月よ星よの娘と館長さんのお話
夜色の
至高の宝石たちは人の手によって繋がれ
限り無き
あまねくこの世を飾るだろう
その輝きで人に道行きを指し示せ
奏でよ 数多の光
自らを知る為の、大いなる
とある街道の脇に、小さくも素朴で優しい雰囲気の宿屋が一件ありました。今夜はそこに一組のお客様が泊まっていました。お客様は神様です、が信条の宿屋の主人でしたが、今日ばかりはその素性を邪推せずにはいられませんでした。
やってきたのは白い髪で背の高い硬派な雰囲気の女性と、長い蜂蜜色の髪を揺らした超絶美少女でした。……いったいどんなご関係で? 親子? 師弟? 誘拐?
「二人部屋を一つ頼む」
ですが疲れた様子の女性を見ると、まさかそんなことは聞けません。
「はいはい。それではこちらのお部屋をどうぞ。天窓がついておりますので、星がよく見えますよ」
どんな相手でも笑顔でおもてなしができてこそプロというもの。主人はささっと用意をして、不思議な組み合わせの二人を部屋へ通したのでした。
月が中天にさしかかるほどの真夜中です。
簡素でも温かなベットに横になって眠る白い髪の女性は、カリオン・シュラークと言いました。元凄腕の傭兵です。隣のベットで健やかな寝息を立てているのは、名をセシェというビブリオドールでした。その名の通り、ビブリオドールは人間ではありません。
世界中の縁を司るが故に、世界中の全てのものに忘れられた友だちの神さま。彼の者が、世界中の彷徨う魂を救い、荒れる精霊たちを鎮めるために創りあげた人形こそが、ビブリオドールなのです。カリオンとビブリオドールはその不思議な縁で出会い、今こうして共に世界を旅しているのです。
さて、ビブリオドールと共に過ごすうち、カリオンは不思議な夢を見るようになりました。自分が図書館にいる夢です。
図書館など、カリオンは生まれてこのかた一度たりとも訪れたことはありません。ただ知識として、『書物がたくさんある場所』だと知っているぐらいです。
(ビブリオドールの名の由来は図書館からきている。それは、彷徨う魂を還るべき場所へ導き、荒れる精霊を鎮めるための祝詞をビブリオドールがその身の内に保管・管理し、対象に提供するのが、世の図書館の役目と似ているからだという)
その〈図書館〉の〈館長〉に任じられたがゆえに、そうした不思議な夢も見るのでしょうか。
(まあ……悪いものでもないか)
夢の図書館は、見るごとにその姿を変えていきました。
教会や宮殿のように豪奢な図書館のときもありました。
横歩きでぎりぎり人が一人歩けるぐらいの幅で、書架がひたすら並んでいるだけの図書館のときもありました。
学校の図書館のように、広々として自習できるように机や椅子が並んでいるときもありました。
カリオンは本を読むのが得意ではありませんでしたから、この夢を見るときは大体ぶらぶらと歩きまわっていました。本の虫が聞けば、さぞ羨んで惜しんだことでしょう。たまには目についた本を手にとって、パラパラとページを繰るときもあるけれど、その内容は当然というか残念ながらというか、起きたときにはよく覚えていませんでした。
そこではカリオンは基本的に一人でした。常に一緒にいるビブリオドールも、夢の中では姿を見せません。
ただ、本当に時々、カリオン以外の誰かがいるときもあります。小さな光だったり、顔だけのモノだったり、二足歩行する毛むくじゃらの塊だったり。誰も彼も、カリオンに危害を加えようとはしません。そもそも、カリオンに気づいているかも怪しいのです。だからカリオンも、気にせず図書館の中を歩き回っていました。
そして今日もまた、やってきたのは高い塔の内部に設えられた図書館でした。天井の窓から差し込む柔らかい光が、吹き抜けを通って入り口に立つカリオンのもとまで届いていました。
