第9話 合流

 降りしきる雨は焼けた木々を打ち続け、数多の落雷が空を割いていく。暗い空は未だに晴れず、冷たい風が洞穴の中にも吹き込む。荷物を置いてきてしまったリオとフェガは、寒さに身体を震わせていた。


「こんなことになるんだったら、服の一つでも持ってくるべきだったわね」

「そんなものを持つ余裕はなかっただろう。レイピアすら守りきれなかったんだからな」


 リオが爆発を受けたとき、彼女のレイピアは盾となる形でその被害を軽減したが、同時に衝撃でリオの手元から弾き飛ばされてしまった。破片の刺さってしまった武装魔道具は完全に破壊され、もはや修理することは不可能であると分かっていたから、リオは愛銃を手放し、惜しみながらも諦めることができた。


「まあね。贅沢できる立場にないことだけは確かだし——っ!」


 リオの激しく咳き込んだ音が、洞窟の中で反響する。血を含んだそれは、リオの怪我が重症であることを生々しく伝えていた。手の隙間からこぼれる血の量は増えていて、症状が悪化しているのは明らかだった。


「悪いが、俺には医者のようなことはできん。プシノが来てくれるまで、無理はしないようにしてくれ」

「無理なんてこの状況じゃしようがないでしょ? 私も応急処置くらいの知識しかないからね。あーあ、テルン達頼みなんて、情けないなー」


 リオは口に残った血を吐き捨て、汚れた口元を手で拭った。


「さあて、それまでの間どうしようか? 探検でもする?」

「大人しく休んでいろ。出来るだけ喋らない方がいい……なんだ?」

 

 洞窟の奥深くから身体がピリピリするような微かな違和感を感じとり、フェガは暗闇を凝視した。


「どうしたの? 洞穴に住み着く怪物でも起こしちゃった?」

「いや、生き物の気配はしないんだが……」


 フェガは視界の利かない中を、違和感を頼りに注意深く進んでいく。奥に進めば進むほど、暗闇は濃くなっていて、壁に触れていなければ自分の位置を見失ってしまいそうだった。

 そして数十歩ほど踏み出した後、一つの疑問が頭に浮かぶ。


 この洞窟は、これほど深かっただろうか?


 事実を認識した瞬間、フェガは大いに戦慄した。振り返ると、洞窟の入り口は消え去り、光は完全に失われていた。


「リオ! どこだ! 聞こえるか!」


 フェガは出せる限りの大声で仲間の名を叫ぶ。壁で反響するはずの大声が、まるで吸収されるかのように遠く消えていく。


「ちょっとどうなってるの⁉ いきなり真っ暗になっちゃったじゃない!」


 姿が見えないせいで相手のお互いの位置を掴むことはできなかったが、とりあえずの安否を確認できたことでフェガは少し気を緩めることが出来た。


「俺にもわからん! とにかく合流するぞ! 今からそっちに戻るから、絶対に動くな!」


 手から伝わる壁の感覚を頼りにしながら、フェガは更に嗅覚に神経を傾け、自分の背後にリオがいるのを確認した。

 光のない世界など、フェガは想像したこともなかった。太陽や月は東に現れ、西に消え行く。その間に自分達に無償の恵みを与えてくれる存在として、亜人は感謝を絶やさない。どんな時でも照らしていたものがなくなったと理解した瞬間、心の底から恐怖が湧き上がってくるのを感じた。


「フェガー? ちゃんとこっちに来れてるー?」


 間延びした緊張感のない声が、フェガの想像した以上に近くから聞こえる。暗いだけの変化のない空間に飽きてしまったらしい。どこか退屈しているよう気配を感じ、フェガは呆れて溜息をついた。


「すぐ近くだ。お前は動いていないな?」

「動いてないよ。ずっと座りっぱなしでやることもないし、退屈ね」


 自分が危機的な状況に陥っているにも関わらず、リオはそれをなんとも思っていないようだった。

 

 

「見つけたぞ。隣にいるから、右側に手を伸ばせ」

「右?」


 リオは言葉通りに手を伸ばし、フェガの位置を探る。フェガはその手をしっかりと握りしめた。

 

「あら?」

「む?」


 気がつけば、二人の周りには光が戻っていた。お互いの姿を目ではっきりと確認し、次に繫いだ手に視線を移した。


「ひざまづいて、キスでもしてくれるのかしら? 人間のお偉い貴族さんみたいに」

「馬鹿をいうな。……これで我慢しろ」

「ふふ、この年になってこんなことしてもらえるとは思わなかったわ」


 フェガはリオがふざけていると思ったが、思ったよりもまじめな顔をしていたので、気まずそうにリオをお姫様だっこで抱き上げた。それとは反対にリオは楽しそうに、ふんふーんと鼻歌を歌いながらされるがままになっている。


