第2話 異次元門
暗闇を抜けた先に待ち受けていたのは、またも暗闇、もとい、夜だった。地面に横たわっていたテルンが得た感触は、砂利、小石、植物などで、少なくとも街の建物の屋上であったり、石畳の道ではなかった。空は見えない。周りに生えている木はとても大きく、星を見ようとするテルンの視界を覆い隠していた。
身体の固まり方から、先ほどまで、それも長時間気を失っていたことは明白だった。その間に何か起こっていないかと、テルンは起き上がり、仲間の姿を見て、全員の無事を確認。気を失っているところを無理やり起こし、野営の準備に取り掛かった。
「おそらく、ここは亜人界だろう。どの山なのかは俺にも分からないがな」
手慣れたもので、野営の準備はすぐに終わった。焚火を囲み、脱出の際何とか確保した保存食を各々口に運び始めたところで、フェガがそう報告した。
「それにしても、この子が『
リオが少女の頭を撫でながら、誰に向けるでもなく問いを投げる。
「それがわからないんだよ。本人にもわからないみたいでさ」
「テルンがリオ姉たちを探しにスラムに入った時に出会ったみたい」
テルンが疑問に答え、メロンが補足する。
「じゃああれだ。俺たちで名前を考えてやろうぜ。いつまでも『この子』とかじゃ可哀想だろ?」
あの事態の中で守り切った酒を大事そうに飲みつつ、グリーは提案した。
「そうだな……お前がそれでいいなら、俺は構わない」
「私も同じ意見です」
「私も!」
「いいんじゃないか?」
「楽しそうね!」
テルン達から注目され、少し照れながらではあったが、少女は大きく頷いた。
「そうだな……どんなのがいいかな……」
「かわいいのがいいよ!」
「上品な名前にしませんか?歴代の妖精女帝からいただくのが良いかと思います!例えば——」
「勇敢な女戦士の名はどうだ?昔犬人族の中で内輪揉めがあってだな——」
それぞれが良いと思う名前を、次々と上げていくが。
「どれもこれもしっくりこないよなぁ。ほかにもなんかないか?」
「グリー。あんたも文句ばっか言ってないでなんか考えなよ」
「俺?そうだな……リンゴとかミカンとか……じょ、冗談だって」
メロンから連想したであろう果物の名前の羅列に、皆が非難の視線を送っていた。
「じゃあ……『テディ』はどうだ?悪くないだろ?」
グリーが出した答えを吟味するために、少しの間、皆で頭を悩ませる。
「ああ、いいんじゃないか?」
「グリーにしては良さげだね」
「一言多いぞ」
「ねえ、どうかな?気に入ってくれたかな?」
少女はグリーの考えた名前を小さく呟くと、顔を綻ばせ、元気よく笑った。
「そういえば、まだちゃんと自己紹介してなかったよな?ここらできちんと挨拶しておかないか?」
「うん。そうしよっか。じゃあまずは私ね!えーと、メロンです!お母さんは人間で、お父さんは猫人族の亜人。つまり、
「私はプシノ・マーガレットと申します。訳あって、皆さんと一緒に行動させて頂いています。話すと長くなるので、またの機会とさせてください」
「俺はフェガ。亜人だ。犬人族だったが……まあよろしくな」
少々子供が怖がりそうな顔立ちに、ダークブラウンの短髪。亜人には本来、服を着るという習慣はない。局部を隠すのみ、ということが多いのだが、フェガはつい最近まで人間の中で生活していた。郷に入ればなんんとやらで服を着ることにしたのだが、フェガの背丈にあう服はなかなか見つからず、結局はテルンが市場で買った生地をメロンが裁縫して作った、素朴な服を身に着けていた。
「私の名前はリオ・ヘルメ。特技は……狙撃かな」
狙撃?とテディが不思議そうな顔をしたので、リオは足元に置いていた細長い荷物の紐を解いた。
「王立軍が持っているのを見たことがないかな?」
リオが荷物を包んでいた布を開くと、中からは黒光りする金属の塊が現れた。
「武装魔道具、これはその内の一つ、『
人間が妖精や亜人たちと戦うために作り出した新たな兵器。それが
そもそも
しかし、数十年前。
代表的なものとして、灯りが挙げられる。今までは蝋燭や暖炉の火のみで夜を過ごしてきたが、
