第14話 空に願いを

 人気のない道をひたすらに走る、二つの影。道に座り込んでいる野良の犬や猫達は、二人から異様なものを感じるのか、毛を逆立てて唸りつつ小さな隙間に逃げ込んでいく。祭りの喧騒から遠のいた、しんと静まり帰った道の中で、二つの地面を蹴る音と、剣と鞘のぶつかる音だけが止まることなく響き続けた。

 狭い道を抜けたところで、二人の足の運びは緩み歩みとなって、やがて止まった。


「随分と遠い所まで来てしまったね。これでは、君の仲間は助けられないんじゃないのかな?」


 走り続けていたテルンが止まったことで、エドバは少し安心していた。もしテルンが逃げ続けるようなら、街を少し壊してでも、道を塞がなければならないと考えていたからだ。


「まあそれでも構わないんだけどな。お前が俺を追うのを諦めるようなことになったら、今度はこっちが追わなくちゃならない。面倒なのはごめんだ」


 背中に金髪の少女を背負ったまま剣を引き抜くテルンの姿は、エドバにはなんともちぐはぐとしたものに見えた。

 しかし、その光景はお互いの事情の絡んだ結果、テルンにとって最善の状態であった。彼女を無傷で捕らえるつもりでいるエドバにとっては、この状態では戦いづらいことこの上なく、誘導が目的でまともに戦う気のないテルンは、手元から離して連れ去られることの方が余程怖い。

 そもそもテルンの当初の作戦では、テディはリオ達と共に城壁の上で待機するはずだった。それが一番安全で、確実なものに思われたからだ。

 それが今、こうしてテルンの背中におんぶされぎゅっと抱き着いているのは、テディの意思に他ならなかった。

 テルンが一人でエドバを引き付けると言った時、自分もついていくといって譲らなかった。小さな身体に収まり切らない、強く揺るがない気持ちが息づいているのを感じて、テルン達は思わず息を呑んだ。

 テルン兄ちゃんを一人で行かせちゃ駄目だと皆に訴え、テルンの足にしがみ付くその様子は、年相応に駄々をこねる子供のそれで。テルンは半分諦めたように自分の言うことをちゃんと聞くことを約束させて、テディの安全を全員に約束し、今に至る。


「そうか。何にせよ、私にとっては嬉しいことだ。ここで君を始末して、その子を王の下へ連れていくのが私の役目なのだから」


 エドバは静かに剣を鞘から解き放つと、処刑台前と同じように、テルンの首筋に向けて真っ直ぐに剣を構えた。

 こうなってしまった以上、エドバとの戦いは避けられない。自分で責任を持った以上、ここでテディに何かが起こってはならないと、テルンは意識を切り替えた。


「テディ、振り落とされるなよ?」

「大丈夫!絶対離さないもん!」


 テディはテルンの首に腕を回し、腰には足を巻き付けて、ガッチリとホールドした。


「よーし。じゃあ、始めようぜ。俺はお前をぶっ飛ばして、仲間のところに帰るからさ」


 しゃりんという音と共に、エドバによって鍛えられた、テルンの剣が晒し出される。

 華やかさと素朴さ。二人の剣は街の灯りに照らされ、存在を強く主張した。

 使い手テルンとエドバの存在、そのもののように。


「「はあぁぁっ!」」


 二人は一気に間合いを詰め、剣と剣、気と気をぶつけ合う。

 それは広場であった茶番とは似ても似つかない、全力の交錯。

 突き、弾き、薙ぎ、駆け、跳ぶ。

 二人を包む時の流れだけが独特で、まるで世界から切り離されたように。ゆっくりでいて、それでいて目にも止まらない。

 激しくなる鼓動、張り詰める精神。

 一閃と共に滲み出る汗。二人の巻き起こした風で舞う、街の埃。それは魔道具フィリアツールの光を反射し、拡散させ、七色に輝いている。

 互いを吹き飛ばす一撃を交え、態勢を崩さぬよう滑りながら踏ん張りを利かせる。テルンはブーツの底が磨り減っていくのが感じられるほど、自分の感覚が鋭くなっていることに気が付いた。