「それにしても、どうしてこんなところに出たんだか……初めに洞穴を確認した時にはこんな……」

「いやいや、これってあれなんじゃない?」

「あれ?」

「伝承よ。あの中に神の遺跡ってのがあったじゃない。私、ここがそうじゃないかって思ってるんだけど」


 ほら、とリオが指さした先には巨大な石がいくつも組み合わさった神殿が厳かにそびえていた。

 四方の壁や天井も神殿と同じ材質の石材でできていて、天井は中央に向かうにつれて高くなり、神殿の頂点は天井と結合していた。

 宮殿から四方の壁に向かってそれぞれ一本ずつ階段が伸びていて、部屋の各入り口へと通じている。リオ達がいるのは階段の中腹にあたる踊り場で、その床には様々な生き物や植物をかたどった豪奢な彫刻が施されていた。階段の縁から下を覗くと、そこには終わりの見えない闇が広がっている。外界から遮断されている上に松明一つないというのに、神殿の周囲は不自然な明るさを保っていた。

 

「まさか……本当に存在するとはな。せいぜい子供たちへの戒めだと思っていたのに」


 フェガはお伽噺だと思っていた世界を目の当たりにして、驚きを隠せずにいた。あまりに傾注してしまい、リオにとんとんと肩を叩かれ我に返るまで、フェガは神殿から目を離せなくなっていた。


「なんにしても、ここから出ないといけないわよ。テルン達がすぐに帰って来るとは限らないんだから。私自身、少し心配になってきたし」


 リオのしている心配が、ここから無事に脱出することを指しているのか、自分の命の長さのことを指しているのか、はたまた両方なのか、フェガには判断することが出来なかった。

 

「そうだが……少し、賭けをしてみないか」


 賭け? とリオは不思議そうな顔をしたが、フェガの視線の先を追い、はっとした。

 階段を下った先の、部屋と通路の境目。光のある部屋と繋がっているとは思えないほど、底の見えない暗さので——。


「ただの通路なんかじゃなくて……まさか」


 世界と世界を結ぶ、唯一の通路——異次元門ゲートがその口を大きく開けていた。

  フェガはリオを立たせ、支えながら階段を下り、異次元門ゲートを目の前に立ち止まる。

 神殿の奥に進むか、異次元門ゲートを潜り何処かへ飛ぶか。二人が外に出るという目的を達成するためには、後者という選択肢を取る以外になかった。


「これ、どこに続いてるんだろうねえ」

「そんなことは誰にもわからん。ここにいても意味はないんだ。腹を決めろ」


 異次元門の先がどうなっているのかは分からない。そこに行くことで、今より状況が悪化する可能性も十分に考えられる。再び落雷の森の中に放り出されるということも、狩人ハンターの目の前に現れるということだってあり得る。そんなことが起こるはずがないとわかっていても、グリーが捕らえられた時のことが、二人の頭にちらついていた。


「行くぞ」

「オーケー」


 二人は迷いを振り切り、闇の中に踏み込んだ。


 *     *     *     *


「あれ? きゃっ!」


 異次元門ゲートを抜けた瞬間、リオの身体は重力に引かれ、ぼふっと真っ白な地面に埋まり周囲に白い粉が舞い上がった。


「お前からそんなかわいい声が聴けるとはな。少し意外だ」

「私だって一応女性なんだけど。馬鹿なこと言ってないで早く助けなさいよ。めちゃくちゃ冷たいんだから……」

 

 雪に埋まり身動きの取れなくなっているリオを、うまく着地していたフェガが引き上げる。


「ありがと。それにしても、空中に異次元門ゲートが開くなんて考えたこともなかったわ……」


 空に浮かぶ異次元門ゲートを見上げ、ため息をつく。今までは地上に繋がるというのが当然のことであったため、リオは完全に油断していた。この高さで下に雪があったから怪我こそせずに済んだものの、もっと高高度に異次元門ゲートが開いたときのことを考え、リオはぞっとする思いだった。


「空中に現れるということは、海中に現れる可能性も捨てきれんな。海の中でフィリアがどういう活動をするのかは、俺にはわからんが」


 フェガは自分たちの置かれた状況を把握すべく、周囲を見渡す。

 地面一面が白雪に覆われ、歩けば足が埋もれてしまうほどの深さ。背の高い木々が多く生え、すべての葉のは雪で白く染まっているかのよう。風のない中、太陽の見えない空からこんこんと粉雪が降り注ぎ地面の雪をさらに厚くしていく。凍えるような寒さが二人に纏わりつき、身体の熱を奪っていく。


「ここは……亜人界ではないな。夏でも雪は降るが、せいぜい山の頂上くらいのものだ」

「人間界も似たようなものよ。というか、まず間違いなく妖精界よね、ここ」


 リオは寒さに身を震わせ、歯をかたかたと鳴らしながらどこか寒さを凌げる場所はないかときょろきょろとしている。


「本当に着るもの持って来ればよかった……」

「言うな。……近くに誰かいる。一人だ」


 二人は一瞬で意識を切り替え、雪の上に伏せて周囲の様子を伺う。

 フェガは匂いを頼りに相手の位置を割り出し、リオにもその場所を伝える。二手に分かれ、木などを利用して隠れながら標的に接近し始めた。

 ここが妖精界ならば、標的はほぼ確実に妖精であるといっていい。もし自分たちの姿を視認され、それを妖精軍にでも報告されれば、二人は成す術もなく捕縛され、殺されてしまうということは想像に難くなかった。

