第16話 戦果
王都付近の空で、妖精軍は王都からの思いも寄らぬ反撃に、妖精達は防戦一方。距離を取れば
それを展開したまま進むとなれば、大きく精神をすり減らすことになるのは明らかで、中には城壁に辿りつく前に気絶してしまう者いるだろう。
「いやはや、まさかこちらの行動が向こうにばれていたとは」
「どうしてなのかはわかりませんが、既にこちらから攻め込むのは難しいかと」
キコとセシヤは困ったふりをしながら、部隊に送る命令を考えていた。はたして普通に撤退命令を出して、血気盛んな若者たちがおとなしく引いてくれるのか。もちろん立場を用いて強制させることは容易いが、妖精界の安定のことを考えると、若い妖精達の鬱憤をここでいくらか晴らしておきたいというのも正直なところだった。
「ふむ……少しばかり、老体に鞭うってみようかの」
「老師、いかがするおつもりですか?」
「すぐにわかる。そこで見ておいてくれんか」
そういってセシヤを留めると、キコは滑るように空を昇っていく。
「さてさて、久しぶりにやんちゃしようかの」
骨張り、年老いた手を空に掲げる。すると星を覆っていた雲が少しずつキコの上空に集まり始めた。最初は小さな雲の集まりだったものが、次第に大きくうねりを上げる入道雲へと昇華する。周囲には激しい雨と竜巻のような強い風が巻き起こり、妖精達は風に飛ばされないよう必死に耐えなければならなかった。雲の中では光の筋が行きかい、いつ地表に放出されてもおかしくなかった。
「老師、何をするのですか! 仲間たちに被害が出始めています!」
一人の若い妖精が、老師の行動に異議を申し立てる。妖精の中でも小柄な部類に入り、容姿にはそれに見合った幼さが残っていた。胸に付けた勲章が、全部隊の隊長であることを表していた。
「ユーヤか。いやすまんな、力の加減を間違えてしもうた。でも、こうすれば問題なかろう?」
キコが王都に向かいゆっくりと狙いを定めると、それに導かれるように大雲が動き出し、進み続けた。
ゆっくりと、だが確実に雲は王都に迫っていく。豪雨と暴風、雷を連れて。
この動きをみて、ユーヤは唖然とした。これだけの自然現象を意図的に起こす力とだけでも、それを思いのままに操作する力。なによりあの雲は風向とは逆に動いているのである。それはあれだけの雲を、キコが
「……御見それ致しました。流石、伝説の老師です」
「なあに、大したことはないわい。さて、あれの成果を見たら帰るとするかの。このまま戦っても、良い結果を得られるとは思えん」
「了解致しました。全部隊に通達! 敵の攻撃範囲内より撤退!」
キコはユーヤが部隊の中に戻るの見送った後、心配そうな顔で待っていたセシヤの下に戻る。
「……お疲れさまでした」
迎えたセシヤの言葉は、どこか怒気を孕んでいた。表情こそ落ち着いたものだが、それでもやはり機嫌が良いとは言えない
「そう怒らないでおくれ、セシヤ。あやつらは頑張ってくれたようじゃし、それを台無しにするわけにはいかんからな」
「それでも……もうお若くないんですからね」
キコの魔術を見上げながら、セシヤは昔の思い出に耽る。自分が物心ついたときには既に妖精界は平和になっていて、キコの活躍は昔の伝説のような扱いだった。しかし、妖精界最後の反乱を収めた英雄も年を取る。セシヤはキコの面倒を見るようになって、それを誰よりも感じていた。
「今日はゆっくりとお休みになってくださいね。帰るなら
「うむ、それならお言葉に甘えようかの。膝枕とか——」
「しません。ほら、そろそろ雲が向こうに到達しますよ」
雲は王都の真上でピタリと止まり、広範囲に人工的な自然災害が巻き起こる。
「ふむ、では儂の仕事も終わりじゃの」
キコはようやく雲にかけていた魔術を解くと、仲間の様子をぐるっと見まわした。
誰もが消耗しているようだが、それでも黒雲の結果を見届けようと皆空を見上げていた。
「これで一段落……かの」
