風車の妖精さんとビブリオドールのお話
からっぽの世界にこだます音色
幽かに、淡く、幻のような
けれどたしかに全ての子は聞いていた
天使と、世界と、そして我が母の
紺碧の海から生まれた全ての子は
豊沃なこの大地で育ち
いつの日か悠久の空へ還るでしょう
大いなる夢とまだ見ぬ明日を求めて
さあ 今はお眠りなさい、愛し子よ
風車の妖精さんとビブリオドールのお話
筋状の雲が切れ切れに、青く高い空に可愛らしさを添えていました。陽射しは暑くとも、冷えて乾いた風がそよいでいて、とても過ごしやすい秋の日です。
遮るものが何もないなだらかな緑の丘陵地帯を、二人の旅人を乗せた馬が一頭、のんびりと歩いていました。
「いい天気だな」
後ろで手綱を操りながら、白い髪の女性が普段は鋭く前を見据える紫色の切れ長の目を、珍しく和らげて天を見上げました。腰に下げた剣が、馬の動きにあわせてカチャカチャと軽い音を立てます。彼女はカリオン・シュラークといい、元は凄腕の傭兵として名を知られていました。
「このあたりは気候も温暖で、葡萄や小麦がよく育つそうですよ」
カリオンの前に座るゴシックドレス姿の少女が、手に持った紙袋を大切そうに撫でて言いました。
「昨日の宿の、ワインやパンのメニューが特に多かったのは、それが理由か」
「おそらくは。……思い出したら、食べたくなってきてしまいますね。奥様が焼いたパンをいくつかいただきましたから、どこかよい場所があれば、そこでお昼としましょう」
「ああ、分かった」
紙袋いっぱいにつまったパンは、宿の主人の奥さんが朝に焼いたものでした。生地にクルミが練り混んであるのか、受け取ってからしばらくは香ばしい匂いが漂っていたものです。また、パンの中には干しぶどうやチーズがトッピングとして使われているものもあり、甘みやわずかな塩気がよいアクセントとなっていて、いくつでも食べていられそうでした。
まだもう少し先の昼食を楽しみに、旅人たちは茶色い小径をポクポク進みます。
この二人は姉妹ではありません。ましてや親子でもありません。この二人は、「ビブリオドール」と「その契約者」でした。
ビブリオドールとはその昔、世界中の全てに忘れられた友だちの神さまによって造られた、一体の人形でした。死んでもなお死にきれず、還るべき天の園への道を見失って彷徨う魂を救うために。また、荒れる精霊たちを鎮めるために。彼らに語り聞かせる祝詞を内に保有・管理しているため、彼女は「|図書館の人形(ビブリオドール)」と名付けられたのです。そしてそれゆえに、ビブリオドールと契約を交わし、時にその身を守り、時にその手助けをする人間を、彼女は「館長」と呼ぶのです。
太陽が中天を少し過ぎた頃、二人はある丘の上で赤煉瓦造りの風車を見つけました。
「いささか古そうだな」
「ええ。ですが、まだまだしっかりと立っていて、朽ちているというほどではありませんね。使われなくなってから、そう何年も経っていないのでしょう」
ちょうどいいからここで昼食でも、などと話しながら近づいていくと、屋根に開いた小さな窓から何かが飛んできました。
殺意も威嚇も警戒もこもっていないそれをたたき落とすことは、百戦錬磨のカリオンにとっては朝飯前です。とはいえこののどかな場所に、そんなものは不釣り合いすぎます。地面に転がったそれを見て、カリオンは少しだけ眉間にしわを寄せました。
「先端が小刀で削られている。人によっては、当たりどころが悪ければケガぐらいはしたかもしれない」
「それはまた、ずいぶんイタズラ好きな妖精さんが住み着いているようですね」
どこから誰が射かけたものかわかりませんが、ビブリオドールもやや厳しい表情です。するとそのとき、甲高い声が降ってきました。姿は見えないままです。
『けーこくする! それいじょうここへちかづくな! ちかづけば、いのちのほしょーはしない!』
勇ましく、また物騒な単語が並べ立てられましたが、その意味を本当に理解しているのでしょうか。それにしては、少したどたどしすぎる気がします。
『わたしはこのふうしゃのもりばんであーる! ここはわれわれのきちなのだー! よそものはたちされーぃ!』