一階から二階へ、二階から三階へ。そして四階へ。ゆっくりと階段を上り、壁にはめ込まれた本棚に並ぶ背表紙を目でなぞっていきます。
辿り着いた屋上は庭園になっていました。数々の植物が花を咲かせ、芳しい香りが鼻腔をくすぐりました。
そのとき、木の陰に十ぐらいの小さな女の子の姿が見えました。こちらをじっと見つめていたかと思うと、さっと身を翻してどこかへ駆けて行きました。それがまるで、カリオンをどこかへ誘っているように思えて、カリオンはそっと女の子のあとを追いかけました。
やがて追いついたとき、女の子はカリオンの手を取って、屋上庭園の奥に佇んでいた扉を指差しました。その先に何があるか、カリオンは当然知りません。ここは塔の最上階でしたから、普通に考えればそこを開けても空があるだけでしょう。
ですが疑いもなく、カリオンは扉を押しました。ただ、図書館の外に出るのは初めてだな、などと考えながら。
* * *
その先は、草原でした。
無窮の青空と豊かに萌え出る草花がまぶしいほどです。
温かな風が吹けば、ざあっと音を立てて波打っていました。
「すごいでしょ? わたしのだいすきなばしょのひとつなんだよ!」
そう言って女の子は草原を思いっきり駆け回りました。つまずいてそのまま転がって行っても、楽しそうに笑っています。
「よくね、みんなでここにきたんだよ! こういうところでごはんをたべると、いっぱいいっぱいげんきをもらったようなきがして、とってもきもちがいいんだよ!」
残念ながら手元に食べ物は持っていないので、代わりと言ってはなんだが女の子のサラサラの黒髪を撫でておきました。
そういえばカリオンの故郷も、ここのような広く鮮やかな草原の中にある街でした。
* * *
「つぎはこっちだよ! ねえ、いこう!」
女の子に手を引かれ、気が付けばカリオンは、赤茶色の巨岩がそびえる谷にいました。灼熱を集めて固めたような岩の色とは対照的に、見上げた谷の隙間から見える空は黒く澄んだ夜の色でした。
今更ながら、これが夢であったと実感します。たとえ肌に触れる空気が、重く熱い暑気を含んでいて、汗が噴き出たとしても。
現実と相違ない不快さに顔をしかめるばかりです。夜のはずなのに、こうも暑いとは、いったい現実の世界だとどこになるのでしょうか。
「ここはねえ。ひみつのぬけみち、なんだよ! まえにとおったことがあるんだ!」
手を繋いで、二人はこの谷を進んでいきます。女の子は、握ってないほうの手をプラプらと揺らしていました。
場所によってさまざまですが、ひどいところでは人が一人通るのがやっとというぐらいの細い道です。馬での侵入はほぼ不可能と言っていいでしょう。谷の上も狭く、盗賊などに上から奇襲されることもありません。確かに、この暑さと左右からの圧迫感に耐えさえすれば、よい抜け道となるでしょう。
「とってもねえ、つかれてたよ。いつまであるくんだろうっておもったよ。でもね、しにたくなかったからね、がんばったんだよ。えらいでしょ?」
そう言って見上げてくる女の子の顔は、緊張も恐怖も疲労も、全てを押さえつけた笑顔でした。
さっきは可愛らしくて、思わず女の子の頭を撫でていたものですが、今度は慈しみと慰めを込めてゆっくりと撫でました。
* * *
気が付けば、雪原の夜でした。
先ほどとは違って、鋭い冷気が遠慮なく体を刺してきます。あっという間に体の芯まで凍えてしまいましたが、それでも夜空にたゆたう光の帯から目を離すことはありませんでした。
「おーろらっていうんだよ! きれいでしょ? あんないろのきれいなかーてんがほしくて、おかあさんにたのんだこともあるんだよ!」
遠い北方の国で稀に見ることができるというオーロラ。
その名は夜をはらう暁の女神からとられたと言います。足音さえも奪う深い雪に閉ざされた真っ暗な夜の、せめてもの慰みとして女神が人間に与えた光。なんと慈悲深き神もいたもうたことか!
