第3話 剣姫の誘い

 太陽の日差しは幾分か和らぎ、空の雲はその季節に合わせて形を変えていく。肌を撫でる風からも、少しばかり熱が取れてきた。青々しかった木々の葉が、山に絨毯を作り始めている。

 テルン達が名もなき村、今は亡き村を訪れてから、一カ月が経過していた。各世界は互いに干渉をすることもなく、平穏な日々が過ぎていた。

 人間界では王都の復旧が完全に完了し、神母祭での騒動は次第に忘れられようとしている。


「ほんと、呑気なものよね。喉元過ぎれば熱さを忘れるというか」

「ああいったことが起きる方が珍しいことでありますし、仕方のないことかと」


 サラは王都で開かれた有力商人達の集会を終え、家に帰ってきたところだった。メイド達に荷物を預け、執事にお茶の準備をさせて、上着を脱いで自室の椅子でへたり込んでいる。


「そもそも、私にはこういう仕事は向かないのよ。気を遣ったり空気を読んだり、上辺のこう仮面みたいな笑顔とか。ほんと、疲れるわ……」

「サラ様は昔から剣がお好きでしたね……。お待たせ致しました」


 まだ齢十七の少女が、長く経験を積んだ老獪な商人たちと対等に渡り合うのは楽なことではない。

 サラは差し出された紅茶を礼を言って受け取ると、香りを楽しんだ後少し口に含み、ほっと息をつく。


「ケミル家では最年長者が家督を継ぐことになっております。もしお仕事を辞めたいと仰るのであれば、嫁入りするしか——」

「げっほげっほ!」


 二口目を飲もうとして、サラは激しく咽てしまった。


「ケイト、何時も言ってるでしょ!私は結婚したりしないわ!」

「しかし、いつかの新聞にデパーニア様の御姿が載っていたではないですか。それも一面に大きく」


 顔を真っ赤にして否定するサラに、執事は澄ました顔で追い打ちをかけていく。


「私は別に、あいつのことなんか好きじゃない!け、結婚なんてもってのほかよ!」

「そこまで申しておりませんが……」


 呆れた様子でケーキを取り分ける執事は、自分の主人は果たして結婚できるのだろうかと心配になっていた。こうしてよく発破をかけるものの、いつも『結婚しない』の一点張りである。ケミル家の商売は順調で、サラが長であることになんら問題はないのだが、ケイトはサラに、女性ならだれでも得られる幸せをちゃんと得てほしい思っているのだった。


「そのうちお見合いの話なども来るはずです。おそらく婿養子をとるという形になると思いますが、サラ様もその時までにはお気持ちの整理を終えておくとよいですよ」


 ケイトはそういって一歩下がろうとして、サラから反応がないことが気になった。サラはティーカップに映る自分の姿を見ながら、何か考え込んでいる。邪魔をするのも良くないだろうと、ケイトは下がるだけでなく、そのまま部屋を出ることにした。一礼してドアを閉める間も、サラは一切動くことはなかった。

 一人になって、サラは溜まった息を吐き出し呟く。


「難しいわよ……また希望が見えてしまったんだから」


 疲れていた為か、若干の眠気がサラを襲う。少しナイーブな気分のせいか、着替えるのが億劫になり、そのまま椅子に横になる。だらしないなと思いつつ、肌に触れる柔らかさに負け、静かに意識は落ちて行った。


 *     *     *


「サラ様、起きてください。来客です」


 控えめなノックの音に続く、ひそひそとした声。眠い目を擦りながら、サラはむくりと起き上がった。来客という単語に無意識に着替えなければと服を脱ぎかけたが、自分が寝間着でないことに気が付く。外はまだ暗く、月は煌々と輝いている。

 こんな時間に誰だろうかと、サラは警戒心を強く持った。上着を着て、身だしなみを整えるために、鏡の前に立つ。だらしない姿では、相手に侮られてしまう。

 自慢の黒髪はさっと手櫛を通しただけで、見事に整った。化粧はあまり好きではないのか、ほとんど何も行わず廊下で待っているメイドの下に向かう。


「相手は誰だ?」

「それが、分からないのです。フードを被った二人組で顔は見えませんし、守衛の問いにも何も答えません。ただ、これをサラ様に見せればわかる、としか」


 メイドはサラに四つ折りの紙を差し出す。どこの市場でも買えるような、何の変哲もない紙に見える。サラは受け取って、ゆっくりとその折り目を解いた。そして、そこに書かれた文字を見た。


