第15話 決着
澄んだ金属音が鳴り響いては消えていく。
彼らの戦いの最中、道を形どる石は砕け、家を成す壁は崩れていく。
果たして、何合打ち合っただろうか。その度に起こる衝撃は、周囲の風景を大きく変えてしまった。
そんないつ折れてもおかしくないような激しいぶつかり合いの中でも一切の刃こぼれなく、お互いの愛剣は変わらない輝きを放っている。
だが、二人の様子は正反対とも言えるものだった。
傷一つない鎧に、戦場でも崩れることのない、華麗な立ち姿。
なんども地面に叩きつけられ、全身を傷だらけにしながらもなお立ち続ける姿。
「もう、諦めたらどうかな」
敵わないと分かっていて、それでもなお向かってくる相手。エドバは初めのうち、まるで羽虫が周りを飛び回っているようだと苛立ちを覚えたが、今では憐れみを感じていた。勝てないと分かっているが、負けることは許されない。そんな理不尽な状況に耐え続けていること。それが自分の身に起きたらと考えると、身の毛もよだつ。そう思ったのだ。
「気が早いっての。言ったろ?お前の期待に応える、俺になるってさ!」
テルンは一切手を抜かない、今出せる全ての力を載せて剣を振るう。
エドバはそれを鬱陶しそうにいなし、子供を扱うように吹き飛ばした。
「そう、君はそう言った。だから私は待った。待っている。敵である君の言葉を信じて。久しく味わったことのない刺激を、君が与えてくれると願ってだ。だが、これだけ君の剣を受けても、何ら重さを感じない。むしろ時間を経るほどに軽くなってしまっているんだ」
とうとうエドバの顔に浮かぶものは憐れみから諦念に代わり、剣を鞘に収めてしまった。
「おそらく、武神団の団員には王城への召集がかかっている。王を御守りすることが私達の任務であり、存在意義。悪から我らの正義を護る誇りだ。それでも、私は君と戦うことを選んだ。私情を優先したことは、王への裏切りとも言える行為だ。そうまでした私の気持ちを、汲んでくれないというのか」
エドバの言葉を聞きながら、テルンは身体中に傷を負い、気力を蝕む全身の痛みを抑えようとしていた。受けたダメージを減らすためにも、少しでも時間がほしい。このままエドバに喋らせておけば、時間が大きく稼げるだろう。
それでも、どうしても言っておかなければならないことがあった。
「知らねーよ、そんなこと。お前の正義が王様だってんなら、それを貫けよ。俺のことを言い訳にして、中途半端になるのは止めろ。俺は、俺が生きたいように生きるために、俺の正義のために、必要なことをしてるだけだ。グリーを救って、無事にここから脱出する。そのために、俺はお前を倒さなくちゃならないんだ」
息は荒く肩は上下し、流れる汗は滝のよう。気を抜けば膝をついてしまいそうなほどの疲れを隠す余裕もない。それでも表情だけは戦う前から変わらない、余裕を感じさせる笑顔。
「……気に食わないね」
エドバを取り巻く空気の質が変わる。いつの間にか弛んでしまっていた気を締め直す。
「もうそろそろいいだろう。決着をつけさせてもらう」
一歩、一歩。エドバは歩む。剣を構えるでもなく、だた歩を進める。そのテンポを上げながら、テルンの元に向かって。
テルンは剣を中段に構える。刹那、エドバを見失う。
危機を察知して、テルンは全力で跳び退る——しかし、足りなかった。
静かな一閃。胸を切り裂く、細見の刃。
「く……そ……」
テルンは仰向けに崩れ落ちる。どくどくと血が流れだし、地面が赤く染まっていく。
エドバはそれを冷めた目で見つめていた。剣を振って付着した血を振り払い、鞘に納める。
「出てきなさい。決着はつきました。あなたを王の下に連れて行きます」
エドバは姿の見えないテディに呼びかける。
優しい声音に誘われるように、物陰から金髪が覗く。
「そこにいましたか。これから王に謁見します。今の小汚い姿では失礼に当たりますから、まずは身なりを整えて――っ!」
突然背後で沸きあがった殺気に、エドバは思わず剣を握り、振り返った。
周囲を吸収するような黒い光を纏ったテルンが、ゆらりと立ち上がる。エドバの目には、それが禁忌に触れた悪鬼と映った。
「お待たせ」
再び笑ったテルンの顔に、エドバは戦慄する。先ほどからは打って変わった、本気の構えでテルンに向かい合った。
「やれやれ、ほーんと。エドバ君は分かりやすいくて助かる。早速だけど、あんたの期待に応えられる俺になったか、確かめてもらおうかな?」
テルンは軽く跳躍する。それだけで、二人は剣を交えていた。エドバはテルンをいなすのではなく、しっかりと剣を受け止める。否、受け止めざるを得なかった。テルンが更に剣を押し込もうとしてエドバの抵抗を予測したが、逆にエドバは距離を取った。
「……凄まじい変わりようだな」
「俺の言った通りだっただろ? 俺の実力じゃさっきのが限界で、ゲームオーバーだったわけだ」
テルンは胸の傷があった場所をとんとんと叩く。
「化け物のようだな。私とて、それほどの回復力は持ち合わせていない」
「自分より上なら人間じゃないってか。随分傲慢なこった」
嘲笑を浮かべるテルンに、エドバは激しい嫌悪感を覚えた。そして同時に、テルンをここで殺さなければならないという思いも抱いていた。
「刺激などと言ったことは謝ろう。私はお前を仇敵とみなし——切り捨てる」
エドバは剣を両手で握り直すと上段に構える。
「あー、いいって。もういちいち構えるとか、敵がどうとか。お前の言ってたことには一理あったよ」