キコは一人、誰にも聞こえないようなこえでそう呟いた。
* * *
混乱が混乱を呼んだ、神母祭の二日後。王都からは祭の気配が消え、代わりに王立軍兵士がより多く街に姿を見せるようになった。魔砲を都の中で無断使用した件は、住民が既に退避している状況だったこともあり止む無しとなったが、それでも建物への被害はどうしようもなく、現在も補修が続いている。
「王都が襲撃されたってわりに、綺麗なもんじゃねえか」
メネルは帽子を被りごく普通の街の男のように振る舞いながら、シーラと共に街の様子を視察していた。
「何もないほうがいいでしょう。そもそも武神団がいるにも関わらず私たちを呼び出すなんて、神官や大臣は何を考えて――」
「はーい、それ以上言っちゃいかんぞー。誰かに聞かれると面倒だかんな」
「……すみません」
「わかりゃそれでいいよ。あっ、おっちゃん。このりんご一つくれ。あとは、そこのぶどうも。それから――」
メネルは通りがかった果物の露店を物色し、目についたものを次々と購入していく。シーラはそれをじとっと批判的な表情で見つめていた。
「仕事中ですよ」
「固いこというなよ。ただ歩くのも退屈だろ?」
「そうだぜ彼女さんよ!そんな仏頂面じゃあ美人が台無しだぜ?」
「なっ⁉ わ、私とこの人は別にそういう関係では無く!」
シーラは顔を真っ赤に染めながら、手をぶんぶんと振って否定する。今まで男は周りにたくさんいたが、全員が恋愛の対象などではもちろんなく。即ち、そういったことに免疫など一切なく。
「いいじゃねえか別に。俺もお前はなかなかいい女だと思うぞ」
整った目鼻だちに薄い唇。長い髪は一本結びにして肩から前に垂らしている。世間一般から見て間違いなく美人な彼女は、街の中では多少なりとも目立つ存在であり、隣にメネルがいなければ、どこぞの男に声をかけられてもおかしくはなかった。
「ま、結婚とかはまっぴらだけどな」
「こっちこそ、あなたとなんて願い下げです」
露店を離れて王城への道を辿る間も、痴話喧嘩のような二人の口論が止むことはなかった。
外周区から貴族街を抜け、最奥の城門の中に入ろうとすると門番の兵士二人が道を塞ぐ。メネルはちゃんと仕事をしていると満足しながら帽子を取り、労いの言葉をかけて道を開けさせる。
広い城の中を張り巡らせた、赤い絨毯が隙間なく並べられた通路を歩いていく。シーラはこの景色があまり好きではなかった。通路の端に置かれたり、壁に飾られた美術品も、どこかシーラの嗜好からは遠く離れている。できるだけ視界に入らないようにしながら進み、メネルの私室兼王立軍総帥専用書斎へと足を踏み入れた。
「まあ座れよ。えーと、確かこの辺に菓子かなんか……」
メネルの個室は非常にシンプルなものだった。余計なものを極力削り、必要最低限のものを取り揃えてある。シーラにとっては、こういった景色の方がいくらか心休まるのだろう、ほっとした表情を浮かべていた。客人用だと思われる椅子に腰かけ、メネルの話が始まるのを待つ——が、いつまでも部屋の隅の棚をごそごそとやっている姿を見て、シーラは早めに動いた方がいいと直感した。
「あの……私も手伝いましょうか?」
「いや、すまん。なかったみたいだ、気にすんな」
そんなことだろうと思いました、とため息をつく。上司のいい加減な性格に振り回されてきた経験からの予想はしっかりと当たってしまっていた。
「それで、どうして私は呼ばれたんですか? まさか、ただ買い物に付き合わせたかったってわけじゃないですよね?」
「ああ、もちろんだ。あの人質を王都に送って異世界に行って、行った途端にとんぼ返りさせられて、そんでもってここに来てみれば大量の報告書が机の上で山を作ってる。それを一つ残らず全部処理して、気がついたら昼になってた。それでちょっと気分展開に外に出たってわけだ」
「……はあ、それは、お疲れ様です」
