第10話 心を言葉に

 テルンの言いつけ通り、テディ達は安全を確認してから異次元門ゲートに足を踏み入れ、テルン達と合流した。

 それぞれのグループはお互い今まで何があったのかを話し合い、次に取るべき行動を決めようということになった。

 リオ達は亜人界で狩人ハンターに襲われたときのことや——テルンは何か口を開きかけたが、ぐっとこらえていた——落雷の森のこと、主武器であるレイピアを失ったこと、伝説の神殿に迷い込んだこと等、ここまでの道程を詳しく話した。

 一方のテルン達は、無事に剣を手に入れた事、テディが体調を崩し、異次元門が開けず合流が遅れたこと——テディがしゅんとしてしまったので、メロンは慌てて慰めていた——一晩をディバの下で過ごした後、無事にこうして合流したこと。


「テルン、あんたちょっと顔つき変わった? なんかこう……よくわかんないけどさ」

「なんだよそれ。別になんにもないよ」


 リオの言葉に内心焦りながらも、テルンはいつも通りを装った。

 テルンはディバとの会話のことを誰にも話していなかった。その内容は他人に話す必要のないものだったし、何より話したいとも思っていなかった。

 だからこそ、テルンは自分の中だけで意識を変えていたつもりだったが、リオは簡単にそれを見抜いていた。


「まずは全員の装備を整え直して、グリーを奪還することを優先するべきだと思う。リオ姉の新しいレイピアだけは簡単に手に入るものじゃないから、これは後回しだ。とにかく、もう一度人間界に戻ろう」

「あの、少しいいですか?」


 会話がまとまりそうになった時、今まで静かに話を聞いていたセシヤが口を開いた。


「どうしました?」

「キコ様からこれを預かってきています」


 セシヤは一通の手紙を取り出し、テルンに手渡した。


「キコさんから? ……これは」


 テルンは手紙を見て、素直な感想を述べる。


「小さいな」


 セシヤは、妖精族のものですからね、と苦笑いを浮かべた。

 テルンは手紙を開けようと試みたが、手紙の小ささに封を破るにも苦戦していた。


「貸してください。妖精文字、テルンさんじゃ読めないでしょう?」

「ああ、任せる」


 手紙をプシノに託し、テルンはセシヤに声をかける。


「ここはミネレーネからはどれほど離れてた場所なんです?」


 妖精界における王都、ミネレーネ。

 過去、様々な派閥に分かれていた妖精達はいがみ合い、時や場所を厭わず争いを起こしていた。幾度の大戦により多くの都市が崩壊してしまっている中、妖精達は終わりの見えない戦争を続けることを諦め、話し合いにより一人の女王を建て、それを全種族の王として妖精全体を統治するものとした。

 その妖精女王ティターニアが暮らし、彼女を支え妖精という種族の行く末を決める機関、『円卓会議』が存在する妖精界の中心がミネレーネだった。


「そんなに遠くはありません。というよりも、すぐ近くが情報伝達のために使うと取り決めた場所ですよ」

「ん? ……本当だ」


 似たような雪野原と木々が広がっている中、テルンは見覚えのある枯れた木を見つけた。


「今もそこに手紙を置きにいこうと思っていたところだったのです。私たちはいつでも自由に動ける身ではありませんから、動けるときに動いておく必要があります。今回は運がよかったようで、こうして会えたわけですが。……それより、その女の子は一体どなたなんです?」


 セシヤは先ほどからテディにじっと見つめられ、なんとなく居心地の悪さを覚えていた。テディはプシノの他に初めて出会った妖精族であるセシヤに興味深々だっただけだったが、目が合ったので自己紹介をしようと考えた。


「私はテディだよ! 今はいないけど、グリーおじさんが私にくれた名前なの! テルン兄ちゃん達と一緒にいろんなところで遊んでるよ。よろしくね!」


 そういってテディはセシヤに握手を求めて手を挙げた。テルン達の背丈に合わせて飛んでいたセシヤは、テディの目の高さまで降りると小さな手でテディの中指を掴んだ。


「私はセシヤといいます。よろしくお願いしますね」


 セシヤはテディが相手でも丁寧な物腰は変わらず、笑顔で挨拶を返した。


「テディはね、異次元門ゲートを自由自在に作っちゃうすごい子なんだよ!」


 メロンがテディの頭を撫でながら、セシヤに自慢げに話す。


「今ここでリオさん達に合流できたのだって、テディのおかげなんだから」

「……それはすごいですね。皆さんの活動の幅が広がりそうで、喜ばしい限りですが……グリーディアさんはどうされたんです? 先ほど探すと仰っていましたが」

「グリーは捕まった。狩人ハンターに連行された後、行方がわからん」


 フェガは簡潔に、必要な情報だけを告げる。否、それ以外の情報が、伝えられる情報が何もなかった。グリーが生きているのか、死んでいるのか、どこにいるのか、どんな環境に置かれているのか。テルン達が人間界に行った後から、何も情報は集まっていなかった。

