第2話 弔い
怒りに身を任せ軍の中に飛び込もうとするリオを抑え込み、それでも暴れるところを気絶させて森の中に引き摺り戻した。
「リオが急いでいたのはこういうことだったか……」
フェガはリオを寝かせながら、立ち上る煙を見やる。
「リオ姉、言ってくれれば俺達ももっと早く動けたのに……」
「いや、リオは言わない方がいいと思ったんだろ」
テルンの悔やむような声を聴いて、グリーは自分の考えを述べる。
「もし俺達がもう少し早く到着していて、リオの故郷の住む人達に迎えられていたら。俺達は王立軍と正面対決しなきゃならなかったんだぞ。この消耗した状態で、あれだけの兵を相手に。それこそ自殺行為だ」
「そんなこと、やって見なくちゃ分からないだろ!それに、ただの王立軍程度なら、俺達なら十分倒せるじゃないか!」
「……どうしたの?」
テルンのほとんど怒鳴るような声に、テディは眠りから覚めてしまった。フェガはテディを下ろし、メロンはおいで、とテディを自分の下に引き寄せた。
「テルン、あそこには
「それでも!やってみなくちゃ、わからないじゃないか……」
自分の言っていることが不毛だということを悟って、テルンの言葉は窄んでいった。
「非情だが、俺は間に合わなくてよかったと思っている。あの村に住む人間より、お前達の方が大切だからだ。万全ならともかく、衝動的に挑んで勝てるほど、奴らは甘くない。唯一残された可能性は、王立軍が来る前に村の人間を逃がすことだが。この事態が裏切られたことへの報復だというなら、彼らはリオにとっての人質だったということだ。何も対策がされていなかったとは思えん」
フェガの言っていることが理解できないほど、子供ではなかった。ただ、湧き上がってくるものを堪えきれなくなって、テルンは木の幹を殴りつける。鳥が飛び立ち、木の葉がひらりひらりと落ちてくる。拳の傷から血が流れ、ぽつぽつと地面を打った。
誰もが黙り込む中でプシノはテルンの傷口に近づき、流れる血を止め、治療を施す。
「テルンさん……。私だって悔しいです。でも、仕方のないことなのかもしれません。私達の力には、限界がある。テディの力がなければ、私達に出来ることはもっと限られてくるでしょう。もしかしたら、グリーも助けられなかったかもしれないんです」
完治した手の指先にそっと触れ、プシノはテルンを見上げていた。
「だから、選ばなくちゃいけません。辛くても、苦しくても、私達全員の願いを叶えるために、必要なことを。それがきっとより多くの、今を生きる者達の幸せになると信じましょう」
そう言ったプシノの顔は、テルン以上に悔しさを、自らの無力さを恨んでいた。テルンはプシノを顔をみて、目を伏せる。そして頷くと、様子を見てくる、といって森の切り目に歩んでいった。
「フェガ、テルンについてやってくれ。変な気は起こさないと思うけど、念のためによ。リオは俺達で見ておくから」
「わかった」
テルンの後を行くフェガを見送ると、その場はまた静謐に包まれる。テディは状況がつかめないのか、メロンを見上げて説明を求めたが、それもぎこちない笑顔が帰って来るだけであった。
* * *
空が灰色に包まれ、滝のような雨が降り注いでいる。
三時間が経過したころ、王立軍の村からの撤退が完了した。
テルン達は大木の
あちこちから燃え残りが崩れる音、様々なものが燃え、咽かえるような匂いが立ち込めている。
リオは我慢しきれなくなったのか、村の中心と思しき場所に向かって走っていく。
「待って!……テルン?」
テルンは後を追おうとするメロンの腕を掴み、行くなと首を横に振った。メロンはリオの背中を心配そうに見つめたが、それでもテルンの意を汲み取った。
「みんな、燃えちゃったんだ……」
そんな暗い雰囲気をよそに、テディは一人でテルンのジャケットを傘替わりにしながら、村の中を歩き回る。時には歩を休め、ちろちろと動く火を見つめたり、崩れた建物の元の形を想像した。
そんなことに夢中になっているうち、テディは自分がかなり奥まで進んでいたことに気付く。きょろきょろとテルン達の姿を探すと、一人、その姿が目に入った。