そう思うのも、悪くはないのかもしれません。
* * *
次に訪れたのは、エメラルドグリーンに輝く海でした。
「すっごいきれいでしょ! これね、わたしがはじめてみたうみなの! すっごく、すっごくかんどうしたの! こんなにすばらしいものがあるなんて、しらなかった!」
カリオンも、生まれて初めて海を見たときは同じことを思ったものです。ですが、すぐに戦いへ赴く準備に入ってしまったので、あまりじっくりと見ることはできませんでしたが。
その後も何度か海へ行く機会はありましたが、海を美しいと思ったことは、そうありません。
「あははははっ! つめたーい! きれーい!」
気がつけば、女の子は浅瀬でパシャパシャと足で水を蹴り上げて遊んでいました。
――陸から眺めるよりも、舟で進むよりも、海は潜ったほうがより一層きれいなのよ。
そう言ったのは、誰だったでしょうか。
もし次に行くことがあったら思いきって潜ってみようか、そんなことを頭の片隅で思いました。
* * *
虫の声すらしない、風も息をひそめているような静寂。
「これぐらいおほしさまがあったら、なんかさびしくないね」
女の子の言葉に小さくうなずきました。
地面に寝転がって、視界いっぱいに広がる星空を静かに見つめました。
ずっと見つめていました。
* * *
目を閉じて、開いたら、また別の場所だった。
「ここが始まりの場所よ」
彼女の言葉に、私は黙ってうなずいた。
知らない、でも知っている。
矛盾しているのは承知の上だが、そもそもこれは夢なのだ。理由がなくても、許されるだろう。
「昔、私が生まれ、育ち、暮らしていた北の町が戦争で焼けてしまったの。逃げて逃げて逃げて私は、家族とも友人とも離れ、気が付けばここに一人でいた……。白い大きな満月に照らされて、青い花が咲き誇っていたわ。私は、死んでしまったのかしら。あまりに幻想的で、一瞬そんなことを考えたわ」
さくさくと、青く輝く花畑を彼女は進んでいった。
「でもね、ふと気が付いたらこの青い絨毯に妙な黒い空間があったの。落とし穴かしらと思いながら恐る恐る近づいたら、なんと人だったわ。傷だらけで、血を流した兵士」
私は、彼女の背を追いながら、その言葉を静かに聞いていた。
「彼は私の故郷の兵士だったかしら。敵の兵士だったかしら。その時の私には分からなかったし、今となってはもういいの。私はただ、この幻想的で不気味なところに一人でいるのがただ怖くて、着ていた服を割いて包帯にして、彼の手当てをしたわ。体が冷え切っていたから、こすって温めてあげた。三日後ぐらいに彼は目を覚ましてくれたの」
青い地面と白い空を繋ぐように、その狭間をなめらかな霧が埋めていく。
「そして私たちは共に海を渡り、谷を越え、とある草原の町でこの先もずっと一緒に生きようと誓い合った」
ピタリと歩みを止めた彼女は、ゆっくりと振り返った。
「私たちはきっと、出会うべくして出会ったの。そう思えたほどの出会いだったわ」
微笑み佇むその姿は、決して忘れはしない。
「私たちの上には常に星が輝いていた。輝く昼の太陽ではなかったけれど、とても心地いいものだったわ。幼い頃、両親に甘えて、大切にしてもらったこと。あの人と寄り添い生きていたこと。あなたとあの子を授かり、短い間だったけれど一緒に過ごしたこと……。全て、私の宝物。星が私にもたらしてくれたものなのよ」
幼い頃、死に別れた私の母——
「私たちはあなたとあの子のことを、世界の誰よりも愛してる。これまでも、これからも、ずっと……」
目が覚めました。
空が濃い闇色から、紫、群青と色を変え始めています。夜明けが近いのでしょう。
「……分からないな」
ベットから身を起して、カリオンはつぶやきました。
「あの男はあなたの運命の人だったと?」
「あの男はあなたに優しかったのか?」
「あなたはあの男を愛していたかもしれないけど、あの男はどうだったか知ってるのか?」
「あんな男のどこが良かったんだ?」
繰り返される自問自答。ですが、誰も答えてはくれません。
「……分からないな、母さん。私はあの男が、父親でよかったと思えない。あなたが愛せるほどのものを、あの男が持っているとは思えないんだ」
六歳で母と死に別れたカリオンは、その後厳格な元兵士の父親のもとで、剣を振るって育ちました。弟も一緒にです。
母が死ぬまではともかく、母が死んでからは、一度たりとも普通の家族であった記憶はありません。家事は雇いの家政婦がしてくれましたので、カリオンはただひたすら、父に押し付けられるがままに剣で生き抜く術を学んできました。褒めてくれたことも、頭を撫でてくれたことも、何か我が儘を聞いてくれたことも、ありませんでした。
父が死んだとき、カリオンは泣きも笑いもしませんでした。ただ、父から解放されたのだという安堵があっただけです。
「なぜ……そんなことを言うんだ。母さん…………」
カリオンは、母を母として愛せても、父を父だとは認めることすらしたくありませんでした。父とて、自分を父としてみてもらおうとは思っていなかっただろうとすら、言えるのです。
「なぜ……」
以前、正真正銘人の身でありながら、死んだ人の想いを見ることができる少女と会ったことがありました。そのとき彼女は、カリオンにそっと囁いたのです。
『あなたの後ろにお父さんの魂が見えます。あなたがどう成長するのか心配しているみたいですよ』
と……。
「なぜみんな、そんなことを言うんだ……」
まるで、父が『父親』としてありたがっているようではありませんか。
カリオンは結局悶々とした悩みを抱えながら、目を覚ましたビブリオドールとともにまた世界を巡る旅に戻ったのでした。
星空の真実は、昼間は隠れて見えないのですから。
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