第4話 月夜の桜

 テルン達が日が暮れるまで稽古に励んでいると、執事服の年老いた男が道場にやってきた。


「私、ケミル家に仕える執事、ハービットと申します。サラ様より、お屋敷にお二人をご案内するように申し遣っております」


 恭しく一礼して、外に止めてあった馬車へと促す。魔道具を使った馬車は、山の上にある邸宅へも楽に進める特注品。荷物を執事に預け、馬車に乗り込むと、ケミル家の財力を見せつけるような内装が待ち構えていた。


「ハル。……さっきの女の子って本当に金持ちだったんだな」

「ん?ああ、すっげえ金持ちだ。だから、遠慮なく過ごしていいぞ。こんな経験、滅多にあるもんでもないしな」


 ハルの言葉に陰で苦笑いしながら、ハービットは馬の手綱を握り、馬車を発車させる。ごとごつとした山道を進んでいるとは思えないほど揺れのない車内で、食べ損ねていた昼飯を食べる。簡単な握り飯だが、テルンは塩気が汗を流した身体に沁みるのか、空腹も手伝ってとても美味そうに食べていた。


「お前にはこういう空間、似合わねえな」


 一心にもぐもぐしているテルンを見て、ハルはふとそう零した。首を傾げるテルンになんでもねえよ、と返してハルは暗闇に沈み始める森に目をやる。

 遅いどころか夕食に近い昼食を済ませたころ、木々の梢に屋敷の屋根が見え始めた。山の頂上を切り崩して造られた広い庭園と、屋敷を含む一体をぐるっと囲む縦格子の鉄柵。馬車が近づくと、正面の門が滑らかに滑っていく。

 それでもすぐに到着というわけにはいかず、明かりに照らされた花々を眺めつつ屋敷までの一本道を進んでいった。

 すっかり日が沈み、屋敷全体がぼんやりとした灯りに照らし出されている。玄関には既にメイドが二人待機していて、滑り込んできた馬車から、それぞれの少ない荷物を受け取った。テルンはメイド二人が働くのを興味深そうに見ている。今までの生活でこれほど恭しく接しられたことは当然なかったし、慣れない経験に身体がむず痒くなっていた。


「よくいらっしゃいました。荷物は寝室に運びこんでおきますのでお二方、まずはお風呂に入って身だしなみを整えていらしてください。そうしたら、夕食の席にご案内します」


 こちらです、といってハービットはドアを開け二人を屋敷の中に導くと、ついてこいというように先頭を歩き出した。

 屋敷の壁は全面白く塗られていて、窓からのぞく夜の闇をより一層浮き出させている。当主の趣味だろうか、少し気味の悪いような絵画が時折廊下にかけられ、テルンは引き気味に廊下を進んだ。しかし、なかなか目的地に辿りつかない。


「随分遠いですね……迷ってるとかでは?」

「ご安心ください。もうすぐそこでございます」

「すっごい大きい家だね。風呂に入るだけでこんなに歩くなんて」


 少し嫌味も込めてテルンは歩いてきた感想を述べる。


「こちらは別邸ですので、普段はもっと歩かなければなりません」


 テルンは絶句した。気付けば『湯』と書かれた暖簾がかかっている場所に辿りつき、何か言ってハービットが居なくなっていた。


「ほら、お嬢ちゃんも待ってるだろうし、さっさと入っちまうぞ」

「あ、ああ」


 中に入ると途端に手早く服を脱ぎ、備え付けられた木編みのかごに投げ込む。


「さーて、中はどんなもんかな?」


 控えめに言って、ハルは風呂が大好きだった。子供のようなうきうきした表情で風呂場に通じる戸を開くと、もわもわとした白く熱い湯気が入り込んでくる。いっぱいに湛えられた湯舟が原因であることは明らかで、横にはかけ湯のための木桶が用意されていた。石造りの部屋で、こういった様式の部屋は珍しい。ケミル家が行商して王都から遠く離れた地に出向き、その場所の独特の文化に感動したことから造られたものである。


「ハル……あんまり興奮するなよ、みっともない」


 そう言いながらも、初めて見るものにテルンもそわそわした態度で風呂場に足を踏み入れる。壁上部に穴が開いていて、そこから流れる湯がまるで滝のようだった。ここで身体を洗うように示されているのは、二人がそのまま湯舟につからないようにと戒めたものに相違なくて。