「あれ……リオ姉ちゃん?誰かと話してるのかな」
「静かにするんだ」
いつの間にか後ろについていたグリーに、テディは驚き悲鳴を上げそうになるが、口に手を当てて、ぐっと声を飲み込む。
二人は瓦礫の陰に隠れ、耳を澄ます。
「ごめんなさい、じいや。私が、私の勝手で、みんなを不幸にしてしまって。本当に、どうやって償えばいいの……」
途切れ途切れのリオの言葉は弱々しく、震えていた。まるで雨に打たれている子犬のように、叱られている子供のように。普段の明るい振る舞いは、見る影もない。
「何を仰るんですか……リオ様。あなた様とシーラ様のおかげで、私達は今まで生きてこられたのです。本来なら、あの時に殺されていてもおかしくなかった……。私達は、お二人より命を頂いているのです。だから、リオ様が気に病む必要など、少しもないのです」
リオの前に横たわる老人の腹部は赤く染まり、四肢はやけどに、その命が長くないことは明白だった。それでも、その声は穏やかで、リオを見る目は愛おしさで溢れていた。
「自由に生きてくだされ。リオ様の人生は、まだまだ長いものとなるはずです……。ああ、それでも、最後に一つ……お願いしたいことがございます」
身体の奥底から出したような鈍い呻き声をあげながら、老人はやっとのことで手をほんの少しだけ持ち上げる。リオはその手をぎゅっと握りしめ、胸に当てた。
「シーラ様を……救って差し上げてくだされ。先ほど、ここに来ておられました。ほんの少しだけでしたが、お顔を見ることも叶いました。見ていられないほど苦しそうで、辛そうでありました」
老人の手に、ほんの少しだけ力が籠る。
「……わかった。任せて。必ずあの子を救い出して見せる。……あの男の
「お頼み、申し上げます。リオ様もどうか、お幸せ……に……」
年老いた固い手から、力が抜けて行く。リオは、自分の手から生が失われていくのを感じた。
自分が幼い頃、彼に世話になった記憶が蘇る。
どんな時でも必ず傍にいて、味方をしてくれた。寂しくて泣いているときは、泣き止むまでおんぶしてくれた。忙しい両親の代わりに、本を読んで寝かせてくれた。みんなには秘密で、遠くの街に連れ出してくれた。
思い出すたびに、それらは全て大粒の涙になった。リオは老人を抱きしめて、子供のように大声で泣いた。溢れた涙は、すぐに雨と混ざり合う。服を濡らし、地面を濡らし、老人の汚れた傷跡を洗い流していく。
死に顔と寝顔が似て非なるものであると、幼い頃は分かっていなかった。両親が奪われた時、棺桶に横たわる二人を見たリオに、じいやは二人は長い眠りについたのだと言った。リオは無邪気にそれを信じた。大きくなって全てを知って、私の恩師が仇だと知って、こうして今、同じ男にまた大切な人が奪われた。
リオは気の済むまで泣いた。尽きる気はしなかったが、それでも涙は止まった。代わりに、地平線に消えた男に向かって、怒りに吠える。
テディとグリーは、静かにその場を離れ、皆のところに合流した。テルン達は生存者がいないかどうか探していたが、成果が上がった様子はない。
「テディ、今見たことは、二人だけの秘密だぞ」
グリーはテディにそっと耳打ちする。テディは真剣な顔で分かった、というと、テルンのところに走っていった。
「テディ、どこにいたんだ。危ないから、俺の周りから離れちゃダメだぞ」
「うん、ごめんなさい」
テディはテルンの足に抱きつくと、戸惑うテルンに構わずグリグリと顔をこすりつけた。
「急にどうしたんだ?怖いものでも見たか?」
テルンはテディの背中をさすって落ち着かせようとしたが、テディは一向に離そうとしなかった。
「テルン兄ちゃんは、死なないよね?」
テディは小さな声で、テルンに言葉を投げ掛ける。問いではなく、確かめるために、安心するために、テディは訊いていた。
「……ああ、大丈夫だよ。俺は死なないさ。テディは心配性だよなあ」
テディの頭に手を添えて、髪をくしゃくしゃとかき乱す。テディはむうっとふくれっ面になったが、テルンはテディの気が紛れたかもしれないとほっとしていた。
