従い

  鳥は空に 魚は海に

  総ては在るべき場所へ還らん

  世を統べる理、それは天啓の星図

  人を受けつけぬ神秘の知識

  抗うこと、全て一切叶わぬもの



 魂だけとなり、自分の欲望により忠実になった彼らのおぞましい狂気の熱を孕んだ、呪詛の歌声でした。



  だからこそ真なる王は彼の者一人

  安息を嗤い、平穏を望まず

  彼の者こそ強者の真なる王

  欠けた王者の冠は、そのこうべにこそ相応しい



 歌が進むごとに彼の体は彼女の内に沈み、生々しい気配が、虚ろだったその身を満たしていきました。



  おお、緋き衣を纏いし死神よ

  姫なる内の荒ぶる獣を開放せよ

  私にその美しい姿を見せてくれ



 ゆっくりと開いた目がまっすぐにカリオンをとらえ、すぐにその口元が緩められました。


 『あら、もしかしてあなたレオ? 昨日のサディといい、懐かしい顔に会うわねえ』


 それはもう、恋い焦がれるように強者との戦いを求め、果てるまで愛するように戦い続けた、久しく聞いていない黒衣の処女の声でした。


 気味悪いと感じていたものは、もうありません。ただ、カリオンは色んなものが哀れだと思いました。


 正しく死ねなかった彼女も、狂熱に走る名も知らぬ男のことも、死を与えるしか彼女に報いることができない自分も、何もかもが。


 「……サディめ。あいつは世界一の愚か者だ。今のお前と対峙した時点で、野盗討伐の依頼なんて気にせず逃げれば良かったんだ。誰がどう見たって、今のお前は野盗どころか、人間ですらないというのに」


 そして、肩をすくめて苦笑しました。


 『ああ、そういえばそんなこと言ってたっけ? あなたは違うの?』

 「違うな。……私は、あの雪の日の約束を果たしに来ただけだ」

 『雪の日の、約束……?』


 彼女は一瞬、きょとんと目を丸くしましたが、すぐに思い出したのか、だんだんとうっそりした微笑みが広がっていきました。


 『ああ、そうよ、レオ。私はあなたと約束したの。私はあなたをずっと待っていたのよレオっ!』


 ジャリッという砂礫がこすれる音と同時に、身の丈を越える大鎌がうなりをあげて宙を引き裂いていきました。かがんでそれをやり過ごしたカリオンは、空の稲光を地上に降ろしたような閃きで、彼女の心臓めがけて剣を突き出しました。


 金属同士がぶつかりあう耳障りな音が高く鳴り渡りました。一瞬、視線が交わった二人でしたが、ひとつも言葉を交わすことなく互いに飛びずさると、二撃、三撃と己の武器を振るいました。


 『アハハッ! あなたの名前を聞かなくなってどれくらい経ったかしら、レオ? 腕が鈍ってなくて嬉しいわぁ! やっぱりあなたは最高よっ!』


 万人には好まれない異色の武器であっても、まさに命を刈り取ろうという死神の手にかかれば、旋律を振るうタクトのようにしなやかに、鋭く。狂喜する彼女の手の中で、大鎌は自在に動き回り、縦横無尽に宙を走っては地面を抉っていきました。


 『あそこで見ているお嬢ちゃんが今の雇い主かしら? ダメよ、レオ。あなたにそんなものは似合わない。私のように、血と煙の中で独り立ってこそでしょ⁉』


 強く地面を蹴った彼女が振り抜いた大鎌を剣で防ぎ、それから二人は何合とその場で打ち合うことになりました。


 『ねえ、分かる? 私がどれだけあなたのことが好きだったか、分かる? 望みも寄る辺も全てが戦場にあったあなたは私と同じ! あなたは私が会った誰よりも強くて綺麗だった! 弱音しか吐けないあのおっさんなんかじゃなくて、弓矢なんて逃げ腰の武器を使うサディでも、二流の槍使いだったあいつでもなく、あなたのそのまっすぐで揺るがない剣で殺されたら、どれほど幸せかしら⁉』


 空中から勢いよく振り下ろされた大鎌の先が地面に深々と突き刺さりました。すかさずカリオンは、回転の遠心力を加えながら剣を彼女の首筋に叩き込もうとしましたが、彼女が腕を上げて我が身を庇うほうが早かったようです。