「……なんて言ってるが?」
加工した枝が飛んできた一瞬こそ警戒したものの、すぐにバカバカしくなったカリオンは肩をすくめてビブリオドールをうかがいました。
「このままにしておくわけにもいきませんし、何よりあの矢は少し危険です。きちんと誰かがお灸を据えてあげなければ」
「まあ、そうだな」
二人は声を無視して、すたすたと風車に近づいていきました。とたんに慌てたのは、風車から声だけが聞こえる誰かさんです。
『えっ!? ちょ、まってよ、ダメだって! ダメだっていってるのにー!』
そのあと何を言ってるかは、風車の外にいては分かりませんでした。ですが中に入ると、
『えーっと、えーっと、どうしよう!? と、とりあえず、もういっぽんうってみよう! よいしょ……んー……? あーもーめんどくさーい! もうこれだけなげちゃえ! あれっ、いない!?』
両腕をバタバタ振り回していたかと思うと、弓に矢をつがえようとして失敗し、直接木の枝を投げようと窓から身を乗り出しては、カリオンたちがすでに居ないことに驚いて——
「忙しないやつだな。少しは落ち着いたらどうだ」
『うわあ!?』
突然後ろから声をかけられて、三つ編みを垂らした女の子は乗っていた台の上で体を大きく跳ねさせました。元々つま先立ちで窓から顔をのぞかせていたせいもあって、女の子はバランスを崩してよろめいてしまいました。
「おっと」
そのまま固い石の床へ体を打ちつけるところを、すんでのところでカリオンが腕を伸ばし、その首根っこを掴んで持ち上げましたので、幸いそんな事態は免れました。
「だいじょうぶか?」
『ぁう……だいじょーぶ……』
プラーンと両手足を宙で遊ばせながら、女子はがっくりとうなだれて返事をしました。
無事に両の足で床に下り立てた女の子に、ビブリオドールがそっと声をかけました。女の子の目線に会わせて膝を折ります。動かなければ大きめの本物の人形にも見えるビブリオドールよりもさらに、女の子は背が低かったのです。
「こんにちは。はじめまして、わたしはビブリオドール。貴女は?」
『わたしはこのふうしゃのもりばんよっ。ここはわたしとともだちだけのヒミツのばしょなんだから、おとなははいっちゃダメなのっ! ぜったい、ぜったいダメなのーっ!』
ぷっくーと頬を膨らませた女の子に、ビブリオドールは少しだけ眉を下げて答えました。
「ああ、そういうことだったのですね。それは悪いことをしてしまいました」
素直に謝られるとは思っていなかったのか、女の子はそれ以上文句を言うことはせず、気まずそうに手を握ったり開いたりしながらポソッと呟きました。
『で、でも、どうしてもっていうなら、おねーちゃんは、いれてあげても……いいよ』
「おねーちゃんは」というところを強調したように聞こえたので、ビブリオドールが首をかしげてみせると、女の子はカリオンを見ながら
『おばちゃんはダメだけど』
と言いました。
一瞬の空白があった後、
「…………お姉さん、だ。私はまだそんな年ではない」
『ふぁい』
むぎゅっと片手でカリオンに両頬を掴まれ、タコのようになった口からは明瞭な返事はもらえませんでしたが、どうやら了解したようですので、すぐに離してあげました。
「貴女が年や呼ばれ方を気にするとは、思いませんでした」
「……べつに。なんとなく癇にさわっただけだ」
たしかに、カリオンは年齢を意識したことは特にありませんでしたし、人からなんと呼ばれようとも気にかける必要はないと考えていました。それでも一瞬体と思考が硬直したのですから、これはもはや人の本能にまで染み付いている違和感なのでしょうか。
「まあ、それはともかくとして、です」
掴まれた頬をぐにぐにと撫でている女の子に、ビブリオドールはにっこりと笑ってさらに近づきました。つられて笑顔になった女の子の頬を、今度は左右に引っ張ります。
ファだかヒャだか、字をあてるのも難しい音が中途半端に開いた女の子の口から漏れ出て、目を白黒させながらビブリオドールを見上げています。