「ふむ、なるほど。申し分ないですね」

「へぇ。人を値踏みとは、随分余裕なご様子で」


 剣を再び構え、エドバを見据えた瞬間。テルンは自分の甘えを痛感した。


「ごめん、テディ。ここまでだ」

「え?」


 ほっと手足を休めていたテディは、テルンの言葉に一瞬耳を疑った。


「負けちゃうの?」

「そんなことはないさ。でも、テディを背負ったまま戦うことは、もう出来ない」


 テディはテルンの筋肉が少し強張っていることで、テルンの心の内を察してしまった。


「……分かった。そこで隠れてるね」

「ああ。そうしてくれ」


 テディはしゃがんだテルンの背中から降りるとぱたぱたと駆け、納屋の陰に隠れる。


「賢明な判断だと、褒めておくよ」

「そりゃどうも。時間も体力も惜しいからな。ちんたら打ち合ってないで、さっさと終らせようぜ」

「それもそうだね。では、ご期待に応えるとしよう」


 二人の停止は、静けさに一層拍車がかけていた。それを断ち切らんとするようにエドバは天を刺すように剣を立てると、それを握る拳を胸の高さに据える。


「我が身を王の剣、盾とし、永遠のしもべとして捧げることを誓う。今こそその証を体現し、正義に則り、悪を滅さん」


 その言葉はエドバの生きる道そのままを表し、目の前に立ちはだかる敵を必ず討取るという宣言だった。

 それの終わりと共に、エドバの周囲を薄く白い光が覆う。圧倒的な存在感を見せる様はまるで、周りの世界から光を吸収し、霞ませているかのようだった。


同士、これが一番だろう? 君も全力で——」

「便利なもんだな」


 呟きの後、テルンはふっと短く息を吐く。右足で強く地面を蹴り、エドバとの距離を詰めようと一気に加速する。

 今まで以上のスピードを出したテルンの一撃を、エドバは易々と弾き返した。


「……何のつもりかな?」


 整った笑顔の奥から、凍るような声。


「君はそのままやるつもりなのか。私は本気でやるというのに」


 エドバは許せなかった。自分の全力に対して、手を抜くという行為が。蔑ろにされているという思いが、頭の中でぐるぐると回り続けていた。


「そう言われてもな。これが今出せる、俺の全力だ」


 テルンはエドバの中で、何かの多寡が外れていくのを肌で感じた。そして苛立たしいことに、それに若干の恐怖を覚えていることを自覚していた。


「……どうやら私の買被りだったようだ。こんなもの、さっさと終わらせよう」


 エドバは当てつけのようにテルンの言葉を用い、殺意を持って剣を構える。


「分かってもらえて何より——!」


 エドバが一瞬の間にテルンに肉薄する。

 エドバが剣を振るう。

 テルンは身を捻り、刃を躱す。

 態勢の崩れた所に、翻った刃が襲いかかる。

 エドバの剣の軌道に合わせ、テルンは愛剣を盾のようにして迎え撃つ。

 そんなものは関係ないと、エドバはそのまま薙ぎ払う。

 テルンの視界の中でエドバが遠ざかる。刹那の浮遊感の後、背中を強い衝撃が襲う。


「……そういえば、久しぶりだ。こうやって、まともに、人間と戦うのは」


 テルンは咳き込みながらもすぐに立ち上がり、エドバの元に戻っていく。

 エドバが本気を出せば、今の自分では対抗出来ない。テルンはそれを分かっていながら、エドバを焚きつけた。

 お互いに余裕を持って戦っていては、勝ち負けがつくことなく、惰性の戦いが続くだけ。戦いが終わらなければ、テルンは逃げられない。テディが異世界門ゲートを創る力を保持していると知っている今、それを黙って見過ごす程エドバは甘くない。

 この場から脱するには、全力のエドバを倒すことが絶対だった。


「なあエドバ・エリト。我慢って大事だぜ?そのうちに、お前の期待に応えられる俺になるからさ。今を本気で戦おうぜ。な?」


 やるしかない。ふっと笑って、テルンは再び剣を構えた。


 *    *    *


「眺めだけはいいんだね、ここ」

「メロンさーん。現実に目を向けましょー」

「こういう時なんていうか、俺知ってるぞ。ミイラ取りがミイラ——」

「それは言わない約束だよー」


 三人佇む、処刑台の上。その周り三百六十度にはいかつい顔をし、武器を振り上げる人々。

 助けに駆けつけ、グリーの自由を確保して、三人で無事を確認しあった、その直後。素早い統率のとれた行動で、処刑台の周りを取り囲んだ王立軍兵士達。処刑台の階段をプシノによって破壊され上に登れなくなってしまい、ただ睨みを効かせて包囲している。