 噴き出す血にもかまわず、彼女は片手で大鎌を引き抜くと、再びカリオンの胴めがけて振り抜きました。それを剣で受け止め、跳ね上げてカリオンは、


 「でも、そうじゃなかったんだろ?」


 と、言いました。

 とたんに彼女は動きを止め、表情からも愉悦の笑いは飛ぶ鳥よりも速く失せていきました。


 「風の噂で聞いていた。戦場に赴けるのであれば誰にでも雇われるるお前は、明日の敵にもなりうる。それを恐れたある国が、お前を戦場の混乱に乗じて殺した……とな。お前は、お前を雇っていた側の奴らに殺されたんだ」

 『……そうよー』


 甲高く、弾むようにさっきまで話していた人物と同じとは思えないほど暗く、感情を無理に押さえ込んだように重い声でした。


 『べつに、誰が私をどう思おうが、知ったことじゃないのよ。だけどね、たいして面白くもない戦場の前線に放り込まれたら、後ろから何十という矢が飛んで来たのよ。私めがけて射ってきてるんだから、それはもう私の敵ってことじゃない? だから射ってきた奴らを殺しにいくじゃない? そうしたら、逃げるの。逃げながら射かけてくるの。ずっと、ずーーっと……。そんなんで殺されて、死ねるわけないでしょう⁉』


 遠くを見ていた目に怒りと屈辱の火が灯り、玩んでいた大鎌の先が地面に叩き付けられました。遠くを見ていた目に怒りと屈辱の火が灯り、玩んでいた大鎌の先が地面に叩き付けられました。


 『私を誰だと思っているの⁉ 黒衣こくえ処女バルゴよ! 自分の服を赤く、赤く、黒く染め果てるまで戦場に在る女よ⁉ あんなつまらない、くだらない、群れても弱い奴らに、まったく心躍らない殺され方で、私が私の死を許せるはずがないじゃないっ‼』


 思いっきり叫んで少し気が晴れたのか、多少は落ち着きを取り戻したようです。大きく長い息を吐いたあと、自分の肩を大切そうに撫でました。


 『だからね、死にたくないか? もっと戦いたいか? と聞いてくる男の声にのることにしたの。暴力という暴力を踏みつけて、圧倒的な強者になることが条件だったけど、なんてことないわ。だって私自身が求めるものでもあったもの。……だからね、レオ。続けましょう、この至高の暴力的な戦いを‼』


 グッと唇を噛みしめ、カリオンは剣を握る手に力を込め直しました。

 再び火花が散り、鉄が焼ける時の嫌な匂いが漂いました。


 『ああ、楽しいわレオ! そうは思わない⁉』


 斬られた手や足の傷もすぐには塞がらないカリオンに対して、彷徨う魂たる彼女には、疲れすら無縁のものです。


 『やっぱりあなたは最高よ! きっと二度はないのでしょうね。ああ、なんてもったいない! こんなにも、こんなにも楽しいのに、嬉しいのに、幸せなのに‼ 終わりが来るなんて思いたくもないわっ! そうよ、ねえ、レオ、あなたも今ここで死にましょう⁉ そして永遠に戦い続けましょう⁉ この幸福をずっと、世界が終わったとしても、まだ、その先までっっ‼』