シーラはその言葉と口調には、私に口止めさせた神官や大臣への誹謗中傷の意が込められてはいないですか、と喉元まできて、ぐっと飲み込んだ。言えば面倒くささが増しそうだと考えていた。
「で、大抵はどうでもいいことばかりだったが、気になるのが二枚だけあった」
メネルが机の引き出しから二枚の報告書を取り出し、シーラへ手渡す。
「城壁を超える逃亡を止められず、処刑人及びその仲間達の捕縛に失敗。その直後、妖精達の攻撃に遭うも被害なく撃退。……これがどうかしたんですか?」
シーラは渡された書類の中で、線を引かれ強調された部分を読み上げた。
「その内容は別におかしくねえ。処刑に失敗して、神母祭で王立軍のメンツが潰れたってことくらいだ。この後大臣たちの会議に呼び出されることになってる。めんどくせえなあ——っと、それはどうでもいい。問題なのはその襲撃の順番とタイミングだ」
「どういうことですか?」
シーラにはメネルの言うような問題があるとは思えなかった。
「あの日は祭だったからな。いつもより多くの兵士が非番になってたんだ。それが亜人が出たりなんなりで、非番の兵士を含めた全員が出動せざるを得なくなった。こちらの準備が終わった直後に奴らは逃げおおせて、代わりに妖精達がやってきた。まさかいきなり王都が狙われるとは思ってなかったから驚いたが、それでもそいつらにはしっかりと対応できたようだ……タイミングが良すぎねえか?」
「あっ……!」
シーラもようやく、メネルの言葉の意味を汲み取ることができた。
「奴らが城壁の上から逃げたおかげで、妖精たちを発見するのも随分と早かったみたいだ。もし何事もなく妖精達が王都にきてたらと思うとぞっとするぜ」
何事もなく妖精軍が王都を襲っていたら。陥落とはいかないまでも、間違いなく王都は大混乱になっていただろう。特に外周区は壊滅的な被害を受け、多くの国民の避難が間に合わず、蹂躙されていたかもしれない。あそこまで一方的に妖精達を抑え込めたのは、魔砲をしっかりと活用し、妖精達を彼らの間合いにまで詰めさせなかったことが要因だった。
「つまり私達は、彼らに救われたと……?」
「そう一概には言えないがな。結局奴らは、俺達が捕らえたあの男を助けにきただろうし。ただ奴らの逃げたタイミングは、こちらにとって一番有難い瞬間だったってのは事実だ」
癪なことにな、とメネルは自分の椅子にどかりと座り込んだ。
「そう、それともう一つ。お前にとってはこちらが本題かもしれん」
次のも読めと、メネルは顎でもう一枚の報告書を指す。
「兵士数人が催眠弾によって眠らされ、作戦遂行に支障をきたした……催眠弾、か」
「こっちはもう心当たりがあるって感じか」
「ええ、まあ」
シーラは亜人界でのこと、どうしてか隠してしまったレイピアのことを思い出していた。
「これやったの、間違いなくリオだよなあ」
「……私もそう思います」
魔砲で催眠弾を扱う難しさを二人は良くわかっていたし、それが出来る人間は限られていた。ここにいる二人と、ここから居なくなってしまった、部隊の元エースと。
「あいつがどういうつもりなのかは知らねーが、これは充分すぎる裏切りだ。別に、恩だ
メネルは一つの座標を口にする。シーラは頭の中の地図とその座標を結びつけた。そして、理解した。メネルが何をするつもりなのかを。
「ちゃんと伝えろよ? 家族の過ち、その尻拭いだ」
メネルはそう言い残し、部屋を去った。一人取り残された部屋で、シーラは震える自分の肩を抱きしめる。激しくなる心臓の鼓動が、呼吸のテンポを上げていく。命令を聞きたくないという感情の声を押し殺し、部屋を出てふらふらと仲間の下に向かい進み始めた。逃げだしたいと思うとどこか、いくつもの美術品に見張られているような錯覚を覚えて、シーラはやはり、これらのことが嫌いになった。
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