「ま、さっさと入っちまうぞ。こっちは客だが、人を待たせるのは好きじゃねえ」


 その言葉に押され慌ただしく汗を流していると、テルンは背後に人の気配を感じ、その突然さに身構える。


「お召し物は洗濯致しますので、お夕食以降はかごの中にあるものでご容赦くださいませ」


 脱衣所からハービットが呼びかける声。ハルもテルンと同じことを考えていたようで、ニヤリ笑い、答える。


「あんた、流石は姫さんの御付きだな。一度手合わせ願いたいもんだ」

「ご勘弁ください。私など、ハル・アリア殿の足元にも及びませんよ。失礼いたします」


 現れた時同様、消える瞬間も気を抜いていれば気づかなかったかもしれない。二人にそう思わせるほど、ハービットの気配を操る術は優れたものだった。


「差し詰め、ケミル家の雇ってる傭兵の一人って感じだろう。第一線を退いて、今は執事ってわけだ。悪くない人生だな」

「馬鹿なこと言ってないで、はやく飯食いに行こうぜ。もう腹が減って死にそうだよ」

「あいよー」


 湯に漬かってまま間延びした返事をして、ハルは名残惜しそうにしながら立ち上がる。

 火照った身体についた水滴を用意されていた布でふき取ると、交換されていた服を摘みあげる。二人の表情はみるみる曇っていった。


「これ……ほんとに着るのかよ?」

「これしかないみてえだ……半裸か着るか。二つに一つ」


 諦めた様子で、ハルが服に袖を通す。テルンも着慣れない服を、ハルの見様見真似で身に付けていった。


 *    *    *


「二人とも、よくお似合いですよ……ぷぷ」

「おいお前、昼間のことまだ根に持ってるのか」


 ハービットに連れられて、二人はサラの待つ夕食の場へと招かれた。そこには既にサラが待ち構えていて、二人を出迎えたのだが。


「失礼しました。いや、予想はしていましたけれど。その服を纏うには、あなたたち二人の品格は、足りないですね」


 サラがこちらを見てくすくすと笑うので、テルンはつられて自分を見下ろす。場に合わせた装いとして、二人のそれはおかしなものではない。貴族のパーティーに呼ばれてもなんら恥ずかしくないだろうが、ただ、簡単に言えば。


「俺達、完全にしてる……」

「テルン、お前と一緒にするなっての」


 顔面の偏差値は六十あたりの二人であるし、なんならそこらの貴族よりは良いと言える。ただ、雰囲気が明らかに違う。テルンは自信なく、おどおどしているのだ。着ているというより、着られている。ハルもう少しきちんとした態度と身なりに気を使えば、その長身相まって十分似合うはずだが、思いっきり欠伸をしている様からそれを感じるのは難しいだろう。


「まあまあ、とりあえず夕食にしましょう。空腹で死にそうです」


 サラがぱんぱんと手を叩くと、奥の扉から三台、四台と皿が一杯に置かれたワゴンが現れ、次々とテーブルの上に並べていく。


「コースではもの足りないでしょうし、好きなものを好きなだけ食べてください。遠慮はいりません」


 サラは自分の席に座って、自分の食べたい料理の乗った皿を引き寄せ、自分の好きな量を取る。見本を見せたつもりのようで、目線で向かいの席に座るように二人を促した。

 そうして一時間もして、ほとんどの皿から料理が消えた頃。


「あなた、テルンって名前だったわよね? この後少し付き合いなさい」


 サラは口についていた汚れをナフキンで上品にふき取ると、御馳走さまと言い残して立ち上がる。

 部屋を出ようとするその背中がついてこいと言っていて、テルンは重たくなったお腹をさすりながら後を追った。


「どこに行くんだ?」

「庭でも散歩しましょう。今は夜桜が綺麗なの」


 再び長い廊下を進み、玄関のドアを開け放つ。まだ時々冬に逆戻りすることもあるが、今日の夜は春らしい、どこか温かみのある夜だった。


「こっちよ」


 サラは入り口をでて、正門とは逆、建物の裏手に向かって歩き出す。一定の間隔で置かれた魔道具フィリアツールの灯りのおかげで、足元に注意する必要もない。少し茶のかかった優しい光に、いくつもの花々が照らされている。