 実質的に空の孤島となった処刑台の上で、三人は途方に暮れていた。


「プシノの魔法で飛んでいけないかなあ」

「人間二人を抱えて長く飛べるほど、私の魔法フィリアは強くないんです。ごめんなさい……」

「ご、ごめん!責めてるわけじゃないんだよ」


 しょぼんと落ち込んだプシノを慌てた様子で自分の言葉を訂正する。


「でも、こうなることくらい予想出来ただろ?なんか対策を用意してるんじゃ……リオが」

「私たちじゃないんだ……まあ、否定できないけど」


 二人の乾いた笑いが夜空に散っていく。下の兵士達がはしごか何かを持ってきてしまったら、その瞬間に全てが終わる。この状況に陥るまで、メロン達はこういった事態を一切考えていなかった。とにかく処刑台に辿りつく、それしか考えていなかった。


 *   *   *


「おい! 誰か魔砲フィリアガンを持ってこい!」


 そんな時、メロン達の知らぬところで兵士達に新たな動きが見られた。木製の処刑台の柱は相当に太く、剣で切り倒せるものではない。はしごを取りにいった者はなかなか帰って来ず、敵を目の前に何もできないじれったさが、その場の空気全体を苛立ったものにさせていた。


「しかし街中での魔砲使用許可は出ていません!」


 魔砲は特性上、発射された弾が規定された直線距離分飛んでいく。例え障害物があろうとも、止まることはないのである。

 これを街の中で発砲した場合、どうなるか。

 場所を選び、直線的で視界の取れている場所で使用する分には問題ないだろう。 しかし以前、王立軍が犯罪者を追っている最中、魔砲を使用しそれが民家などを貫通して生活している国民に当たり、即死させるという事故が発生した。これ以来国民の強い反対から、街中で魔砲を使用するのは禁止となっている。


「構うか!空に向かって撃つんだ。他の誰かに当たったりするか!」

「は、はい!」


 上官に怒鳴られびくびくとしながら、部下である兵士が駆けていこうとしたところで、また新たなお達しがその背中に投げられた。


「それと、お前一人で行くな! 何人かで行ってこい! さっきから一人でお遣いもできない奴が多すぎる!」

「りょ、了解です! 誰か、武器庫に行くのを手伝ってくれ!」


 *   *   *


「あーらら。今度は十人か。そろそろ厳しいわね」


 リオははしごを取りにいった兵士を次々と眠らせ、メロン達を救出するための時間を稼いでいた。


「ていうか弾薬も打ち切っちゃったし、ここまでかしらね。私の仕事はおーしまい」


 その場で立ち上がりんっと伸びをして、長時間の同じ態勢で凝り固まった身体と、集中していた精神を弛緩させる。


「あとは頼んだわよ——こわーい狼さん?」


 再び聞こえた遠吠えに、リオはどこか楽しそうだった。


 *   *   *


「各員、亜人の襲撃に警戒せよ!」


 処刑台を囲む兵士達に、緊張が走る。国民のほとんどはこの場から、より兵士の多い貴族街の方へと避難が完了している。恐怖する心は兵士も国民も変わらなかったが、義務感と使命感が彼らの足を広場に縛り付けていた。


「目的はこの上にいる奴らに間違いない!武神団の手など借りずとも、我ら軍だけで事足りるということを見せつけてやるのだ!」


 兵士達が鬨の声を上げ、気を引き締めている様子を、メロン達は処刑台の縁から覗き込んでいた。


「そういえば、武神団の姿が見えないね」

「確かに……エドバ以外の武神団員はどこにいったのでしょうか? 処刑開始の際はいたと思うのですが」

「今頃王城の周りをぐるっと取り囲んでるんだろうよ。フィーネルのとこは昔っから王様第一主義だからな」


 グリーの想像通り、武神団は貴族街の最奥で王城の周りに配置されていた。テルン達が登場し、フェガの遠吠えが聞こえる頃には既にそれが完了しているという対応の速さだった。処刑人の救出の方が囮で、王城に攻め入るのが真の目的ではないかという憶測が王の側近達の間で飛び交ったからである。


「俺達にとっては有難いこった。エドバだけはテルンの方にくっついてるみたいだが、あいつならなんとかするだろ」

「そう……だね。大丈夫だよね」

「そうですよ。むしろ私たちの方がまずいです……」

「だよねえ」


 思わずため息をついた三人の脱力具合とは対照的に、下の兵士たちは張りつめた表情で周囲を見回していた。処刑台に背を向けるようにして、全方位を監視する。

 