 彼女の振るった鎌の切先が、カリオンの背からみぞおちへ抜けて、真っ赤な花が咲きました。


 蕩けるような笑顔でその様を見つめていた彼女ですが、ふと、自分の足に視線を落としました。カリオンの剣が深々と、そこには突き刺さっていました。


 がしっと背中に腕を回されて、彼女はまたカリオンへ目を戻しました。吐息がかかるほどの距離で見たカリオンの顔は珍しく、得意そうでした。


 「つか……まえ……た、ぞ…………バルゴ……」


 音を発するたび口から赤い液体が溢れて、乾いた大地へ染み込んでいきました。


 『だから……どうしたの? この程度の力で私を抑えたつもり?』


 不満そうな彼女に、カリオンはかすかな笑みで答えました。


 「いいん……だよ、これでな……。私以外の……全てを、見失った……お前を…………少しだけ……留められれば、な……」

 『はあ?』


 彼女が大きく顔を歪めたとき、背中に軽い衝撃がありました。



  書架配列零零零番より——開架

  ついの還り 御霊、葬送の詩



 ぶつかってきた何かは、そのまま彼女の腰に手を回して詠い上げました。悲しげに、強く、苦しげに、高らかに。



  凍える讃歌  命の終わりを詠え



 それは、永い時を生きるビブリオドールでもめったに紡がない葬唄おくりうたでした。



  眠れ、哀なるモノよ

  月は霜天に満ち 星は独り哭く



 灼けつくような冷たさで、生者のためのこの世界にしがみつく魂を、力尽くでで封じ込め、崩していく。そんな、詩でした



  夜空の揺り籠にその身を委ね、等しく瞼を閉じよ

  海に沈く雪にも山に落つ葉にも悲しみはない



 『ァ、ア゛ア゛ア゛アァァーーー!』


 まず悲鳴をあげたのは、彼女に取り憑いていた男のほうでした。


 『ャ、ヤメロォ……! ヤメロォォア゛ァーーーーー!』



  生も死もお前を傷つけるものではない



 身を捩り、体を掻きむしりながら、男は苦悶の叫び声とともに彼女の体から姿を見せました。


 『イダイ……! イ゛ダァイ゛ィ……‼』



  全ては等しく神々の御下にて巡るのだから



 彼を連れて行くのは無情のつむじ風。脆い砂像のように消えていく彼を見て、自分もこうなるのだと察した彼女は激昂して叫びました。


 『冗談じゃないわ! こんな訳の分からない死に方、絶対嫌よっ!』



  真なる自由の……



 彼女は大鎌をカリオンの体から引き抜くと、ビブリオドールの胸元を掴んで遠くへ投げ捨てました。


 「きゃあ!」

 「セシェ! がはっ、げほ、げほっ!」


 駆け寄ろうとしたカリオンでしたが、とたんにみぞおちから全身へ鋭い痛みが走り、地面に膝をついてしまいました。口からも、体の真ん中に空いた穴からも、赤い血が流れだして止まりません。


 『あああもうっ! 痛い痛い、なによこれ! ちくしょうがっ!』


 口汚く悪態をつくと、彼女は自分の左手を切り落としました。



  真なる自由の凱歌が聞こえたか



 それでも痛みは消えず、体のあちこちがきしんでいくのも止まらないので、彼女は憎々しげに詩を紡ぎ続けようとするビブリオドールを睨みつけると、残った右手で大鎌を振り上げました。


 『これ、あんたがやってんでしょ⁉ だったらあんたを殺せばなくなるわよねクソガキっ!』

 「っ!」


 ビブリオドールには、自身を守るための力は何一つありませんでした。ビブリオドールに与えられた命の力は、ほとんどが内に秘めたたくさんの葬唄のために使われているからです。

 ビブリオドールが来るはずの衝撃を覚悟したとき、一本のナイフが凍てつきはじめた死神の肩に刺さりました。


 『……レオォ……!』


 人を簡単に射殺してしまえるほど鋭く、苛立った瞳は、今度はカリオンへ向けられました。


 「そいつは戦う術なんて持ってないぞ、バルゴ」


 時折靄がかかったように視界が霞んでいましたが、カリオンは立ち上がる時の支えとしていた己の剣を地面から抜くと、彼女へまっすぐ向けました。彼女の無茶な攻撃を受け続けたせいか、ひびがたくさん入っていました。もうさっきまでのようなぶつかりあいはできないでしょう。


 「お前は戦いを求めていたはずだ。……お前も私も、もはや死に損ないの身、決着をつけよう。バルゴ」

 『……ふっ……ざ、けんじゃないわよ、レオ!』


 離れていても歯ぎしりの音が聞こえるほど強く噛みしめ、それでも収まらず、吠えるように叫んで彼女はカリオンのほうへ突進してきました。


 『たしかに私は戦いを求めていたわよ、あんたに殺されたいと思ってたわよ。でもそれは、今のあんたなんかじゃないってーのよ! なんなのよ、そのザマは! 許さないし認めない! 一人で勝手に死んでなさい、レオッッ!』