「この風車に入れていただくことができたのは嬉しいのですが、あの矢はいただけません。もしもあれが誰かの目にでも当たったりしたどうするんですか? 目が見えなくなってしまうかもしれないんですよ?」
『でむぉ、ほうやってひらないひほは……』
「でも、ではありません。秘密結社を気取って、知らない人を追い返そうという気持ちは分からなくもないですが、人に向かって何かを投げるというのはとても危ないことなんですよ。こんないけないことをした子には、お仕置きをしなくてはいけませんね」
『へ……おひおき……?』
女の子の目にわずかな不安と怯えがよぎり、
「お尻百たたきの刑です」
『ごめんなさい』
土下座する勢いで、女の子は頭を下げました。驚きの早さ……いえ、速さでした。もっとごねるかと思っていたカリオンは、意外そうに目を瞬かせました。
「なんだ、ずいぶん素直じゃないか」
『だって……おかあさんの、すっごくいたいんだもん……』
女の子は目線をさまよわせながら、自分のお尻を両手で撫でました。
(とっくに経験済みというわけか)
笑ったらいいのか呆れたらいいのか、どっちつかずの曖昧で微妙な表情になってしまったカリオンですが、一方の女の子はビブリオドールと真剣な顔でゆびきりをしていました。
「もう二度とこんな危ないことはしませんね?」
『しません』
「約束ですよ?」
『やくそくする』
(どんだけ痛かったんだ。その母親の百叩きは)
あまりに真剣なものですから、つい愉快に思えて、カリオンはふっと小さく笑みをこぼしました。
女の子には不思議そうな顔で見られましたが、ビブリオドールは素知らぬ顔で、馬上でも大事に抱えていた紙袋を取り出しました。
「もうしないと約束してくれるなら、それでいいのです。さて、それではご一緒にお昼でもいかがですか? 食事は大勢の方が美味しいですからね」
つやつやと輝く美味しそうなパンに、女の子は久しく覚えがなかったであろう食欲が刺激されたようです。
『……うんっ、たべるー!』
そして昼食が終わる頃には、女の子はすっかりビブリオドールともカリオンとも打ち解けていました。元々、あまり人見知りをしない子なのでしょう。
『ごちそーさまでしたっ。ねえねえ、おねーちゃん! まだじかんある? あるよね?』
「ええ、大丈夫ですよ。どうかしましたか?」
ビブリオドールがそう答えると、女の子はパッと顔を輝かせて、座っていた小さな木の椅子から飛び降りてビブリオドールの手を握りました。
『やったあ! ね、いっしょにあそぼっ! ひとりであそんでても、つまんないんだもん!』
「もちろん、かまいませんよ。急ぐ旅路でもありませんから」
『わーい! ほら、じゃあはやくいこっ! おばちゃ……おねーさんも!』
カリオンの背後に、一抹の怒気という名の炎を見た女の子は、しらっと言い直して二人の手をひきました。
外はまだ明るく、太陽も高いままでした。
「それで、何をして遊びますか?」
『んーっとね!』
鬼ごっこ。
かくれんぼ。
ボール遊び。
その他にも色々。
有り余る元気を今日で全て発散するように、女の子は夢中で遊びました。
主に遊び相手になっていたのはカリオンでしたが、あるタイミングでカリオンは微笑ましく見守るビブリオドールの傍に腰を落として言いました。
「少し交代してくれ」
「疲れたのですか? 少し意外です」
「いや、疲れたというか……」
カリオンは今でも体を鍛えることを怠っていませんから、体力だって現役時代からそう衰えていないはずです。それが子どもと遊んだだけで、疲れて交代してくれというものでしょうか。
ビブリオドールがそう不思議がっていると、カリオンは色々不本意だとでも言いたげな顔でもらしました。
「首と腰が痛いんだ……。小さすぎる」
カリオンの腰ほどまでしかないビブリオドールの、さらに一回りも小さいのですから、あの女の子に気を使って動くのは、言われてみればたしかに大変かもしれません。
それを聞いて思わずこぼれたビブリオドールの朗らかな笑い声も、カリオンのため息も、二人を呼ぶ女の子の元気な声も、全て秋の青空に吸い込まれて、どこまでもどこまでも高く昇っていったのでした。