「あそこだ!」


 兵士の一人が、城壁の上を指さす。初めに現れた時より、ずっと近い位置。そこで月明かりに照らされたフェガのシルエットを、全員が視認した。


「総員、迎撃態勢!」


 途端、フェガの姿が消える。城壁から飛び降り、風のように駆けていく。亜人討伐の名誉を得ようと逸る者たちが、自分を奮い立たせるように雄叫びをあげながらフェガに向かい先行していく。

 

「お前ら!陣形を崩すな!……くそっ!総員突撃!」


 王立軍に所属するほとんどの兵士は実戦に参加したことがないというのが実状であった。訓練はもちろん厳しいが、それでも命の保証はされている。自分の命を危険に晒すなどという経験はなく、その覚悟も持っていない者がほとんどなのである。更に初めて出会った未知の相手への恐怖心や緊張感。それらが彼らの理性や冷静な判断力を鈍らせていた。

 フェガと王立軍の距離が縮まっていく。広場に通じる直線の通路にフェガが飛び出す。兵士達の目の前に現れた狼は、人間界にいるそれとは比べ物にならない大きさで。暗い茶色の毛皮に包まれた獣。目が合えば身体が金縛りにあったように動かなくなる。喉の奥から漏れ出す声は、兵士達には威嚇する唸り声に感じられた。


「ひ、怯むな!しがみついてでも奴を止めろ!」


 フェガとの邂逅は思考の停止による時間の空白を生み出していた。なんとか勇気を絞り出したといった声。それでも、沈黙を破るきっかけとしては充分なもので、兵たちは再び剣を構え、フェガに向かって突撃していく。

 それを合図にして、フェガも同時に走り出す。だが、フェガの瞳に兵士達の姿は一つとして映っていなかった。

 兵士達とぶつかり合う刹那、フェガの足に強烈な力が集まる。俗に言う「足の」を解放して、フェガは自分の巨体を宙へと送り出した。

 後日兵士は、高く跳ぶフェガを空を渡っているようだったと形容した。月明かりによって照らされたフェガの影が兵士達を覆う。切り替えそうと反転した先頭の兵士達が後続とぶつかり、連鎖的に次々と倒れていく。もう誰も、フェガを追えてはいなかった。


「フェガ!ここだー!」


 処刑台の上から身を乗り出し、三人はフェガに向かい手を振った。


「撃て!」


 その瞬間、宙に走る幾多もの弾丸の軌跡。処刑台の三人は、弾丸が掠めた事実に悲鳴を上げ、慌てて身を伏せる。

 魔砲を取りに行っていた兵士達がようやく戻り、罪人に狙いを定めていた。武器庫から戻ってみれば、自分たち以外処刑台の周りには数人が残るばかりで、ほとんどがその場から離れていく。状況を飲み込めずにいたが、自分たちは当初の目的通り、処刑を続行しようと決めたのだった。

 この判断は意図せず彼らにとって最善のものだった。この戦いの軍側の勝利条件は、襲撃者側の最終目標を阻止すること。つまり、処刑を完了させることにある。それが何よりの優先事項で、兵士達が無意識に理解していたことだった。

 処刑台に飛び上がる前に、フェガはそれを捻じ曲げにかかる。


「照準を右に!仕留めろ!撃ち殺せ!」


 高速で通路から飛び出したフェガが進路を変えてこちらに向かってくる。それを確認して、魔砲兵たちは銃口を処刑台からフェガへと切り替えた。落ち着いたその対応は、強力な武装を持った故の余裕から来るものか。市街での発砲禁止を忘れているのは、その力故の傲慢か。

 全てを加味し、その判断は——最悪と言わざるを得なかった。


「撃て!」


 掛け声に合わせて、総勢八丁の銃口が火を噴く。

 フェガは大きく息を吸いながら構わず直進し、八つの弾丸と交わり——弾を弾き飛ばした。


「そんな! もう一度——!」

 

 次の言葉が続く前に、衝撃が彼らを襲う。手に握っていた魔砲はフェガにもぎ取られ、耳に残る音を立てて噛み砕かれた。

 起き上がり見上げれば、大狼に見下ろされている。逆光で暗くなった影の中で強烈に輝く、二つの瞳。目が合った。


「し、死にたくね……え」


 死の塊に、極限の恐怖に遭遇して、精神は一度そこから逃れる道を選ぶ。

 フェガはそれを見届けて、全ての魔砲を処理しながら散った弾の残骸を一瞥して、処刑台に向かう。

 フェガが弾丸を弾いたのは、全亜人に共通する特性によるものだった。人間や亜人、妖精は体内にそれぞれフィリアを保有している。亜人は人間や妖精に比べ、その量が圧倒的に少ないとされていて、それは体内にあるフィリアを体内に溜め込めないことが原因である。亜人界は空気中のフィリアが元々少ないため、その環境に順応したのだと考えられている。