『くまさんパンツ』


 途端、サラの顔は一気に紅潮し、紙をびりびりに破り捨てた。


「私が出迎える!」


 そういうと、サラはメイドが止めるのも聞かずに廊下へ飛び出し、邸宅の門へと急いだ。廊下を走り、階段は三段飛ばしで駆け下りた。

 ドアの鍵を開けて外に出る。広い庭のその先の門から、守衛と来客が揉める声が聞こえてくる。


「ちゃんとさっきのメモは渡してくれたのか?」

「メイドに渡した!だいたいこんな時間に面会など非常識だ!弁えろ!せめて夜が明けてから来るべきだ!」

「そんな冷たいこと言わないで、サラに会わせてよ!」


 聞き覚えのある声。もう二度と聞くことはできないと思っていたその声に、サラは涙を零しそうになった。しかし、そんな顔は見せられない。サラは顔を強く張って、三人に近づいていく。


「お勤めご苦労様。大丈夫、通してあげて。彼らは私の友人だわ」


 守衛にそう伝えて、サラは重い鉄格子の門の鍵を解く。ぎいっと軋みを上げながら、門は横にスライドしていった。魔道具フィリアツールを用いた、自動ドアとも言うべき代物。


「さあ、話は私の部屋で聞くわ。急いで入って頂戴」


 *    *    *


 サラは二人を友人と言いながらも、やけにこそこそと屋敷の中を歩く。自分の部屋に辿りつき、二人を中に入れ鍵を閉めたところで、ようやく気を緩めたようだった。


「もうフード取っていいわよ」

「心遣い、恐れ入るよ」


 そういってパサリとフードをとって現われたのは、猫耳の少女と、人間界一の反逆者。メロンとテルンだった。


「情報ってものは、どこから漏れるのか分からないわ。あなたたちのためというより、私の保身のためよ」


 反逆者と知己の仲だなんてことになったら、ケミル家は潰されちゃうわ、と肩を竦める。

 そう淡泊な態度をとりつつも、サラの気分はここ数年でもっとも高揚していた。眠気や疲れは吹き飛んでいたし、心中は浮足立ちそうになるのを抑えるのが大変というのが実情だった。


「それで、一体何の用かしら?突然いなくなったと思ったら三年近く音沙汰もなくなって、急に消息がわかったと思ったら、いきなり大罪人……あら、なんだかむかむかしてきた……」


 安心した途端に別の感情が湧いてきてしまうのは、人の性と言うべきか。椅子にどかっと座りこんでむすっとした表情を浮かべるサラを見て、テルンとメロンは苦笑いを浮かべた。


「いや、本当に悪かったと思ってるよ。俺達もいろいろあって、余裕なくてさ」

「えーと、遅くなったけど、当主になったって聞いたよ? おめでとう」

「いいわよ、そんなとってつけたように言わなくても。わざわざここまで来たんだし、私に会いに来ただけってわけじゃないんでしょう?」


 サラは向かいに座るように勧めて、自分もきちんと椅子に座り直す。こうして、もう一度三人で顔を合わせられるとは思っていなかった。昔はこうやって良くお喋りしたなと、出会った頃のことが頭を過ぎった。


 *    *    *


 道場で諍いが起こることは珍しい。普段ならすぐに師匠の拳骨が飛んできて、無理矢理抑え込んでしまうのだが、今日はそれをハルが止めていた。少し様子を見てみようぜ、と。


「今から私と打ち合いなさい!テルン・デパーニア!」


 壁にかけられた二本の木刀を取り、一本をテルンに突き付ける。


「別に構わないけどさ……」


 テルンはそれを受け取って、道場の中央に向かう。何の気負いも見られないその姿に、サラはまた少し腹を立てた。


「全力で来なさい!私が女だから油断した、なんて言い訳はさせないわよ!」

「そんなダサいことしないって。さあ、とっととやろうぜ」


 そういって剣を構えたテルンの姿からは、意外にも隙が見つからない。それは、相手の実力が自分に近いか、それ以上だということ。サラは少し危機を感じ、怒りを抑え、同じように剣を構えた。