遊びに遊んで、時はすっかり夕暮れとなっていました。今、女の子はカリオンに肩車をしてもらって、とってもご機嫌でした。
『あー、すっごくたのしかった! こんなにあそんだのひさしぶりー! ありがとっ、おねーちゃんたち!』
その笑顔は、まるで今日の空に燦々と輝いていた太陽のようで、これだけ喜んでもらえたなら大人冥利に尽きるというものです。
鼻歌混じりに足をプラプラさせている女の子に、ビブリオドールが優しく、本当に優しく、禁断の一言をかけました。
「そろそろ、かえりませんか?」
ピタッと女の子の動きが止まりました。
さぁ……っとどこからかやってきた風が、髪を、服を、草を、花を、雲を、目に映る世界の全てを揺らして、またどこかへと去っていきました。
『……かえらない』
「ですが、だいぶ日も傾いてきました。すぐに暗くなってしまうでしょう。良い子はもうかえる時間ですよ」
『やだ! かえらない! まだあそぶのっ!』
「ぅぐ」
女の子はぎゅっとカリオンの頭にしがみついて首を振りました。図らずも首を絞められることになってしまったカリオンの喉からは、思わず苦しげな音が漏れました。
『やだやだやだやだっ! ぜったいかえらないっ! まだぜんぜんあそんでないもんーっ!』
ぐずり始めた女の子の小さな背を、心ばかりの慰めにと、カリオンは軽く叩いてやりました。そして困ったようにビブリオドールを見るのです。
ビブリオドールも、ふうと短いため息をつくと、少し眉を八の字にしつつも立ち上がって女の子の頭を撫でました。
「しょうがない子ですね。あと少しだけですよ? この時期になるともう、夜はグッと冷え込みますから、風邪をひいてしまいます」
『……ほんと?』
少し固めの生地でできたワンピースの袖で涙を拭ったせいで、女の子の目元はうっすらと赤くなっていました。女の子の顔を両手で挟み込み、愛おしそうに撫でながらビブリオドールは笑顔で頷きました。
「もちろんですよ。ですが、少し休憩にしましょう。たくさん動いたので、少し疲れてしまいました」
『うん、わかった』
そのとき、ひんやりとした秋の夜の空気が女の子の首筋を撫でました。女の子はその冷たさに思わず身震いしましたが、ここで寒いと言ってしまっては、「では、やはり帰りましょう」と言われてしまいそうで、黙っていました。
ところが女の子のと体が密着しているカリオンには、彼女の体が一瞬縮こまったことに、しっかりと気がついていました。それを言わない理由も察したカリオンは、女の子とビブリオドールの二人に向かってひとつ提案をしました。
「……たしかに冷えてきたな。お前たちで暖をとらせてくれないか?」
実際には、ビブリオドールは体温を持たぬ人形でしたし、女の子ももはや温かい血が通う人の身ではありませんから、本当の意味では暖はとれないでしょう。けれども心は、魂だけの存在となってもたしかにある心は、じんわりとした温かさを感じるのです。
カリオンの膝の上にビブリオドール、そのさらに膝に女の子が座り、姿はまるで似ていませんが、どこか北国の入れ子人形を思い出させました。
「さて、それでは何をしましょうか。貴女は体を動かして遊ぶことの他に、何か好きなことや好きなものはありますか?」
『ほかに、すきなもの……』
まだ、吐く息が白くなるほどの寒さではありません。なんとなしに女の子が空を見上げると、太陽はさらに地平線に近づいており、一番星がキラキラと輝き出していました。
『えほんがすきだなあ。きれいなおひめさまがでてくるようなおはなし』
「ほう、意外だな」
お転婆な年の頃の子どもらしく、捨てられた風車を遊び場としていた女の子のまた違った一面を知って、カリオンは軽く目を見張りました。
『むぅ〜、みんなそういうよね! そんなにへん?』
唇を尖らせた女の子を宥めるように、ビブリオドールは女の子の頭をよしよしと撫でました。
「まさか。とても素敵なことですよ。では……そうですね。ひとつ、私もおとぎばなしを語ることにしましょう」
昔々というほども遠くなく、昨日というほどにも近くなく、あるところに、そ