テルンはそう言って剣を鞘に納め、その状態のまま柄を握り——
「刺激って大事だと思うぜ? 例えばっ!」
――言葉と同時に、やり投げのように剣を放った。
予想外の行動に、エドバは驚愕にうたれる。それでもそれに反応できないほどではなく、しっかりと対応しようとした。
「よっと」
テルンは投げた剣に瞬時に追いつくと、空中を飛ぶ剣の柄を握る。そして、そのまま飛び続ける鞘を追って再び加速した。
「なっ!……くっ!」
鞘と剣との二段攻撃、それが間をおかずにエドバを襲う。まるで二人を相手にするような状況でも、エドバは崩れなかった。鞘を剣ではなく最小限の身体の捌きで躱す。そこで生じた捻りを用い、反撃。テルンの剣を潜るように踏み込み、溜めた力を剣に載せた。
「へえ、やるじゃん」
テルンは躱され空を切った剣を地面に突き立て、それを手がかりにして跳び上がる。宙で反転し、エドバの後頭部を足で横殴りにし、石の地面に叩きつけた。苦痛に呻きながら、それでも隙を作るまいと、剣をついて立ち上がる。武神団の長であることのプライドと、自分が王を守る最強の盾であるという自負を持って。
「頭飛ばすつもりでやったんだけどな。流石に頑丈だ」
「ふざけたことを……」
整ったエドバの顔が憤怒に歪む。並みの人間なら立っていられないだろう激しい殺気を露わにした。しかし、テルンはそれを全く意に介さず、地面に突き刺した剣を引き抜いた。
「それにしても、良く立っていられるな。あれだけの衝撃を頭に受けたら、気絶したっておかしくないし、恥ずかしくもない。大人しく寝ていた方が、お前のためでもあったと思うぞ」
エドバに歩み寄るテルン。エドバはそれを眩みそうな視界の中で、ただ見ることしか出来なかった。
「ただの脳震盪だ。目が覚めたら祭は終わってるかもしれないけど、悪く思うなよ」
とんっと肩を押されただけで、エドバは地面に倒れこんでしまった。情けを掛けられたことに対する屈辱と、次は必ず殺すという決意を胸に抱えながら。
テルンはエドバが気を失ったことを確かめると、鞘を拾い剣をしまった。
鞘と鍔のぶつかった音を最後にその場から音が消え、静けさが迫って来る。つい先ほどまで死闘が行われていたのが嘘のようだった。
「テディ、終わったよ。出ておいで」
金髪が少しだけ見える建物の陰。風によって煽られて、誘うようにちろちろと揺れていた。恐る恐るといった様子で、テディは碧い瞳をのぞかせる。
「もうおしまい?」
「ああ、みんなのところに帰るぞ。お前の力を貸してくれ」
テディの力では同じ世界の中を移動することはできない。あくまで異世界に逃れるということだが、また日をずらして再び人間界のメロンたちがいる場所に転移する手筈となっていた。
「死んじゃったの?」
テディは恐々とエドバの様子を伺う。
「いや、死んではいないよ。初めから殺すつもりはなかったし」
「でもテルン兄ちゃん、急に強くなって……怖くなった。あの黒いもやもやが出てから」
テディは二人の戦闘中、ただ隠れていたわけではなかった。好奇心に駆られ、ほんの少しだけ顔を出して様子を見ていた。武神同士の戦いはまさに神速であり、常人の目ではろくに何が起きているか分からなかっただろう。それでも、テディの目はしっかりと状況を捉えていたようだった。
「……ごめんな。怖い思いさせて。確かにちょっとやりすぎだったかもしれない。でも、この程度じゃ死なないって、ちゃんと分かってたから大丈夫さ」
「そうじゃないよ。そうじゃなくて……テルン兄ちゃん、変わっちゃったの?」
ようやくテルンは気がついた。テディが何を怖がっているのか。少しの逡巡の後、テルンは両膝つき視線を合わせ、テディを引き寄る。ビクッとするテディに構わず、ぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫だ。俺は俺のままだよ。みんなを守って、この世界と二つの異世界に住むみんなが仲良くなれるように頑張る、そのままの俺だよ」
「ほんと?嘘じゃない?」
テディの声はか細くて、身体はとても華奢で。瞳に溜まる涙が、街の灯りを反射して。
テルンは力強く頷いた。
「本当だ。俺は嘘をついたりしないよ」
「……うん。分かった。テルン兄ちゃん、嘘つくの下手くそだから……きっと、本当だね」
「褒め言葉だと受け取っておくよ」
二人の笑い声が、楽しげに踊る。
「さあ、帰ろう。流石に疲れたよ」
「うん。任せて!」
テディはテルンから離れると、空に大きな真円を描く。中にある光を吐き出すように明滅し、六芒星が消えた後、
「お疲れ様、それじゃあ——」
突然明るくなった空に、テルンは言葉を切り——見惚れていた。
「テルン兄ちゃん、あれなあに?」
一緒に見ていたテディが、それを指差す。
「メロンが打ち上げた、そうだな……花火、かな。花じゃなくて文章だけど」
「花火……なんて書いてあるの?」
「読めないか?あれはな——っと、そろそろ行くぞ」
どこからか、大勢が走る音が近づいてきていた。彼らに見つかる前に逃げてしまおうと、テルンはテディの手を握った。
「あれはな、俺たちが人間界のみんなに送ったメッセージだよ」
暗闇の中に二人の姿が消え、その暗闇もまた消え失せる。
唯一、彼らがここにいた名残。王都にいた人々誰もが呟いた、その言葉。
全ての幻に、愛を込めて
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