 全員がそれをわかっていて、それでいて考えないようにしていた。それが無駄なことで、答えが出ないものだから。


「そうでしたか……私も何かお手伝い出来ればいいのですけど」

「もう十分してくれているわ。危険を冒してこうして私たちに情報を届けてくれているんだから」

「みなさん、手紙を読み終わりましたよ」


 黙々と読み進めていたプシノが、手紙を丁寧に折りたたむ。


「グリーさんのこともそうですが、こちらもかなりまずそうです」

「なんて書いてあった?」


 セシヤも手紙の中身は知らず、この場にいる全員がプシノの言葉を待った。


「人間界でもうすぐ『神母祭しんぼさい』が開かれますよね。それに乗じ、妖精軍が人間界に攻撃を開始。首都を攻め落とすことを目標としているようです。この手紙を書いた時点では詳細は何も決まっていなかったようで、これ以外のことは何も書かれていません」


 テルンは思わず呻き声を上げながら目頭を押さえる。各所からも同じような反応が見られ、テディは一人、空気が重くなるのを感じていた。


「グリーのことに合わせて、妖精達の進軍か……。問題は山積みだな」

「祭の日まであまり時間もない……ほんと、タイミング悪いわね」


 こちらの都合など当然関係なく、妖精達の準備は着々と進んでいく。グリーを一刻も早く救出しなければならないのに、妖精軍の妨害まで同時に行うだけの余裕はテルン達に残っていない。

 今回のような事態を前もって感知できたならば、テルン達は全力をもってそれを阻止すべく動く。三世界の平和を求めている者として活動しているのだから、それを見過ごすわけにはいかない。しかし。


「さっきも言った通り、今はグリーが最優先だ。今回のことは残念だけど——」

「ちょっと待ってテルン」


 メロンがテルンの言葉を遮り、一歩前に出る。普段こういった場面ではあまり発言しないメロンが行動を起こしたことに、テルンは驚いた。リオ達も驚いてはいたが、メロンがテルンの言葉を遮ったという事実により驚いていた。


「今回のことって、そんなに簡単に決めちゃっていいのかな?」

「……簡単?」

「うん。あ、いや、グリーを見捨てるって言ってるんじゃないんだよ? でもね、もうちょっと考えてみてもいいと思うの」


 メロンは迷いながら、少しずつ言葉を紡いでいく。この場の視線を一心に集めながら、胸にあるものを伝えようとしていた。


「神母祭を襲撃されるってことは、王都が直接狙われるってことだよね。あそこに暮らしてる人はたくさんいる。王立軍やフィーネル武神団がいても、きっと全員は守れないと思う。それで、もし王都が制圧されたりしたら、人間界そのものが……」

「メロンの言いたいことはわかる。でも大丈夫だ。認めるのは癪だけどエドバはそんなやわな奴じゃない。それに——」


 テルンは拳を強く、強く握る。


「——あいつらの世界は、王さえいれば成立するんだ。国民が何千何万と死のうとも、人間界の崩壊なんてことは起きないさ」

「それでも! やっぱりたくさんの人が死んじゃうんだよ⁉ 攻める妖精たちはみんな覚悟をもって死んでいくのかもしれない。でも、侵略される普通の人間は、絶対にそんなこと思ってないよ! みんな戦う気もないし、力もないのが普通なんだから……」


 メロンの瞳に涙が貯まり、瞼の瞬きとともに零れ落ちる。それでも構わず、メロンはテルンに訴えた。


「ねえメロン、一つ訊きたいんだけどさ」

「何ですか?」


 テルンとメロンの間に割って入る。リオはじっとメロンの瞳を見つめ、メロンもそれをしっかりと受け止めた。


「どうして人間を助けたいと思うの? あなたは彼らを恨むことはあっても、救うことはないと思っていたんだけど。そう周りが思うだけの過去を、あなたは過ごしてきているわ」

「……それは——」


 メロンは少し俯きながら、自分の『今まで』を順に振り返る。思い出したくないことの方が多かった。その頃を思い出すだけで息は荒くなり、心臓が激しく鼓動する。消えたはずの忌々しい傷が、また浮き出るような錯覚に陥る。このトラウマが無くなるとは思えない。