れはそれは美しいお姫さまがおりました。
お姫さまは季節の花々が咲き誇るお城で、優しい王様とお妃様、たくさんの兵
士やお世話係の人たちと、幸せに暮らしていました。
美しいお姫さまのもとには、たくさんの人から贈り物や求婚のお手紙などが届
きました。優しいお姫さまは、その心のこもったプレゼントたちを、大切に部屋
に飾っていました。
ある日、お姫さまのところに非常に珍しいという花が届きました。
七日七晩月の光の下で、清らかな乙女が手ずから甘く澄む泉の水を注ぎ続けて
やることで、咲く花なのだとか。その芳醇な香りはどんな果実や花よりも芳しく、
その蜜は砂糖や蜂蜜よりもずっと濃く甘いのだそうです。
遠い異国の地から、お姫さまのために特別に取り寄せたのだと、黒いローブを
かぶった老婆は言いました。
「蜜はちょうど一人分しかございません。ぜひとも、お姫さまに味わっていた
だきとうございます」
甘いものが大好きなお姫さまは、そんなに素晴らしいものを一人で楽しむこと
に躊躇いもありましたが、老婆が熱心に勧めるので、どうしてもそれを味わって
みたくなりました。なので、お姫さまは誰にも内緒でこっそりと蜜を飲むことに
決めました。
待ちに待った七日目の夜。銀色の雫が降るような月の光に照らされて、そっと
蕾が開いていくのを、お姫さまはドキドキと胸を高鳴らせて見守っていました。
愛を運ぶ天使の頬のような、淡く繊細なピンクの花に見蕩れて、お姫さまはた
め息をこぼしました。そして豊かな香りを楽しんだあと、いよいよ花を摘んで
ちゅっと口をつけました。
金色に輝く蜜がお姫さまの白く細いのどを通り過ぎて——
ぽたり。
お姫さまの手から花が零れ落ちました。ひらり、ひらり、と白いベットに音も
なく倒れたお姫さまを彩るように散って。
それからお城は大騒ぎになりました。お姫さまが眠ったまま目を覚まさないの
です。王様やお妃様が呼びかけても、どんな医者や魔法使いに見せても、どうし
てだかお姫さまは目を覚ましてくれなかったのです。
悲しみにくれる王様たちの前に、黒いローブをかぶった魔女がやってきて言い
ました。
「ヒーッヒッヒ! 無駄じゃ、無駄じゃ! 誰であっても、どんな魔法であっ
ても、姫の目を覚まさせることはできぬ! 真実に姫を愛することができる者で
はなければのう! 欲深く、浅はかな者には到底かなわぬことよ! 諦めろ、諦
めろ! ヒィーッヒッヒッヒ!」
醜い老婆は、お姫さまの美しさをねたんでいたのです。
王様は国中におふれを出して、お姫さまを目覚めさせることができる人を探し
ましたが、誰にもできませんでした。
王様はよい魔法使いに頼んで、お姫さまを氷の棺に入れて城の奥に横たえさせ
ました。たとえ何十年、何百年先であろうとも、いつか魔女の言っていた真実に
お姫さまを愛することができる者が現れるまで、お姫さまを守ってくれるように。
よい魔法使いは、お姫さまが寂しくないように棺の中には花を植え、歌い続け
る妖精を棺の側に置きました。
こうして今でも、氷の棺の中でお姫さまは、自分を目覚めさせてくれる運命の
人を待っているのです。
『……え、おしまい?』
「ええ、そうですよ」
『え、おうじさまは?』
女の子はぽかんとビブリオドールを見上げました。続きをもったいぶっているわけでもないと分かり、女の子は思いっきり頬を膨らませると、足をバタバタと暴れさせました。
『そこはふつーおうじさまが、おひめさまをたすけにきてくれるんじゃないのー!?』
「そうですね。わたしがお会いしたときには、まだ氷の棺の中で眠りについていらっしゃいました。わたしも姫の目を覚ましてあげることができませんでしたが、あれからもうずいぶん経ちます。もしかしたら今頃は、運命の人と幸せに暮らしているかもしれませんね」
『? なんで? どういうこと? おはなしのなかのことなんだよね? あったことあるの?』
「はい。もう何年も前のことになりますが」
『うっそだー! おはなしのなかのことがほんとうにあるわけないじゃーん!』
「はたしてそうでしょうか」