 その亜人達が異世界のフィリアを多く含む空気を取り込んだ場合、どうなるか。体内保有量の限界以上に取り入れられたフィリアを体外に放出するのである。

 魔砲の弾が飛んでいるのは、あくまで魔道具フィリアツールによってそう魔術がかけられているから。それがフェガの身体に触れると、体内から放出されたフィリアと魔道具による魔術が混ざり合い、魔術が消えてしまう。弾はただの金属に戻り、その場で停止してしまうというわけだ。なお、この特性は呼吸の大きさに比例して発揮する。

 フェガは力強い跳躍で処刑台へと跳び上がる。三人が無傷であることを確認して、ほっとした雰囲気が少なからず現れていた。


「フェガさん!助け——」

「乗れ」


 メロンの歓声を制して、フェガは三人に背中を向ける。それは言外に時間が惜しいということを伝えていた。現に先ほどまでフェガを追いかけていた兵士達は既に態勢を立て直し、フェガ達に迫ってきていた。

 プシノはメロンに、メロンとグリーはフェガの背中に跨り、身を屈めた。


「行くぞ」


 まさに風、そのもの。王の都を吹き抜けていく、夏の突風。メロンは今まさに、自分がそうなっていると思った。外へ繋がる城門への一本道を駆け抜ける。周りの景色を置き去りにして、自分だけが前に進んでいるような、そんな感覚。

 だがそれも長くは続かない。城門の前にはフェガ達を逃すまいと、数えきれないほどの王立軍が立ちはだかっているのが遠目に見えていた。


「プシノ!グリーとメロンを城壁の上まで飛ばせるか⁉」


 速度を少し落としながら、フェガはプシノに問う。


「やれます!飛ばすだけならそれほど力も使いませんから!」

「城壁の上までは流石に届かん!跳ぶには、俺自身の力が足りない!俺が時間を稼ぐから——」

「放り上げるのは三名でよろしいですか?」


 プシノが不敵な声で、フェガの言葉を遮る。自分への負担など気にすることはない、と。普段のプシノからは出ないような声音に、三人は驚きを隠せなかった。だがそれが、本人の自信の程を顕著に表していると言えた。


「頼むぞ」

「はい!」


 頼もしい仲間がいることに、フェガは知らず笑みを零した。

 だんだんと兵士達の姿が大きくなっていく。会話を終えて再び加速したフェガに、三人は必死にしがみつく。身体を低くしていないと、風圧で吹き飛ばされてしまうだろうことは簡単に予測できた。


「射程距離です!フェガさんは人の姿に戻ってください!」

「了解だ!」


 急ブレーキをかけ、背中の三人を下す。逃亡者が止まったのを見て、観念したと思ったのか、兵士達はじりじりと距離を詰めてくる。気がつけば細い脇道や後方にも兵士達は配置されていて、フェガ達は再び囲まれていた。


「気を付けろ!また空中から逃げ出すかもしれん!」


 同じ轍は踏まぬと魔砲部隊も既に出動していて、いつでも撃てるよう狙いを定めていた。


「うーん……。もしかして今、結構やばいかな?」

「間違いなくやばいだろうな」


 あははと笑いながらも、メロンとグリーの顔は強張っている。


「でも、問題ないだろう?——プシノなら」


 人間の姿に戻ったフェガは強気な笑顔浮かべ、そこからはプシノへの強い信頼が伺えた。


「任せてください!」


 プシノは城壁頂上をじっと見つめ、魔術ユースフィリアのイメージを固めていく。全員が揃ってこの場を脱して笑い、喜び合う。そんな未来を思い描いた。


「行きます!皆さんが無事に着地出来ますように!」

「……今なんて?」


 グリーの疑問に答える声はなく、三人の身体は重力に逆らい浮き始める。プシノはいっぱいに伸ばした両腕を城壁上空に向かって振り上げ、三人を宙に打ち出した。


「撃て!」


 待っていたとばかりに、王立軍の兵士達が飛行するメロン達を狙い弾丸の嵐が襲い掛かる。

 

「掴まれ!」


 フェガは二人に向かい手を伸ばした。メロンとグリーは空中でなんとかその手を捕まえる。瞬間、フェガは二人を抱え込み、地面に背を向け再び大きく息を吸う。身体を盾として使い、飛び交う弾をいくつも無力化した。だが——。