そして、リオの持つ武装魔道具とは、兵器として作られた魔道具である。現在様々な用途に対応できる魔道具が次々と開発され、人間の兵力は伸び続けている。
「そんで、これが私の愛銃、『遠距離狙撃特化型武装魔道具』。『レイピア』って呼んでる。こいつはディバっていう鍛冶屋もどきのおっさんに作ってもらった特別製さ」
リオが銃を立てると、ゴツンという鈍い音とともに地面にめり込んだ。
「持ってみるかい?」
「……や、やめとこうかな」
細腕に見えるが、相当鍛えられていることがわかる。背丈はメロンより少し大きい程度だが、スタイルの良さは明らかにリオに軍配が上がるだろう。ウェーブのかかった黒いショートヘアに黒い瞳で、茶色のカチューシャを使い前髪をあげている。肌は日焼けしていて、こんがりと小麦色になっていた。少し吊り上がった目元はいかにも強気で、挑発的な印象を受ける。それと同時に、笑った時に出来るえくぼが子供っぽくもあり、そのギャップが彼女の魅力をより深めていた。
また、彼女が引き受ける役目の多くは、諜報活動である。それは夜間に行われることが多いということを合わせ、彼女は黒く、動きやすいラフな格好に身を包んでいる。
「俺はグリーディア。吟遊詩人だ」
「素直に無職ですって言えばいいのに」
「だまらっしゃい。好きなものは酒だな。愛しているといってもいい」
だぼだぼな服、つまり、居心地のよい部屋着のような服を着用し、それに見合うやる気のなさそうな表情だが、全体的に尖った顔だちで、少し曇った目をしている。しばらく剃ってないのか、無精髭が伸び放題となっていた。
「こんな奴の愛を押し付けられるお酒の方が可哀想になってくるよ」
「なんだよリオ!別にいいだろ!」
「駄目なんて言ってないさ。ただ……あんたがテルンの代わりに買い出しとかに行ってたら、もう少し発見されるのも遅くなったと思うんだけどねえ」
「む……確かに……。それはすまなかった」
「うむ。素直でよろしい」
リオは、グリーが街に入った途端お酒ばかり飲むようになり、家の中でずっと引きこもっていたことを責めているのだ。
「最後は俺か。テルン・デパーニアだ。まあ知ってるよな。改めて、よろしくな」
テルンの身に付ける薄手のジャケットとブーツは革製で、所々すり減っている部分は使用している年月を思わせる。耳に掛かる程度の茶髪は、緩やかなウェーブを描いていた。目には凛とした意思が籠っていて、見るものに勇気を与える。高い鼻の頭には小さな傷跡が残っていた。
「それで、テディのことなんだけど。まずいことになった」
「まずいこと?」
「もともと、この子は家に帰すつもりだったけど……もう無理だ」
「まあ、確かにここは亜人界だし……」
「そういうことじゃないさ。この子は『
「じゃあどういうことなんですか?」
メロンとプシノはさっぱり分からないようで、しきりに首を傾げていた。
「いいか?俺たちは『
二人は分かったような分からないような顔をして、ただ、しっかりとテルンの話に耳を傾け、理解しようと努めていた。
「それで、これからが本題だ。現在、常に開いている『異次元門』は、各世界、つまり妖精界、亜人界、人間界に二つずつ。二十年ほど前に初めて現れ、観測されてから増えてもいないし、減ってもいない。それぞれが妖精界から亜人界、亜人界から人間界、人間界から妖精界に繋がっている。要するに三角関係だ。けど、他世界との戦争状態の今、どの世界でも『異次元門』は厳重に監視、警備されている。もしその場所を突破するとなれば、相当な大軍を動かさなければならなくなる。文字通り、総力戦が始まるだろう。それが起きるなんてことは、まずないだろうけど」
「テルンの言う通り。上の方々はそんな早い決着なんて、全く望んでいないよ。国力の多くを投入するというのは、とてもリスクの高いことだ。奴らは自分の身が安全なうちは、決して大きな動きを見せないさ」
リオは、テルンの言葉を肯定する。少し含みのある様子は、彼女の言葉が、ただの憶測ではないことを裏付けていた。