 それならば、逆にこちらが相手を取り押さえ、自分達の安全が保障されるまで拘束してしまう以外に方法はないと、二人は考えた。隠れるという手段では見つかった場合への対応が遅れてしまい、逃げられる可能性が高まってしまう。

 さらに妖精がリオ達に反撃する魔術ユースフィリアが発動するまでには、多少の準備時間がかかる。それらを加味すれば、もっとも堅実な手法が奇襲であることは火を見るより明らかだった。

 妖精が二人に近づいていく。二人は呼吸を止め、いつでも襲えるよう足場と態勢を整える。音が消え、妖精の動く気配を強く意識する。

 二人が妖精を挟み込むような形になった瞬間、合図もなく同時に地面を蹴った。

 妖精はそれを見ても、身動ぎ一つしなかった。


「はっ!」


 両の掌を下に向け強い衝撃波を発生させ、大量の雪を宙に押し上げる。


「なっ!」


 二人の視界は一瞬で白で埋め尽くされ、前進の勢いは一気にそがれてしまう。


「引け!」


 フェガは追撃を恐れ、距離を取った。想像以上の魔術ユースフィリア発動速度に、攻撃の立て直しを迫られていた。

 

「やるね! ——がはっ!」


 後ろに飛ぼうとした瞬間、激しい痛みがリオを襲い、その場に崩れ落ちる。口から鮮血が零れ、雪の上に赤い染みが増えていく。


「リオ!」


 舞い上がった雪が落ち、全員の視界が開けた時。妖精の魔術ユースフィリアは既に完成し、膝をついたリオに照準を向け、一気に消し去らんとしていた。


「消えなさい! ——あら、リオさんじゃないですか。それにフェガさんも」


 リオを庇おうと跳躍したフェガは、突然戦意のなくなった声を聴いて妖精の方に振り向いた。

 小さな人間が宙を飛び、行方にある雪を払いながらこちらに近づいてきているのが見える。

 利発そうな顔立ちに、ショートの黒髪が彼女のおしとやかな印象を強くする。妖精共通のドレスのような服に、雪に紛れてしまいそうな白く薄い上着を羽織っている。


「……セシヤ」


 優しく微笑む彼女の名を、フェガはほっとしながら口にした。


*     *     *     *


「これで大丈夫だと思います。だいぶ血を失っているようなので、体調に影響があるかもしれませんが、傷の方は問題ありません」


 ふうっと息を吐き出し、セシヤは集中を解く。リオの治療に使っていた魔術ユースフィリアと三人分の防寒魔法を同時に使用するのは相当に骨を折る作業であり、精神の摩耗もそれに見合うものだった。


「ありがとう、セシヤ。それとごめんね? 急に襲い掛かったりして」

「いえ、気にしていません。こういう状況ですから、仕方のないことです」


 手近な木の枝の雪を払い落すと、セシヤは二人の顔の高さに腰かけた。


「そういえば、お二人だけですか? みなさんの姿が見えないのですが……」


 セシヤは二人の顔を交互に見た後当たりを見渡したが、当然二人以外の影を見ることはできなかった。

 

「みんな、というよりプシノが心配なんでしょう?」


 リオはにやりと笑うと、セシヤを自分の頭の上に移動させた。


「確かに、心配でないというと嘘になります。そんなことより、恥ずかしいので止めてください」

「プシノってば、私の頭の上には来てくれないんだもの。一度やってみたかったのよね」


 楽しそうな様子のリオとは対照的に、セシヤは困った様子でされるがままになっていた。


「お二人は何時ごろからこちらに?」

「今しがた来たところだ。亜人界にいたんだが、人間たちの襲撃から逃れているうちにここまで来てしまった。すぐそこの異次元門ゲートから——ん?」


 空を見上げたフェガは、自分たちが使った異次元門ゲートが消えていることに気が付いた。


「あれは一時的なものだったのか……セシヤすまん、もう消えてしまったようだ」

「え? でも、すぐ近くに異次元門ゲートが……ああ、開きましたね」


 セシヤの言葉と同時に、新たな異次元門ゲートが生成されていく。三人は何かが現れた場合に備え、距離を取り身構えた。


「リオ姉! フェガさん! 無事ですか! ——ぶふぉ」


 途端、凄まじい勢いで異次元門ゲートからテルンが飛び出し、そのまま雪に足を取られ前のめりに倒れこんだ。

 テルンは即座に起き上がると、呆気に取られている三人をじっくりと見て、状況をしっかりと把握し、胸を撫で下ろした。


「リオ姉、フェガさん。ただいま帰りました」

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