 血液と一緒に、出てはいけないものが流れていっている気がする。

 寒気がする。耳鳴りもだ。

 呼吸するだけで、体力が削られていく。

 でも、見える。

 ちゃんと、バルゴの動きは見えている。


 「たしかに、私は変わったかもしれない。お前は私の望みも寄る辺も戦場にあるといったが、それはお前のように悦びな興奮などではなかった。私があると信じていたそれらは、とうの昔に失われていたのだと、ある日知ってしまった」


 片手とは思えないほど力強く、大鎌は振り上げられ、



  琥珀色の光よ  降り臨め



 「生きる気力もなくした私を拾ったのがセシェだ。今の私はビブリオドールの契約者、千八百四十三代目の〈館長〉だ。だから私は、お前が望んだままの、昔の私とは違うだろう。だが……」


 失望と恨みにも似た怒りをぶつけてくる彼女に、カリオンは『不死身の獅子』の顔で答えました。


 「弱くなったつもりはないぞ、バルゴ」


 踊るように軽やかなステップで彼女の視界から消えると、カリオンは雷霆よりも速く、強い一撃を彼女に打ち込みました。



  真白き御手の下へ導きませ——                   



 ビブリオドールの葬唄が最後まで紡がれました。


 カリオンの動きをとらえられず、防ぐこともできず呆然としていた彼女も、ついには首から上を残すだけとなりました。


 『ズルいじゃない、レオ……。あんなのなんて、さ……』

 「約束したからな。……これでよかったか?」


 悔しそうに、でもどこか満足そうな微笑みが、彼女の最期でした。




 彷徨う魂たちは天の園へ葬ることができました。ですが、傷つき過ぎたカリオンの体はそこから一歩も動けなくなりました。


 「館長さん……」


 膝に乗せたカリオンの頭の、紙のように白くなってしまった頬をビブリオドールはゆっくりと撫でました。


 「……そんな顔を、するなセシェ……。急所は外れてるし、止血もした……。少し休めば歩けるようになる……」


 ゴロゴロと嫌な音が、頭上の黒い雲から響いてきました。空は少しも晴れてくれず、やがて滝のような雨を降らせるでしょう。


 「……白の咎人、カリオン・シュラークさん……」

 「……お前に……そう呼ばれるのは、久しぶりだな……」


 ビブリオドールは名を呼んだまま、そのあとを続けようとはしませんでした。ですから、代わりにカリオンが口を開きました。


 「……何年前になるか忘れたが、ひどい雪の日だった」


 ビブリオドールは黙って、カリオンの顔を大切そうに撫でていました。


 「最初は全員で移動していたんだが、途中でいくつかの班に分かれて行軍することになった。二日経ったとき、猛烈な吹雪に見舞われてな、珍しく死を覚悟したほどだった。だけど、バルゴが必要な物資を持ってきてくれた。その時に約束をしたんだ」


 そのときのことを思い出そうと、カリオンは目を閉じました。



*          *          *          *          



 『なぜわざわざ助けに来た?』

 『だって、凍死だの餓死だので、あんたをこのまま死なせるなんてもったいないじゃない』

 『もったいない?』

 『ええ』


 自分が死ぬのを惜しまれるような人間だとは思えなかったが、彼女が来てくれて助かったのは事実だ。だから、お礼も兼ねて言った。


 『何か私にできることがあれば言ってほしい。もちろん、今じゃなくてもいい。いつかどこかで困ったことがあれば言ってくれ。できるだけのことはさせてもらうから』

 『……じゃあ、ひとつお願いを聞いて頂戴よ』

 『もちろん、私にできることなら』

 『あんたにしか頼まないわよ。……私をね、殺してほしいの』

 『は?』

 『理想の死に方について話したの、覚えてる?』

 『ああ、まあ……』

 『私は、私がこれと決めた奴に殺されたいって言ったけど、今んところそう思えるのはあなただけなのよね、レオ。きっと、これから先でもそうだわ』

 『……』

 『だからね、いつかあなたが私を殺して頂戴、レオ』


 プレゼントを欲しがる子どものような無邪気さで、彼女は笑った。

 その人が望むように死ねる人間なんて、きっと少ない。だからそれが彼女の願いなら、叶えてやろうと思った。


 『分かった。いつかその時が来たら——』



*          *          *          



 「『私がお前を殺してやる』と」




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