 審判などはおらず、勝敗は自分たちの判断で付ける。その程度のことができない者は、この道場にはいなかった。

 お互いの剣先を二度打ち合わし、始まりの合図とする。殺し合いならともかく、これは決闘に近いものだ。突然の不意打ちで終わらせたのでは、互いに納得のいくものではない。少なくとも、この二人はそういう性格だった。


「はっ!」


 先手を取ったのはサラだった。右からの袈裟で切りかかり、テルンがどう動くのか様子を見る。

 テルンは素直にその剣をがっしりと受け止める。躱して反撃してくるだろうと思っていたサラは若干拍子抜けしながら、それでも次々と剣を繰り出していく。

 

「少しは反撃してみせなさいよ!」


 サラは受けばかりに回るテルンを挑発するが、それに対して全く動じることがない。そればかりか、テルンは笑顔を浮かべるほどの余裕を見せた。その態度にサラは逆に自分が挑発されていることに気が付いて、それに乗るように、より剣撃を強めていく。


「おいテルン。いつまでも《負けない》戦いばっかしてるな。さっさと終わらせろ」


 しばらくその様子を眺めていたハル・アリアが、痺れを切らしたようにテルンに命じる。


「勝っても負けても、全部お前の責任ってだけだろ。負けたんなら、また強くなれ」


 テルンは返事をしなかったが、別に師の言葉を無視しているわけではなかった。すでに反撃のためのタイミングを探り始めている。それを理解してハルはそれ以上何も言わなかった。

 サラは攻め続けながら、テルンの動きが変わったのを感じた。後の先を取らせないよう、あらゆる芽を摘もうとさらに剣の速度を上げていく。

 しかし、どんな技、流派であっても、いつまでも攻め続けることなど不可能であり、サラも当然、その例外ではなかった。


「つあっ!」


 刹那の時を逃さず、テルンの剣が閃く。相手の急所に向けた、最短最速の一撃。

態勢を整わないサラを見て、テルンは勝利を確信した。

 が、それが命取りだった。

 サラは態勢が崩れているとは思えない速度で、テルンの剣を流すように裁く。逆に態勢を崩したテルンは必死に立て直そうと踏ん張るが、その足をはらわれ床に身体を打ち付ける。起き上がれば首元には木刀の切っ先があって、テルンは自分の剣を手放した。


「俺の負けだよ」


 参ったと両手をあげ、サラを見上げる。その表情には若干の悔しさがあったものの、相手を認めた清々しいものがほとんどを占めていた。サラはそれが少し気に入らなかったが、同時に少しこの男の子に興味が湧いて、起き上がらせようと手を差し出した。


「掴まりなさい」


 そっぽを向きながら、しかしちらちらと様子を伺いながら。サラのそんな態度に気づいて、テルンは思わず苦笑いしながらも、礼を言って手を取り、立ち上がった。


「あなた、今日はどこかに泊まる予定はある?」

「この道場か、君の師範の家にお世話になるって、ハルは言ってたな」

「なら、私の家の別荘に泊まりに来なさい。ここから近いし、部屋もたくさんあるわ」


 僅かに頬を赤く染めながら、サラはぐっと腕を組む。周りの人間もざわつき始める。あの男を寄せ付けない剣姫が男を誘っているという事態を、同年代の少年たちは戦慄とともに受け止めていた。


「ハル・アリアさん。あなたも如何でしょうか?御もてなしさせては頂けませんか?」

「ああ、そいつは有り難い申し出だな。遠慮なく邪魔させてもらおう」

「なら、いいわね?家の者にそのことを伝えておきますので師匠、お先に失礼します」


 テルンの意思など一切聞かず、サラは一礼して道場を去っていく。その後姿を、テルンは呆気にとられて見送った。

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