「そういうわけで、別のルートを使わなければ、世界間を移動するのは難しい。そこで、不定期に現れる『異次元門』の出番だ。俺たちも世界を移動するときは、これを使っただろ?不定期な上に出現場所も定まらないものは、監視のしようがない。各世界の諜報員も、これを使ってるだろう」
「……ちょっと待って。何となくわかったけど、結局はどういうことなの?テディと一体何の関係があるの?」
メロンはこれ以上考えるという行為に耐え切れなくなったのか、テルンに結論を急がせた。その意図を見抜いたテルンは苦笑を浮かべつつ、続きを口にした。
「今回、俺たちがマリーディアに潜伏したのは、リオ姉に王立軍支部にある二つの情報を探ってもらうためだった。一つ目は研究者による不定期な『異次元門』の出現時刻、及びその出現場所の予測情報。二つ目が、『
「わたし?」
おそらく今までの説明をほとんど聞いていなかったのだろう。つまらなそうな顔から、いきなり呼ばれて一転、寝耳に水といった様子だった。
「どういうことなのかはさっぱり分からないけど、あの様子から察するにテディは自分の意思で自由に『異次元門』を作ることができる。違うか?」
「テルン兄ちゃんが言ってる『異次元門』っていうのかは知らないけど、他の世界に遊びに行くために力を使いなさいって、パパが……」
父親のことを思い出してしまい寂しくなったのか、だんだんと声は小さくなってしまった。
「さて、この力がどこか一つの世界で独占的に使われたら、どうなると思う?」
「あ!」
メロンもようやく気付いたようで、随分とすっきりした表情であった。なお、プシノはもっと前に理解していたようだが。
「もしこの力が手に入ったら、敵にばれることなく大規模な軍隊が移動できちゃうってことだね?」
「その通り。自由自在に『異次元門』を展開できるとなれば、ほぼ勝利は間違いないからな。少なくとも、常に攻勢を保てるんだ」
「そんな力を持ってるテディは……」
「ああ。間違いなく軍に捕まって、利用されるだろう。行動の自由なんてものはなくなるし、常に監視されている中で生活する羽目になる。それがわかっていて人間界に放置なんて、出来るはずがない」
「じゃあどうするの?危険だし、このままずっと私たちと一緒にいるわけにもいかないでしょ?」
「だから困ってるんだよ。なんとかしないと、俺たちも活動できないからな」
悩んでいると、フェガが口を開いた。
「ディバに預けるのはどうだ?奴なら信頼できる上に、人間界ならその子も過ごしやすいだろう」
それは、一番妥当、というより、最善の選択だと思われた。ほぼ全員がそれで納得し、そうしようという結論でまとまりそうになっていたが。
「嫌だよ!わたしは行きたくないもん!」
議題の当人が、それに反対の意を表した。
「……どうして嫌なんだ?ディバさんの家なら生活にも困らないし、悪いようにはしないと思うぞ?」
「だって、そこに行ったら結局、つまらないことの繰り返しでしょ?そんなのはもう嫌なの!」
それは
「わたしはテルン兄ちゃん達と一緒に冒険したいの!」
テディの目は真剣だった。
「そうはいってもなあ……」
「どうするの?」
テディを連れてきた張本人として、判断はテルンに任せる。そういう空気が既に出来上がってしまっていた。
「なあテディ。俺たちは別に遊んでるわけじゃない。さっきお前も見ただろ?俺たちは少なくとも、好かれる存在じゃないんだ。俺たちはどの世界の奴らとも仲良くしていきたいと思ってる。でも、向こうはそう思っていない。俺たちの事を敵だと、悪だと考えている。見つかった時点で、俺たちは攻撃される対象になるんだ。それが危険なことだってことくらいは、わかるよな?」
「でも、テルン兄ちゃん言ったじゃん!どっちも悪くないって!それなのに、どうしてなの?どうしてテルン兄ちゃんたちが……」
テディはテルンの言ったことを覚えていた。意味は分からなくても、その言葉だけは。
「……あの時は急いでいたからちゃんと言えてなかったな。正確には、どっちも悪くないんじゃなくて、どちらも正しく在って、それでいて間違っているんだよ」
「そんなわけないよ!どっちかが正しかったら、片方は間違ってるに決まってるじゃん!」