 それでも、メロンは耐える。耐えられる。耐えて、耐えたその先を思い出す。

 厳しく、それでいてきちんと褒めてくれた父さん。いつも優しくて、穏やかで、頭を撫でてくれたお母さん。二人と過ごした時間は、何事にも代えがたい。それがあったから、ここまで自分を忘れずに、生きてこられた。

 顔を上げたメロンの表情は、驚くほど安らかだった。


「——リオ姉さんや、テルン……お母さんが、人間だからだよ」


 リオはもう一度メロンの瞳を、その奥にあるものを覗き込もうとした。メロンの本当の気持ち、真意を汲み取りたかった。

 リオは昔から、嘘を見抜くのが得意だった。相手の目を見れば、その奥の心までが透けて見える。それは狩人ハンターに所属していたこととは一切の関係はなく、生まれ持った特技のようなものだった。

 しかし、リオが普段の生活でこれを使うことはあまりない。誰にでも知られたくないことはあるし、嘘を本当にした方が、本当だと思っていた方がいい時もたくさんある。

 テルンやメロンが子供の頃、このことを知ってよくリオのところに嘘をつきに来た。その全てを見破ったリオは二人から尊敬の眼差しを受け、少し気恥ずかしくなったなんてことも、リオの中の懐かしい記憶の一つ。

 だから、メロンは自分の言葉に裏があれば、リオに全て見抜かれると分かっている。それ込みで、リオはメロンに真偽を問う。


「別に私だって、どうせ助けるならグリーを助けたい。私は神様じゃないから、誰しもを救う、なんてことは出来ないし、言えないよ」


 メロンはもう一度、リオの瞳を見返した。


「でも、私みたいな人は、私だけでいいと思うの。これ以上増えたらいけない。……それにほら、王都にいるどんな人だって、誰かにしたら私たちにとってのグリーなんだし、優劣なんてつけちゃいけないって、私は思うな。うん」


 途中からメロンのセリフは早口になり、まるで付け足されたようなだった。最後には照れたように笑いながら皆の視線から逃れようと、木の陰にこそこそと隠れてしまった。


「メロン、お前の言っていることは、正直俺には分からん。お前の母親やリオやテルンが人間だから、それがお前の癒しになった。そんな風には思えんのだが」


 フェガは木の向こう側にいるメロンに向かって問いかける。


「フェガさん、こういう気持ちに理由を付けるのって、凄く難しいと思います。心にある思いは、言葉より複雑に出来ている。私はそう思ってます。そうですよね?」

「う……うん。そんな感じ」


 プシノがメロンのフォローに入り、メロンは木の陰からひょこりと顔を出すと、ごにょごにょと喋りそれに乗っかるような形にとった。


「まあ、わかったよ。グリーのことと並行して、妖精軍の王都への進軍を止める作戦も考える。これでいいよな?」


 テルンは半分呆れながら、メロンに新しく意見を提案する。メロンは嬉しそうに戻ってくると、テルンの両手をぎゅっと握った。


「ありがとう!」

「礼を言うようなことじゃない。みんなはどう? 当分の指針は今のでいいかな?」

「問題ないよ」

「うむ」

「いいと思います!」

「私はテルン兄ちゃんがよければなんでも!」


 全員の快諾を得て、テルンはほっと息を吐く。全員が満足のいく結論を出せたなら、やるべきことはやれたと、テルンは一仕事終えた気分だった。

 テルンが皆から離れて太い木の幹に寄りかかっていると、リオが輪の中から抜け出し、テルンのとなりに並んだ。


「お疲れさん、テルン」

「ありがとう、リオ姉。……それで、どうだった?」

「どうって?」

「メロンだよ。リオ姉、あれやってたから」


 リオがメロンの嘘を見抜こうとしていたのをテルンは気づいていた。


「どうせわかってるんだから、いちいち訊かなくていいでしょ」

「いやでも、一応聞いておきたいなって」

「ふん! そんな風になよなよしないの。男らしくないわ」


 リオはテルンのおでこをパチンと強くはじいた。


「しっかりしなさいよ?」


 テルンは笑いながら輪に戻るリオを、おでこをさすりながら恨めしそうに見送った。

 改めて深く息を吐くと、白いもやが視界に広がる。無意識に両手を温めようとて口に手を当てるが、魔法のおかげで寒くないことに気付く。暗くなってきた空に、幾つもの星々が瞬き始めていた。

 この空にある星々は、異世界にも存在するのだろうかと、テルンはふと思った。

 

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