女の子は体を反らしてビブリオドールを見上げて首を振りました。すっぽりとビブリオドールの腕の中に収まっていましたが、まるで嫌がるように全身を引っ張り伸ばしていました。そんな女の子を宥めながら、ビブリオドールは続けました。
「人の言葉を話す鏡も、かぼちゃの馬車も、人魚のお姫さまも、この世界のどこかにいるかもしれませんよ? 捜しにいけば、きっといつか会えるでしょう」
『いーなーいーよー! あれはおはなしのなかだけでしょ? だまされないもーん!』
「おやおや。でも貴女は、自分の目で確かめたわけではないのでは? わたしは、鏡ではありませんが、人の言葉を話す竪琴にも、人魚にも会ったことがありますよ」
『え、ほんとっ!? にんぎょにあったことあるの!?』
女の子はパッと顔を輝かせて、すぐにはっと我に返ると首を振ってウソだウソだと言い聞かせていました。きっと、人魚がでてくるおとぎ話が一番好きなのでしょう。
「嘘ではありませんよ。貴女の知らないお話も、貴女の知らない遊びも、この世界にはまだまだたくさんあります」
ビブリオドールは女の子を自分と向かい合うように抱え直すと、こつんと額をあてました。
「貴女は、まだ遊びたいですか? もっといろんなお話を読みたいですか?」
『……うん』
「では、もうかえらなくては。ゆっくり眠って、そして目が覚めたら、またどこにでも、たくさん遊びに行けますよ」
『…………うん』
女の子の手が、ぎゅっとビブリオドールの服を握りしめました。女の子も分かっているのです。すでに魂だけの存在となった女の子が帰るべき場所は、家族のいる家ではなく、全ての生きとし生けるものが等しく還る故郷・天の園ローゼノーラです。
漠然とした恐怖や不安を抱える魂たちを安らかに、穏やかに、
書架配列三〇七番より——開架
風車の妖精さんに紡ぐ子守の詩
詠い上げるは、
さあ、お眠りなさい 世界の縁結ぶ愛しき子よ
貴女の夢を見守り、わたしはいつまでも
天使の羽にくるまれれば 絶望の庭も遠ざかる
ゆりかごの中は心地良く、誰も貴女を傷つけはしないのです
だからおやすみなさい
母の祈りと愛は 貴女の眠りを祝福します
願わくば、
貴女の次なる目覚めにも光があらんことを……
うとうとと微睡み始めた女の子の体がすぅっと透けていきます。このまま眠ってしまえば、思い煩うことなく天の園へ還ることができるでしょう。
『……おねーちゃん』
「はい、なんですか?」
『……また、あそんでくれる……?』
縋るような目は、ただ寂しくて。だからこそ、ビブリオドールは笑顔で女の子をぎゅうっと抱きしめました。
「もちろんです。また会ったら、必ず一緒に遊びましょう」
『……やくそくだよ…………?』
「ええ、約束です」
『まもらなかったら……おしりひゃくたたきだからね……』
「それは困りました。必ず守りましょう」
『……ぜったい……なんだから…………ぜったい……』
落ちかける瞼をがんばって開けながら、女の子は何度も「絶対」と「約束」を繰り返しました。子どもにとって一年のときは長くとも、一日のときは短いものです。
やりたいことは多くて、でもやれる時間は少なくて。やりたいこともやっていたことも、時間があけば変わってしまいそうで、忘れて忘れられてしまいそうで。
そんな不安と戦う姿が、いじらしくてかわいい。ビブリオドールはそっと女の子の耳元に口をよせて言いました。
「大丈夫、分かっています。わたしは貴女と約束しました。もう一度一緒に遊ぶと。ええ、またいつか、この世界があるかぎり、どこかで会えるでしょう。今度はわたしから声をかけますから、待っていてください。……それでは、おやすみなさい」
『……ぅん……おやすみ…………』
今度こそ女の子の目は優しく閉じられ、穏やかな寝息を立てながらビブリオドールの腕の中から旅立っていきました。
そうして二人は、童心にかえったような気持ちで使われなくなった風車の中で眠り、夜明けとともに次なる物語を求めて歩き出したのでした。
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