「もちろん、そういう時だってあるさ。でも、俺たちの抱えている問題ってのは、それで片付かないんだ。自分が正しくて、相手が間違っている。そんなことは、相手だって思っているさ。どちらも正しく、そして間違っている。そんな矛盾しているように見える状態が、世界では当たり前なんだ」
テディは明らかに困惑していた。テルンの言っていることを受け入れられないのではなく、ただ、肯定否定の前に理解が及んでいなかった。それを見ても、テルンは語り続けた。まるで、自分に言い聞かせるかのように。
「正しさは正義であるための条件だ。正しいからこそ、正義なんだから。俺は自分の中で、正しいと思うことを決めている」
テルンは何かを思い出すように、目を閉じ、小さく息を吐いた。
「自分のやりたい事、それを実行すること。そして、やり遂げること。上手くいこうが失敗しようが関係なく。決めた事を、やりたい事をやり遂げること。それが正しいと俺は決めたんだ。だから、俺は簡単に誰かの正義を否定したりしない」
「今のはテルンのというより、ここにいる私たち全員の持つ正義だよ」
「私たちはお互いを尊重します。誰かのやりたいことを認めて、同じ道を歩むもよし。相手の道を拒否して、それを止めるのもよし。どちらも、私たちにとっては正義なんです」
メロンとプシノは、活き活きと語る。それは、彼女たちの本心を言葉にしているからで、そこには一欠片の迷いもなかった。
「じゃあ、わたしがテルン兄ちゃん達についていきたいっていうのも、正しいことなの?」
「そうさ。ただ、私たちがあなたのことを心配して、それを止めようとするのもまた、正しいことなんだよ」
リオはテディの頭を優しく、ゆっくりと撫でた。微笑むその姿はまるで、一人の母親のようだった。
「テディ。お前の力は、俺たちの活動目的を達成するための大きな力となる。しかし、そんなものはあくまでも俺たちの事情だ。お前が俺たちに協力しなければならないなんてことは、一切ない。もちろん、お前が王立軍の元へ行きたいと言うのならば、それは一つの選択だ。ディバの家に厄介になるのも、俺たちとともに行動することもまた、お前の選択だ。ただ、お前の望んだ道を曲げること。進むのをやめること。それだけはして欲しくないと、そう思っている」
フェガはテディと同じ高さの視線を保ち、彼女の目を見て話す。テディはそれを、逃げることなく受け止めた。
「……なあテディ。一つ聞いていいか?」
「うん。なんでも聞いて」
「俺は別に、テディがついてきてもいいと思ってる。こういう経験だって悪くない。もう少しお前が大きかったら、お前がついてくることに誰も反対したりしなかったと思うぜ?でもさ——」
グリーディアは酒瓶をそっと地面に置き、腕組みをして、宙を見つめた。
「——お前はどうしたいんだ?つまらないことから逃げて、その先で、どうしたいんだ?」
「私は、楽しいところに行きたい。したいことは、それから考えるよ」
即答だった。テディの出した答えは、彼女の望むものそのものが故に、即答だった。そして、彼女は、何も考えていないと、そう宣言したのだった。あまりに堂々としたそれは、清々しさを覚えるほどであった。
「そうか。わかった。そういうことなら、それでいい」
グリーディアは酒瓶を掴み、大きく呷るように飲んだ。やけになっているのではなく、少し満足気であった。
「……テディ。一緒に来い。お前がそうしたいならだけどな」
「ほんと?ありがとう!」
テディは勢いよくテルンに抱き着いた。そのままテルンに頬擦りをする様子は年相応で可愛らしいものだった。
「ねえ、さっき話を聞いてて分からないことがあったんだけど」
テディはテルンから離れると、皆に向けて訊いた。
「みんなの活動目的って?」
「あれ?言ってなかったけ?」
メロンは悪戯を企む、幼い子供のような表情を浮かべた。
「人間も亜人も妖精も!みんなが仲良く過ごせるようにすること!私たちで、世界を変えちゃおう!」
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