「メロン、テディを連れて、プシノと一緒に森に戻っていてくれ」
「うん……わかった。テディ、プシノ、行こっか」
メロンはテディの手を取って、プシノはメロンの肩に乗って、森のほうへ歩いていく。
その背を見送ると、テルンは瓦礫の山をひっくり返し始めた。
「どうしてメロンたちを遠ざけたんだ?」
グリーはテルンを手伝って瓦礫を運びながら、そう尋ねる。
「たぶんだけど、あんまりいい思い出にはならないだろうから」
そう言ったきり、テルンは黙々と手を動かすだけで、喋ろうとはしなかった。フェガとグリー、テルンは瓦礫の中に埋もれた遺体を引っ張り出し、簡単なお墓を作って埋葬していく。
一刻も早くこの作業を終わらせたいとテルンは思っていた。リオが戻ってくれば、きっと手伝うと言い出すだろう。テルンが知っている人は一人もいなかったし、中には全身が焼けこげていて、とても判別できない人もいた。しかし、リオにとっては違う。この村はリオにとって故郷であり、近しい人は何人もいただろう。そんな人間に、この作業をやらせるのは酷だ。彼らが他人で、純粋な『哀悼の意』だけで済ませられる自分達がやるべきだと、テルンは感じていた。
しかし少し作業を進めたころに、リオはテルン達の場所に戻ってきた。
「悪いわね。任せきりになっちゃって」
「リオ姉、ここはいいから——」
テルン達に混ざろうとするリオを止めようとして、テルンは何も言えなくなる。ぎこちない笑みをなんとか作りながら、涙をぽろぽろと流すリオにかける言葉がみつからず、テルンはただ作業を進めることしかできない自分を情けなく思った。
日が沈み始める。この村の住人の数が分からなかったため、テルン達は埋葬を切り上げ、テディ達を呼び戻した。
彼らは死者の墓の前で、それぞれが信じるものに祈った。生まれた世界を別にする彼らの信じるものは違っていたし、誰もそれを気にしてはいなかった。何より彼らはこういった在り方を肯定するために活動していたし、世界はこう在るべきだと考えて、これからも行動していく。
「みんな、ごめんなさい。私の我儘は、みんなの命を奪ってしまった。きっと私には、あなたたちを想って泣く権利もないのだと思う。恨まれても仕方ない。呪い殺されても、文句は言えないわ」
リオは跪いて、じいやの墓に、多くの同胞の墓に向かい合った。
「私は弱いわ。この村で過ごしていた頃と、全く変わらない。身体ばかり大きくなって、大事なものは何一つ守れやしないの。……だからせめて、せめてこの仲間だけは守って見せるわ。もうこんなことが起こらないように、ここにいるみんなと一緒に、この争いばかりの世界を創り変える。次に来るときは、その報告をするわ。必ず」
リオは立ち上がり、待っている仲間の下に向かう。今日もまた、いつもと変わらない野宿の準備が始まっていた。仕事のなかったメロンとプシノが、夕食のイノシシを捕え、野生の香草と共に焼き上げている。焼いた肉を見て、誰も何も思わないと言えば嘘になるだろう。それでも、食べなければならなかった。生きていくために。
焚火を囲んで丸く座る彼らの暗い顔を、蠢く炎が橙色に染める。気付かぬうちに、雨は止んでいた。湿気った薪に火はつかない。プシノが魔力を注ぐのを辞めれば、この灯りも消えていく。そうなる前にと、テルンは静寂を破って切り出した。
「今後の予定に、提案がある」
行先を失っている自分達が進むためのしるべ。
「プシノが言った通り、俺達だけで出来ることは限られる。それでも、気付いているのに何もできないなんてことは、今回だけでたくさんだ」
どうしても消えない悔恨の情に、テルンは唇を噛み締めた。
「だから、仲間を増やそうと思う。俺の友達で、実力も折り紙付き、社会的な力もある」
「テルン、それって……」
メロンはある人物に思い当たったようで、昔の記憶を手繰り始めた。
「ああ、そうだ。俺は、サラ・ケミルに会おうと思う」
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