 艶やかな大輪をつけたもの、可憐で小さな花をつけているもの。赤いもの、青いもの、黄色いもの、蔓を巻き付けるもの、月を追って花を傾けるもの、テルンの見たこともない、名前も知らない花が美しく咲いている。

 しかしサラはそれらに見向きもせず、ひたすらに進んでいく。


「お前、花に興味とかないタイプなの?」


 歩きながら、テルンは何気なく問う。その声が届いたのか否かは不明だが、サラは歩みを少し止めた後、再び歩き出した。なんとなくもう一度話しかける気にならず、テルンも黙々と歩を進めた。

 自宅の周りを半周する。それだけのためにこれほど歩くことになるとはテルンは予想していなかった。いくら花を見て楽しんでいるとはいえ、こう長く続くと飽きが来てしまう。


「まだ着かないのか……」

「そこを曲がれば見えるわ……ほら」


 開けた視界の中央が、薄桃色に埋め尽くされた。今まで置かれていた灯りは消え、白い月の光だけが、桜を照らし出している。太い幹がその年月を思わせ、時を刻みこんでいる。一陣の風が枝を揺らし、幾枚の花びらを乗せ、二人の間を抜けていった。夜の闇の中で浮かび上がるその景色は、とてつもなく神秘的で、テルンは完全に目を奪われていた。


「すごいでしょう? ここに家を建てたのも、この桜があったからなの」


 サラはゆっくりと桜に歩み寄り、その根元へと腰を下ろす。それを見て、テルンはさらに息をのんだ。

 桜の傘の下で、桃色に染まった空を見上げる少女。その表情は決して明るいものではなく、どこか寂しげで。それが、どうしてなのか、テルンは桜以上に美しいと思った。

 風に舞った花びらが頬を撫でるようにくすぐり、ぼうっとなっていたテルンの意識を引き戻した。テルンはサラの横に並んで座り、桜を同じ角度で眺める。どうしても気になって、サラの横顔を確かめた。道場で向かいあった時、鋭利な刃物を思わせた気の強い顔つきが、ほんの少しだけ弛んで優しくなっている。


「何見てるの」

「うぇっ!あ!いや!」


 前触れもなく、サラがテルンを睨み付ける。テルンは虚を突かれ、おかしな声を上げてしまった。

 テルンからすっと距離を開けて、雰囲気で近づくなと告げる。自分の失態に苦笑いしながら、桜に目を戻す。


「私の母は、花が、桜が大好きだったの」


 また少し沈黙が続いて、サラはぽつりぽつりと語り始めた。

 幼い頃に父と母が自分のことで争いになり、母は家を出て実家に戻った。それ以来一度も会ったことはないし、そういった機会が設けられることもない。


「ごめんね。いきなりこんな話しちゃって」

「いや、別にいいけどさ」


 テルンは話を聞きながら、どうして自分に話すのだろうかと戸惑ったが、それを読んだようにサラは続けた。


「あなた、面白いのよ。大して強くもないけど、他の男の子とは何か違うし。まあ何より、そんなに親しくないってのが大きいわね」


 この先もね、と笑うサラは、道場で剣を振るっていた時と同じように輝いていて、テルンは少しほっとしていた。

 それぞれが心の中に持っているもやもやを吐き出したい時というのは誰にでもあって、そうやって息抜きをしなければ、もっと辛くなるだけだとテルンは知っている。ハルに出会う前は、そういう方法を知らなかった。ただ、苦しいことに気づかないようにするくらいしか。


「なあ、一応確認だけどさ」

「なに?」

「サラは、お母さんに会いたいか?」


 サラはテルンの質問にぱちぱちと眼を瞬かせて、こう答えた。


「もちろん、会いたいわ」

「だよな」


 それだけ言って、テルンは再び桜色の空を見上げる。サラは怪訝な表情で物問いたげだったが、諦めて膝を抱えこんだ。十分も経った後、二人はどちらが言うでもなく立ち上がると、そのまま屋敷の中に戻っていく。二人は寝室の前で別れたが、それまでの間一言も発することはなかった。

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