「フェガさん、落ち始めてる!」


 大きく呼吸したことにより、フェガは自分にかけられた魔術も同時に解除してしまった。

 次は自分がフェガを助けようとメロンがフェガに手を伸ばす。しかし、フェガはその手を掴もうとはしなかった。自分が触れば、メロンにかけられている魔術さえも解けかねない。


「そんな……もう少しなのに!」


 城壁はもうそこまで迫っている。メロンとグリーの高さなら転がりこめる。フェガは激突の衝撃に備えようと、受け身の準備を始めていた。


「フェガ!手伸ばして!」


 フェガは壁上から聞こえた声に反射的に従い、手を伸ばす。

 がっしりと掴まれる感触。力強く引き上げられ、城壁の縁に手を掛ける。

 身体を上げた瞬間、元いた場所を数多の弾丸が襲った。

 城壁の上では何人もの人が倒れていた。その中にはメロンとグリーもいたが、ただ一つだけ、立ち上がって自分を見下ろしている姿があった。


「お疲れ様。最後の詰めが甘かったわね」


 にっと笑うリオの顔は、戦場にいるとは思えないほど晴れやかで。全員の無事を喜び、満足気に腕組みをするリオはフェガには少し子供っぽく見えた。


「奴らを逃がすな!上に増援を送れ!」


 下から聞こえる王立軍たちの声はまだ諦めていないことを示していた。


「ここにいる奴らはリオが?」


 フェガは失神している兵士の山を見て彼らが気の毒になったのか、リオを見る目に若干の非難の色が含まれていた。


「そうよ。どいつもこいつも鍛え方がなってなかったら……ち、ちょっと指南しただけよ」


 リオは誤魔化すように眼を逸らすと、メロンとグリーを起こしに向かった。


「皆さん無事でしたか⁉」


 兵士達の眼を盗んで飛んできたプシノがフェガの周りを飛び回る。


「大丈夫だよー。プシノのおかげで助かっちゃった!」

「ほんと、いつ死んでもおかしくなかったけどな」


 起き上がったメロンとグリーが、プシノの労を労う。


「いえ、私なんて全然……皆さんのおかげです」

「はーい、話は後でゆっくりね。予定通りなら、そろそろも到着する頃。さっさとここから離れるよ」


 リオは城外の空をちらりと見ながら、四人の脱出準備を促す。城壁内の通路から階段を駆け上る騒がしい音が聞こえてくる。王立軍の兵士達が、すぐそこまで迫っていた。


「どうした?」


 城門付近から離れるために城壁の上を移動する最中、フェガはメロンが後方で立ち止まっていることに気がついた。


「ごめん、少しだけ時間頂戴!」

「それは?」


 メロンの手には銀色に光る銃身の短い小型の魔砲が握られていた。


「テルンから預かってた魔道具フィリアツールなの。元々はこれを祭で打ち上げる予定だったって」

「そういえばマリーディアの王立軍基地に忍び込んだのも、もともとはそれが目的だったな。思わぬ形で役に立ったわけだが」


 二人の会話に気付き、先行していたリオ達も戻って来る。


「二人とも何やって……ああ、そういえばそんなのもあったわね」

「なんだそれ?」

「見てたら分かりますよ」


 二度目の問いに答える前に、プシノがメロンに目配せする。メロンはこくりと返事をして、魔砲の銃把を右手でしっかりと握り直した。

 テルンに託されたそれを、最後にもう一度だけ愛おしそうに見つめる。ふっと息を吐き出して、腕をゆっくりと天に突き上げた。


「私達の思い、届くといいな」


 引き金を引く。軽く弾けるような音がして、赤い光が滑るように昇っていく。


「メロン!時間切れよ!」


 リオの指さす方向に、月明かりに浮かぶ飛行編隊。それを見つけたのはリオ達だけではなかった。


「妖精の襲来! 魔砲部隊準備! 敵に城壁を超えさせるな!」


 メロン達を追いかけていた兵士が声を上げ、全体に伝達する。数えきれないほどの魔砲が、新たな敵を迎え撃つべく備えられた。

 慌ただしい彼らを尻目に、メロン達はそっと城壁から飛び降り、闇へと紛れていく。

 夏の夜空。解放された夜空。多くの人々が望む、都の夜空。そこに意思を載せて輝く文字達メッセージ

 離れた二人にも、同じ空が見えている。その無事を祈って、メロンは思いを巡らせた。

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